だらだら日記goo編

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シンジラレナーイ

2007-02-11 22:06:29 | アート・文化

いつものように自転車を図書館の前で止める。

ちょっと中に入って美術関係のチラシをチェック、近代美術館工芸館のチラシなどをもらう。

ふと目がとまる、チケットがある、大丸の「華麗なるハリウッド映画衣装展」のチケットだ。

どうせ優待券だろうと思ってよくよく見るとこれが招待券!

大丸はあるいは主催の毎日新聞はいつから展覧会の招待券を公立図書館に置くような気前のいい会社になったのか!

当然いただいてホクホク顔で電車に乗る。向かった先は松下電工汐留ミュージアム、「ジャポニズムのテーブルウェアー西洋の食卓を飾った日本」の展覧会。

いつもは入館料五百円のこの美術館が今回は七百円と力を入れている、主催は産経。

ごく一般の家庭の食卓を飾ったジャポニズムというきわめて興味深い展覧会なのだが、新橋の都心の美術館だというのにお客さんがまったくいないのだ!

僕一人を監視している監視員が三人という状態、じろじろ見られているようで居心地の悪いことこの上ない!いろいろなメーカーの食器やら何やらが並ぶが、一番関心を持ったのは紅茶の導入ということだ。

中国からお茶が伝えられて、紅茶の習慣ができた、いわゆるティータイムだ。

コーヒーなら器のそこが見える必要はない。しかし「透き通る赤が魅力の紅茶は白い磁器の素地によっていっそう輝いて見える。また東洋の喫茶の文化が生み出した美しい食器のそろいは、食卓を美しく見せた」、カタログ16ページより。

かくして古伊万里の写しだの柿右衛門の写しだのが流行するようになる。

そこに「北斎漫画」やら、ウィーン万博での団扇の大人気などが手伝ってヨーロッパの庶民にも日本趣味が生み出されたのだという。

そのほかティファニーやらラリックまでいたるこの展覧会はまことに魅惑的だがなぜお客さんがいないのか?

ちなみにこの美術館もアンケートに答えるとルオーの絵葉書二枚くれます。

以上図書館と美術館でのシンジラレナーイ二件でした。


西洋芸術が憧れであったころ

2007-02-10 21:58:25 | アート・文化

ロダンが日本にやってきた、柳が横浜で作品を受取った!

「皆有頂天になりました」と日記に記されている。

きたのはロダンの作品「ある小さき影」「巴里ゴロツキの首」「ロダン夫人の胸像」の三点だ、ロダンの作品を待ち望んでいたのは白樺派の面々だ。

ロダン生誕七十年を記念して「白樺」は「ロダン号」を発行して、明治45年には赤坂で展覧会を開催している。

展覧会の入場者は一日二百人、最終日は六百人というから多いか少ないかはよくわからない。

その白樺派とロダンの接点を振り返る展覧会を調布市武者小路実篤記念館に観に行く。

遠いかと思ったら小田急成城学園からバスが頻発しているという、朝早くからゴー。

行くとすぐに富士美術館所蔵のロダン「接吻」がお出迎え。

これは風俗壊乱の恐れありとして展示できなかったというが今とはなんと言う違い!

安達峰一郎の存在も忘れてはならない。

外交官として展覧会開催へ腐心し、自らロダンの「女のトルソ」を所蔵していたという。

ロダン生前中に日本にあったロダンの作品は白樺の三点と安達のものだけだったという。

展覧会開催を機に、白樺美術館の構想が出る。

寄付を募ってセザンヌ「風景」を四万フランで購入したというが今で言えばどれだけのお金なのか。

白樺は明治43年に創刊され関東大震災で終結するまで160冊を刊行した。

逆さに読むと「バカラシ」と揶揄されたようだが、西洋美術の導入に大きな貢献をしたことは間違えない。

現在は大原美術館所蔵の白樺派がもたらしたロダン作品三点と、代わりにロダンに贈った日本の浮世絵、そのほかもろもろの資料が広くはない展示室にめいっぱい置かれ当時の興奮を伝えてくれる。

