時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

開かれた終活:人生は最後まで新しく

2018年04月01日 | 午後のティールーム

 

しばらく書くことのなかったチューリップ通信である。今年は三寒四温とは言い難い、寒さと暑さが交錯した激しい気象変動の中で、果たして芽を出し、花が咲くだろうかと多少危惧していた。例年の通り、11月中旬くらいに植えた球根は、地中でどんな対応をしているのだろうかと考えていた。しかし、これは杞憂だった。

3月に入っての激しい気温の変動にもかかわらず、中旬にはしっかりと芽を出していた。あまり例のない雪の厳しさにも耐えぬいた。そしてこの数日の気温上昇で急速に伸び、しっかりと開花した。桜と同様、人間世界のように激変に振り回されることのない絶妙な自然の摂理にに感動する。しかし、開花が遅かった年と比較すると、今年は2週間くらい早まっている。地球温暖化は地底でも進行しているのだろうか。

桜とともに、春の訪れを告げて、冬の間停滞していた心身の活動にスイッチを入れる役割を果たすようだ。これらの花々は不安な時代に生きる人間の心の奥底に不思議な力を与えてくれる。

この国は世界でも際立って高齢化が進み「人生の終わり方」について、さまざまな議論がある。書店の棚を見ても、病気や高齢者の生活についての書物が目白押しだ。「終活」という他の国にはないであろう妙な言葉も流行している。自分の人生の終わり方について関心がないわけではないが、あまり深く考えたことはない。

それよりも、これまでの人生で探索してみたいことが山積していて、頭の中はかなり忙しく動いている。回転の速度は遅くなったが、知りたいことの範囲はむしろ拡大した。次々と探索したいことが生まれていて、瞬く間に時間がすぎてしまう。ひとつの疑問の解消には長い時間がかかる。

とは言っても、心身の老化は覆い難く、探索の結果をまとめることより、疑問がなんとか解消したことで満足してしまうことが多くなった。ブログにしても掲載間隔が長くなった。しかし、上り坂よりも下り坂の方が視界は広くなる。これまで過ごしてきた人生の蓄積が生きてくる。このまま開かれた形で人生を過ごすことができれば、それもひとつの終わり方ではないかと思っている。


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