「うずしおベリー」
いちごへのこだわり ~うずしおベリー~
「うずしおベリー」とは?
天然の海藻エキスと鳴門の海で獲れた牡蠣殻を独自の配合でブレンドし、
その他カツオのエキスや有機酸カルシウム肥料などを葉面散布し、とことんこだわり抜いた
甘味と酸味と旨味のバランスが絶妙な「フルーツガーデンやまがた」のオリジナルブランド苺です。
これまた「品種」ではなく、「登録商標」です。
「フルーツガーデンやまがた」
http://fg-yamagata.jp/kodawari/ より
「うずしおベリー」
いちごへのこだわり ~うずしおベリー~
「うずしおベリー」とは?
天然の海藻エキスと鳴門の海で獲れた牡蠣殻を独自の配合でブレンドし、
その他カツオのエキスや有機酸カルシウム肥料などを葉面散布し、とことんこだわり抜いた
甘味と酸味と旨味のバランスが絶妙な「フルーツガーデンやまがた」のオリジナルブランド苺です。
これまた「品種」ではなく、「登録商標」です。
「フルーツガーデンやまがた」
http://fg-yamagata.jp/kodawari/ より
「花まつり」
4月8日は、お釈迦様の誕生日。
そのため全国各地で「灌仏会-かんぶつえ」が行われる。
別名、「花まつり」「花祭り」「花祭」。
甘茶(あまちゃ)のお接待、たくさんのお子さんたちと稚児行列などが行われることもある。
仏教系の行事ですが、宗派関係なく行われていますので、一度行かれてみてはいかがですか?
「あがた森魚」
1948年9月12日生まれの72歳
あがた森魚が引退を発表、渋谷CLUB QUATTROで100人限定ワンマンライブ開催 2020/10/23 18:00
あがた森魚が引退を発表。11月18日にワンマンライブ『Go To 浦島 2020』を東京・渋谷CLUB QUATTROで開催する。
1972年に“赤色エレジー”でデビューした、1948年生まれのあがた森魚。『Go To 浦島 2020』は「2020年であがた森魚名義でのアルバムリリースは最後とする」と発表したあがた森魚の100人限定ワンマンライブとなる。お土産付チケットを1万円で販売するほか、有料生配信も実施。チケットの販売は10月25日10:00からスタートする。
現在「あがた森魚 2010年代シリーズ」のラストを飾るアルバムを制作中とのこと。
*https://www.cinra.net/news/20201023-agatamorio より
と「引退宣言」されたのだが・・・
80歳まで歌い続けたい 歌手/あがた森魚さん 定年時代 埼玉版 平成23年2月号
全国を音楽活動で旅してきて、「日本の風土の素晴らしさに愛着がある」と言うあがたさん 戦後の高度経済成長が終えんを迎えようとする1972(昭和47)年、昭和初期のムード漂う歌がヒットした。「赤色エレジー」である。当時約50万枚を売り上げた、この曲を歌ったのがあがた森魚(もりお)さん(62)。以来、39年間でアルバムを30枚以上発表するなど歌手として精力的に活動している。しかし、還暦を過ぎた今も本人は「まだ、自分らしい作品ができていない」と模索中だ。「80歳まで歌い続けたい」と意欲を見せる、この“あがた森魚的生き方”のエネルギーはどこから生まれるのか。
♪キューポラのある街
あがたさんは7年前から、東京と荒川を挟んで位置する川口に住んでいる。「以前から住んでみたかった。海はないけれど荒川に面し、かつて町から町を流れ歩いた鋳物師(いもじ)を受け入れてきた土地。港町で育った自分の性分に合うと感じる」とあがたさんは話す。それは、今やあがたさんのライフワークとも言えるタンゴ発祥の港町、ボカ(アルゼンチン・ブエノスアイレス)とも通じるものがあるとも考えている。
その昔、川口には吉永小百合主演の映画「キューポラのある街」で描かれたように多くの鋳物(いもの)工場があった。キューポラとは鋳物を溶かす溶銑炉のことだが、今ではその工場跡地に超高層マンションが林立、かつての面影はもうない。しかし、人情など随所に“昭和の残光”が感じられ非常に住みやすい町だという。
そのあがたさんが今年2〜3月にかけて発表予定の2枚のアルバムが「俺の知らない内田裕也は俺の知ってる宇宙の夕焼け」(販売元・ブリッジ)と「誰もがエリカを愛している」。