資料室では東京に巡回しないロダンの展覧会のカタログ見放題だし、休憩室ではお茶を飲みつつビデオも観ることができる、当然お客さんは少ないが僕は二時間滞在した。

オルセーやポンピドーの展覧会が盛況なのを眺めつつ、西洋芸術に出会ったばかりの人々の興奮と感慨を考えていた。


自然に任せたその力

2007-02-06 22:05:34 | アート・文化

どうも人間あれこれ小細工をしようとすると失敗する、自然に任せるのが一番いい。

見慣れない用語が多く出てきてだいぶ戸惑っていたがふと懐かしい言葉に出会った、「自然法爾」、そういえばこの陶芸家も浄土宗の住職である。

宗教的なこの言葉の意味とはちょっと違うが人工から自然への転換がこの人にとって決定的だったのだろう。

陶芸家の名前は松井康成、その回顧展が全国巡回中だがその最後の開催地に日本橋三越が選ばれた、とってつけたように会期は2/6-11の六日間だけ。

しかしなかなか興味深い展覧会ではある。

この人は工芸の「練上げ」の人間国宝だというが、練上げを説明すると面倒なので勝手に調べてください、中国は磁州窯の伝統を受け継ぐものだ。

初期のこの人は「化石の森」とか「シルクロード」とか発表しているがどうも人をうならせる力はない、やはり1985に「破調」と呼ぶ練上げで自然に戻ってからがいい。

1989にはニュージーランドのカオリンを用いて作品を発表するようになるがこのころはだいぶ落ち着いた境地が見られる。

そして晩年は「ハリ光」と名づけられた作品を発表するが「ハリ光」とは仏教の七つの宝物のひとつという、僕らはここで美と宗教の幸福なる融合をみることができる。

たとえば展示195,198のピンクの色合いはどうだ!あるいは展示200のアジサイの紫はどうだ!

しかしこの陶芸家が最も表現したかったのは、あるいは到達した境地は環であろう。

展示206の「涅槃」が小さな円の集まりであること、そしてそのすぐそばの展示も円の集まりであることがそれを示している。

そのほか1991から手がけた「クレイ画」というのもあれこれ展示される。

招待券で久しぶりにいい展覧会を観た、この人が急性呼吸不全で75歳で亡くなったことが惜しまれる。


よき出会いを

2007-02-04 21:45:31 | アート・文化

今日は、庭園美術館に行くつもりが、ちょっと時間が足りなくて行っている暇がなくなったのでお手軽に渋谷のブンカムラの「ティアラ」の展覧会へ。

Juneさんから招待券をもらっているので丹精にレポートすべきかもしれないが、若い女性ならともかく僕なんかにとっては豚に真珠、猫に小判だ、きらきら美しく輝いているのはわかるがまあそれ以上ではない。いろいろな物語を秘めているのだろうがー。

ラリックなんかも展示されるが全体のきらきらの中では地味だ。

むしろ僕は日本へのジュエリーの導入、明治憲法発布に合わせて司法官の床次正精という人の描いた「憲法発布式図」で宝冠をまとった女性たち、昭憲皇太后が1889年にかぶられたダイヤモンド六十個、星九個、星の部分は取り外し可能というジュエリーに関心を持った。

ビデオで日本の皇族のジュエリーをつけた姿をいろいろ眺めつつ、雅子様はどうしているかなどとあらずもがなのことを考えてしまった。

女性にとって宝石との出会いは一期一会、会場では若い女性が「きれいー」とかいろいろ声をあげていた。

ブンカムラの次の展覧会は「モディリアーニと妻ジャンヌの物語」、後追い自殺をしたというこの女性にとって貧窮の中で生きた画家はどんな存在だったのだろうか。

最後になりますが、あべまつさんのブログとはろるどさんのブログをリンクに追加させていただきました。


まともな美術展に行きたい

2007-02-02 21:40:48 | アート・文化

心底だめなミュージアムであると思った。

下に書いた「みんなのドラえもん」の展覧会、金をかけていないことがわかるお粗末極まりないつくりでアニメ上映コーナーにはぶつぶつつぶやくアニメオタクらしき人しかいなくて嫌気がさして早々に出てきた。

常設展示で楽しもうとするが、ここ川崎市民ミュージアムは何を考えているのかアメリカンフットボールについて展覧している。

スポーツミュージアムにそういうことは任せて置けばよい!

それなら三階のビデオと図書コーナーで楽しもうと思ったが、閉鎖したという。

もうここのミュージアムはだめだ、何をしても再生は不可能だろう。

レストランも入っているが人が来ないから近いうち閉鎖するのは目に見えている。

招待券をくださったインターネットミュージアムさんには悪いが交通費と時間の無駄だ。

そういえばここのところまともな美術展に行っていない。

水曜はyumiさんと国立博物館のマオリ族の展覧会に行ったが、天下の国立博物館がマオリ族でもなかろう、こんなものはたばこと塩の博物館に任せて置けばよい。

明日あさっては「ぐるっとパス」を使って庭園美術館のアルフレッド・ウォリスを観にいく予定だが、70歳にして突如絵筆をにぎった人だ、まあまともではなかろう。

何か心から感動する美術展に行きたいが招待券とかただにこだわるからいけないのだろうか。

やはり金を払わないとそれなりのものに出会えないものか。