シスターみみっくのなんだかわからない堂

日常のよしなしごとをつづります。正教会のお祈り、読んだ本、ハマリものなどなど。

聖書勉強会

2008-03-28 21:15:03 | 正教会及び宗教全般
ここんとこニュースの紹介ばっかりだったから、たまにこーいうのがあってもいいだろう。
だいたい隔週、水曜日の10時から教会で勉強会がある。
聖書の注解が主だけど、今はカテキズムをおさらいしてる。
こないだは7つの機密(秘蹟)について。
聖傅機密(病者の塗油)のもとになる聖句はヤコブ5:14で、正教会では7人の司祭によって行われるのが本式なんだけど(1人もあり)改めて聖書を見ると「その人は教会の長老たちを招き云々」て書いてあるので「やっぱ司祭が複数なのは聖書に根拠があるんですねえ、何で7人かはわからないけど『たち』ってあるから」と言ったら新共同訳には『たち』がなかったのでちょっとした騒ぎになった(笑
マイ聖書は新改訳。
口語訳、フランシスコ会訳は『たち』、正教会訳は『等』。
うーむむむ。

いやそんなコマイことどうでもいいじゃんって言われるかもしれないけどなかなかどうして。
前に聖書ではないけど祈祷文で単数複数に関わる目ウロコ話があった。
「聖なるものは聖なる人に」のハナシ。
聖体礼儀の神品領聖前に司祷者が「聖なるものは聖なる人に」と発放して、聖歌隊がそれに答えて「聖なるはただ一人、主なるはただ一人、神・父の光栄を顕すイイスス・ハリストスなり、アミン」と歌うんだけど(イルモスとか歌う前ね)、この『聖なるもの』はこの後いただく御聖体のこと。
『聖なる人』はさあ誰。

ハリストスだと思わね?

違うんだよ。

ギリシャ語あたると『聖なる人々』なんだって。
つまりここに集う会衆のこと。
あてくしなんかぜんぜん聖じゃないけどorz
香炉を振るとき、イコンや聖器物だけじゃなくて信徒たちに向けても振られる、それは我々人間が「神の像と肖に似せて作られた」ものであるから。
まあそんな感じ。

そう聞くと意味が変わってくるんだよね。
『聖なるものは聖なる人に』ってのがハリストスだとすると答唱が「そのとおりで~す♪」ってことになるし(でもそうなると誰も御聖体もらえないよね。笑)それが『聖なる人々に』だと、「なんのなんの、聖なのはハリストスだけで~す♪」って謙遜になる。
だから一概にどーでもいいとは言えないのだ。

訳すことの難しさについては、こないだも「罪」のことでちょっと書いたけどニコライ大主教も日記に度々書いていて「おれり」って言葉使っていいもんか悪いもんか中井木菟麻呂さんがいろんな国文学者だの漢学者に聞きまくってすったもんだしてるとこなんか読むと本当に頭が下がるというか、なんか訳が難解だとか言えなくなる。
難しいなら難しいなりに、自分たちも読む努力をしなきゃいかんと。