浮遊脳内

思い付きを書いて見ます

カナン ラフ稿についてのまとめ

2010-10-25 23:22:00 | ラフ 虎の学士 カナン
書き始められた経緯は、ツイッター上の雑談から始まったものです。
このときのお題は「蜂」だったのですが、うまくアイデアがまとまらず、
とはいえせっかくのネタを書きもせずに捨ててしまうのが惜しかったために、
山月記のあるお話を下敷きに、どのくらい書けるか書いてみようとしたものです。

ラフ一稿と称するものは、このアイデアが馴染みよく行きそうか確かめたもの。
ラフ二稿シリーズは、それを下敷きに書いていったものです。

いまだにラフ扱いなのは、カナンという世界にありそうなことをピックアップしたと思えても、それをカナンらしく表す経験値をこのぼくが持っていないからです。
あれこれともうちょっと何とかしたいと思っているのです。

カナン ラフ2-19稿 おしまい

2010-10-10 17:11:09 | ラフ 虎の学士 カナン
 けだものの体に突き立った槍をそのままに、俺は手を放し、それに背を向けた。
 歩き始めるとき、さむらいどもがざわめいた。
「どこへ行く」
 犬の男が問う。俺は歩きながらこたえる。
「帰るに決まっているだろう」
「待て、許さんぞ。勝手をするな」
 犬はやはり犬なのだ。それは変えられない。
「好きにさせておけ」
 女さむらいが言う。やつも虎の性根だ。かかわりを感じなくなったものは、もはやどうでもいいのだ。
「その男を押えようとしてもどうにもならん。学士どのも言っていた。その男には神が憑いた」
 さむらいどもがこわごわと道を開くのが判る。
 俺は歩いた。気が動いている。朝が訪れようとしている。東の空が夜明けの前触れの色に染められてゆく。何もかもが変わり、また変わらぬ。
 だが、と女の気配が俺へと向く。
「水浴びくらいしてゆけ。血まみれで歩き回るな」
 声に詰まった俺に、女はさらに言う。
「なんだ?」
「いや、水浴びはあんまり好きじゃない」
「そいつを捕まえろ」
 不意に女が言った。はあ?と振り向く俺と同じように、さむらいたちも声を上げる。
「こ、こいつをですかい?」
 犬の男が言う。女がにんまり笑う気配がする。俺は思わず退いた。虎が目の前にうっそりあらわれて、そうしたら誰だって逃げようとするだろう。
「案ずるな。槍はここにある」
 さむらいどもがいっせいに首をめぐらせてそちらを見る。それからまた俺を見る気配がする。
「ま、待て!」
「かかれ」
 さむらいどもがわっとおしよせる。あらがういとまもなく、おさえつけられ、縄をかけられ、さらに担ぎ上げられる。
「なにをしやがる!おれは野豚じゃねえ!」
「豚はきれい好きだぞ」
 犬の男が声を上げて笑う。
「そいつを小川に放り込め。草でごしごしこすってきれいにしてやれ」
 おう!とさむらいどもが声をあわせてこたえる。縛り上げた俺を抱え上げて、駆け出してゆく。
「やめろおおおおお!」
 もちろん、抗う俺にこたえるものなどいない。
 いつもそうだ。なにもかもそうだ。先にそれを思い知らされたばかりだ。
 そうだ。それがこの地だ。


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というわけで、こんな話だったのさ。
途中でアイデアが浮かんで、ラフがラフどころではなくなってしまったが、まあいいじゃないかw

