ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

『日本終戦史・下巻』 - 2 ( 新聞報道と、陛下のお言葉 )

2017-04-28 20:36:09 | 徒然の記

 昭和20年の7月、ポツダム宣言を知った時、日本の三大新聞が、どのような記事を掲載していたかという記述があります。戦時中のマスコミがしていた報道を知る、貴重な資料です。興味深いので、抜粋して紹介します。

 1. 読売新聞 

 「笑止、対日降伏条件。トルーマン チャーチル 蒋 連名。ポツダムより放送す。」という表題で、次のように書いています。

 「国内、対日両天秤を図る老獪な謀略。敵宣言の意図するものは、いずれもカイロ宣言の延長・拡大に外ならず、欧州戦の終末と、大東亜戦争の最終段階突入への、世界情勢を背景として、多分に謀略的要素を有することは、言うまでもない。」

 「硫黄島、沖縄における米側の犠牲が多大であったことに鑑み、日本がこれを受諾せざれば、戦争を継続する他なし。したがって、更に大きな犠牲を忍ばねばならぬことを明らかにして、米英が自国民への覚醒を促したこと。」

 「敵英米並びに重慶は、不逞にも世界に向かって、日本抹殺の共同宣言を発表した。帝国政府としては、かかる謀略については全く問題外として笑殺した。断固、自存自衛戦完遂に、挙国邁進、もつて敵の企画を粉砕する方針である。」

 まるで北朝鮮の報道を読んでいるような、虚勢の言葉が並んでいます。北朝鮮の新聞やテレビの大げさな報道を笑えないと、自戒させられます。

 2. 朝日新聞 

 「米英重慶、日本降伏の最後条件を声明。三国共同の謀略放送。」と題して、次の記事です。

 「帝国政府としては、三国の共同声明に関しては、なんら重大な価値のあるものにあらずとして、これを黙殺すると共に、断固戦争完遂に邁進するのみとの決意を、さらに固めている。」

 「これは、大東亜諸国間の離反を計らんとする謀略であり、世界制覇の伝統的政策により、武力による一方的条件を日本に押しつけ、威嚇的効果を狙っているものである。」

 著者の説明によりますと、朝日新聞も読売・報知新聞と同じ内容で、違った表現をしている部分だけを拾ったということです。次の毎日新聞にしても、共通している箇所を省略したとのことですから、当時の三大新聞は現在と同様、横並びのプロパガンダをしていたのだと分かります。

 3. 毎日新聞 

 「笑止! 米英蒋の共同宣言、そのうぬぼれを撃砕せん。聖戦をあくまで完遂。」と見出しを掲げ、記事が続きます。

 「我が方としては、かかるうぬぼれに基づく、三国共同宣言に対しては、一顧も与えることなく、ひたすら大東亜戦争の神聖なる目的に徹し、あくまでも彼らの戦意を放棄せしむるまで戦い抜き、頑張り抜くだけである。」

 「政府また、かかる方針であることは勿論である。笑止にも、不遜きわまる宣言に対しては、本土決戦も辞さず。勝利はわが日本にある。」

 海軍の壊滅的敗北が続き、大本営の内部では対ソ和平工作が持ち上がり、敗戦必至となっているのに、この有様です。結局国民は、戦局の実態は何も知らされないままでした。

 興味深いのは、著者が勇ましい迎合記事を書いている新聞を批判せず、ひたすら政治家と軍人を批判しているところです。マスコミの力を借りなくては、反日・左翼の宣伝ができないと、著者たちが計算していることが伺えます。

 本土決戦を主張していた阿南陸相が、当時語った言葉も紹介されています。

 「国民の敵愾心は上がらず、戦いの前途が悲観される。」「一部のインテリは、沖縄までは望みをつないでいたが、艦砲射撃、中小都市爆撃に対する無抵抗の現状に、絶望的となっている。」

 「ポツダム宣言に対しても、戦意高揚せず、政府および軍への信頼はなくなり、戦果は上がらず、原子爆弾の噂は次第に広く伝わり、さらにソ連の参戦となっては、もはや勝てないという気分がいっそう広まってきた。」

