「観光立国政策」は、安倍総理の発想かと思っていましたが違っていました。
最初に言い出したのは小泉総理で、安倍内閣が継承し、麻生、鳩山そして再び安倍内閣になるまで、途切れることなく繋がっていました。
〈 「観光立国政策」誕生の経緯 〉
平成15年 1月 小泉総理が、「観光立国懇談会」を主宰 「観光立国宣言」
国土交通大臣・石原伸晃 観光立国担当大臣兼務
平成15年 12月 自民党総務局長二階俊博 「観光庁設置を急ぐべし」( 雑誌『選択』に寄稿 )
平成18年 12月 第一次安倍内閣で、観光立国推進法が成立
平成19年 6月 観光立国推進基本計画を、閣議決定
平成20年 10月 麻生内閣 観光庁設置
平成21年 7月 鳩山内閣 国土交通大臣・前原誠司 中国個人観光ビザ発給開始
第1回国土交通省観光立国推進本部を開催
12月 訪日外国人旅行者1300万人達成
・ 橋本内閣が発表した六大改革( 行政改革・財政改革・社会保障改革・金融システム改革・経済構造改革・教育改革)の中から、小泉氏は構造改革を、引き継いだ。」
・氏は、「構造改革なくして景気回復なし」と主張し、郵政民営化などの、構造改革をが、日本経済の回復に貢献すると考えていた。
・推進役として竹中平蔵氏を閣僚に起用し、経済諮問会議を司令塔として、構造改革に反対する議員たちをまとめて、抵抗勢力と呼んだ。
・日本経済の再生を模索する氏は、「観光立国」を語る学者の意見に強い関心を抱いた。
・新しい時代の観光は、単に見るだけ買い物をするだけでなく、観光客が各地に長期滞在しつつ、その国の文化や歴史を楽しむスタイルになると、そんな提言に飛びついた。
「 住んでよし、訪れてよしの国づくり」と言うキヤッチフレーズは、この時のものだと言います。「ワンフレーズ」が好きだった、小泉氏の言葉です。氏は早速、国土交通大臣だった石原伸晃氏を、観光立国担当大臣と兼務させました。
独断専行のイメージが強い割に、劇場型政治家と呼ばれた氏はマスコミと国民の人気があり、5年間も長期政権を維持しました。「女性宮家」を容認するなど、とんでもない人物でしたから、国民の目を惹きそうな話題には、深い考えもなく飛びついたのかもしれません。「観光立国」政策もその一つで、国民の喝采を狙い「観光立国宣言」まで出しています。
この政策を加速させた政治家として、二階俊博氏と前原誠司氏の二人をあげます。二階氏は、今でこそ安倍内閣の実力者で、ヤリたい放題をしていますが、小泉内閣の時はまだ党の総務局長でした。氏は保守系の雑誌の『選択』に、総理支援の原稿を寄せました。
『選択』は三万人のための情報誌と呼ばれ、一般書店で販売していません。企業経営者や、保守系の知識人が読む冊子だと聞いています。二階氏の原稿の書き出しの部分を紹介します。
「観光は、中国の易経にある 〈 国の光を観る 〉に、由来する言葉であり、」「その国、その地方の歴史、伝統、文化を観察し、尊重することから始まる。」
参考になりました。
このブログに引用された資料は、是非とも多くのかたに読んでいただきたいですね。
私も含めて、かなり多くの人は、『観光立国?政策』は、数年前からはじまったと
思ってたと、思います。
◇小泉総理大臣のことですが、あのかたは、毎年、靖國神社を参拝され、
その点に限って言えば御立派だと言いたいところですが、その反面、
随分おかしな政策もなさってたんですね。
観光立国政策は、たぶん、バブルがはじけた不景気時代から経済を再建する方策と
して打ち出されたようですが、、、、、、、
ただ、、その後の経緯(いきさつ)から、(観光政策について)
『悪い意味での【換骨奪胎】』が、なされたことは疑うすべもないですね。
その役割を果たしたのも、例の二階俊博氏であったことも事実でしょう。
支那人や韓国人の観光客大量誘致にいたっては慄然といたします。
支那人による、北海道などの土地買収がはじまったのも、『観光政策』がはじまったのと
同時期です。、、、、これは、決して無関係な偶然ではないと思います。
いづれにしましても、もう、『観光立国政策?』とやらは抜本的に見直すべきでしょう。
どうしても、観光事業を推進したいのなら、親日的な台湾人や欧米人を主とすべきでしょう。
「ただ、、その後の経緯(いきさつ)から、(観光政策について)『悪い意味での【換骨奪胎】』が、なされたことは疑うすべもないですね。」
私は、貴方と同じ意見を持っています。
換骨奪胎をした人物、それを許した人物は誰なのか。それが次回からの、テーマになると思います。
「武漢コロナ」禍の中にいてこそ、私たち国民に見える、政治家の姿があると、そんな気が致します。
コメントに感謝します。
どのメディアもどのジャーナリストやノンフィクション作家も、今まで指摘しなかったと思います。
一連のエントリを拝見して、観光庁とは「外国人を如何にして日本に来させるか」推進するための官庁だったのか、と驚きました。
「観光立国」は打ち出した当時の小泉総理以降、歴代内閣に亘って、脈々と流れゆく大河の如く受け継がれていったのです。
これは「内需拡大」のためでなければ欧米のためでもなく、中国のためのものだったのか…と慄然とします。
こうして日中間の観光交流は拡大し、日本は「インバウンド、インバウンド」と盛り上がり突き進み、浮かれていったのです。
その成れの果てが、今回中国人を野放図に受け入れ、被害が拡大してしまったことだと思います。
そのために日本国民の健康と安全が脅かされてしまったのですから、「観光立国」の代償は大きいでしょう。
関連業界はそれなりに潤ったのかもしれませんが、観光庁のしてきたことは、長い目で見て国民のためにならなかったと思います。
今後も「日中推進事業」を続けるならば、国交省に再統合されて消滅した方がマシだと思います。
私のブログでの記述が、もしも日本の隠された「闇」であるのなら、私の苦痛はありません。
ご覧の通り、私が調べておりますのは、新聞の切り抜き、「廃棄図書」、ネットの情報の、この三つです。その気にさえなれば、マスコミも、評論家も、政治家も、学者も、簡単に手に入る情報です。
それなのに、私のように指摘する人間がいなかった・・とすれば、その答えはただ一つです。
「彼らは知っているのに、口をつぐんでいる。」
この事実の方にこそ、私は日本の「闇」というより、「病み」をみます。そこまで日本の指導者たちは、病み腐っているのかと言う、怒りです。
もう少しお付き合いください。私なりの結論を、見つけます。
その時、またコメントを頂けたら、幸いです。