この8月10日、11日にフジテレビで放送された番組です。予告を何度も放送していた原爆が落ちたときの爆風のシーンなどは、想像もできなかったほど凄まじいものだったので、ぜひ子どもと一緒に見ようと決めていました。
放送当日は見られなかったのでビデオにとって、まず前編を見ました。
http://wwwz.fujitv.co.jp/gen/index3.html
子役の演技の達者さや、中井貴一・石田ゆり子の演じる父母と4人の子どもたちとの幸せな家庭が原爆によって一気には壊されるには、胸の苦しくなるような悲しさを感じたことは言うまでもありません。ネットでも番組の紹介をしていますが、そこに写っている幸せそうな家族の映像を見ると、ドラマとは思っても辛くて、涙が出そうになります。
<戦争反対を主張することがむずかしい>
ところで、ゲンの父親は戦争に反対の考えを持っていて、そのことを公言しています。そのために、地域から「非国民」と辛く当たられ、警察にまで連行され身柄を拘束され、激しい暴力を振るわれます。父を待つ家族の寂しさと心細さは映像では伝えきれないほどだろうと思いました。
あの時代、戦争反対という自分の主張を貫くことがどれほど難しく、また、これをささえる家族がどれほど苦労したのかということもよく分かりました。
「そんなことなら、戦争に反対なんてしなければいいのに」、と見ている子どもが思わなければいいが、と思っていたのですが、その後の原爆投下のシーンを見て、戦争はばかばかしい、反対するのが当然、と思ったようでした。ですから、正しいことを言っているだけなのに弾圧されるこの時代はおかしい、でも、昔のことでよかった、ということを感じていたようです。
<食べ物がないってことは・・・>
子どもの反応で、私もショックを受けたことがありました。
それは、「食べ物がないって、頭では分かっていたけど、めざし1本をあんなに大切にたべるなんて。毎日何でも食べられる今の生活からは考えられないね。」と子どもが思い口調で言ったことでした。
日頃も実のほとんどないお汁をすする生活の中、身重の母親に食べさせようと、1本だけ用意された「めざし」をゲン(小学校低学年)と弟(3,4才)が食べたいのを必死に我慢してその場を走り去っていくが、小さなその弟が母親の所に戻って、「食べ終わった骨を頂戴」とこっそり小声で頼んでまた走っていく、というシーンでした。
でも、私もこれまで、食べ物を手に入れようと思っても店に何もないという事態に出会ったことがなかったことに気づきました。今の生活は、食べるものについてはまったく他人を頼りにするしかありません。ネギの一本も育ててはいるわけではありませんから、食物が流通に乗ってこなければ本当に何も食べられなくなるということです。かなりギョッとしました。都会を離れて土に種を植えて野菜でも食べられるようにしようか、とちょっと本気で考えています。
<戦争がもたらした家族の悲惨な別れ>
もう一つ、子どもが言っていたことで、前編の最後の原爆投下後、ゲンの家族の父、姉、弟が家の下敷きになっていました。母とゲンは下敷きになって「なんとかしてくれ」と頼む父と「助けて~」と泣き叫ぶ弟を助けようと、母とゲンは必死に材木などをどけようとしますが、持ち上がりません。姉は既に、下敷きになって声がありません。やがて、他のところからの火が回ってきて、父と姉弟を下敷きにしたその倒壊した家屋に燃え移ろうとしています。観念した父親は、二人に逃げるように命じます。弟は熱い、助けてと泣き叫びます。
その場を立ち去りたくないと泣く母親を隣人が引きずるようにして、ゲンと一緒にその場から引き離しました。
何ともやりきれないシーンです。今、生きて意思を通わせている最愛の家族が、火に飲み込まれようとしているのに助けられず、そのむごい死を見なければならない。正視できないけれど、残して立ち去れない。自分がその立場ならどうしただろうと、想像するだけで身もだえするような苦痛を感じました。
子どもは「お母さんとゲンが、まだ(家族が)生きているのに行ってしまうのは可愛そうだね。」といいました。「でも、お父さんは、火に焼かれて家族が死ぬところをこれからも生きて行く二人に見せたくなかったんじゃないかな」と答えました。
「そうかもしれないけど、でも、弟は小さいから可愛そう」と子ども。
子どもは、家の下敷きになって焼かれてしまう弟の立場になって、私に話したのかなと思いました。
ゲンと母親は、最後を見届けることなくその場を離れましたが、そのあと一生、心を引き裂かれるような思いとともに、この場面を生々しく、思い出したくなくても繰り返し見ることになるのでしょう。
きっと、一緒にこの番組を見たウチの子どもは、ゲンの立場でこの状況を見ても、弟の立場で見ても、このシーンを忘れることはないと思います。
いずれにしても、戦争とは、このような無惨な形で生木を裂くような悲劇を、おびただしい数の人々にもたらすことになります。
犯罪の被害で家族を殺された方、たとえば、最近話題になった光市の本村さん(妻子を殺された)の苦しみや無念については多くの国民が共感し、同情し、そのような犯人を許さないと、そう言われるではないですか。
なぜ、戦争での被害については、その個々人の悲しみに思いを至さないのでしょうか。
はだしのゲンの後篇を見たら、また感想を書きます。
放送当日は見られなかったのでビデオにとって、まず前編を見ました。
http://wwwz.fujitv.co.jp/gen/index3.html
子役の演技の達者さや、中井貴一・石田ゆり子の演じる父母と4人の子どもたちとの幸せな家庭が原爆によって一気には壊されるには、胸の苦しくなるような悲しさを感じたことは言うまでもありません。ネットでも番組の紹介をしていますが、そこに写っている幸せそうな家族の映像を見ると、ドラマとは思っても辛くて、涙が出そうになります。
