面河山岳博物館へようこそ!

石鎚山系と久万高原の自然、博物館の活動などを紹介するブログ

三坂道路開通記念・企画展「天下ノ絶景面河渓」のお知らせ

2012-04-14 23:58:42 | 天下ノ絶景面河渓

1

三坂道路開通を記念した企画展「天下ノ絶景面河渓」が4月28日より始まります。

今回の目玉は、当館および愛媛県歴史文化博物館所蔵の面河渓の観光絵葉書約60点(昭和初期発行)です。

観光旅行がブームとなった大正から昭和初期、全国各地で景勝地を扱った絵葉書が発行されています。
愛媛県では面河渓に関するものが圧倒的に多く、当時から第一級の観光地であったことがうかがえます。

会期は6月24日まで。

コメント

想思渓の新緑

2011-05-20 23:52:31 | 天下ノ絶景面河渓

この春一押しの面河渓の名所、想思渓。
川に降り、上流に向かって石の上を歩くと面河ダムに水を送る承水堰が見えてきます。

Imgp0413

この辺りには大型バスサイズの巨石がごろごろ。

新緑があまりに美しく、しばらく夢中でシャッターを切りました。

Imgp0416

岸辺の岩の上ではヒナギキョウが満開。
小指の先ほどの小さな花です。

Imgp0507_2

川の上に張り出した梢を網ですくうと、モンカゲロウの成虫が入りました。
カゲロウの中では大型でなかなか見栄えのする種です。
1年のうちこの春の時期しか見られません。

Imgp0488_2


輝くような新緑も、もうそろそろ終わりの時期が近づいています。

コメント

面河渓の隠れた名所、想思渓

2011-05-15 23:08:41 | 天下ノ絶景面河渓

博物館から面河渓へ向けて進みます。
小さいトンネル3つを越え、通天橋を渡ると、すぐ左手に想思渓と書かれた看板が。
細い小道を下ると、右側にたくさんの倒木があります。
その向こう側が想思渓です。

道路からわずか数分しかかからないのに、ここまで降りてくる人は稀。

人が来ないから逆にいいのかなー。

コメント

面河渓観光開発の父、石丸富太郎

2011-05-08 00:11:33 | 天下ノ絶景面河渓

今から約100年前、明治42年に面河渓の自然の素晴らしさを紹介するべく、松山から探勝団を招致した石丸富太郎。
面河渓開発の父ともいえる彼は、いったいどんな人だったのでしょう?
下が顔写真です。(出典:久万町教育委員会, 1974. 上浮穴郡に光をかかげた人々.)

Photo_3

石丸富太郎は明治19年(1886年)、温泉郡重信町に生まれました。
とても頭のいい人だったんでしょう、明治36年(1903年)に、わずか14歳で杣川村(のちの面河村)大成の小学校教師として赴任しました。
そこですぐに面河渓の宣伝に取り組みはじめたようです。
明治42年(1909年)に面河探勝団の誘致に成功したあと、教職を去り、海南新聞の記者に転身。
晩年は松山市市議会議員として松山市発展に尽力しました。
そして、昭和24年(1949年)に死去。
享年64歳でした。

明治42年というと、愛媛県にはまだ自動車が1台しか存在せず、やっと松山市内に電話が開通したような時代でした。
交通網も情報網も整備されていないにもかかわらず、面河渓を世に広めようと新聞社に働きかけ、探勝団招致に成功したのはかなりの企画力あってのことと想像されます。
のちに新聞記者や市議会議員になってからも、この能力は活かされたことでしょう。

コメント

企画展「天下ノ絶景面河渓―探勝から観光へ、100年の軌跡―」始まりました。

2011-05-04 00:26:50 | 天下ノ絶景面河渓

4月29日から無事スタート。
7月10日までです。

展示室の一部をパノラマ写真で。
この100年間の面河渓観光開発史を6mを超す大サイズの年表で紹介しています。

Imgp0191

ほぼ100年前の1909年に、詩人や画家、登山家など9名からなる面河探勝団が面河渓を訪れました。
その時の紀行文や絶景を詠んだ句、漢詩などが海南新聞(現在の愛媛新聞)に10数回に渡り連載され、面河渓は広く一般に知られるようになりました。
まさにこのときが、「面河渓観光の幕開け」といえます。

その後、面河渓観光は昭和8年(1933年)、昭和30年(1955年)、昭和45年(1970年)、平成3年(1991年)にそれぞれ大きな転換期を迎えています。

みなさん、何があったか分りますか?
答えは企画展にあり!
でも、このブログでも少しづつ紹介していきたいと思います。

コメント