【思いつ記】

かって大空で生きてきた若鷲も
老いた今は民間機と客船で地球の裏側も訪ね
見識を広める旅を元気に続けています

提言 - 19 「大学入試より卒業成績を競え」 (2019-03-29)

2019年03月29日 | 教育


大学入試制度の変遷は一例を挙げると
  1978年から [大学入試共通一次試験]
1990年から [大学入試センター試験]
といろいろ移行してきたようですが遥か昔にその時代を過ごした私には
現状遷移の詳細を知ることはできませんが、
受験生にとって一生を左右する一大事で人生最大の緊張事であることは否めません
彼らにとって一生を大きく左右する契機ですから大いに心して臨んで欲しいものです

毎年の春にはそれぞれの合否が判明し進路を決まることになります
一度合格して入学できることが判明すればその後は授業料を適切に納め、
授業に出席すれば卒業可能な状態になります

問題はそれから後のことです
希望する大学に合格するとすっかり安堵してしまい、多くの青年たちは
本末転倒して、一途にアルバイトに熱中してしまうのです
大学では将来に向かって知識、能力を身につけるために学ぶべきものなのですが
入学できることが判ればその後は滞りなく学費を納め、
授業に出席していれば卒業は保証されているのが現状です

大学に入学する目的は自分の将来の目的を達成するために学ぶ
手段・過程を選ぶ為であって入学した大学の卒業証書や卒業名簿に
名前がのることではないのです


もっと大きく発想を転換して大学で何を学び習得できたかを判断できる
卒業資格判定の共通試験を実施すべきではないかと思います
例えば理工学部で云えば理工資格1級から理工資格5級くらいまで分けて能力分けし、
卒業時の共通試験での成績を付して卒業するようにしたら
無能な卒業生は減少するようにできると思います
卒業後に入社する企業も卒業校の名前が欲しいのではなく各人の能力を期待しているのです
昭和50年頃までは社内新聞に載る新入社員名簿には
  東大文1、名大理など
付して載っていましたがその後は校名のみから校名も載らず2級候補、1級候補と
付されるように変わりました
尤もなことでその人の卒業校名などの肩書を必要としているのではなく、
学び習得して持っている能力を買って採用しているのです
このように採用する需要側からも卒業時の能力、習得の資格を
判断して採用の可否を決定する材料にしたいものです
その為にも卒業成績基準を図表化して表示されるべきだと思います
大学入試は授業についていける能力を判定される試験であってそれに依って
将来をそれほど左右される試験であってはならないと思います
大学は入る処ではなく将来のために学ぶべき場所なのです
日本では大学入試は大きく報じられ重要視されますが全学生の卒業時
共通成績試験が重要視されるように改革するべきと思います
何処の大学であっても、仮に大学を出ていなくても
共通の基盤に立つ試験を設定して競って欲しいのです
司法試験などは大学中退でもその人の資格を左右しないのです
大学卒業資格検定試験もこうあって欲しいのです


-------------------------






提言 - 12 「本当に保育士は不足してるの?」 (2016-11-10)

2016年11月10日 | 教育

日本では現在、少子高齢化が声高らかに騒がれており、一方では世界一の長寿社会になっております
高齢者の分別も今の65歳から75歳に切り上げてはとの提言が先日ありました
そして国会や都議会などでも議論されております保育園への待機児童数が増加し、
社会に出て働きたい若い母親が幼児を抱えて働きに出られない人が多いと聞きます

昔の日本ではどこの家でも今よりずうっと子だくさんでその数は3人から6人が普通でした
沢山の幼子たちも、おじいちゃん、おばあちゃんから[昔ばなし]などを
耳もとで聞かせてもらいながら楽しく賑やかに育っていったのです
そんな生活の中で勧善懲悪や親孝行のあり方などいわゆる日本の道徳を教えられ、習って身に付けて育ってきたのです
その時代に幼児を預かってくれる保育園があったのでしょうか
国民学校に入る前の幼稚園にも行かなかった子供も沢山いただろうと思います
私もそうだったのですが何の不満もなく成長してきました
現今では生まれてくる子供が極限まで減少し、一方高齢になった祖父母たちは皆元気者で手持ち無沙汰で暮らしているのです

なぜ、この元気で身近な祖父母の助けを借りて幼児の成長を支援してくれる社会に仕向けないのでしょうか
行政は[三世代同居]を推奨し、経済的にも政策的にもこれを推奨する政策を推進するべきではないでしょうか

元気で暇な時間を過している両親たちを地元の田舎に残置(放置)して寂しく暮らさせ、
自分たち新世帯の2人は都会に出て二重生活に困窮した新所帯を持ち親も子も双方が困窮し生れてきた子供たちに
その余波が波及しているのです
こうなるように行政がこれまで推進してきた結果なのです  自業自得なのです

