風の向くまま薫るまま

その日その時、感じたままに。

映画『ゴジラ対メカゴジラ』 昭和49年(1974)

2014-04-03 20:10:54 | ゴジラ


                       


徹底した娯楽特撮アクション作品。ゴジラが人類の味方であることはもはや暗黙の了解事項。宇宙人は特に理由も示さないまま、まるでゲームのように地球(日本だけ)を攻撃し、しかも舞台はなんの脈絡もないまま沖縄だし、沖縄の怪獣キングシーサーとゴジラが共闘してメカゴジラと戦う。

この映画の公開の翌年に「沖縄海洋博覧会」が開催されており、プロデューサーの田中友幸氏は海洋博にも関わっていたようなので、その辺は相当意識していたようです。当時沖縄は日本に復帰したばかりで、なにかと話題になっておりましたので、それに乗っかろうという意図もあったのでしょうね。

それはともかく、ストーリーはほぼこれアクションに次ぐアクション。キングシーサーを目覚めさせる像を巡って、人間側と宇宙人側との争奪戦が展開され、これにメカゴジラとゴジラとの戦いが絡んでくる。さらには、宇宙人の行動を追っていたというインターポールの刑事までが登場。おいおいインターポールって宇宙人まで扱うのかよ!というツッコミの一つも入れたくなりますが、この刑事を演じているのが、あの岸田森さん。私、岸田さんの大ファンなもんで、世紀の大怪優岸田森さんなら赦す!

とにかくね、細かい理屈をすっ飛ばして、子供に帰って楽しめば結構面白い映画です。アクションの得意な福田純監督の演出は冴えに冴え、「爆破の中野」こと中野昭慶特技監督は爆破に次ぐ爆破で、画面は炎だらけになってます。

中野監督の爆破演出はとんでもなくて、石油コンビナートなどの爆発で吹き上がる炎はガソリンを使っているのですが、スタジオ内のミニチュアセットにガソリンを蒔くと、ガソリンが気化して空気中を漂うわけです。そこで火薬を爆破させると、気化したガソリンに一気に火が付く。

そうなるとスタジオ内の気圧が変化して、スタジオのドアがバン!と開くんです。そして外の空気が一斉にスタジオ内に流れ込んで、炎が凄まじい勢いで燃え上がる。

ヘタすりゃ死人がでますよこれ。今なら消防法の関係で、絶対に出来ない撮影方法です。

文字通り、「命掛け」の現場でした。



それはともかく(こればっかり)、メカゴジラはメチャメチャ強い!両手両足の指はミサイルで、目と口と胸からは光線を発射してゴジラとキングシーサーを苦しめます。このシーンのメカゴジラはメッチャカッコイイ。子供たちの人気を得ますよこれは。

メカゴジラを止めるために、宇宙人=ブラックホール第三惑星人(これも意味がよく分からない)のアジトに侵入した人間達によってコンピュータは破壊され、宇宙人の司令(睦五朗)は倒され、メカゴジラはその機能を停止し、ゴジラとキングシーサーによって破壊されます。

宇宙人司令を演じた睦五郎さん。スティーブ・マックウイーンの吹き替えでも有名な俳優さんですが、時代劇などでは圧倒的に悪役が多い方で、私の大好きな俳優さんです。この作品では、クールでどこか楽しげに攻撃を進めて行く悪役を見事に演じています。

平田昭彦さんや小泉博さん、佐原健二さんといった、かつての東宝特撮映画の常連さん方が出演されているのも楽しい。とにかく理屈やら何やらをすっ飛ばしてしまえば、素直に楽しめる映画であることは確かです。

ゴジラシリーズって、こうして観ると流石にレベルが高いです。

さて、この作品で人気を得たメカゴジラは、次作で早くも再登場を果たします。






『ゴジラ対メカゴジラ』
制作 田中友幸
原作 関沢新一
   福島正実
脚本 山浦弘靖
   福田純
音楽 佐藤勝
特技監督 中野昭慶
監督 福田純

出演

大門正明
青山一也
田島令子

平田昭彦
小泉博
岸田森

草野大悟
睦五郎

佐原健二
ベルベラ・リーン

今福正雄

図師勲
森一成

昭和49年 東宝映画

己のことばかりを考える奴は、己をも滅ぼす奴だ!

2014-04-02 13:39:06 | 名ゼリフ


                       



野武士に狙われた村が、村の防衛のために侍を雇う。百姓たちを守るため、ただ腹一杯の飯が食えることを条件に、命を掛ける七人の侍たち。


昭和29年公開、黒澤明監督による映画『七人の侍』。映画史上に燦然と輝く不朽の名作であることを私は疑いません。

この映画がわからん奴は、豆腐の角に頭をぶつけて…とまでは言いませんけど、まっ、映画を語るんじゃねえよ!…とまでは言いませんけど、いや、でも半分はマジにそう思ってますよ。いやいや、冗談ですよ、冗談。

半分はね(笑)。



単なるアクション映画ではありません。百姓たちは弱いようでしたたかで、食べ物なんか無いように見せていながら、実はちゃんと隠し持ってる。武器や甲冑も揃えてる。黒澤監督はそれを百姓の狡賢さというよりも、生き残るために必死な者達の逞しさ、悲哀として描いています。そんな百姓たちに翻弄されながらも、それでも侍たちは命をかける。

