旦那が癌になりまして

2010年1月26日肺がんの宣告、他の方のブログを見て勇気をもらい、私も誰かの力になれたらと書いています。

言いたくないけど

2013-04-30 22:51:39 | 日記
旦那の不安な気持ちは充分理解しているつもりだけれど、
出来るだけ希望はかなえようと、がんばってきたけれど。

次男が、バイク事故をしたりいろいろ悪いことばかりあるから、
家を清めた方がいいと、旦那の母が旦那に言い。
旦那もしたいといいだしたので、
そんな必要ないと私が言うと、
やりたいようにさせてくれと旦那が怒り出し、
情けなくなりました。

私はもう我慢の限界です。


肺癌4期で、3年以上仕事も続けられたこと、
腹膜炎も乗り越えられそうなこと
事故も擦り傷程度で済んだこと
何でも考え方ひとつだと思うのです。

今、精一杯がんばっているのに、
これ以上なにをもとめてくるのでしょうか?

ただでさえ、混乱している旦那に
イランことを言わないでほしい。

もう少し、穏やかに生きていくことを
許してもらえないものでしょうか。

まだまだ、考えないといけないことが山のようにあるというのに。
これからは、私が生活を支えていかないといけないというのに、

もう旦那には、頼れない現実がわかっていないのだろうか。






病棟引越し&3回目の髄注

2013-04-27 23:09:04 | 日記
腹膜炎の術後経過が、落ち着いてきたので
木曜日に呼吸器内科病棟に、戻ることになりました。
お世話になった看護師さんたちにきちんとお礼もできず
ばたばたと、あわただしく午後から移動


新しく担当になった看護師さんに、
夜間せん妄がひどくなったら、付き添えるのか聞かれ
がんばるしかないよなあ

脳圧は上がっているけれど、
髄注による脳ヘルニアの危険性はないということで、
本日、最後の治療になる髄注を10時30分より行う。
少しでも効果があることを期待しています。
あとは、旦那の生命力に期待。


髄注後安静2時間経過。

新しい病室が、引圧室だったためか空調がすごい音で寒かったので、
普通の個室に再度移動させてもらう。
こんなに移動を繰り返すと荷物をまとめるのが素早くなります。

旦那はベッドごと移動することになっていたのですが、
歩きたいというので、
病室の外まではがんばったけれど、そこまでが精一杯だったので
やはり、ベッドで移動。

無理はさせたくないが、本人がしたいことはなるべく
出来るように、手伝えたらと思う。
明日は仕事も休みなので、
一日旦那と、過ごす予定。




せん妄について

2013-04-25 03:20:06 | 日記
22日 精神科の先生から電話があり、
ご主人が夜間眠れなかったり、つじつまの合わないことを話しているのを
ご存知でしょうかと、聞かれる。

それは、気づいていました。

せん妄の原因となっている脳の治療ができない以上
症状を薬で抑えることを、承知していただきたい
今夜から、セロクエルを服薬していただこうかと考えています。
ご本人は、自分の行っていることが通じなくても、興奮したりされず
落ち着かれているので、とりあえず通常の半分の量で予定していますが、
よろしいでしょうか?

よろしくお願いします。

やっぱり、私がいないときはもっといろいろ言っているんでしょうね

話をしていて、旦那がどこまで冗談で
どこまで本気で言っているのか、わからなくなる。

昨日も、しんみりと
ごめんな、もう時間がなさそう。まだ、30歳なのに一人にさせてしまいそう

いやぁ、私50さいやで

旦那、私の顔をじっと見て、年とったなぁ

旦那は、墓やお寺さんのことが気になるらしく
看護師さんたちのも、いろいろ言っているらしい。

つじつまの合わないことを言って 相手が表情を変えると
ごめんなさい、最近記憶が混乱してと訂正し
困ったかおになっている。

まだ、私の知っている旦那だと思える。


今後のこと

2013-04-22 23:17:46 | 日記
おととい再度 呼吸器内科主治医から説明があり
MRI検査の結果、髄膜への腫瘍の広がりがみられる。

前回2回の髄注の効果は?
あまりなかったかもしれない
今後 積極的治療をするか
緩和を中心に考えていくか

呼吸器の主治医からは、あくまでも決めるのは本人といわれる。

考えても、考えても


時間ばかりが過ぎていく。


旦那が 懇意にしている医師に連絡をしていたらしく
本日夕方 会っていただく。

旦那は まだ闘いたいという思いがあったが、
やはり、脳室の拡大から今後予想されることについて
わかっていると思うが かなりきびしい状況になっている 
自分がわからなくなる日が来る