「還暦を過ぎて、原点の1つであるタンゴをやってみようと思い、昨年アルバム(『エリカ』)を作ってきた」とあがたさん。その前に作りかけていたアルバムが『内田裕也』」だった。
アルバム『内田裕也』は「ポップで軽快、そう快で痛快!」(音楽評論家・小倉エージ氏)な詩とサウンドで、川口をテーマにした曲が2曲(「キューポラ・ノワールの街」「いつか日曜日がきたら」)などが収録されている。
結局、『内田裕也』がA型(あがた)パンク、『エリカ』はA型タンゴと、あがたさんの音楽性を表す2つの作品として完成した。
タイトルにロック歌手・内田裕也とタレント・沢尻エリカの名前を付けるのもユニーク。これについて、「タンゴのアルバムではカレル・チャペックという作家のSF小説をタンゴでやってみたかった。ところが2曲目の途中で、♪沢尻エリカの〜という言葉が出てきた」とあがたさん。「やんちゃな気持ち」から「内田裕也も作ってみようかということになった」と話す。
この2人の名前になったのは、「この人達が希求しているある種のもの、が自分と同質のものにさえ思えてくる」(『内田裕也』に本人が書いたノート断片=原文)から。
あせりがエネルギーに
北海道・留萌(るもい)で生まれたあがたさんは「自分は明治維新以降に入植した人たちの末裔」と話す。父の転勤で小樽、函館、青森と港町を転々としながら育ったことで「自分がどこで育ったのか虚ろに感じている」とも。
小さい頃から、ピアノやバイオリン、ギターなどの楽器に親しんでいたあがたさんは、高校2年の時にボブ・ディランの「ライク・ア・ローリング・ストーン」を聞いてショックを受ける。そして、「俺の道はこれしかない」と歌手になることを決意したという。
♪タンゴが原点
高校(函館ラ・サール)卒業後、大学(明治大学=中退)に通うために上京、ミュージシャンと交流を持つ中で自然と人前で歌うようになっていった。そして、24歳の時に「赤色エレジー」が大ヒット。しかし、特徴ある歌だったがゆえにその後、壁となっていく。「『赤色エレジー』をどう乗り越えるか」ということが意識の中に付きまとってきた」とあがたさんは言う。壁を意識しながらポップスを歌う中で、「ふと気づいたら自分の生理感覚の原点の1つにタンゴがあった」と気付く。「みんな熱帯の音楽と思うけれど、タンゴは“北国の音楽”。重くて暗い。僕も北海道で生まれたから」とあがたさん。同じく港町で生まれ、育ったという共通性もあってタンゴの持つエキゾチズム(異国情緒)に魅かれたと言う。
♪転がる石のごとく
現在は、俳優として映画「海炭市叙景」などの映画出演やテレビにも活躍の場を広げるあがたさん。だが、あくまで「自分の肩書は歌手」と言い切る。1昨年60歳の時に北海道から沖縄まで全国67カ所をキャンピングカー1台で回った全国縦断ツアーを敢行。その模様は昨年秋、映画「あがた森魚ややデラックス」として全国上映された。
そんなあがたさんは過去ではなく、「現在の自分」を歌に表現することを重視している。しかし、「まだ、“自分”を表現しきれていない」と感じているあがたさんは、常に「あせりと渇望」を抱えており、それが制作意欲を湧き立たせるエネルギーになっているようだ。
「70歳までに自分のスタイルを確立して80歳まで歌い続けたい」とあがたさん。「車いすに乗ったり、つえを突いて歌っているかもしれない。そうなった時に自分の歌がどんな境地にたどり着くのか見てみたい」と言う。常に前へ、と進みながら自分の音楽を追求していくあがたさんの姿は、「ライク・ア・ローリング・ストーン」ではないが、前進し続けているように見える。
*http://www.teinenjidai.com/saitama/h23/02/index.html より
と上記のように平成23年に語っている。
引退宣言したとはいえ、まだまだ歌われるのでは?と思っている。
【平成30酒造年度全国新酒鑑評会 金賞銘柄一覧(関東信越国税局)】
〈長野〉 髙波/丸永酒造場
酒造りに感謝を込めて
家族総出で酒を醸す。小規模な蔵だからこそ できることを大切にただひたすら「今、飲みたい酒を造ること」 を、めざして参りました。
日本酒は生き物だから、自然の営みや造り手の思いと呼応するようでそこがまた愛しくて、毎年心を込め造りに臨みます。
旨い酒ができると嬉しくて たくさんの方に飲んで欲しくなります。
