時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

コペンハーゲンの光

2008年07月18日 | 絵のある部屋

Vilhelm Hammershøi (1864-1916)
Interior. Young woman seen from Behind, c.1904
Oil on canvas, 61 x 50.5 cm
Randers Kunstsmuseum, Randers


    やはり、あの画家だったのか。ヴィルヘルム・ハンマースホイ Vilhelm Hammershoi (1864-1916)というデンマークの画家のことである。

  はるか以前に遡るが、1980年代、コペンハーゲンの美術館で偶然、この画家の作品を見た時、なにか強く惹かれるものがあった。しかし、当時は、この画家の名前は覚えがなく、展示されていた年譜などを見ただけだった。それ以前から魅せられていたラ・トゥールのようには、深く追いかけることもなく時が過ぎた。

  しかし、イメージは記憶細胞に生きていた。ロンドンのロイヤル・アカデミー・オブ・アーツで、この画家の回顧展が開催されていることを知った。たちまち、記憶がよみがえった。「ヴィルヘルム・ハンマースホイ:静寂の詩」Vilhelm Hammershoi: The Poetry of Silence (終了後東京へ移動) という特別企画展だ。副題が適切にこの画家の特徴を伝えている。目前に霧に包まれたようなこの画家の作品が、ほうふつとして浮かんできた。


  
ハンマースホイは、風景、室内、人物などを描いているが、いずれをとっても、暗色系の抑えられた独特な色合いと静謐さが画面に満ちている。風景画も独特の美しさなのだが、このあまり知られていない画家の特徴が最も現れているのは、室内画ともいうべきジャンルだ。

  室内画といっても、フェルメールのように、画面一面に色がちりばめられているという印象ではまったくない。むしろ、その対極にあるといってもよいだろう。この画家のパレットには、赤とか黄色など明色系の絵の具はなかったのではないかと思ってしまう。コペンハーゲン育ちの画家なのだが、この画家の心象風景は、やはりオランダやベルギーの画家たちのそれとはかなり異なっている。どことなくメランコリックな、デンマークの光なのだ。しかし、北方の画家として、基調には多くの共通するものを感じる。これは作品を見ていると、すぐに伝わってくる。フェルメールがこの時代に生きていたら、もしかすると、こんな絵を描いたかもしれないと思わせるほどだ。ハンマースホイが、作品のイメージを、しばしばフェルメールやレンブラント、サーレンダムなど17世紀オランダ画家の作品から着想したことは明らかにされている。

  ロンドンでは、71点の作品が展示されているが、そのうち21点は画家の故郷コペンハーゲンから、15点は他のスカンディナヴィアの美術館などから、そして20点は個人の所蔵である。この絵に魅せられたら、いつも自分の近くで見ていたいと思うだろう。個人の所蔵の比率が高い。ネットで見た限り、日本にも数少ないが熱心なファンがいるようだ。

  室内を描いた作品は、どれも絶妙な光とそれが織り成す影が特徴になっている。カーテンの掛けられていない明るいガラス窓から差し込む日の光が、これもカーペットもない床や壁を映し出している光景だけしか描かれていない作品もある。しかし、画題にあるように、差し込んだ暖かな日の光に暖められ、空気に舞う塵までが描かれている。「人物のいないフェルメール」といえば、少しこの画家の特徴を言い表せるかもしれない。

  

Sunbeams or Sunshine, Dust Motes Dancing in the Sunbeams, 1900

  このように、なんの変哲もない光景と思うのだが、一瞬息を呑むほど素晴らしい。写真より現実に近いとも思える。写真では写しきれない日光の暖かみ、それにより空気中に踊っている塵の動きまで伝わってくる。

  この画家、少しあまのじゃくではと思うのだ。人物が描かれている作品もある。たとえば愛する妻イダを描きこんだ作品もいくつかあるが、しばしば後ろ姿しか描かれていない。この回顧展のポスターにも使われている作品のように、美しいうなじを見せている女性が、落ち着いた、沈んだような色調の中に描かれている(顔の見える作品もありますよ)


  風景画でも、ロンドンの大英博物館の近くの
光景を描いた作品など、スモッグが空を覆い、いつもどんよりとしていたかつてのロンドンを、見事に目前に彷彿とさせる。しかし、ここにも人物は登場しない。あの教会画のサーレンダムやド・ウイッテなどの作品と共有する所が多分にある。画家自身がモティーフを選ぶ動機は「イメージの建築的コンテクスト」だと述べているように、描かれた線が整然としており、実に美しい。



Street in London, 1906
Oil on canvas, 58.5 x 65.5 cm
NyCarlsberg Glyptotek, Copenhagen
 

  これらの作品の一枚でも手元にあったら、どんなに目も心も休まるだろうと思う静謐な美しさだ。この画家の名前も作品もあまり知られていない。フェルメールやレンブラント、あるいは印象派の画家のように人目につく華やかさがいっさいないからだろうか。

  このブログで取り上げているラ・トゥールもそうだが、どうして多くの人の目から隠されていたのだろうかと思うほどだ。きっと万人好みの画家ではないのだろう。実際、この画家の個々の作品については、批評家の論争が絶えず、アカデミーが主催する美術展でも度々選外に落ちていた。時代の好みではなかったのだ。画家はその後、アカデミーから離れた個別の流れに移行する。

  このあまり知られていない画家の作品展、実は9月30日から東京の国立西洋美術館へ旅してくる。出展作品数もRA展より増加するらしい。素晴らしい企画展になると思う。秋が待ち遠しい。

ヴィルヘルム・ハンマースホイ展

コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« アイルランドのような田舎? | トップ | フェルメールとアメリカ (2) »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
コペンハーゲンの光 (arz2bee)
2008-07-21 00:30:22
 ハンマースホイ、光の感じがちょっとワイエスに似ていますね。メインよりもコペンハーゲンの方がかなり高緯度と思いますが。
 亜熱帯化し始めている日本に居てはわかりませんが、高緯度の光は淡いというより薄い感じで、日光に対する渇望があるようですね。
 静謐な心象はざわつく心に平安をもたらすようで、手許に置きたいのがよく分かる気がします。
大西洋の光 (桑原靖夫)
2008-07-21 12:37:22
arz2bee さん

確かに、ワイエス Andrew Wyeth とは、なにか通じるところがありますね。画家に背を向けて草原に横たわる若い女性を描いた「クリスティーナの世界」や窓外から風が吹き込む瞬間をとらえた「海からの風」など。一見、なんでもない光景がスナップショットのように捉えられ、生命力を得て生き返る感じです。ワイエスはリアリストの画家といわれますが、ハンマースホイはなんというべきでしょうか。ワイエスの別荘のあるメーン州は昔、夏に訪れましたが、潮風を含み湿った大西洋の光でした。再訪したいところのひとつです。

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

絵のある部屋」カテゴリの最新記事