滝上市街地、渚滑川とサクルー川の合流点の元町側には「プラザの湯」があります。
そこの川べり、まさに川の合流点にあるのがこの記念碑です。
「プラザの湯」の休憩室からも見ることができます。
ここは明治33(1900)年に留萌のアイヌ・柳田初太郎氏が渚滑川をさかのぼり、
滝上町で最初に住んだ者の住居として記録されている場所です。
どこにそんな記録があるのかと思うのですが、
正確な居宅場所としてはともかく柳田初太郎氏が往来していたのは間違いなさそう。
場所も2つの川の合流点ということで食料の採集場所としては最適だったのかと思われる。
渚滑川もサクルー川も私が住んでいた頃でも市街地であるにも関わらず、
釣りをすればいろいろな魚が獲れ沢に入れば山菜が豊富に採取できたのですから。
ただ柳田初太郎氏の来町はただ漁労を目的としたもので、
開拓をしたわけではありませんでした。
それはそうであろう、それがアイヌの方々の生き方だ。
コタンは渚滑にあり、そこから往来したのかと想像しますが。
ただ、開拓民は入植するにあたり柳田初太郎氏より多大な便益を与えられた、
それは間違いないようです。
この地を知っている先駆者として、その役割は多大だったと思われます。
だからこそ、その住居跡に記念碑が建っているのですね。