150年近くもこうして、松尾神と 「榛の木」に守られたこの場所で今年も 「高波」の酒を醸せることに、感謝しています。 蔵元・永原 元春
合資会社 丸永酒造場 長野県塩尻市大字広丘高出840番地
ラインナップ
「高波」大吟醸原酒・大吟醸・純米大吟醸・純米吟醸・純米酒 など
登録番号 第104号 河北せり
特定農林水産物等の区分 第1類 農産物類 野菜類(せり)
特定農林水産物等の生産地 平成17年3月31日における行政区画名としての宮城県桃生郡河北町(現宮城県石巻市相野谷、中島、皿貝、馬鞍及び小船越)
登録生産者団体 河北せり振興協議会
特定農林水産物等の特性 「河北せり」は、可食部の茎葉長が他産地の一般的なせりと比べて長く、鮮度保持に優れたせりである。茎葉長50cm以上も少なくない。
地元石巻では古くから漬物やお浸しで根に近い茎部の食感が好まれてきたため、可食部である茎葉長の長さと太さが市場関係者から評価されてきた。また、丁寧な調製作業や、鮮度保持された優れた外観の茎葉が評価されている。
「河北せり」の中でも栽培期間が長い上に収穫期間が短く、鮮度保持が難しい春のせりの生産量は全国でも少なく、石巻市場における春せりの取扱いは「河北せり」のみで、貴重な地元産品となっている。
地域との結び付き 北上山地周辺に広がっている生産地は、北上山地由来の豊富な伏流水に恵まれ、栽培期間中に大量の水を必要とするせり栽培に適した自然環境である。せり専用田の深い水深を十分に満たす伏流水が長期間容易に確保できる生産地でせりを栽培することにより、可食部である茎葉長が長いという特性が生まれる。また、収穫後速やかに出荷調製作業を行い、大量の伏流水で丁寧に洗浄して鮮度管理を徹底している。
*https://www.maff.go.jp/j/shokusan/gi_act/register/i104.html より
「河北せり」宮城県青果物初のGI登録/新たな決意を胸にこれからも 2020.12.25
石巻市河北地区の伝統野菜「河北せり」が12月23日、農林水産省の定める、地域の農林水産物や食品の名称を保護する地理的表示(GI)保護制度に追加されました。宮城県内の青果物としては初の登録となります。
2018年7月に「河北せり」のブランド化を目指し、JAいしのまきセリ部会と石巻市河北せり出荷組合、皿貝農産組合の3組織が「河北せり振興協議会」を設立、同年10月にGI申請の手続きを行いました。昭和35年頃に栽培体系を統一、昭和57年に出荷規格の見直しを図り伝統ある野菜の継承に取り組んできました。現在23人の生産者が約8.4㌶で栽培しています。
同協議会の高橋正夫会長は「ここがゴールではなく新しいスタート地点。これからも『河北せり』を守り、継承していくために生産者が一丸となって栽培に取り組んでいく」と新たな決意を語りました。
地下水が豊富に湧く河北地区では約300年前の江戸時代にセリの栽培が始まりました。県内第2位の生産量を誇り、10~2月に根ごと収穫する「根せり」と、4~5月に茎葉を刈り取る「葉せり」の2種類を出荷しています。セリ田の水深を十分に満たす地下水が確保できる環境から、他産地より茎葉が長く、縦箱出荷で鮮度保持に優れているなどの特徴があります。
GIに登録されると専用のマークを付けることができ、知的財産としてブランドの保護につながります。今回の登録で、GIは計105品目、県内では3品目となりました。
*https://www.ja-ishinomaki.or.jp/wp/?p=6483 より
前回の回答
次の漢字(熟語)の読みを答えてください。
問1 茫洋 -芒洋-ぼうよう-広々として限りのないさま。広くて見当のつかないさま。
問2 霖雨 -りんう-何日も降りつづく雨。ながあめ。
問3 彎月 -湾月-わんげつ-
1 弓形をしている月。弓張り月。弦月 (げんげつ) 。
2 陣立ての名。弦月の形に隊を組んだもの。
問4 軼事 -逸事-いつじ-世間に知られていない隠れた事柄。
問5 枳棘 -ききょく-からたちといばら。心にとげのある人や、居心地の非常に悪い場所などをたとえていう。
今回の出題
次の漢字(熟語)の読みを答えてください。
問1 眷顧
問2 僭称
問3 艟艨
問4 曩昔
問5 泛論
*漢字検定Web問題集 HP より
*goo辞書 より
「加賀友禅」
Description / 特徴・産地
加賀友禅とは?