彼らが5人家族で育った故郷の40坪を超える広い家には老父母2人だけになり空き家同然の家として暮し、
5人で過ごしてきた広い庭も数覆い部屋も何時も灯りが点されずに庭には雑草が生い茂る結果になるのです
そして部屋には埃が溜まるまま放置され老父母に空き屋の掃除を強要する結果になっているのです
夜、その近くを通ると寂れてしまって灯りの点かない家々になってしまっているのです
年老いても元気な両親は娘たちを育てた家で日々を過ごし、楽しみにして待っていた孫の世話も一切させて貰えないまま
いつの日か訪れるであろうデイサービス行きの日が来るのを待っているのです  なんと寂しいことではありませんか
保育所の増設と入所を願う前に、両親との同居を推奨する行政(税制改革、所得改革などの行政)を進めて欲しいと思います
戦後の日本は全国民が大学へ入り、ホワイトカラーやオフィスガールのサラリーマンのなる事ばかりに熱中した結果であり、
今のように心の荒廃しきったみじめな現状に落ち着いてしまったのです

若い彼らは混雑する通勤列車でオフィスに通い、子供たちは愛情の乏しい保育所の中で育てられ
両親は満足し祖父母は泣いて看過しているのです
その中で日本伝来の道徳心の教育を期待することは無理なことです

特に交通安全の教育などは真の愛情ある祖父母の言葉が孫たちの心に染み込んで育まれる教育なのです
今の農村の荒廃、過疎化はこんな行政が目もくれない間違いに由来しているのではないでしょうか
鳥取、島根では過疎化が進み一方東京一極化の進行には一切手付かず放置の状態です
議員数の改正も急迫している現状です

国などの行政は何故、昔のような親との同居生活の実現を推奨しないのでしょうか
先ず、三世帯同居を推進すべきです
そして国民全てがホワイトカラーのサラリーマンを目指す雰囲気を打破すべきです
田舎で田畠を耕し米を造る人は進んでそれに従事するように仕向けるべきです
不慣れな都会生活、サラリーマン生活を進める環境を醸すべきではないのです
百姓の子は百姓でよいのです  それは決して差別ではなく物の理なのです
今の日本にそれが残っているのは陶芸や技巧、など伝統ある分野のみです

誰の責任でもなく敗戦によるマッカーサー占領軍により洗脳されたみじめな結末なのです
戦後70年を経過しそろそろ振り返って改善し、見直す時期にきていると思います

最近の高寿命化で元気な高齢者が増えております
高齢者を今の65歳から75歳にしようとの提言もあります (提言-01参照)
空き家の解消にも繋がり若い夫婦は幼い子供をまだ若い両親に任せて気楽に共働きができるようにもなるのです
そして大都市への人口集中も解決し、農村も再開発され、食料自給にも近ずけるのです
子供の躾や道徳、交通安全などの教育にも祖父母の教えの言葉を大いに活用すべきです 



*************************************


提言 - 09 「人は過誤を犯すもの」 (2016-09-25)

2016年09月25日 | 教育


私は戦闘機乗りを生涯の仕事として過ごしてきました
幸運にも40年近いテストパイロット生活の間に一度も自責のミスも冒さずに
無事故で過ごし定年を迎えることが出来ました
この間、何度も耳にしたのは
 「人は過ちを犯す動物だ」、
 「事故原因を見つけ、善処する」
のが事故の再発を防ぎ、飛行安全を達成できる手段でした

最近、高齢者が運転する車のアクセルとブレーキを踏み間違えて急発進し人身、
対物大事故を起こす事故が頻発しております
何時も報道される事は高齢者の 「痴呆症」、「判断力の低下」 が原因 であり、
行政は免許証の返納を勧めるのが最善の対策だと云います
これは改善対策ではなく行政の改善対策の放棄です
高齢者は通院などの脚として車は必須なのです
企業は事故を起こし難い車を製造し、販売するべきです
高齢者が間違った操作で急発進したり、事故に至りにくい車を製造・販売して
事故未然防止の策を考えるべきです
 (1)、乗り越えられない車止め (高さ、強度)
 (2)、エンジン加速機構の改修
   停車または発進直後の低速時にアクセルをどんなに踏み込んでも
燃料噴射量が制限され急加速しない設計
 (3)、使用できる車両を制限
   運転者の運動機能などに応じて 大きさ、最高速度、加速性能 を制限
 (4)、車両の色彩で高齢者運転の識別
   現在の [枯れ葉マーク] 添付は効果がないし、また高齢者への恩典がない
 (5)、同乗者の人数を制限
 (6)、高速道、自動車道への乗り入れ制限
 (7)、免許証の返納推進
 (8)、巡回バスの積極的な運行と、隣接都市間の融通運行
です




