第三回の例会では、認定NPO法人 日本紛争予防センター(JCCP)理事長 瀬谷ルミ子氏をお招きし、「紛争解決・平和構築への信念」と題してご講演を頂きました。
瀬谷氏の専門は紛争後の復興、平和構築、治安改善(SSR)、兵士の武装解除・動員解除・社会再統合(DDR)など。
2011年、Newsweek日本版「世界が尊敬する日本人25人」、「日経ウーマン・オブ・ザ・イヤー2012」に選ばれており、2014年11月3日(月)に開催された大来佐武郎先生 生誕100年 記念レセプションでもご登壇されています。
著書に「職業は武装解除」があります。
この職業に入ったきっかけ、それは、高校3年生の頃に見たルワンダ難民キャンプの一枚の写真。コレラで身体を横たえる母親にすがりつく幼児が、絶望とともに写しだされていた。
その頃の瀬谷氏は、群馬生まれの群馬育ち、海外渡航の経験もなく、英語は得意だったけれども帰国子女でもない自分の将来に、ぼんやりとした不安や脅迫観念が交互に差し迫ってきた時期であったとのこと。
この幼児に比べれば、平和な国に生まれたということだけで、自分には自分次第で生きていくための限りない選択肢を摑み取れる可能性があるはず、そしてニーズはあれどもやり手がいない分野、紛争解決を専門にしたいと思うようになった。
しかし残念ながら、当時の日本にはそれを専門的学業として教える学校は無かった。
そこでイギリスに渡り英ブラッドフォード大学で紛争解決学を学び、その後国連PKO、外務省、NGOの職員として、ルワンダ、アフガニスタン、シエラレオネ、コートジボワール等で経験を重ねることとなる。
武装解除の現場では、昨日まで兵士として闘争していた人間、その人自身が一人間に戻り、個人、家族、地域社会が自立した生活を営めるように元に戻すために、様々な活動が行われている。
紛争後の平和構築のステップは以下のとおりである。
1.治安改善:安全に暮らせるようにするための警察の教育
2.衣食住の確保:最低限の生活が出来るようにすること
3.自立促進:支援・援助がなくなっても自分たちで活動できるようになること
4.信頼構築:和解・共存できる精神を保持すること
ここで、最低限の和解とは、昨日まで憎しみあっていた人を愛せと強要することではなく、殺し合うことなく話し合いで解決できるレベルに持っていくことを言っている。
戦争で荒れ果てた地域での補助物資の最適配分、しかもその地域で生活する人々が自立した将来を描けるように、すべてを援助しないこと、話し合うこと、その中から解決策を見出し、、
民族や敵味方に係わりなく、参加できる活動を創造すること、そしてリーダーを育成すること。
このような活動の場で役割を果たせる日本人が少ないことにも気がつき始めた。
そして日本に戻り、そういう活動ができる日本人を育てることを目標に現NPO法人を立ち上げ活動している。また支援の先には経済援助が必須となるので、企業活動を誘致するための株式会社も設立し活動を開始している。
ここでも「ニーズがあるが誰もやらない分野」にフォーカスし、既に日本からの支援活動が活発に行われているアジアよりも、アフリカ、中東をメインに活動を行っている。
瀬谷氏の一環した「やりがい」は、「自分たちの直接的な活動がその地域に必要とされなくなったことを感じたとき」であるとの言葉が印象的でした。