1959年6月30日、石川の宮森小学校へ米軍機F100の戦闘機が墜落炎上し、児童を含む18人が犠牲・210人が重軽傷を負った。地獄図のような大惨事であった。
あれから60年・・・・宮森小学校では二度と繰り返してはならないと慰霊祭が行われた。大切な子どもを失った深い悲しみや後遺症の苦しみが癒えることはない。今も日々毎日、沖縄の空を我が物顔に米軍機が飛行していおり、癒えるはずがない!
F100戦闘機は欠陥機と指摘されていて、しかも墜落したジェット機は整備不良だったそうだ。「整備不良」だったという事故原因は、事故後40年たって明らかになったという。
今も学校や保育園の上空を米軍機が飛行訓練をし、部品落下や墜落があっても、原因究明もせず、飛行再開を繰り返している。宮森小学校のような大惨事がいつおきてもおかしくない。米軍機は、自由自在に住宅や学校の上を飛び回っており、危険と隣り合わせを強いられている。
宮森小学校の地獄を繰り返してはならない!
米軍機は学校や住宅、病院の上を飛行するな!
(官邸前のスタンディングの仲間から写真が送られてきた。)
(宮森小学校へのジェット機墜落事故の同じ年の1959年の同じ6月の19日に、那覇沖への核弾頭の誤射があった。それも、最近、NHKの場番組ではじめて知った。もし、爆発していたら・・・)
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