*************************************



提言 - 07 「大学は入り易く、卒業は難しに」 (2016-09-09)

2016年09月09日 | 教育


文科省のゆとり教育
教員資格の容易性 中学のいじめ多発 教育委員会の無責任・責任逃れ
 虐められた生徒の気持ちで判断すべき
 虐めがあったかどうかの判断は不要 →事実に決まっている
師範学校の新設 

学生は毎年実施される[センター試験]を受け全国共通の評価基準で
希望する大学に願書を出して大学の評価により合否で入学の可否がきまります
現在の方式では入試から入学、そして学生生活の殆んど全ての身分が保証されてしまうのです
だから大学に入ること、合格することで多くの人の生涯の人生を決めてくれているのです
合格して大学に入学できるとその日から本分の勉強よりもアルバイト先を探して
納入する学資や遊び代を稼ぐために奔走することになるのです
卒業後彼らが進む社会・企業は彼らが学んで習得した学力・能力なのです
現実の社会では個人の習得した能力ではなく大学の名前が先行して評価され
司法試験や国家試験を除いて彼ら個人が習得してきた能力を評価できる手段が皆無なのです
それほど卒業へ向かって大学生の学ぶ過程で障害や過労となるものが少ないか皆無なのです

対策として大学への道は入学することより卒業することの方が難しい
学生環境にすることが必要ではないでしょうか
現在のセンター試験は大学入学後の教育についていけるか否かを判定して可能と判断されれば入学を許可し、
入学した後は容易の卒業できない環境にしていけば
入学後の学生は学力・体力・技能の向上・鍛錬に向けて努力することが必要になるのです

そして全ての大学生は卒業資格を得る全国共通試験として[センター試験]に類似した
試験を導入し、その成績で社会への出発切符にする方策を考えたら如何でしょうか
大学入学には高校教育よりも受験塾通いに時間と費用を浪費し、
両親や社会を困らせている現状を改善して欲しいのです

学年別に、専攻別に、そして卒業時に全大学共通の試験を導入し

 [留年]、[成績可]、[成績良]、[成績秀]、[成績優秀]

の5段階の成績を区分する
その後も毎年実施される資格試験を受けて上位の成績取得の道を残すのです
全ての卒業生はこの全国共通の大卒認定成績を持って官民の職業に就職・従事することになります
従って卒業大学の名前が個人に就いていくのではなく実施されるこの共通試験の成績が
生涯就いていくことになるのです
その成績はその後の人生で努力することにより上位の格付け成績に向上させることができるのです
人生は努力を続ければ向上の道が開かれていることが大切なのです

大学生が本分の学習を忘れて入学と同時にアルバイトに熱中できる仕組みを排除すべきと考えます



*************************************



提言 - 05 「道徳は童謡や昔話から学ぼう」 (2016-08-09)

2016年08月09日 | 教育

最近、「道徳」 を小学校教科に導入しようとの検討がなされていますが中々結論に至りません
成績の評価、点数化や思想の強要などの問題で実現に至らない難しい問題に至っています
そこで私の提案ですが小学校の[音楽]に童謡の採用は如何でしょうか
童謡には
 勧善懲悪、恩義、慈愛、動物愛、協力、勤勉、忍耐、友情、感謝
などその節々に日本古来から引き継がれ貴ばれてきた日本人の精神的支柱が織り込まれて歌われており
感受性が強い幼少時代の教育に適したものだと思います

これこそ敗戦後の日本の教育で見捨てられ失われたままで過ごしてきた心の支柱ではないでしょうか
道徳教育の復活は先ず日本古来の童謡教育から始めるのが手早い手段です
歌手の由紀さおりさんが熱唱しいる日本の童謡はこれからの日本の幼児教育に不可欠な要素ではないでしょうっか
童謡になじみ成長すれば現在のような惨い虐めな殺人事件などはなくなると思います
戦後教育で育った今の中年の方には馴染めない環境になっていますが
デイステイなどを訪ね老齢の方に接すると彼らの心を最も癒し慰めるものは静かに歌える童謡唱歌です

卒業式では決まってみんなが歌ってきた「蛍の光」の復活も是非勧めて欲しいものです
卒業式は自分が卒業できるその場面で恩師や両親、友人に感謝とお礼を表す場だと思います
その場面で最も相応しい歌が「蛍の光」ではないでしょうか
文科省が中心となって教育体系の再構築に臨んで欲しいものです 



*************************************