というわけで、カナン語に入れ替えたところが良いのは判っていたけれど、そこが不如意でやっぱりラフのままw

カナン ラフ2-18稿

2010-10-10 04:21:20 | ラフ 虎の学士 カナン
 それだけのことだ。
 いつもいつもあることだ。俺たち狩人は 神に獲物を捧げると願い奉り、狩った獲物を神に捧げる。
 この地に生きる数え切れないものどもが、そうしてきた。今日のいま、この夜にも同じことがあっただけだ。けものは食うべきものを食らう。それが定めだ。
 ここで起きたこともそうだ。
 そうなのだ、と思った。変わらず、揺るがず、動かぬ。ひとだからとして、何が変わるわけでもない。俺だからとして、あいつだからとして、何が変わるわけでもない。動かせぬものとしてあり、動かせぬのだ。その中に俺がいる。
 月より金色の光が降る。山は静かにうずくまり、森は聞こえぬ音と共に育ち、草は伸び、鳥と獣と虫とがその間をめまぐるしく動く。風は吹き動き、渦巻き流れる。雨は降り陽が差し、朝焼けと青空と夕日が次々と訪れ去り雲はひとときもとどまることな流れ流れ続けてゆく。
 一つ一つが神々の業だ。銀色の月の軌跡は毎夜ごとに形を変えながら夜空を巡ることも、山がこのように山としてあり、森の木々がこのような形を取り、集まり、生えて、枝を伸ばし、草が草のようにあり、鳥が鳥のようにあり、獣が獣のようにあり、虫が虫のようにある。風が吹くのも、雨が降るのも、空が色をかえ、夜と昼とを終わり無く繰り返すこともまたそうなのだ。
 閉じた瞳の闇に、神々の姿と形と力は、あるべく形であるべくかたちにある。
 あいつがいま、俺の足元に倒れてあるのも、またそうなのだと俺には思えた。
 俺にはわかった。あいつに何が起きたのか。あいつにはわからなかっただろう。夕暮れを前に荷を負い、道を急いでいた己に何が起きようとしていたのかを。
 わけもわからず、痒む体をかきむしりながら、夕暮れの森を駆け出し、藪を突きぬけ、森を走り、その地を転がった。体から剛毛が生え、その手も体も己のものとは思えぬ形となり、ふらふらと森を出たとき、落ちる影に驚き、水面に映る姿に驚き、吼えた。
 人が人の間にあるときには知らぬ力が及んだだけなのだ。
 俺のほうが間違っていたのだ。
 お前は正しかった。お前の言うとおりだ。
 けだものがけだものとしてあらぬようにするなら、命を絶つしかない。

カナン ラフ2-17稿

2010-10-09 17:35:08 | ラフ 虎の学士 カナン
 虚を突かれた。
 けれど体が動いた。まるで導かれるように、あるべくある形に槍を構える。後ろ足を引き、前の足は地を踏み、槍をあいつへと向ける。熊を狩るときのように、やつの首の付け根に。
 あいつに、迷いもためらいもなかった。けだものの咆え声と共に、俺へと踊りこむ。重い手ごたえがあった。まるではじめから定められたように、槍はあいつの首筋に突き立つ。
 俺の望みに関わり無く、俺を押し込み、のしかかってくる。踏みこらえ、滑りながらも力の限りに支えるしかない。槍を手放すことなどありえぬ。噴出した血が俺にも降りかかり、獣のにおいがむっと押し寄せてくる。
『・・・・・・』
 けだものが、最後の息を吐いた。獣の声でも人の言葉でもなく、ただ、うつむき、吐き出される吐息だった。それで終わりだった。あいつの体がひざをつく。前のめりになって、どう、と地面へと倒れる。俺はその音を閉じた瞳の闇に聞いていた。
 さむらいたちから声が上がる。
 手ごわい敵を倒した、喜びの声だ。そうだ。さむらいたちにとって、こいつは敵だ。そうだ。それは正しい。さむらいのよろこびは、さむらいの神に捧げられるものだ。
 俺は、俺の神に願い、求めた。
 けだものを狩る力をくれと。あいつを、けものとして狩ることこそが、俺の捧げるものだったはずだ。
 だから、俺は槍を振り上げた。
「このけものは、狩り神のために!」
 強く振り下ろして、その体に槍を突きたてる。先までとは違う、ぐんにゃりした手ごたえがあるだけだ。それでも狩り神の力を借りて、あいつの願いを果たした。
 だから俺は、狩り神へその体を捧げねばならない。

