時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

イタリアの光・オランダの光(5)

2008年06月02日 | ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの部屋

Hendrick ter Brugghen
The Concert, ca.1626
Oil on canvas, 99.1 x 116.8cm
Bought with contributions from the National Heritage Memorial fund,
The Art Fund and the Pilgrim Trust, 1983, The National Gallery
  

 

    バタヴィアの空から17世紀初めのユトレヒトへ戻って、あのテル・ブリュッヘンの世界をもう少し見てみたい。この画家はユトレヒト・カラヴァジェスティの中では、もっとも特異で才能に恵まれていたと思われる。1604年(1607年という推定もある)頃にユトレヒトからイタリアへ旅立った。ロレーヌでもそうであったように、ユトレヒトからは、かなり多くの画家たちがローマを目指したらしい。ユトレヒトからではロレーヌ以上に長い行程になるのだが、この時代のイタリアへの憧憬の大きさを感じさせる。テル・ブリュッヘンは、ローマへ行くに先立って、この地で著名なマニエリストの歴史画家ブロエマールト Bloemaertの工房で徒弟修業をしたと推定されている。

    テル・ブリュッヘンは、ローマに10年近く滞在したようだ。そこでさまざまな経験を積み重ね、1614年の秋頃にユトレヒトへ戻った。とりわけ、当時のローマ画壇の話題をさらっていたカラヴァッジョの同時代人として、その後の作風を激変させるほどの大きな影響を受けた。1606年、カラヴァッジョが殺人を犯し、ローマから逃亡するまでの短い期間だが、、二人がローマで出会っていた可能性はかなり高い。
 
  故郷の地へ戻ったテル・ブリュッヘンは、伝統的なオランダの主題を採用しながら、当時のイタリアの最新の流行を持ち込んだ。カラヴァッジョ風の革新的なリアリズムとドラマティックなキアロスキューロである。いずれとりあげることになるユトレヒト・カラヴァジェスティの一人であるホントホルストが、ドラマティックな緊張感を画面に漂わせたのに対して、ほのかな哀愁を含んだ幻想的な作品を創り出した。ここに取り上げた作品は、柔らかな色彩感で心を和ませてくれる。「フルート・プレイヤー」と並び、いつも見ていたいほどの素晴らしい出来映えだ。

  3人の楽士を映し出すのは、前面に置かれた蝋燭と後ろの壁に掛けられた油燭の光である。普通は蝋燭、油燭などひとつだが、巧みにふたつの光源を使い、きわめて考え抜かれた構成になっている。この画家は、画面構成に自らの持つすべてを傾けて、多大な時間、エネルギーを注ぎ込んでいる。限られた画面を隅々まであますことなく使い、持てる技巧のすべてを使っている。

  このようにテル・ブリュッヘンの作品は、いずれもかなり凝った構成だ。この作品では燭台ひとつににも工夫がなされている。前面にいる二人の楽士の顔は蝋燭の光で明るく輝いている。後方の最も若意図思われる楽士は、楽譜を見て歌っているが、前方と後方の双方から光が微妙に当たっている。見るほどに引き込まれるきわめて美しい画面だ。叙情的な雰囲気が全面に漂っている。テル・ブルッヘンの作品の中でも、最も美しい仕上がりではないかと思われる

  当時の状況からすれば、現実の楽士たちはおそらく旅の途上なのだろう。しかし、彼らの表情や衣装には、そうした漂泊や貧しさの色は見えない。画家は意図して、リリックに美しく描いたのだろう。彼の作品を求めたのは、ユトレヒトを中心とした地域の中産階級だったろう。おそらくその嗜好にも合っていたと思われる。

  ネーデルラントで影響力を拡大していたカルヴィニズムの改革派教会は、当初教会内では、歌唱以外の音楽を禁止していた。しかし、17世紀初めにかけて、そうした厳しい規制には反対が強まった。そして、1640年には教会内でオルガンの奏楽が復活した。音楽の持つ多面的な効果が再認識されたのだ。

  もちろん、教会の外では規制はなく、
旅の楽士などが、さまざまな音を響かせていたはずだ。彼らは少人数で、町や村々をめぐり、広場やカーニヴァル、結婚式などの折々に、自らあるいは依頼を受けて演奏をしていた。楽器はリュート、フルート、ヴィエル、トライアングル、手回しオルガンなどであった。

  この時代の空間を満たしていた
音の世界を追いかけてみたい気もする。カラヴァジストであったテル・ブリュッヘンだが、この作品がどれだけ現実のモデルに基づいたものであるかは定かではない。ラトゥールやカロの作品などでは、モデルには長い漂泊に疲れた旅芸人などが選ばれていた。
  
  テル・ブルッヘンなどと比較すると、
ラトゥールという画家の作品から伝わってくるのは、イタリアン・バロックの華麗さとはほど遠い、深く沈潜したような暗い画面、質実さ、素朴とも簡素ともいえるゲルマン、北方文化の色だ。背景にある暗く深い森、灰色の空、堅実な人々の生活ぶりが思い浮かぶ。ラ・トゥールが生まれ育ち、生涯のほとんどを過ごしたと思われるヴィック、リュネヴィルなどの町々は、地理的にもイタリアよりは、ネーデルラントなど北方文化圏にはるかに近い。ユトレヒト出身の画家たちは、イタリアで華麗な画風の洗礼を受けても、根底には自分たちが生まれ育ったネーデルラントの風土をしっかりと押さえ、作品に継承していた。ラトゥールは、この頃活動の場をリュネヴィルに移していたと思われるが、当時のネーデルラントを訪れていれば、こうしたイタリア帰りのカラヴァジェスティたちの作品に接した可能性はきわめて高い。

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