脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

宗教と日本の文化

2018-04-24 | Weblog

3年前バイレイシャルがミス日本に選ばれたことが問題になった。批判する人間に対して人種差別的であるとの声が上がっているし、諸外国からも人種差別だという非難の声も上がっている。個人的にはバイレイシャルが選ばれるということは光栄なことだと思っているが、しかし私は彼女が代表にふさわしくないと批判する人間が必ずしも差別的とは思わない。まず諸外国と言うのはどこの国のことか?日本が諸外国という時、それはアメリカヨーロッパ諸国のことである。じゃあ中東やアフリカそしてアジア諸国などはどう見ているのか?国によっては日本よりももっと保守的で閉鎖的な国がある。それにヨーロッパやアメリカと言うのは移民政策を余儀なくされた国であり、侵略の歴史がある。特に中南米などは侵略が繰り返された歴史があるが、そういう他民族との融合を本当に寛容を持って受け入れてきたわけではない。BCまでさかのぼるとアレクサンダーがマケドニアを支配した時に他民族との融合を奨励はしたが、しかしそれは国家をと追いつさせるための策略で、基本的にはヨーロッパの民族的な歴史は戦争と支配による融合でアメリカと言う国はその副産物であると言っていい、日本のように侵略がない他民族に支配されたことがない国は民族に対する特別な見方があると思う。

特にミス日本と言うのは日本人が持っている民族的な美意識と言うものがあるのだからそれを正しく吟味し大いに主張することは必ずしも人種差別につながるとは思ってはいない。ただこういう時に問題となるのがじゃあ日本人っていったい何なんだ?と言うことになる。アメリカのように日本で生まれれば日本人と言う定義でもないし、ユダヤ人のようにお母さんがユダヤ人であればユダヤ人だということでもない、ただ漠然と日本人は日本人だと言う風に思っているだけで、おそらくこの問題を解決するのは天皇制であると思っているのだが、民俗学的また宗教学的にも日本人にとって天皇とは何かということをはっきりさせる必要はあるだろう。そういう考え方の中で包括されるものはすべて日本人であると考えればいいのだと思う。ただ私もひとりのバイレイシャルとしてそういう存在が選ばれることはうれしいことだし、顔や文化や習慣が違うだけでいじめや迫害がおこるということに対しては憤りを感じることは確かだ。しかし日本人は唯一自分たちが築いてきた歴史と言うものがある。諸外国に何を言われようが基本的にはその歴史を大事にすることは必要であると思っている。

仏教とキリスト教の大きな違いは「支配」と「融合」と言う言葉で表すことができる。キリスト教は支配の宗教で布教活動もその土地を支配て徹底的に改宗させるというやり方で宗教的領土を広げてきた歴史がある、しかし日本の仏教はその土地の民間信仰に融合していって形をかえるというやりかたでその土地に根差していったのだが、仏教的思想の強い日本人は基本的には支配と言う考え方を持たない平和的な民族であると信じている。ゆえに仏教や神道の影響が強い日本人は平和的だと言える。

韓国語に僞人(ウエノム)と言う言葉がある。これは日本人が韓国を侵略したという最も日本人が野蛮であるということをあらわした侮辱的な言葉であるが、386世代の人間は日本人は本当に野蛮であると信じて疑わなかった。今ではそういう時代錯誤的な考え方はなくなりつつあるが、しかし私はこういう問題に直面して時にはえげつないことになるんじゃないかと言う議論までしてきたのだが、なぜここまでするかと言うと自分のアイデンティティがかかっているからだ。中にはそういう議論は危険だから避けたほうがいいというかもしれないが、しかし日本人が野蛮だと思われたくないという思いから思ったことを言ってしまう(しかも向こうで)私は歴史学を先行したわけではないが、しかし宗教学的観点とある種の歴史的な見解を持って日本人は平和的であると思っている。

 

 

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