アルジェリアで人質事件が起こって思い出したこと…
昭和40年代後半から50年代、私の同級生と会社の同僚がアルジェリアで自動車事故で亡くなっている。
その頃も日本企業のアルジェリアに進出が盛んで、現地通訳募集の案内が新聞求人欄に頻繁に出ていた。
大卒初任給が5万円から7万円、石油ショック後でも10万円の時代にアルジェリアに行けば30万以上稼げた。
同級生は卒業後直ぐアルジェリアに行き、亡くなったのは22歳。同僚も25歳ぐらいだったと思う。
現地人の運転がメチャクチャで、スピードオーバー、飲酒運転が日常茶飯事だったらしい。日本も当時は飲酒運転に甘かった。
二人の男、生きていたらどんな人生を歩んだろうか。
二人は共に坊主頭だった、学生時代の坊主頭は珍しくないが、若い社会人の坊主頭は当時はとても珍しかった。
今、その坊主頭を思い浮かべる私は既に還暦を超えてしまった。