カナン ラフ2-16稿

2010-10-08 22:23:23 | ラフ 虎の学士 カナン
 『!』
 やつが吼える。
 一瞬、俺も迷った。肩口深く突いた槍をえぐりこんで、血筋を斬り、このけだものを倒さねばならぬのかと。
 けだものは吼えて身をよじる。槍を持ってゆかれそうになる。こらえて地を踏む。力を込めて槍を支える。大きくしなる。迷っていたのは一瞬だった。
『!』
 けだものが吼えて身をよじる。やるしかない。俺は奥歯をかみ締め、力を込める。
「静まれ!」
 俺こそ、吼えて槍を振るう。地を踏み、槍を支え、すべての力を込めて、体ごと振るった。
『!!』
 それまでに無いほどの、ひとならぬ声が上がった。血しぶきが撒き散らされる。重いものが、続いて地に落ちて跳ねた。けだものの体から斬り落とされたのに、それはいのちを失わず、ばたばたと地面をのたうちまわる。地を跳ね、土くれを跳ね上げ、斬りおとされてもなお死ぬことなく、それは自ら伸びまた折れ曲がって跳ね続けた。
 けだものの左の腕だ。
 ぬめる地を踏んで、俺は振り返る。けだものは声を上げ、肩口を押さえ、よろめいて退く。 
「静まれ!」
 俺は怒鳴った。
「とものお前を、殺すには忍びない。静まり、そして去れ」
 やつが唸るのをやめた。斬られた左の肩口を押えたまま、俺へと向き直り、そしてじわりと退く。その目が俺を見ているのを感じていた。俺に感じられるのは、その体から失われてゆく、やつの生気を感じていた。
「二度とさとに訪れるな。人を食らうことも許さぬ」
『・・・・・・』
 やつが何事か唸る。
 響きは聞き取りづらくまた、はっきりとはしない。けれど、確かに人の言葉だった。
『!』
 だが、次の刹那にやつは吼えた。
 人の声ではなく、けだものそのものの雄たけびで。
 あいつは、地を蹴って駆けた。

カナン ラフ2-15稿

2010-10-08 05:44:27 | ラフ 虎の学士 カナン
 あいつは、おれより背がちっちゃくて弱っちかった。
 おれたちの村は田舎だから、べんがくができるからってそれだけじゃ駄目なんだ。野良しごとの手伝いができたり、女よりたくさん背負って運んだりできないと、ばかにされるんだ。
 あいつは言葉が立つから、逆にうとましくおもわれて、けっこういじめられてた。三人がかりでこられたら、あいつひとりの力じゃ打ち払えない。囲まれて蹴られたりしていた。
 一度、助けてやったことがあるんだ。石投げてな。そのあと、てめえら!とか言いながら、蹴っ飛ばして追っ払った。
 そうしたら、あいつ、おこるんだぜ。一人で何とかできたって。おれ、びっくりしちまって、思わず口をあんぐりあけて、砂ぼこりに汚れたあいつの顔をまじまじと見ちまった。あいつ、まるで俺がいじめたみたいにすげえ顔で俺をにらみつけやがる。おれ、聞いたんだ。
 おれ、何か悪いことしたか、って。
 そしたらあいつ、不意に腕組みして考え込んだんだ。唸るみたいに背を丸めて考え込むあいつを、おれもなんとなく背を丸めながら、追いかけ見た。
 そしたら、あいつ、何見てるんだ、とか言い出すんだ。おれは言ってやった。お前、馬鹿じゃないのかって。あいつ、顔を真っ赤にするんだ。
 でも笑った。そうだな、馬鹿みたいだ、って。あいつ、けらけら笑ってるんだ。なんだか判らないけれど、おれも笑った。
 それが、あいつとちゃんと話した最初のときだ。
 俺たちは、なんだかわからないけど仲良くなった。あいつは算術が得意で、どんなに長い立て札でも読めて、負けず嫌いで、怒りっぽくて、そのくせ臆病だ。
 大きくなったら聖都に出て、学士になりたいと言ってた。おれは言ったんだ。お前は賢いからきっとなれるって。
 そのために算術稼ぎをしていたんじゃないか。おふくろさんと少しずつ金をためていたんじゃないか。
 やっと村を出られたんじゃないか。
「!」
 俺は何かを叫んだ。あいつの名前だったはずだ。
 槍は、心の臓をえぐれなかった。俺の槍は、けものを狩るための槍だ。あいつを突き殺すことなんて、できない。

