okinatchiの四次元徘徊記

 毎日の出来事を書き綴ります。

3月10日

2012-03-10 19:18:03 | 日記

  3月10日
  雨、雪、雨、曇り。 午前6時の外部気温は2℃であった。朝、To子さんから雪が降っている、と言われて吃驚した。午前中からTV画面を観ながらグウタラに過ごした。次いでお昼からは 吉原炎上 というTV番組をみた。

 昭和33年に売春禁止法が施行されて吉原、その他の遊郭が日本から姿を消したが、私はオキュパイドジャパン時代やその後の時期の安月給国家公務員での食うだけの極貧生活を強いられていて、必然的に品行方正な青春時代を過ごしたのだが、あの頃に安月給でなかったら、などと ふと思ったのだった。

 午後、To子さんが風呂屋に出掛けていってから、推理ドラマのTV番組の映像を眺めながらグウタラに横になっていた。ドラマの中に宮沢賢治の 風の叉三郎  の話が出て来た時に、私が尋常小学校5年生の昭和15年秋に、雨天体操場で全校生徒が 風の叉三郎 の映画を鑑賞したことを思い出した。

 1200名の全校生徒が雨天体操場の板敷きの床に正座して風の叉三郎の映画鑑賞をしたのだが、映画鑑賞を行なうための準備として、映画鑑賞の会場となった広い雨天体操場のガラス戸の全部に遮光幕を張る作業は さぞ大変だったのだろうな~、と70年前のことを考えていた。

 風呂屋から戻ってきたTo子さんに尋常小学校で風の叉三郎の映画鑑賞をしたかどうかを尋ねたら、私が通学していた尋常小学校とは別の尋常小学校に通学していたTo子さんも、私と同じ頃に映画鑑賞を行なったことがあるとのことだった。

 昭和20年3月10日は米空軍による悪逆非道な東京大空襲が行なわれた日なのであるが、米国に遠慮してか日本ではこの日に行なわれた米空軍による大空襲の残虐さを報じることを控えめにしているようだが、3月10日の東京大空襲のことは後世の歴史書に米空軍による残虐行為として大書されるであろうと思う。

 火の海に 囲まれ死んだ 大勢の  人達偲ぶ 弥生の十日  徘(徊)人   okinatchi