<戦争反対を主張することがむずかしい>
ところで、ゲンの父親は戦争に反対の考えを持っていて、そのことを公言しています。そのために、地域から「非国民」と辛く当たられ、警察にまで連行され身柄を拘束され、激しい暴力を振るわれます。父を待つ家族の寂しさと心細さは映像では伝えきれないほどだろうと思いました。
あの時代、戦争反対という自分の主張を貫くことがどれほど難しく、また、これをささえる家族がどれほど苦労したのかということもよく分かりました。
「そんなことなら、戦争に反対なんてしなければいいのに」、と見ている子どもが思わなければいいが、と思っていたのですが、その後の原爆投下のシーンを見て、戦争はばかばかしい、反対するのが当然、と思ったようでした。ですから、正しいことを言っているだけなのに弾圧されるこの時代はおかしい、でも、昔のことでよかった、ということを感じていたようです。
<食べ物がないってことは・・・>
子どもの反応で、私もショックを受けたことがありました。
それは、「食べ物がないって、頭では分かっていたけど、めざし1本をあんなに大切にたべるなんて。毎日何でも食べられる今の生活からは考えられないね。」と子どもが思い口調で言ったことでした。
日頃も実のほとんどないお汁をすする生活の中、身重の母親に食べさせようと、1本だけ用意された「めざし」をゲン(小学校低学年)と弟(3,4才)が食べたいのを必死に我慢してその場を走り去っていくが、小さなその弟が母親の所に戻って、「食べ終わった骨を頂戴」とこっそり小声で頼んでまた走っていく、というシーンでした。
でも、私もこれまで、食べ物を手に入れようと思っても店に何もないという事態に出会ったことがなかったことに気づきました。今の生活は、食べるものについてはまったく他人を頼りにするしかありません。ネギの一本も育ててはいるわけではありませんから、食物が流通に乗ってこなければ本当に何も食べられなくなるということです。かなりギョッとしました。都会を離れて土に種を植えて野菜でも食べられるようにしようか、とちょっと本気で考えています。
<戦争がもたらした家族の悲惨な別れ>
もう一つ、子どもが言っていたことで、前編の最後の原爆投下後、ゲンの家族の父、姉、弟が家の下敷きになっていました。母とゲンは下敷きになって「なんとかしてくれ」と頼む父と「助けて~」と泣き叫ぶ弟を助けようと、母とゲンは必死に材木などをどけようとしますが、持ち上がりません。姉は既に、下敷きになって声がありません。やがて、他のところからの火が回ってきて、父と姉弟を下敷きにしたその倒壊した家屋に燃え移ろうとしています。観念した父親は、二人に逃げるように命じます。弟は熱い、助けてと泣き叫びます。
その場を立ち去りたくないと泣く母親を隣人が引きずるようにして、ゲンと一緒にその場から引き離しました。
何ともやりきれないシーンです。今、生きて意思を通わせている最愛の家族が、火に飲み込まれようとしているのに助けられず、そのむごい死を見なければならない。正視できないけれど、残して立ち去れない。自分がその立場ならどうしただろうと、想像するだけで身もだえするような苦痛を感じました。
子どもは「お母さんとゲンが、まだ(家族が)生きているのに行ってしまうのは可愛そうだね。」といいました。「でも、お父さんは、火に焼かれて家族が死ぬところをこれからも生きて行く二人に見せたくなかったんじゃないかな」と答えました。
「そうかもしれないけど、でも、弟は小さいから可愛そう」と子ども。
子どもは、家の下敷きになって焼かれてしまう弟の立場になって、私に話したのかなと思いました。
ゲンと母親は、最後を見届けることなくその場を離れましたが、そのあと一生、心を引き裂かれるような思いとともに、この場面を生々しく、思い出したくなくても繰り返し見ることになるのでしょう。
きっと、一緒にこの番組を見たウチの子どもは、ゲンの立場でこの状況を見ても、弟の立場で見ても、このシーンを忘れることはないと思います。
いずれにしても、戦争とは、このような無惨な形で生木を裂くような悲劇を、おびただしい数の人々にもたらすことになります。
犯罪の被害で家族を殺された方、たとえば、最近話題になった光市の本村さん(妻子を殺された)の苦しみや無念については多くの国民が共感し、同情し、そのような犯人を許さないと、そう言われるではないですか。
なぜ、戦争での被害については、その個々人の悲しみに思いを至さないのでしょうか。
はだしのゲンの後篇を見たら、また感想を書きます。
http://kosapo9.hp.infoseek.co.jp/
(親ばか日誌のところを見てください)
戦争は人殺し、人殺しは悪い、だから戦争は悪い、というのはその通りなのですが、だからといってすべてを戦争のせいにするのは行き過ぎかなと、、。
原爆は悲惨です、だから戦争は悪い、、って間違いとは言えないけれど、そこまではたして「戦争」の責任だろうか、、とちょっと気になり出しました。
戦争はなんでもアリだ、なんていう人がいるけれど、そこまでいくとこれは絶対間違いだ 。 当人は戦争が悪いといいたいのだろうけれど。
戦争をなくすのがもちろん必要なのだけれど、なかなかなくならない。それで、いろいろなルールを作ってきた。なんでもありなんかではなく、どうしても戦争になるなら、きちんとルールに従ってやるべきです。
で、原爆ですが、当時の国際法でも明らかに犯罪でしょう。そのことをもっとはっきりさせるべきです。いつまでも原爆はひどい、だから戦争はやめよう、ではだめです。
「しょうがない」発言はとんでもないけれど、結構そんな考えは蔓延していそうです。
kenさんはメールアドレスでの投稿ですか。こちらから訪問できないのが残念です。
Kenさんは「無題」というブログの管理人さんです(よね!)。