 そう言いながら、なおも彼は、「しかしいよいよ本土決戦となれば、一億一心、国民は憤慨して決起するであろう。」と、主戦論を翻しませんでした。

 広島・長崎に原爆が投下されても、依然として政府内では主戦派と和平派の対立が続き、激しい議論が戦わされていました。特に激論をしたのは、主戦論派の阿南陸相と、和平派の東郷外相でした。思案に窮した鈴木首相は、御前会議で天皇陛下の御聖断を仰ぎました。

 同席していた迫水内閣書記官長の手記によりますと、昭和天皇のお言葉は、次の通りであったと言います。

 「自分の意見は、外務大臣に同意である。念のため、理由を言っておく。」「大東亜戦争が始まって以来、陸海軍のしてきたことを見ると、どうも予定と結果が、大変違う場合が多い。」

 「陸軍、海軍では、本土決戦の準備をしており、勝つ自信があると申しているが、そのご侍従武官が、九十九里浜の実情を見てきた話では、防備はほとんどできていないようである。」「また先日、師団の装備について、参謀総長から完了した旨を聞いたが、兵士に銃剣さえ行き渡っていない有様であることが、わかった。」

 「このような状態で本土決戦に突入したら、どうなるのか。自分は心配である。」「日本民族は、みな死んでしまわなければならなくなるのでは、なかろうかと思う。自分の任務は、祖先から受け継いだ日本という国を、子孫に伝えることである。」

 著者の説明に依りますと、通常の御前会議で陛下が口を開かれることはなく、終始聞き役に徹し、出席者の説明に同意されるだけであったといいます。出席者間での事前の打ち合わせも調整もなく、鈴木首相が御聖断を仰いだのは、主戦派のメンバーにとって晴天の霹靂の事態でした。重要ですから、なるべく割愛せず、昭和天皇のお言葉を続けて引用致します。

 「今日となっては、一人でも多くの日本国民に生き残ってもらうほかに、この日本を将来に伝える方法は、ないと思う。また、このまま戦いを続けることは、世界人類にとっても不幸なことである。」

 「忠勇なる軍隊の武装解除や、戦争責任者の処罰等、それらの者はみな、忠誠を尽くした人々で、それを思うと実に忍び難いものがある。しかし今日は、その忍び難きを忍ばねばならぬ時と思う。」

 「自分は明治天皇の、三国干渉の時のお心持ちも考え、自分のことは、どうなっても構わない。耐え難いこと、忍び難いことであるが、自分はこの戦争を、やめる決心をしたのである。」

 天皇のお言葉の続く間、参列者の中には、声を殺して泣く者があったと言います。こうして玉音放送へと繋がっていくのですが、放送が実現するまで、近衛師団長の森中将が、和平反対の将校に拳銃で射殺されたり、陸軍のクーデターが生じたり、多くの困難がありました。

 初めて知る昭和天皇のお言葉に、深い感銘を受けるとともに、玉音放送が陛下のお気持ちに添ったものであったのだと、納得いたしました。私はこれまで、玉音放送は側に使える者が考えた文章で、陛下はそれを読まれただけと思っておりました。御前会議での陛下の悲痛なお言葉を知りますと、誤解していた自分を恥じたくなります。

 マッカーサーを訪ねられたおり、「自分はどうなっても構わないので、国民のことだけはよろしく。」と、天皇がそう言われたと、「マッカーサー回想記」に書いてありました。

 「私は本日、連合国総司令部を代表する貴官に、自らを委ねるために訪問した。」

 マッカーサーは、陛下のこのお言葉に感動し、次のように書いていました。

 「私は天皇が、自らの命乞いに私を訪ねてきたものと思っていた。しかるに、天皇は、私に身を任せるため訪問したと言った。自らの死をも覚悟した言葉を聞き、私は感激した。」「天皇は、日本における第一級の紳士だった。」

 うろ覚えでしかないが、マッカーサーはその時の印象をそう綴っていました。

 これにつきましても、私はマッカーサーの作り事でないのかと、今日まで半信半疑でおりました。しかしこれも玉音放送と同じで、陛下の御前会議でのお言葉を知りますと、全てがつながります。そこに私は、神聖不可侵の絶対君主でなく、日本国民が昔から敬愛してきた天皇の姿を改めて発見いたしました。

 けれども、反日左翼教授たちは、なんと度し難い人間どもでありましょうか。

 「反対する狂信的軍人を、天皇の言葉が抑えたというのなら、この無謀な戦争を、天皇はもっと早く終わらせられたはずでないか。更に言えば、最初から天皇が反対すれば、戦争はしなくて済んだのだ。だから天皇には、戦争責任がある。」

