風の向くまま薫るまま

その日その時、感じたままに。

縄文武士道 その1 承前

2014-06-13 17:22:18 | 歴史・民俗


「エビ反り」と言えば?

ももクロの【茶畑のシンデレラ】【エクボは恋の落とし穴】百田夏菜子さんですかね。

もちろんそれは正しいのですが、かなこぉ↑↑よりも以前から、エビ反りをトレードマークにしていた方がおられます。

【5万回斬られた男】俳優・福本清三さんです。


                     




所謂「斬られ役」一筋の俳優さんで、御年71歳。セリフはほとんどない、画面にもちょこっとしか写らない、いや、まったく写らないときもある。

それでも作品を盛り上げるために、ほんの数分、数秒の自分の出番に全力で取り掛かる。

その斬られ方が凄まじい。まさに「エビ反り背面落ち」とでも言うべき技で、斬られると身体を思いっきりのけぞらせて一瞬固まり、そのまま地面へ落下する、かなり危険な技。実際何度も怪我をされているようです。

映画「仁義なき戦い 広島死闘編」では、北大路欣也演ずるヤクザにマグナム銃で撃たれ、後方に跳んでそのまま床に落下するという、もはや伝説となったスゴ技を披露しています。

「自分は二枚目ではないし、演技もヘタやから、これしかでけしませんのや」と謙虚に語り、ただただ自分の出来ること、自分の役割を淡々とこなしてきた。

その姿勢が時代劇ファンの心を撃ち、いつの間にかファンが増えていった。そしてついには、ハリウッド映画「ラストサムライ」で、トム・クルーズの側に常についている「サイレント・サムライ」役での出演を果たします。

本人が知らない間に、注目される人になっていた。謙虚さと一生懸命さが人の心を捕えた、そんな人物の典型。


私は思います。こういう人こそ、ある意味本当の「サムライ」なのではないだろうかと。









一口に武士道といっても、時代によってそのかたちは微妙に変わります。

江戸時代の武士道は儒教的な道徳観念を盛り込んだ、多分に「人工的」なものです。それは江戸幕藩体制を維持するための、政治的イデオロギーとして利用するために、そのようなある種の操作が行われたのだ、とする説もあるようです。

幕末の会津藩があそこまで頑強に抵抗した理由の一つに、この「イデオロギー」に徹底的に従おうとした部分もあったのでしょう。もちろんそれだけではない、様々な複合的理由があったからこそですが、それにしても、初代藩主以来の強力な家訓が存在しなければ、あそこまでの悲劇には至らなかったかもしれない。

致し方ないことではありますが。


                      




理想的な武士の姿って、どんなものでしょうか?

もちろん剣の腕は立つ方が良い。でもそれだけでは単なる乱暴者と変わらない。やはり精神的な徳目がなければならないでしょう。

その徳目を突き詰めていけば、つまりは「人の良さ」に行きつくのではないでしょうか。

困っている人がいると助けずにはいられない。その結果だまされることもある。それでも人を怨まず、静かに、あるいは豪放磊落に笑っている。

時代劇のヒーローって、大体こんな感じでしょ?これが一般庶民の、理想的な武士のイメージなんです。




古い文献、物語などを漁っておりますと、そういう「理想の武士像」にある種の特色があることに気が付きます。

それは、中央の武士ではなく、地方もっと言えば「蝦夷」などの姿に、その理想像があるという事なのです。

古代の武家の棟梁と言えば源氏ですが、「陸奥話記」などに描かれた源氏の悪逆非道、傍若無人ぶりはとても武士の鑑とは言えず、むしろ対戦相手の安倍氏の方がよほど正々堂々としており、爽快、痛快に描かれていると言って良い。

さらに遡って、胆沢蝦夷の族長アテルイも、一族を守るために戦い、もはやこれまでと知るや、やはり一族の命を守るため決然として政府軍に投降し、京へ護送されて処刑されます。征夷大将軍・坂上田村麻呂はアテルイの助命を求めますが、公家達によって却下されてしまう。この辺りのアテルイや田村麻呂の姿に、爽やかな武士の姿を見るのは、私だけではないはず。

大人気の楠正成公にしても、中央から離れたところで武士の鑑的な姿勢を貫いている。

ずっと下って明治の始め、西郷隆盛はやはり中央から離れた故郷薩摩の地で、己の武士道を貫くために立ち上がった。

これらの人々の中に私は「縄文」を見るのです。





この話、もう少し続きそうです。

ではまた、次回。







「縄文」武士達はきっと、普段はこんな素敵な笑顔をしていたに違いない。