カナン ラフ2-14稿

2010-10-06 18:38:12 | ラフ 虎の学士 カナン
 俺は槍を掴み駆ける。
 女の背後から、その右手へと回り込みながら走る。やつは女の刃を受け、けものの声を上げて退いていた。これが群れ狩りだとするなら、女の剣は追い込み罠、俺の槍はとどめの槍だ。駆け行きながら、槍を構える。回りこんで、やつの左から迫る。そこにはやつの脈打つ心の臓がある。
 やつは、守りに掲げた腕ごしに俺を見る。だがもう遅い。
「!」
 俺は声をあげ、深く踏み込んだ。
 突きを放つ。手ごたえがあった。穂先が毛皮を裂いて、やつの肉に食い込む。どっと血が噴出し、ばらばらと音を立てて、俺や地面に降りかかる。血のにおいの中で、やつは身をよじる。
『!』
 やつが吼えた。槍が浅い。
 心の臓には届いていない。やつは右の腕を振り上げ、爪を振り下ろす。槍と共に、俺は飛び退いた。
「弓、放てぇ!」
 さむらいどもから声が響いた。犬の男の声だ。弦の音がいくつも響いて、矢の群れが空を切り裂いて飛びぬける音を聞いた。それがやつの背に打ちつけ、突き刺さる。
 やつは振り向き、さむらいへと吼えた。それがけものだ。次々に来る二の手、三の手にいちいち気を引かれ、吠え立てて退かせようとする。だが、狙われるけものの体は常に一つだ。
 やつの気が俺から逸れる。俺は獣息を低く吐き、槍を構える。
「!」
 俺は声を上げて、地を蹴る。
 そのときだった、やつが俺を見た。
 俺にもわかった。腕を掲げて身を守りながら、恐れおびえるやつの顔が。けだものの姿から、顔ははっきりとわかった。あいつの顔だ。
 子供の頃に見た、気弱だけれど聡いあいつの面立ちのままだ。
 だが俺は、その体を突いた。

カナン ラフ2-13稿

2010-10-05 00:08:39 | ラフ 虎の学士 カナン
 さむらいたちの群れがざわめき、惑う。
 何が起きようとしているのかわからぬ群れのざわめきだ。それこそ獣の餌だ。
 踊りこまれれば成す術も無い。さむらいの群れは、やつがどこれほど近いかすらわからない。
 だが、一人だけは違った。惑う群れの乱れた足音の中から、一つだけ、足音が駆け出してくる。しなやかで、力強く、そして揺るがない。惑いも恐れもなく、そのものだけは何が迫るのかを感じて駆ける。
 その放つ気を、俺は知っていた。
「女!」
 俺は叫んだ。女よりも、むしろさむらいたちへ踊りこもうとする、やつへ向けて。
「回り込むぞ!備えろ!」
 やつの気配が、ちらり、背後の俺をうかがう。やつは俺の声を聞いた。
 そして飛んだ。大きく、まっすぐに、さむらいの女へ向けて。跳ねる勢いとともに、やつは大きく背を反らし、その爪を振り上げる。女の気配が、ぎらりとした鉄気を帯びる。
 惑いもなく、それは銀の弧を描いて激しく振り下ろされる。
 やつと女の気配が交差した。金気臭い血の気配が飛び散る。
 俺は駆けた。
 先に投げ放った槍が、地に突き立ち、震えているところまで。槍は俺を待っていた。
 その柄を掴み引き抜き、駆ける。
 やつを斬った女は、刃の金気とともに振り返る。ひとときも迷わなかった。流れるように刃を構え、強く踏み込み、斬りつける。
『!』
 けだものがけだものの声を上げた。
 むしろけだものが惑っていた。掲げた腕に刃を受けて、血しぶき散らしておびえ退く。やつは、やはりやつだ。人であった小ざかしさを捨てられず、俺の声にのって踊りこもうとした。
 だが、あの女には効かぬ。
 あの女の虎の気性は、人の小ざかしさをはるかに超えて、斬るべきものを見出す。
 そもそもあの女、俺の言葉など聴いていない。

