新選組副長、函館で成立した蝦夷共和国では陸軍奉行並、
戊辰戦争最後の戦いである箱館戦争で戦死した土方歳三。
1869年5月11日(新暦の6月20日)、箱館を包囲した新政府軍が総攻撃を開始、
土方歳三は旧幕府軍を率い五稜郭を出発、一本木関門付近で新政府軍の銃弾に倒れた。
その最期の地がここ、と言われています。
諸説あるのですが、この辺りが有力らしい。
“一本木関門”はこの近辺にあったのは本当らしいのですが、さて。
場所は若松緑地公園内(若松町33-6)、函館市総合福祉センター(あいよる21)の前です。
函館駅からは歩いて10分ほどのところになります。
土方歳三は新選組の有名人、ファンも多く来歴など詳しい方もいらっしゃるに違いない。
なので私なんぞが土方について詳しく解説することは控えます。
土方を題材とした小説やドラマなども多数あるしな。
またハンサムだったと言われており、女性人気が高い。
私が訪れたときも二人の若い女性が土方を偲んで来ていました。
道南には日本海側も太平洋側も、箱館戦争に縁のある地が各所にあります。
五稜郭は旧幕府軍の本営になりましたし、木古内沖では咸臨丸が沈没しました。
箱館戦争は開戦から終戦までの経緯も詳しくわかっています。
その全部を辿る旅、というのも面白そうですが専門外の私にはできないなぁ…。
私がいま住む多摩地域に土方歳三氏の墓があり、何回かイベントで行きました。
ちなみにお墓の横は日野高校。忌野清志郎氏と三浦友和氏の出身校です。
榎本武揚は開拓使に仕え北海道の発展に大いに寄与しました。
その他いろいろあるのですが、土方が生きていたらどうなっていたやら。