生き残るために、百姓たちはある程度野武士たちに従ってきたんです。利吉(土屋嘉男)は、女房を野武士たちに差出しています。それもこれも村を守るため。

しかし、もう限界です。

村の長老・義助(高堂国典)の一言。

「さむれえ(侍)、雇うだよ」

ここから、すべてが始まりました。




侍のオーディションから、村に帰るまでのシーンも、名場面目白押しで、全部書いていたら何時終わるか分からなくなるので飛ばします(笑)もうね、ホントに素晴らしいんですよ。是非にも見てくれって感じです。


さて、村の防衛作戦を練る過程で、どうしても捨てなければならない家がでてきます。

村の家々は大体一か所に集中して建っているのですが、三軒だけ離れた場所に建っているんです。村全体を守るためには、この三軒を捨てるのが得策。

これを聞いた離れ家の住人が、「冗談じゃねえ!他人の家を守るためにこんなことはやってられねえ!」と言って、訓練中の槍をその場に投げ捨ててしまうんです。

これを見た侍のリーダー・勘兵衛(志村喬)が、タタタッと走り寄って行くと、やにわに刀を抜いて百姓に迫ります。たじろぐ百姓たち。

勘兵衛は、これが戦いだ、と百姓を諭します。

「他人を守ってこそ自分も守れる。己の事ばかりを考える奴は、己をも滅ぼす奴だ!」

そして、今後勝手なことを言う奴は…、と抜き身の刀を曝しながら念を押すわけです。上手いですよね、この辺。




まあ、自分の家だけが焼かれるなんてことになったら、冗談じゃないと思いますよね。気持ちはよくわかります。

しかし、大局に立ってみた場合、致し方ないこともある。いかに理不尽であっても、です。

戦いとはそういうもの。

いや、戦いに限らず、人生の側面にはそうしたことが往々にしてあるものです。

まあ、人生そのものが戦いだと言ってしまえば、それはそれでハマることではありますね。





「己をも滅ぼす」という意味を考えてみました。

他人を守るために一生懸命働いて、結果、命を落とされた方々も大勢おられる。

かの震災でも、そういうかたちで亡くなられた方々もおられます。本当に、本当に心から、哀悼の意を捧げたい。

ではそういう方々は、己を「滅ぼした」のでしょうか?

私はそうは思わない。

「滅ぼす」とはそういう意味ではないと、私は思う。




他者のため、大義のために働いて、戦って、散っていった方々の魂は、例えその身は失くすとも、多くの人々の心の中に生き続ける。感謝の想いと共に。

肉体はいずれ消え去るもの。しかし魂は、心は永遠に生き続ける。

それが感謝と共に、多くの人々の心の中に生き続けるのなら、

それは、「滅びた」とは言わない。



だからこそ、「武士は名を惜しむ」のだな。

「名」とは言ってみれば霊です。己の霊の最終的な在り方を探すために、武士は「死に場所」を求め、「武士の名折れ」となることを恐れる。

「武士道とは死ぬこととみつけたり」とは「武士道は生きることとみつけたり」と同義であり、

「死に狂い」は「生き狂い」と同義であると。

なるほど。

「死なんとすればすなわち生き、生きんとすればすなわち死する」



もちろん、人はこの現実世界において、なにがなんでも「生きる」努力をすべきです。安易な道を選んでは絶対にいけない。

ただ極限の状況に置かれたときに、どのような行動をとるのか。

死生一如の覚悟を持って、人は暮らすべきなのでしょう。



なーんてね、カッコイイ事言っちゃってますけど、自分はどうなのよ?と問われたら、

いやあ、お恥ずかしい限りで、としか言えません。








映画のラスト、平和を取り戻した村では田植えが行われている。男達は太鼓を叩き、歌い、囃し、女達が苗を植えて行く。

それを横目で見ながら、呟く勘兵衛。

勘兵衛「また、負けいくさだったな」

七郎次「はっ?」

勘兵衛「勝ったのは儂達ではない、あの百姓達だ」

生き残った侍は三人。四人の侍が命を落とした。

仕事が終わった以上、侍は立ち去るだけ。長居は双方にとってロクなことにはなるまい。

所詮、侍と百姓は交じり合うことはないのだ。

もちろん百姓たちは感謝している。感謝しているけれども、用のなくなった侍は邪魔なのです。この辺りのドライな描写が、現実の厳しさを良く表していますね。

邪魔者は去るだけ。生き残った侍たちは、死するべき場所を求めて彷徨し続けるのです。

囃し歌に送られて、静かに村を去る三人の侍。彼らの名は、丘の上に葬られた四人とともに、長く百姓たちの心に生き続けるでしょう。

真の侍として。






『七人の侍』
制作 本木荘次郎
脚本 黒澤明
   橋本忍
   小国英雄
音楽 早坂文雄
撮影 中井朝一
監督 黒澤明

出演

勘兵衛 志村喬
菊千代 三船敏郎
七郎次 加東大介
五郎兵衛 稲葉義男
久蔵 宮口精二
平八 千秋実
勝四郎 木村功

高堂国典
藤原鎌足
左卜全
土屋嘉男
津島恵子

多々良純
堺左千夫

東野英治郎
山形勲

昭和29年 東宝映画