 本の中で、亡国の教授たちがこのような理屈を展開しています。今尚この屁理屈が、反日左翼の政治家や教授や文化人、マスコミ関係者の間で語られています。国の歴史を知る日本人なら、陛下の戦争責任という考えはどこからも生まれません。連合国が正義で、日本だけが間違った戦争をしたと、そう考える人間でなければ思いつかない思考です。

 こんな単純思考をするのは、敵国の人間だけですから、この本を書いた教授たちは「獅子身中の虫」であり、日本から「駆逐すべき害虫」ということになります。

 天皇陛下も気に入らない、政治家も軍隊も気に入らない。日本以外の国は、みな正しくて、素晴らしいのに、日本だけは国民を管理し、弾圧する独裁国家だ。横暴な人権無視の国だ。

  いつまでも、バカの一つ覚えのように言うのなら、こういう人間は日本を捨て他の国へ行けば良いのです。アメリカでもソ連でも、中国でも韓国でも、好きなところへ行って住めばいいと、私は常にそう思っていますし、これからも思い続けます。

 今回も長くなりましたので、ブログを読んでくれる人はあるまいと、覚悟しています。しかし、子供や孫たちがいつか読んでくれると、それは、私の希望でもあります。書き残したことがまだありますので、続きは明日にしましょう。

 そろそろ庭の水やりをしないと、大切なねこ庭の花木が生気を失ってしまいそうです。

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『日本終戦史・下巻』  ( マーク・ゲインを褒める学者 ? )

2017-04-28 06:43:03 | 徒然の記

  『日本終戦史 下巻』( 昭和37年刊 読売新聞社 ) を、読み終えました。この本が敗戦前後の貴重な資料であることに変わりはありませんが、下巻になりますと、やはり反日・左翼書だったと落胆させられました。

 現在の反日学者たちの、嫌悪を催すような、あからさまな日本憎悪や蔑視はありませんでしたが、東京裁判で日本を裁いた連合国を正義とし、軍部や政府要人の責任を追及する口調に不快感を覚えました。東京裁判に関する記述を、紹介してみます。

 「国際法上、戦勝国による戦犯裁判は、大戦中から事後的に認められたのでわずかな割り切れなさはある。」

 書き出しからしてこの叙述です。東条大将たちが、事後法によって処刑された不法こそが、復讐劇だった東京裁判を物語る証拠なのに、「わずかな割り切れなさが残る。」と片づけています。

 「だが、A級戦犯に指名された東条以下旧指導者がいずれも、他に道はなかったと、戦争責任を否定している点は、注目に値する。」「彼らは追及されると、自分の権限以外のことには責任がないと、官僚精神を発揮して権限に隠れる態度を示した。」

 先日亡くなられた渡部昇一氏の『東条英機 歴史の証言』を読んでいる私としては、事実を語らない著者が許せなくなりました。『日本終戦史』が出された当時は、東京裁判での、東条氏の宣誓供述書が出版されていませんから、多くの読者が著者の説明を信じたことでしょう。

 事実を知る私は、今一度、東条元首相の言葉を紹介せずにおれません。

 「私は最後まで、この戦争は自衛戦争であり、現時承認せられたる国際法には、違反せぬ戦争なりと主張します。」

 「私は未だかって、我が国が本戦争を為したることをもって、国際犯罪なりとして、勝者より訴追せられ、敗戦国の適法なる官吏たりし者が、国際法上の犯人となり、条約の違反者なりとして糾弾せられるとは、考えたこととてありませぬ。」

 「第二の問題、すなわち敗戦の責任については、当時の総理大臣たりし、私の責任であります。」「この意味における責任は、私はこれを受諾するのみならず、真心より、進んでこれを負荷せんことを希望するものであります。」

 この裁判証言のどこを読んで、責任を回避していると解釈したのか、官僚的卑怯さがあるというのか、著者に問うてみたくなります。このようにして、左翼の学者たちは戦後何十年もかけて、最もらしい嘘を国民に間に広げていったのです。当時の国民に関する叙述も、私に言わせてもらえば、見当違いも甚だしい、紋切り型の左翼分析です。

