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1月の課題本 多和田葉子『雪の練習生』

2012-02-01 20:15:11 | ・例会レポ

多和田葉子 『雪の練習生』
新潮社 2011年 1785円

この子を「クヌート」と名づけよう――。白い毛皮を纏った三代の物語。

極北の地に生まれ、サーカスの花形から作家に転身し、自伝を書きつづける「わたし」。その娘で、女曲芸師と歴史に残る「死の接吻」を演じた「トスカ」。そして、ベルリン動物園のスターとなった孫の「クヌート」。人と動物の境を自在に行き来しつつ語られる、美しくたくましいホッキョクグマ三代の物語。多和田葉子の最高傑作!

第64回野間文芸賞受賞


<新潮社Web>


=例会レポート=

*多和田葉子を初めて読む人が多数。

*全3話中、第1話「祖母の退化論」が一番おもしろいという人が多かった。

 

◆全体の感じ

ファンタジー・ナンセンス・シュール・不条理・意図した感じの不思議な世界

 

◆全体を通して

・分からない。

・読者に劣等感を感じさせる。

・ポール・オースターの『幽霊たち』に通じる分からなさ。

・消化不良。

・読み終わっても何も残らない。

 

◆言葉・文章について

・翻訳の言葉のよう。

・日本語がきれい。

・シンとした、冷たさを感じさせる文体

読みやすいという人が多かったが、読みづらい・読むのに時間がかかったという人も。

 

◆言葉の使い方・表現

・変わっていておもしろい。

 質問されると頭が真っ赤になる。

 会議はうさぎのようなもの。などなど

 

・作者は小説の表現形式をいろいろ試しているのではないか。

 

◆ストーリーについて

・淡白。

・浅い。

・人間の歴史と絡めて書いてあるのはおもしろい。

 

◆動物もの

・主人公を初めとする動物に感情移入できない。

・人間とクマとの境界があいまい。

 「わたし」(=祖母)が最初人間かと思ったらクマだった。

・擬人化の不自然さを感じさせない。

 

◆ユーモア

・あまりない。

・内田百の諧謔味に通じる。

・そこはかとないユーモアがある。

 

◆キャラクター

・オットセイがいい。

・祖母が人間的にかわいい。

・祖母がたくましい。

 

◆3話の構成

祖母だけに名前がない、第1章のタイトルが「祖母の退化論」などの理由から、

第2章・第3章は祖母が作った小説か?彼女が未来のことを書いているのでは。 

祖母は作家自身?

 

◆「祖母の退化論」というタイトル

祖母→母→子でだんだん退化していくということか?

 

◆最後クヌートは死んだのか?

・自殺したのか?

・実在のクヌートが生きている時に読むのと死んだ時に読むのとでは感じ方が違う。

 

*その他

・日本語とドイツ語で文学の世界を表現するのと、クマと人間とで一つの何かを表現するのは似ているのでは。

・3代の記でありながら、家族としてのつながり(代々受け継がれたもの・愛情)がない。

 トスカ・クヌートの親・家族を思う時、薄ぼんやりしたものしか感じない。

・クマと人間の視点が融合する感じが時折する。

・3匹のクマの現在・過去・未来が混然一体となる。

・クマが行くべきところは北極か?

・北極を思ってはいるのだが誰も北極を知らない。根なし草的。

 

 

 

☆菊池講師から☆

 

◎この小説の読み方として

ただクマが会議に出たりしているのをかわいい、とだけ感じて読むか、

又は作者の意図がどこにあるかを考えながら読むか。

 

◆作者の意図しているものを絵解きしてみる。

 

作者を考える上でのキーワード

【言語】

 ドイツ(外国語)で日本語(母語)を話した体験から、 

 言語が持っている感性(描かれる感性)と身体が感じる感性には大きな開きがあると感じている。

 

【異類種・異界・異境】

 違うものと対峙した時。

 

 

▽タイトルの意味は?

例えば第2章「死の接吻」とは。

 

ヒントになる作品

・アイラ・レヴィン作「死の接吻」(映画作品もあり※)

登場人物の3姉妹。話者が変わるがその話し手が誰が誰だか分からない書き方をしている。

 

・プッチーニ「トスカ」

トスカの死の接吻(相手を殺す)。

角砂糖のやり取りで魂を吸い込む→人間の言葉を話せるようになる。

 

 

▽3代にわたって書くという構成はなぜなのか。

▽どうして主人公は北極グマなのか。

 

・祖母の時代

スターリン政下のロシア文学の状況を表している。

作家が高い地位にある。しかし、言論統制があり自由なものを書けない。

官僚政治で会議が会議を生む。

 

それらを人間でなくクマの口を借りて皮肉っている。

ソ連の作家は私たちにとってまるで北極熊のように分からない存在。

また、書くことへの恐れも描かれている。

 

*スターリン、1953年死去。その後、フルシチョフに。前任者を否定、ソ連の文学界の雪解け。

 

革命に希望と浪漫を抱いていた時代。

ショーロホフ(『静かなるドン』『開かれた処女地』)などこの時代を強かに生き抜いた作家を思い浮かべてみる。

 

・トスカの時代 

一番悲惨。言葉がない。抑えられている。

異種と(角砂糖を通して)交流することによって言葉を持つ。

サーカス(とバレエは当時ソ連が誇るもの)で活躍。

 

・クヌートの時代

サーカスという場(舞台)もない。動物園という場しか残されていない。見世物。

人工保育は間違いだとする学者、クヌートで稼いだ金を返せという動物園etc.人間の馬鹿げたところが描かれる。

それを見つめるクヌートは祖母・母と比べると一番純粋無垢。

だから帰るところは北極しかない(しかしそこは言論統制下のソ連かもしれない。そうしたら練習しなきゃいけない)。

 

 

他の多和田作品で挙げていらっしゃったのは、

『かかとを失くして』夫は耳をなくしたイカ=泳げないイカ。

『三人関係』人間三人寄ったらどうなるか

『犬婿入り』芥川賞受賞作。作家の意地悪な目(わけのわからない悪意)を感じる。

『球形時間』青春小説と思いきや…。

『容疑者の夜行列車』珍しい2人称。

など

 

※「死の接吻」の映画

1956年「赤い崖」ガード・オズワルド監督 ロバート・ワグナー主演

1991年のリメイク「死の接吻」ジェームズ・ディアデン監督 マット・ディロン主演

 

以上

 


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