加賀友禅(かがゆうぜん)は、石川県金沢市周辺で作られている着物です。加賀友禅は、その技法の創始者である宮崎友禅斎の名前からとられました。京都で友禅染を始め、金沢で晩年を過ごした宮崎友禅斉の指導のもと、栄華を誇った加賀藩に支えられて発展しました。
加賀友禅の特徴は、「加賀五彩」といわれる藍、黄土、草、古代紫、臙脂(えんじ)を基調としていることです。また、外側から内側に向かう独特の「ぼかし」や、あえて、病葉(わくらば)を描く「虫喰い」などの表現を施すことで、写実的で繊細な模様を引き立てている点にあります。さらに、筒から絞り出した糊で絵模様を描く「糸目糊(いとめのり)」も特徴的で、水で糊を洗い流した後には細い白線が残り、その線の美しさが装飾の効果をより高めています。
京友禅の淡青単彩調や金箔・刺繍がほどこされた図案に対し、加賀友禅は、紅系統を生かした深い古典色の写実的な草花模様の絵画調を中心としており、金沢の自然の美しさが感じられます。百万石の武家文化の中で育ってきた歴史から、落ち着いた武家風の趣を現代に伝えています。
History / 歴史
加賀友禅 - 歴史
もともと加賀は絹や麻の産地であり、友禅染めの水洗いに適した川や用水に恵まれた地域でした。
加賀友禅は15世紀の中頃に存在していた「梅染」が始まりと言われています。また、加賀には古くから「兼房染(けんぼうぞめ)」「色絵」「色絵紋」など多くの染色技法が伝えられており、江戸時代には「加賀のお国染め技法」として確立されました。江戸時代中期に登場した京都の宮崎友禅斉が、これらの技法を基に、加賀友禅の技法を確立・発展させたと言われています。
加賀友禅は、江戸時代に加賀藩による庇護や奨励のもとで育まれ、数々の技法が専業化されました。近代に引き継がれた後、戦前戦後の奢侈(しゃし)禁止令などによって打撃を受けた時期を乗り越え、宮崎友禅斎生誕300年祭の頃を契機に再び栄えていきます。
その後も、さらなる技術の進歩や協同組合加賀友禅染色団地の設立が続き、1975年(昭和50年)には国の伝統的産業工芸品に指定されました。
手描き加賀友禅の工程では、合理化できる部分もあえて手仕事にこだわっています。現代も多くの作家や職人が創作活動を行っており、根気のいる手作業と熟練の技によって伝統技法が伝えられています。
*https://kogeijapan.com/locale/ja_JP/kagayuzen/ より
*https://kougeihin.jp/craft/0203/ より
歴史と特徴
加賀友禅の歴史は、今からおよそ500年前、加賀の国独特の染め技法であった無地染の「梅染」にさかのぼります。そして模様が施されるようになったのは17世紀中頃。いわゆる加賀御国染と呼ばれる兼房染や色絵・色絵紋の繊細な技法が確立されたことから、加賀友禅は現在の道を歩み始めました。正徳2年(1712)京都の町で人気の扇絵師であった「宮崎友禅斎」が金沢の御用紺屋棟取の「太郎田屋」に身を寄せ、斬新なデザインの模様染を次々と創案。その傑出した能力で友禅糊の技術を定着させるなど、加賀友禅の発展に大きく寄与しました。その後、加賀百万石の武家文化のなかで培われ、多くの名工を輩出しました。五彩と言われる臙脂・藍・黄土・草・古代紫を基調とし、着物に美しい自然の息吹きを封じこめる加賀友禅。落ち着きのある写実的な草花模様を中心とした絵画調の柄が特徴で、線にも手描きの美しさが感じ取られます。外を濃く中心を淡く染める「外ぼかし」や「虫喰い」の技法も使われます。仕上げに金箔や絞り、刺繍など染色以外の技法をほとんど用いないことも京友禅とは異なる特徴の一つです。加賀友禅には繊細な日本の心と、染めの心が絶えることなく脈々と息づいています。
加賀五彩
加賀五彩とは、藍、臙脂、黄土、草、古代紫の5色で、加賀友禅の基調になっているといわれます。
現代の加賀友禅作家は、加賀五彩に基づきながらも時代の好みや作家自身の個性を反映させて全体の配色を決めています。