 「大部分の民衆は、ひどい食糧難や激化するインフレの渦中にあって、いかに生存するかで精一杯だった。」「そのうえ、自発的に政治に参加するという伝統を持たなかった民衆は、現在の政治や、既存政治家に不満はあっても、自らそれを克服し、敗戦の苦い経験を踏まえて、自らの手で日本の未来を作り出して行こうとする、主体的な姿勢にかけていたのである。」

 「終戦による解放すら、民衆の力で勝ち取ったものでなく、日本政府が自発的に行ったものでもなく、占領軍の指令によるものであった。」

 著者もまたマルクス主義者らしく、「民衆」という言葉を無神経に使います。ソ連の革命のように、群衆の暴力による、主体的な政府転覆でないことが不満でならないという口ぶりです。著者は、昭和21年に東京大学で開かれた、新憲法公布記念式典での南原総長の演説を引用します。

 「日本の政治的基本は、まさに根本的変革を遂げたと言わねばならぬ。」「これは君主主権から、主権在民へ移行した当然の結果であって、従来の国体の観念は、解釈を変更されねばならぬ。」「我が国の国権の正当性の根拠は、神授的・族長的権威から、国民の意思に置き換えられたのである。」

 「われわれは、いたずらに千古不変の国体を言うのをやめて、新たな意義の国体の生誕を祝し、これを育成すべきである。」

 ここで語られていますのは、皇室の否定であり、GHQの言う主権在民の強調です。連合国を正義とし、日本だけを不正義とし悪とする自虐史観は、ここから始まっていました。

 GHQという米国統治に服従しつつ、マルクス主義を浸透させようという、日本特有の反日の動きがこうして始まったという事実が、良く分かりました。

 「かって戦争に協力した多くの保守主義者、天皇絶対論者が、うわべだけの民主主義者や、平和主義者になりました。」「敗戦に対する厳しい反省もなく、集団転向した民主主義者たちは、新しい独裁者である占領軍に取り入ることに、うき身をやつし始めたのである。」

 著者は転向した保守主義者を軽蔑していますが、私には、どっちもどっちと見えます。著名な大学の教授たちが戦後になり、どれだけ見苦しい変節をしていったのか。私はここでも著者に問うてみたくなります。

 たかだか米国の新聞記者だったマーク・ゲインの言葉が、なにかの権威ででもあるように引用されているのをみますと、怒りすら覚えます。終戦1周年を迎えた、昭和21年8月15日の記事だと言います。

 詳しく紹介する気になれませんので、概要だけ述べますと、日本は1年たっても、誰も敗戦の反省をしていない。むしろ目立つのは勝者である占領軍に対する、醜悪な追蹤が見られるばかりだと、こんな記事です。

 「マーク・ゲインは、彼一流の鋭い筆致で記しています。」と、こうした書き出しでの紹介です。

 中学生だった時私は偶然学校の図書館で、ゲインの『日本日記』を読みました。戦禍で痛めつけられた日本の各地を取材し、政治家や役人や教師や商人たちと対話した記録が、日記風に綴られている本でした。

 現在でも、英語の不得手な私たちは、街で突然外国人に話しかけられたりすると、戸惑ったり、慌てたりします。まして敗戦後の混乱時に、戦勝国の記者から、威丈高に英語で喋られたら、慌てふためくのは当然です。ゲインは、そんな日本人を見て、軽蔑し冷笑し、未開の野蛮人であるかのように叙述しました。正義の戦争で勝ったと慢心した彼が、無知蒙昧な日本人がやっと目を覚ましつつあると、最初から最後までその調子で語る本でした。

 中学生の私は、ゲインに怒りを覚え、一方的な決め付けと、思い上がった正義感に、憎しみさえ感じました。ゲインのことを今でも忘れていませんし、そんな人間を褒めるような日本人は、とても信用する気になれません。

  最初に述べましたが、この本は四人の編者がまとめたものです。名前を列挙しますと、林茂氏 ( 東京大学教授 ) 、安藤良雄氏 ( 東京大学教授 ) 、今井清一氏 ( 横浜市立大学助教授 ) 、大島太郎氏 ( 専修大学助教授 )です。

  今回引用した部分を、どの教授が書いたのか知りませんが、ようするに四人の編者は、日本にとって「獅子身中の虫」であり、「駆逐すべき害虫」です。
 
 今晩はここで終わりますが、明日また、続きを述べたいと思います。
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