富田林百景+ 「とんだばやし」とその周辺の魅力を発信!「ええとこ富田林」

大阪の東南部に位置する人口10万ちょっとのごく普通の町、富田林。その魅力を、市民の手で発見していきます。

錦織地車 お披露目曳行

2021年04月13日 | だんじり・祭り

2021年3月28日 8:15 富田林市錦織中1丁目 錦織地車修理完成 お披露目式

あいにくの雨でしたが、多くの式典参加者がありました。

 

議員さんも含め、記念撮影

2020年5月 岸和田市上町の植山工務店にて、解体復元修理をしていた錦織の地車が修理を終え、9月7日に入魂式、そして2021年3月28日にお披露目式とお披露目曳行が行われました。

 

錦織の町内、東高野街道を曳行される地車 (写真は順不同です。)

 

一時的に雨が上がり、南コースへ出発。

 

町の中心 JA前の交差点 

 

東高野街道 芝地区方面に行った帰り。のどかな田んぼ道。

 

道幅ギリギリの曳行。大屋根もギリギリ。

 

明治20年ごろ地元の大工さん5人で作られたという桧材(一部ケヤキ)を使った大きな石川型の上地車。

南河内の地車は岸和田の下地車のようにケヤキでなく、桧材を使ったものが多いです。

 

道が狭く梃を回すのが大変。

 

富田林で現地に存在する中で一番大きい「神南辺」道標

ここで左折。ここからは東高野街道(川筋)で道が狭く、微妙に曲がっています。

 

役行者の浮彫のある「大峯山上五拾度紀念」碑の所を左折して、狭い登り坂へ。

大峯山上満願供養塔は町内にいくつかあります。

 

滝谷不動明王寺方面に向かう地車。近鉄の踏切前で一旦停止。

向こうの山は彼方地区 滝谷公園の桜山。おりしも今年は桜が早く満開です。

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修理が終わって、入魂式(2020.9.7)を済ませ、本日お披露目となりました。残念なのは昨年(2020)の秋祭りはコロナ禍で宮入りが中止となったことです。

 

灰汁洗い(アク洗い)によって、白木がきれいに戻りました。

 

彫刻の痛みについては、彫師が再利用できるものは復元修理、できないものは新調されています。

 

明治三年(1870)の銘の入った大太鼓

 

南河内の地車は桧材の使用が多いのが特徴です。地元の金剛・葛城山系の良質な桧材の生産が関係しているのではないのでしょうか? 

 

化粧金物がたくさん使われています。中には金メッキは剥離したものもあり、今回再メッキをしています。

 

小屋根拝懸魚「鷲の猿つかみ」に修理痕が残ります。

 

製作は明治20年(1887)頃なので、130年余り修理しながら現在も古さを感じることなく曳行されています。

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次は今回解体修理を行なった岸和田市上町 植山工務店からの修理状況の報告です。

今回の大修理はその一部を文化庁「地域文化財総合活用推進事業」の補助金を活用しています。

令和2年6月7日 9:50 岸和田市上町 植山工務店

復元修理進捗状況報告会に同行させていただきました。

 

大屋根の修理

大屋根、小屋根の屋根板に割れがあり、地垂木も折れている個所があったため、解体し修理をしているところ。

 

修理を終えた小屋根。灰汁洗いをして、新調のように蘇りました。

ただし、化粧金物のところはもっと白いです。

 

植山工務店 佐野氏より修理状況を聞く錦織地車の関係諸氏。

 

折れた地垂木。

 

130年余りを経過して、彫り物の部分部分に傷み、割れ、欠損が発生。修復状況がよくわかります。

 

明治20年頃の地元の大工さんの彫り物。現在は彫師が行うことがい多いですが、当時の錦織の大工さんはすごい技術を持っていたことがわかります。ここも龍の角など修理の跡が見られます。

 

いろんな鉋(かんな)を使って、細かい仕事をこなします。

 

現地レポート:富田林市伝統文化保護団体連絡会 富田林市文化財保護審議会委員 林 保夫 

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町内を南に東高野街道を行く。

錦織の地車はこれで2代目。初代の情報はほとんどなく、口伝で金剛山から材木を切り出して制作されたと言います。おそらく2代目と同じく桧材の地車と思われます

 

止んでいた雨がまた降りだした。

2代目のこの地車は、明治20年(1887)ごろ大阪市大正区小林町の材木問屋、当時広大な貯木場があり、そこに浸けあった桧材を購入して、荷車で持ち帰ったといいます。

 

桜咲く下り坂

錦織山極楽寺の境内に作業場を作り、棟梁塔本寅太郎をはじめ5人の地元の大工さんで、彫り物もふくめ1年掛かりで制作したと伝えられています。

 

狭い道を小刻みに方向を変えて進みます。

この地車は背が高く大型の地車で、欄干が前に張り出して舞台のある典型的な石川型の俄か地車。宮入の時に「俄芝居」が奉納される南河内の地車の特徴をよく表しています。

 

東高野街道を北に、芝地区に至る坂の下で転回。

すでに130年以上経過していますが、全く古さを感じさせない大きな地車で、分かっているだけで5回、昭和24年、昭和58年、昭和62年、平成22年(岸和田 吉為工務店)、そして昨年(岸和田 植山工務店)の大修理を経ています。

 

狭い所で方向転換。

地車の修理は修理と言っても相当の額が必要です。現在は文化庁の「地域文化財総合活用推進事業」としてかなりの補助が受けれるようになりました。しかし、それでも地元の負担は大きなものがあるのが現状です。

 

東高野街道、向こうに見えるは嶽山と滝谷公園桜山。

田んぼの中を引き綱でのんびり大人も子供も曳行する姿は、石川型の上地車のいいところ。

 

町の出口にある2つ並んだお地蔵さま。泥掛け地蔵(右)と脳天地蔵

富田林市には32台の地車がありますが、どの地区もこの石川型の俄地車を現在も所有し、俄芝居の伝統を耐えることなく継承されていることは、地元の文化を次の世代に引き継ぐ意味で大切なことです。

 

お披露目曳行が終わるころ。

近年は地車も新調、新調という流れがありますが、古い伝統のある地車に必要な修理をしながら、その伝統を守ることは、非常に意義のあることだと私は思います。

 参考文献:錦織の歴史と文化 つむぐ 第3号

錦織地区および駅前周辺まちづくり協議会・歴史と文化部会編 H31.2 

関連記事:錦織神社 宮入り 2018 2018.10.14

写真撮影:2021年3月28日

2021年4月12日 林 保夫( ハンドルネーム:アブラコウモリH )

 

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