On The Bluffー横浜山手居留地ものがたり

山手外国人居留地(ブラフ)に生きた人々の「ある一日」の物語を毎月一話お届けします。

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■ヨコハマで祖国に奉仕―米国赤十字社日本支部横浜分隊の女性たち

2017-05-11 | ある日、ブラフで

1918年3月7日木曜日の朝、モリス米国大使と東京訪問中のミラー駐ソウル米国総領事が、ブラフ(山手町)99番地に建つ米国海軍病院を訪れた。

米国の第一次世界大戦参戦を機に1917年7月4日の独立記念日に結成された米国戦争救済基金の活動を視察するためである。

基金の委員会議長であるエンズワース氏が案内係を務めた。

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米国戦争救済基金は米国赤十字社への募金活動のほか、米国赤十字社から送られてくる衛生材料を使って衣服や袋、包帯を拵えるといった活動を行っていたが、後者を支えていたのは主に婦人委員会のメンバーである横浜在住の米国人女性たちであった。

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院内に設けられた作業室で大使らが目にしたのは、中心メンバーであるペイン夫人、ブレーク夫人、エンズワース夫人、コー夫人、メッセー夫人、ハワード夫人、マンレー嬢の指揮の下、赤十字の真新しい制服に身を包んだ約50名の婦人がきびきびと働く姿であった。

ある者は包帯を巻き、ある者は負傷者用の衣類を縫う。

皆、一時も無駄にすることなく熱心に作業にいそしんでいた。

大使が祖国のために自己犠牲を惜しまないこれらの女性たちを称賛し、この組織の活動にいたく感銘を受けたことは言うまでもない。

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同日夜、ゲーテ座で行われた会合には住民約70名が出席したが、実にその約3分の2が女性であった。

議長であるシドモア米国総領事の動議を受けて、米国赤十字社日本支部横浜分隊を設立し、これまで救援を担ってきた米国戦争救済基金の活動を引き継ぐことが決議された。

基金のメンバーは引き続き新たな組織の委員を務めることとなった。

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会長はジョージ. H. シドモア米国総領事、以下、副会長にはペイン夫人、事務局員としてロベルト・フルトン氏、会計担当にスミス医師。

そしてブレーク夫妻、エンズワース夫妻、メッセー夫人、ハワード夫人、コー夫人、マンレー嬢、フレーザー氏、フランク・ブース氏らが委員として選出された。

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続いて米国赤十字社日本支部の事務局を務めるE. W.フレーザー氏が、米国戦争救済基金の過去9か月間にわたる活動について報告した。

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その中で氏は、委員会議長のエンズワース氏、会長であるJ. B. ゲイリー氏、またペイン夫人をはじめとする婦人援助隊メンバー、病院の部屋を作業部隊に提供し、力を惜しむことなく作業に協力した米国海軍病院のフォントロイ院長らの活動を紹介し、その成果を褒め称えた。

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冒頭の写真は約1週間後、3月15日金曜日に米国海軍病院の入口にて撮影されたものである。

右端が米国赤十字社日本支部横浜分隊副会長ペイン夫人。

委員会メンバーであるD. H.ブレーク夫人、F. S.ブース夫人、K. F. コー夫人、H.A.エンズワース夫人、B.C.ハワード夫人、J. A. マンレー嬢、メッセー夫人らのほか、日本赤十字社神奈川県支部支部長を務める有吉神奈川県知事夫人、副支部長渡辺夫人、日本赤十字社のボランティア看護婦ら、デンマーク領事ワーミング夫人、ベルギー副領事ポレン夫人、ロシア領事令嬢、米国海軍病院を率いるフォントロイ医師も写っているとのことだが、写真が掲載されているジャパン・ガゼット紙は残念ながらどの人物かを詳らかにしていない。

 

図版(上から):
・写真(筆者蔵)
・新聞広告(The Japan Gazette, May 18, 1918) 寄付を募る赤十字社の広告。
 曰く「ヒューマニティの勝利を援助すべく米国赤十字社は直ちに1億ドルを必要とする! 自ら戦いに赴けない諸君、諸君の金を赴かせよ」

参考資料:
・The Japan Gazette, March 8, 1918
The Japan Gazette, March 9, 1918
The Japan Gazette, March 22, 1918

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