『自由の哲学』を読む ~日々の暮らしから~

日々の「?」から始めて一歩ずつ
自分で見て考えて、行動していきたい。
私の自由が人の自由にもつながりますように。

ひよどりが可愛く見える日

2017年03月30日 | 考える日々

庭にひよどりが来るようになった。
おかげで、せっかく餌付けした雀が、
最近あまり餌を食べに来なくなってしまった。

憎らしい灰色が、
せっかく餌をついばんでいたかわいい雀を
意地悪く蹴散らしてしまう。
わかるんだけどね。
ひよどりだって生きているんだから。

で、今。桜の枝にひよどりが一羽、
もう10分ほども、じっとして居る。
鳩より一回り小さい、薄グレーの体に、
とって付けたような濃いグレーの羽。

なんか、ずっとこっち見て、動かない。
3mの距離に人がいるのに、逃げない。
目が合って、そらすのは、私の方だった。
今も、また目が合ってる。
私がそらさなければ、相手もじっと私を見続けている。
この見つめあう感じ、…赤ちゃんみたい。

まんまるなおなか。
その房線形(というのかな?)の
フットボールのようなフォルムに
埋まるように、どこが首かわかんない首が、
こっち向いて、じ~。
飽きたら、あっちむいて、じ~。
も一度、こっち向いてじ~~。

ニコ。
笑いかけても、わかんないだろうな。
無視されて、じ~。
あっちが見てるのか、こっちが見てるのか、
よくわかんなくなってきた。
両方かな。

確かに、ヤツは安心している。
あ、あくびなんかしたぞ。
羽広げて、ノビしたぞ。
そして、ブルブルッと体を震わせる。

うまいこと広がるなぁ、羽。
色はともかく、風きり羽を広げると、
もう、その形、繊細に折り重なるフォルムは
神秘的なほどに完成されている。
…当たり前か。あれで飛ぶんだもんな。

あ、毛繕いはじめました。
ひなたぼっこしているひよどり。
ずっとそこにいてね、って気になる。
ただし雀をいじめないでね。
今なら、雀がいても大丈夫な気がする。

そうか。彼らは攻撃的なんじゃなくて、
おなかがすいている時に、
ごはんが食べたいだけなんだ。
だってほら。
おなかいっぱいの時は、
こんなに穏やかだもの。

人が、人に対して意地悪な時は、
おなかがすいている時だけじゃないのにね。
ひよどりは、なんか、生きるのにまっすぐだね。

もしかして、人も、
意地悪言いたくなったりした時は、
自分が今、どのあたりが満たされたいんだろうな~って
考えてみたら、ちょっと前に進めるかも。

誰だって、意地悪な自分より、
優しい自分のほうがいいもんね。

子供が、他の子供に意地悪する時は、
どの辺が満たされてないのか、
そこを見つけて、満たしてあげたらいいのかもしれない。

それを見つけられるかどうか、
そういう目を、大人が育てられたら、
子どもを追い立てなくてもいいんじゃないかな。
ね、ひよどりちゃん。

なんか、もう、毛繕い三昧で
むくむくになってますけど(^^)。
あ、ウンチした。くつろぎすぎやろ~。
でも、かなりうれしい。

こういう状態で、幸せにひなたぼっこしている時に
勝手に「隙あり!」って侵略してきたのが、
今、生き残っている文明人のやり方だよね。
そうやって、アイヌとか、ネイティブアメリカンとか、
アボリジニとか、追いやって来た私たち。

あ、飛んだ!
と思ったら、縁側に置いた餌をついばんでる。

おお、食べてくれるのね、そうなのね。
私の座っているところからわずか2.5m。
至近距離で餌を食べるひよどり。かわいすぎる。

洗濯が終わりそうだけど、
ビックリさせたくないから動けない~。
…干すの、忘れそう。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