残された時間を 大切にして欲しい。

言いにくいことを はっきり伝えてくれたと思う。

医師と別れた後

旦那が ごめん 寂しい思いをさせてしまうけど
ごめん 心配ばかりさせて 覚悟はしてたけど
もうそんなに時間がないみたい
などと、話しかけてくる。

泣きたくないのに 涙が止まらない。

腹膜炎手術は、経過まずまず順調だが、CRP7
抗生剤の点滴が続いている。
腹痛もあり、再度の絶食中

退院未定
 







ムンテラ

2013-04-18 23:04:41 | 日記
今日は朝からバタバタ
旦那の病室でモーニングケアをしていたら、
バイク通勤の次男から電話がかかってくる。
事故したので、救急搬送されるらしい。
本人が会話できるぐらいなので、頭は大丈夫?
とりあえず、搬送された病院にむかう
幸い擦り傷と打ち身のみ、自損事故だったらしい。
痛みはあるけれど不幸中の幸い?何とか歩けている。
診察を終えた次男と心配している旦那の病院に戻る。
11時過ぎから、呼吸器内科主治医のムンテラ開始
肺の腫瘍自体は大きくなっていないが、脳室が大きくなっている。
やはり、髄膜種の関係か?
再度MRI検査をし土曜日今後のことをもう少しきちんと話し合うことになる。
昨日の入退院支援室の面談で、介護保険の申請をし
今日調査員から連絡があり、明日認定調査に来てもらうことになる。
呼吸器の主治医とも、きちんと話が出来た。
旦那の気持ちも私の思いもわかってくれたと思えた。

今の私を支えてくれた本が2冊あります。
矢作 直樹著 お別れの作法
奥野 修司著 看取り先生の遺言


入退院支援室

2013-04-16 22:44:07 | 日記
担当の看護師さんに 今後どうされたいのか?
聞かれた
どうなるのかわからないが、腹膜炎の治療が終わったら、
この病棟は出されるわけだから、次を考えないといけない訳で
どう?
在宅か?
他科入院か?

いろいろ言われても、呼吸器の治療方針が出ていないのに
どうすればいいのか?

退院できるなら、家に帰したいと返事すると

家族だけで支えるのは大変だから、介護保険の申請をすることを勧められる。

明日、入退院支援室の人と会う約束をする。

旦那は、昨日まですり足歩行が出来ていたが
今日は
歩けなくなっている。
体が思うように動かないらしい。

それでも、今日は冗談を言って笑わせてくれ
疲れてないか
私のことを心配してくれる。

私がつぶれるわけにいかない。
がんばれ私。

食事再開

2013-04-13 05:23:38 | 日記
3月28日の入院以来、一昨日からやっと重湯を口にすることが出来ました。
先週の金曜日に、胃管を抜いたが腸が働かず、涙を流しながら何度も嘔吐する旦那
癌性髄膜炎の症状では?と心配しましたが
髄膜炎の嘔吐は、からえづきだから大丈夫です。
「腸が動けば良くなる。」という、消化器外科の主治医の言葉を信じ、
痛くても歩こう、動いた方がいいからと励まし
鬼嫁と言いながらも、がんばってくれたのでゆっくりですが、
回復してくれていると思っています。
本当にありがたいことです。
昨日から、デパケンとセレコックスの服薬が再開されています。

腸炎の治療が終わったら、呼吸器内科の主治医にもどることになるが、
呼吸器内科の3番目の主治医には、不信感がある。
痛みについて何度も伝えているのに、管の挿入もせず。
点滴と抗生剤だけで、腹膜炎になるまで様子を見ようとし、
いくら、状態が良くないことを言っても、血液検査だけで
自分の考えを変えず、うるさい嫁やという感じであしらわれていた。
説明も、二転三転してばかりで 要領を得ず。
最悪だった。
もっと、患者や患者家族の言葉に耳を傾け、きちんと仕事をしてほしい。

責めるつもりはないが、悲しすぎた。
情けなくて腹が立った。
言い訳はいいから、もっと勉強して考えてほしい。
苦しい時間を長引かせたことを、反省してほしい。

どうやったら、今度の主治医とうまくやっていけるんだろう?


バッテリーあがり

2013-04-08 23:12:32 | 日記
気がつくと桜が咲いて散ろうとしている。

3月19日に一度は退院できたが、
3月28日呼吸器内科に再入院 腹痛と高熱
小腸穿孔による腹膜炎になり 消化器外科にて
4月2日緊急オペ
ずーと付き添いをしていたため今日久しぶりに帰宅しようと駐車場に行くと
車が動かない。
ロードサービスを呼び何とか帰宅できました。
しんどいときに しんどいことがあるもんです。


旦那は消化器外科に入院しており、
オペ後のせん妄やらなんやらあり、今夜少し落ち着いたのと
明日は
私も仕事に行こうと思っているので
寂しがる旦那をおいて帰宅しましたが、眠れそうになく

昨日 消化器外科の主治医に肺癌のことについて
旦那が聞くが 呼吸器の主治医に連絡してくれることになり、
本日呼吸器主治医からはなんの連絡もない。

泣いても仕方ないけど 辛過ぎる。