快刀乱麻!長野県議会議員・西沢まさたかが行く

「快刀乱麻!長野県議会議員・西沢まさたかが行く」のパーソナリティで長野県議会議員 西沢まさたかのブログです。

国道406号線田町~柳町電線地中化工事完成記念祝賀会

2012年10月30日 | Weblog

10月28日、国道406号線(柳町中学校前)長野大通り田町交差点~柳町五差路交差点の間で、歩道と車道のフラット化、浸透性舗装材を用いた歩道幅の拡幅、街路樹・中央分離帯緑化、オレンジ色ナトリウムランプ灯設置、柳町五差路交差点整備など12年間にわたり前記の工事が行われ完成したことにから、祝賀会が行われました。
「柳町通りまちづくり協議会」を設立しこの工事にかかわった、柳町通り商栄会、柳町区、田町区の全ての方のご尽力に敬意と感謝を申し上げます。
2桁以下の国道18、19号線は国の管轄、3桁の国道は県の管轄であり、この工事で総額約13億円が投じられました。
当初完成したところは、すでに老朽化したところがあり、完成したとは言え、今後の課題が多くありますので、更なる整備に努力していきます。

久米路第2河川トンネル貫通式

2012年10月29日 | Weblog

昭和58年に信州新町は、600戸以上の浸水被害に見舞われ、祖父宅も被害にあい、小学校6年であった私は鮮明に記憶に残っています
その原因の一つに、水内ダム上流付近が狭隘であったことが上げられ、平成4年に第1トンネルが完成し、第2トンネルの完成が地元住民にとって悲願であります。
犀川は本来なら国の管轄でありますが、この部分は県の管轄で、この工事は長野県長野建設事務所発注になります。
3月に安全祈願祭を行い、約半年で発破をせずに176.5mを掘削し、断面15mは全国でも2番目に大きいと聞いています。
貫通式では、通り初めの儀など見たことのない儀式があり貴重な経験が出来ました。
久米路は、信濃の国で歌われている地籍なので、同時に完成後の景観も重要視されます。
工期は平成26年3月、総工費33億円、無事に完成することを祈念いたします。

第1回金子千尋カップ予選

2012年10月27日 | Weblog

長野市内の少年硬式野球チームは、長野北、長野南、長野若穂、そして私が会長を務める長野東リーグがあります。
毎年各チームで、スカウトを兼ねて、この時期に各地区の軟式少年野球チームを集めて大会を行ってきました。
今年から、長野商業高校出身、オリックスバッファローズ金子千尋選手から協力をいただき、「第1回金子千尋カップ少年野球大会」を開催することになりました。
各チームの大会は予選となり、本日、「第14回長野東リーグ杯争奪少年野球大会」を行いました。
8チーム中、4チームが11月11日、17日、長野オリンピックスタジアムで行われる決勝トーナメントに進出し、結果は優勝朝陽、準優勝中御所、3位古里、4位上高田となりました。
将来、金子千尋選手のようなプロ野球選手が誕生することを祈り、協力をいただいた金子千尋選手に感謝申し上げます。

小松ゆたか支部長就任!

2012年10月26日 | Weblog

公募で選任された、衆議院議員自由民主党長野県第1選挙区支部長「小松ゆたか氏」が本日、自民党長野県連総務会、選対委員会、職域支部長合同会議で承認され、予定者が取れ正式に就任しました。
その後記者会見を、吉田、若林両参議院議員と行いました。(写真)
会見終了後、職域支部などを共にあいさつ回りをしました。
私は、小松支部長とは、5年程前から知り合い、現在では私が実行委員長を務める信州維新塾で3年間共に学んできました。
私は、所期の目的が達成するよう全力で小松氏をバックアップをしていきます。

懐かしいキャラクター!

2012年10月24日 | Weblog

先日の宮城県への視察で、昼食場所の「石巻まちなか復興フェスタ」に懐かしいキャラクターがありました。
「仮面ライダー」と「人造人間キカイダー」です。
この地は、原作者の石ノ森章太郎氏ゆかりの地であります。
ヒーローは永遠です。

信更・大岡・信州新町県道改良期成同盟会現地調査

2012年10月22日 | Weblog

私は、この期成同盟会の顧問を務め、会員の方と共に、主要地方道長野信州新線、一般県道川口田野口篠ノ井線、一般県道小峰稲荷山線の全15箇所の現地調査を行いました。
狭隘箇所、急勾配、急カーブ、落石箇所があり、すれ違いが困難であったり、通学路が危ない状況にさらされていたり、改良や安全対策を施さなければならないところがたくさんありました。
長野県中、同様な箇所は無数にありますが、事故が多いところや通学路の安全確保に対しては、早急に対応するよう努めてまいります。

衆議院第1区支部長予定者決定!

