ねこ庭の独り言

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大いなる失敗 ( 反日の江沢民・クリントン氏と伊藤氏 )

2018-12-01 23:07:07 | 徒然の記

 ズビグネフ・ブレジンスキー氏著『大いなる失敗』( 平成2年刊 飛鳥新社 )を、読んでいます。

 先日読んだクーリー氏の「非聖戦」のような、文脈すら不鮮明な悪文に比べますと、論理明快な文章に爽快感すら覚えます。氏に比較するとクーリー氏が、思考の整理能力のない記者だったことが、一目瞭然となりました。

 ブレジンスキー氏については、これから説明していきますが、人物そのものは手放しで誉められません。日本で有名人なので、 氏を知らないのは、紹介している私くらいなのかもしれません。氏の略歴は、訳者があとがきの中で書いていますので、そのまま引用します。

 「氏は単なる学者でも、単なる実務家でもなく、両者の体験を踏まえて国際政治全般の、大きな流れを洞察する戦略思想家という意味で、現代アメリカを代表するのは、キッシンジャーとブレジンスキーの二人であろう。」「この二人はまさに現代アメリカの、戦略思想を代表する双璧であり、龍虎である。」

 翻訳者の伊藤憲一氏は、手放しの誉めようです。キッシンジャーが日本嫌いで、中国に肩入れしていたのは周知の事実です。そんなキッシンジャーと並ぶ、戦略思想家というのですから、日本にとって、碌な人間であるはずがありません。

 二人を誉めそやす伊藤氏も、「獅子身中の虫」の仲間だと、本を読む前から予感がします。

 「キッシンジャーは、ハーバード大學の教授から、ニクソン政権の国家安全保障問題担当の大統領補佐官になり、ブレジンスキーはコロンビア大学の教授から、カーター政権で国家安全保障問題担当の大統領補佐官になった。」

 「退官後、二人ともワシントンに本拠のある、ジョージタウン戦略国際問題研究所の顧問となり、私もこの研究所とは特別の関係にあったので、ワシントンでは時々二人とお会いしました。」

 ということで、翻訳者の伊藤氏についても調べてみました。

 「昭和13 (1938) 年、東京都に生まれ、今年80才。」「昭和35年に一橋大學を卒業し、外務省に入省。」「ハーバード大學留学後、モスクワ、マニラ、ワシントンの日本大使館書記官、」「東南アジア一課長などを歴任し、昭和52年に退官した。」

 「外務省退官後は、青山学院大學教授として在籍する傍ら、ジョージタウン大學戦略国際研究所の東京代表を兼務した。」「また、公益財団法人日本国際フォーラムの設立に参画し、NPO法人世界開発協力機構の副総裁にも就任している。」

「自ら副総裁を務める、NPO法人世界開発協力機構が主催する、世界オピニオン・リーダーズ・サミットでは、ビル・クリントン氏を招き、小池百合子、町村信孝氏らと共に、パネリストとして出席した。」

 氏が親米派外務省の官僚だったとことが、分かりました。

 本の著者や翻訳者たちについて、必ず略歴を調べる癖がついたのは、危険予知のためです。戦後の日本を駄目にしたのは、マスコミ界だけでなく、出版業界も同じです。反日左翼思想を広め、東京裁判史観を普及させ、日本人の心をダメにしたのは、出版業界です。彼らは日本の過去を足蹴にする悪書を、際限もなく流通させました。

 息子たちが惑わされないよう、伊藤氏に関する情報を紹介します。

 中国が突然日本を悪し様に言いだしたのは、江沢民氏の時代からでした。「歴史認識が足りない」、「反省が足りない」と、天皇陛下の晩餐会で語たり、出席した日本人を不愉快にさせました。

 鄧小平氏の時代以降、日本から巨額の資金援助と技術援助を受けながら、江沢民氏が豹変した陰に何があったのか。今では周知の事実となりましたが、クリントン大統領は、妻のヒラリー氏と共に、中国マネーに取り込まれた親中派の大統領でした。

 クリントン氏と江沢民氏は、日の出の勢いの日本を阻止するため、共同謀議をしています。それは丁度、キッシンジャー氏と周恩来首相が、「日本の再軍備を阻止するためなら、アメリカは中国と協力し合える。」と、密約したのと似た会話です。

 日本経済の拡大を抑えるためなら、中国が何をしてもアメリカは黙認すると、こういう了解が得られ、江沢民は遠慮なく日本攻撃ができるようになりました。反日教育を始めたのも、江沢民の時代からです。

 こんな反日のクリントン氏を招き、自分もパネリストとして参加しているのですから、伊藤氏は信頼出来る人間なのでしょうか。反日の国々に協力する氏が翻訳した本には、注意が肝心です。

  前置きだけで終わりましたが、明日から書評をします。

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