時空を超えて Beyond Time and Space

人生の断片から Fragmentary Notes in My Life 
   桑原靖夫のブログ

イタリアの光・オランダの光(6)

2008年06月12日 | ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの部屋
Hendrick ter Brugghen
Bagpipe player
1624
Oil on canvas, 101 x 83 cm
Wallraf-Richartz Museum, Cologne



    ヘンドリック・テル・ブリュッヘンの名前あるいは作品を知っている人は意外に少ないのかもしれない。単なる個人的印象にすぎないのだが、西洋美術史でも専攻していないと、日本ではこの17世紀のユニークな北方ネーデルラント画家の作品についても耳目にする機会は少ないのではと思う。

  この画家に限ったことではないが、日本における外国美術や文学の情報流入はかなり偏っていて、その結果が特定の作家や作品などへの嗜好 Taste の形成にも強く影響しているのではないかと思うことがある。たとえば、日本人のモネ好みはよく知られている。フェルメールも愛好者が多い。したがって日本の美術館は1枚でも借り出してくれば、大きな集客力が期待できる。しかし、フランスでは著名な大画家であるプッサンやラ・トゥールの知名度は低い。

  同じ17世紀に生きたテル・ブリュッヘンの名は、プッサンやラ・トゥール同様、日本ではほとんど知られていない。しかし、この17世紀初期のオランダ・ユトレヒトの画家は、色々な意味で大変特異な存在であり、もっと注目が集まってもよいと思う。高い資質に恵まれた画家であった。すべての作品が傑作というわけではないが、素晴らしい作品を残している。そのドラマティックで詩的な作品は、ルーベンスに多大な感銘を与え、ハルズやフェルメールなどのオランダ画家にも大きな影響を与えた。しかし、人気は移ろいやすく、18世紀、19世紀の収集家や美術史家からは忘れられた存在となり、20世紀に入りカラヴァジェスクの再評価の過程で「再発見」された画家の一人である。

幸い残る作品

  テル・ブリュッヘンは17世紀前半の画家としては、作品は比較的多数残っている方だというべきだろう。これはテル・ブリュッヘンが当時すでに大変著名な画家として人気があり、当時のオランダ共和国国内や外国の愛好家 cognescentiによる作品収集の対象になっていたこともある。レンブラント、ハルズ、フェルメールなどの画家と肩を並べる存在であった。幸いネーデルラントの黄金時代に当たり戦乱などで、作品が散逸するような状況から免れていたこともあるだろう。

  テル・ブリュッヘンも真贋論争からは免れないが、最新の研究では89点の油彩画(真作)、そして54点の画家本人が関与したか、画家の工房が制作した作品というデータもある。

  テル・ブリュッヘンはローマに長く滞在したが、その時期に制作したと思われる作品は、確認されていない。 この画家がローマに滞在した(1608年頃から1614年頃)前後の時期は、17世紀の北方フランドル地方と南のイタリアなどの間での文化交流を知る上で、きわめて凝縮して興味深い年月であった。ひとつには、この時代に大きな影響を与えたカラヴァッジョの作風がどのように伝播したのか、多くの研究者が関心を寄せてきた。テル・ブリュッヘンヘンは明らかにカラヴァジェスティ(カラヴァッジョの画風の信奉者)であった。

ルーベンスとの関わり
  この画家に関して、もうひとつ注目すべき点のひとつとして、ルーベンスとの接触がある。二人はきわめて短い時期だが、同じ時期にローマにいた記録がある。テル・ブリュッヘンは1607年4月以降にローマを離れ、ルーベンスは1608年10月にアントワープに戻った。ちなみにカラヴァッジョは殺人を犯し、お尋ね者の身となり、1606年にローマを逃げ出している。断片的な記録をつなぎ合わせると、彼らは短期間ながら同じ時期のローマに滞在していた可能性もある。後世になって振り返ると、きわめて濃密な文化交流があったクリティカルな時代であったといえる。

  当時のイタリア画壇の影響を測る物差しとされたもののひとつが、カラヴァッジョ風の影響の大きさである。カラヴァッジョだけがキアロスキューロの導入者でもなく、さまざまな画家が試みていた。しかし、今となっては、その実態はさまざまな情報を総合して推定する以外に方法はない。カラヴァッジョ自身、当時の主流としての工房を営み、徒弟を養成するということがなかったから、きわめてアドホックな伝播・波及の過程を辿ったといえる。 北方ヨーロッパの伝統の中で育ったテル・ブリュッヘンなどは、イタリアでの知見と技法の習得とを融合し、きわめて魅力あるユニークな作品を制作した。

  こうした技能伝播のプロセスは、経済学の技術波及 technology diffusion の理論が開発した内容が極めて参考になる。カラヴァッジョの影響は、濃淡があり、ある画家が簡単にカラヴァジェスティであるか否か、決め付けることはできない。技能や画風はいわば円の中心から波紋のように拡大してゆく。そして、外延部に近いほど、影響は間接的になる。さらに、中途に障害物があれば、その影響を受ける。画風の伝播でも、その過程に介在するさまざまな媒介者 agents の影響で、新たな解釈や添加がなされ変容する。






George de La Tour. Blower with a pipe. Oil on canvas.
Tokyo Fuji Art Museum, Tokyo, Japan.
 



* Leonard J. Slatkes and Wayne Franits. The Paintings of Hendrick Ter Brugghen 1588-1629: Catalogue Raisonne (Oculi: Studies in the Arts of the Low Countries), 2007. 471pp.

  カラヴァジェスティ、とりわけテル・ブリュッヘンの研究の第一人者として生涯を捧げたスレイトゥクス教授が亡くなられた後、弟子のフラニッツ教授がその蓄積を継承され、本書の刊行に至った。それまでは、ラ・トゥールなどについての研究もあるベネディクト・ニコルソンなどの論文(1958)があるくらいで、本格的な研究は見当たらなかった。その意味で本書は、この著名だったが忘れられていた画家の生涯と作品にかかわる画期的な研究である。スレイトゥクス教授については、西洋美術史担当の知人のパーティでお会いした記憶が微かにある。しかし、当時は筆者の専門も関心もまったく異なっており、テル・ブリュッヘンについての知識も浅く、今はそれを大変残念に思っている。
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« こちらも壊れる?FiFAワール... | トップ | フェルメールとアメリカ »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの部屋」カテゴリの最新記事