2012年10月21日 | Weblog
昨日、公募を行っていた第1区支部長候補者の選考会が行われました。
14人の公募者から書類選考で5人に絞り、面接を行い、私は1区の県議として選考委員会に参加しました。
それぞれの選考委員の投票により、小松裕氏が選ばれました。
小松裕氏は、諏訪市出身、信州大学医学部を卒業し、現在はオリンピックやWBCなどの世界大会にスポーツドクターとして参加した経験があります。
また、私が実行委員長を務める信州維新塾に1期生から3年間参加し、長野の課題について共に考えてきました。
信州維新塾出身の初の候補者として、所期の目的が達成するよう念願しています。
私は全面的にバックアップし、第1区の自民党の議席奪還のため頑張ることを誓います。

全国障害者技能競技大会(アビリンピック)開幕!

2012年10月20日 | Weblog

第33回アビリンピックが長野市で開幕し、開会式に出席しました。
障害のある方々が就労している職業を競技として実施し、技能を競い合う大会です。障害のある方の職業能力の向上、また障害のある方々に対する社会の理解と認識を深め、雇用の促進と地位の向上を図ることを目的としています。
大会は、昭和47年からほぼ毎年開催されており、15歳以上の障害者が参加し、ワード・プロセッサ、データベース、喫茶サービスなどの種目で技能を競います。
明日、ビックハット、ホワイトリングで競技が行われます。
裾花小学校マーチングバンド、長野県旗入場、選手宣誓(写真)

健康福祉委員会県外視察(宮城県、福島県)3日目

2012年10月19日 | Weblog

視察最終日、福島市の養護盲老人ホーム「緑光園」と郡山市放射線健康管理センターに行きました。
緑光園は、長野県内の盲老人ホーム「光の園」と比較をしたかったので視察箇所として要望した施設です。
施設は平成元年に完成し、定員50名のところ49名が入所し、待機者はいません。
中途失明の割合が多くなり、ほとんどの方が同施設で亡くなっていきます。
光の園に比べ施設が老朽化し、収入が多いことによって入居できない状況は長野県と同様でありました。
次の郡山市放射線健康管理センターは、郡山市保健所内に今年6月に開所され、震災当時に妊娠中の方や4歳~18歳未満の方、そして現在妊娠中の方を優先に被ばく検査して行っています。
サーベイメータ(写真)による外部被ばく検査及びホールボディカウンター(WBC)による内部被ばく検査を行い、1日100人程度受け入れしていました。
WBCを10月にライオンズクラブ国際協会から寄贈され3台体制となり、1日150人受け入れることができるようになります。
WBC2台は市が1億900万円で購入し、国から全額補助で購入していると思って確認したら、福島県へ復興費は交付されるが確実に交付されるかは分からず、担当者は憤っていました。
復興予算が復興に使われていないことが、参議院議員決算委員会で問題視されていますが、こういった検査機器に復興予算が使われなければならないことを強く感じました。


健康福祉委員会県外視察( 宮城県、福島県)2 日目

2012年10月18日 | Weblog

視察2日目、最初に仙台市内の障害福祉サービス多機能型事業所「まどか」に行きました。
ここは、もともと沿岸部にあり、東日本大震災で被災し、被害者はいませんでしたが、内陸部の現在の場所に8月にオープンしました。
38名が通い、パン、クラフト、まゆ、福幸だるま(写真)製造し販売をしていました。
次は、石巻赤十字病院を視察しました。
ここは、沿岸部から2006年5月に現在の場所に移転し、元の所では完全に被災していたところであったようです。
災害拠点病院として、地震前から災害マニュアル作成し、さらにバージョンアップしたり、行政以外に民間とも協定を結び協議会を設置し、顔の見える連携に努めてきました。
その矢先に地震が発災し、石巻市内では赤十字病院しか電気がついていない状況で、職員はマニュアル通りに動いたようです。
しかし、余りにも大きな地震であったため、マニュアルでは想定外のことが多々あり、改めて初動が大事であることを実感したようであります。
職員の方は、家族の安否がはっきりしないまま仕事をし続けたことが一番辛かったようであります。
この病院は免震構造が適用されていましたが、地震の動きを分析する装置や鉄骨が歪んでしまったところを目の当たりにしました。(写真)
東日本大震災を経験したことにより、この病院は全国でも誇れる災害拠点病院となったと思います。
次に、沿岸部にあった石巻市立病院に行き、ここは1階部分は水没しましたが、幸いなことに2階以上に避難したことにより亡くなった方はいませんでしたが、病院自体は解体をします。現在では、1,882戸の仮設住宅がある運動公園内に、石巻市立病院開成仮診療所として設置され、その所長として佐久総合病院から長先生(写真)が赴任されました。
長先生は、赴任前に開成地区での「外来と在宅医療」が必要と考え、これをもとに活動していることを説明していただきました。
石巻市立病院は4年後に石巻駅近くの中心市街地に再建されることが決定したようですが、それまでの診療所の役割は重要と考えます。
3施設共に、東日本大震災での教訓を生かして今後も運営されていくと思いますが、長野県でもいつ何時大災害が発災するかわかりませんし、その時の病院の体制は重要でありますので、今回学んだことを長野県に提言していきます。