カナン ラフ2-12稿

2010-10-04 04:25:40 | ラフ 虎の学士 カナン
風邪引いちゃったついでにサボっちゃった。
てへへ。
本当の締め切りは9月いっぱい。
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 ざわ、とやつの剛毛が逆立った。
 夜の中に、何かが広がる。獣臭のような何かが押し寄せる。
「!」
 俺は槍を構える。やつの目が再び輝く。
 身を撓め、やつは地を蹴った。まっすぐに飛び込んでくる。俺は退かず、槍を突き放った。
 だが、空を切った。
 手ごたえ無く、夜気が渦巻いて槍にまといつく。やつの影は、横合いへ飛びのいていた。夜に立つ木々の中に飛びのき、その一つをやつは蹴った。再び、飛ぶように夜を駆ける。だから俺もきびすを返し地を蹴った。
 わかっていた。やつの狙いは、俺を追って山に踏み込んできたさむらいどもだ。やつの姿は夜の木々の間を見え隠れしながら、跳ね駆ける。ひととびで二カイ丈や三カイ丈を飛びぬける。俺もやつを追って駆けた。取り逃がすおそれなど一つも考えていなかった。俺の脚でも、やつに追いつく。俺の脚でも風に乗ったように駆けることができる。木々の影が、音を立てて行過ぎてゆく。
 やつの背が見える。後ろ髪から背にかけて、たてがみのような剛毛がひらめく。やつは脚で地を蹴り、手で地を突き、さらに進む。
 その先に、人のざわめきが見えた。さむらいたちだ。俺を追って山に入ったのだ。やつは駆ける。けものともひとともつかぬ姿が勢いを増す。間に合わない。俺が追いつくより先に、やつがさむらいどもに踊りこむ。
「!」
 俺は槍を投げた。放つとともに、地に転がるほどの力を込めて。
 夜気を巻いて。槍は飛んだ。駆けるやつを追い、迫り、刺さる。土くれが飛ぶ。やつは大きく跳ねた。地に突き立ち震える槍を置き去りにして、夜の中を大きく跳ぶ。
 月より振る金色のひかりのなかで、やつは振りかぶり、その爪をきらめかせる。
 さむらいどものざわめきが見えた。
「にげろ!」
 俺には、叫び、駆けた。

カナン ラフ2-11稿

2010-09-30 02:31:14 | ラフ 虎の学士 カナン
 夜の中を、ぺたりぺたりとそれは歩き来る。
 下生えを踏み、あるいは藪を押し割って、二本の足で歩いてくる。木々がざわめいて揺れた。その間を通り抜ける月の光が、やつに触れては散ってゆくように見える。瞳を封じた俺の闇の中にそう感じられる。まるで月の光が、やつに触れるのを厭うようだ。
 人のように踏み出す、やつの足はもちろん裸足だけれど人とは違い、剛毛に覆われていた。だがやつはただのけものでもない。腰布のようなものが、破れ果てながらもまとわりついている。体は良く鍛えた兵士よりもさらに強い筋肉によろわれているらしい。だがその体も剛毛に覆われている。やや猫背で、顔とあごをを突き出すようにしている。牙あるその口から、ふうう、と息を吐き、やつは足を止める。その目は爛々と輝いて感じられる。俺を見据えているらしい。
 思っていたような顔立ちをしていた。だが思っていたほど、俺は驚いていなかった。ただ、友と行き逢ったように、槍を手にやつと相対していた。
 やつもまた、獲物を前にしたというより、久しかった何者かに出会ったふうにも見えた。
 その目の光は、またたくたびに弱まり、やがて黒々とした何かへと静まってゆく。穴のようだと俺は思った。どこへも続かない、ただただ深いだけの穴だと。それが俺へ向けられている。
 俺は何も言わなかった。言うべきことが浮かばなかった。かつての俺なら、きっと切れ目無く話しかけていただろう。どうしていたんだ。何があったんだ。けだものとはお前のことか。何かの間違いじゃないのか。けだものの所業は、お前のしたことではないのだろう?そうだと言ってくれ、何か言ってくれと。
 だが、俺にはわかっていた。こいつこそがけだものだ。
 こいつの爪が、人を引き裂き、こいつの牙が人を食らった。俺にはそれだけでいい。なぜ、人からけだものへと変わったのか、そのようなことは俺には何のかかわりもない。俺に語るべきことはない。やつは、うろのような目でじっと俺を見ているだけだ。 
 俺が成すべきことは、このけだものを狩るということだけだ。なのに、やつへ槍を向けられずにいた。俺とやつとの間には何か目に見えぬ、何か胸を突くようなものがあって、それがためにどちらも前へと進めぬというように。
 もし、やつがこのまま退き、姿を消せば、俺はやつを追えなかったかもしれない。
 だが、そうはならなかった。