脱あしたのジョー

MTオリーブフィットネスボクシングクラブのブログ

I respect japanease.

2018-03-16 | Weblog

私が共同体を重視するのにはわけがある。それは日本人はその共同体の中で互いに影響を受け成長していく民族であるからだ。欧米は個人主義の国である。欧米では哲学などにも見られるが、物事の合理化をはかるのは、まさに民族も違う、宗教も言葉も違う、他者の中で自分たちが何者であるかと言うことを実現させるためのアイデンティティを確立させるためであり、自己主張と言うのは自分たちは他者とは違うという差別化のようなものであり、こういう中で彼ら彼女らのアイデンティティが確立され、彼らが言うところの個性が生まれてくるのだと思うが、ある意味個性と言う英語は分離を表す言葉であり、少し我々とはかけはなれた違った言葉だ。

日本人が個性がないと言うのは、それは教育の問題ではなくて環境の問題である。単一民族で日本語しか話さない、宗教的な対立もないので合理化をはかる必要もない環境において徹底した個人主義を通す必要はない。日本は他国から侵略されたこともない、対立や軋轢が少ない環境において日本人は和を尊びコミュニティを大事にしてきた民族であると理解している。

日本人や在日韓国朝鮮人は集団を重んじる民族だ。だから考え方や導き方で素晴らしいコミュニティを築き上げることができるというのが私の考え方である。前回のブログで女子部の雰囲気がいいと言ったのは、お互いを尊重しあって、協力することができるからだ。ジムで語学を教えたり、女性が半数以上氏占める健康維持専門のクラブなので、当然大会を目指して気合を入れて頑張るという雰囲気はない。そういう中で自称運動音痴たちが、そこそこ結果を出せているのは、コミュニティの雰囲気がいいからであり、女性が堂々と誰にも遠慮せずにとレーニングしやすい雰囲気をつくってくれているからだろう。たぶんうちの女性の競技者はこういった雰囲気の中から楽しそうだから私もやってみようとなるのだと思うが、それは一言で言えばういのコミュニティは有機的であるからだ。

話はスポーツ指導者とアスリートの話になるが、コミュニティの質をよくしたければ、まず言葉をきちんと学ぶこと、そしてそこで語彙力を高めて正しい日本語を話すことだ。スポーツの親玉は一応そう言っておかなくてはいけないので「勉強もしろ」と建前では言うが、しかしそういって朝練や練習時間で子供を拘束する。親玉はしてこなかったことを建前上言うのではなく、勉強や学習をさせる雰囲気にすること、指導者が正しい日本語を話す。語彙力が高い、教養があると子供も影響を受けるであろう。我々はそのようにつとめるべきだと思う。運動系にありきたりの薄っぺらい感動話やあいさつしろとか中身のないルールが黄金律かのように考えているようではまともな人間はついてはこない、いい年をして自分の日本語が低レベルで教養がとぼしいと思ったらほざくな。と言うのが私の意見だ。

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