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贅沢な駒場時代

2013-12-10 22:26:04 | インポート
今思えば、東大でも教養課程の駒場時代は何とも贅沢だった。
僕らのころは、ベルリンの壁が崩壊する前で、文化3類のうち、ドイツ語履修者は100名、フランス語は200名、それぞれ3クラス、4クラスとなるから、ドイツ語のクラスは一クラス、30名あまり。
東大の伝統で、クラスには、シケタイというのが置かれる。試験対策委員のことで、クラスメートが授業に出なくても、試験で、不可を貰わないように、ノートをとり、過去問を分析する仕事だ。
まあ、出席をとり、自分でやらなくてはならない語学は仕方ないが、教養科目では効果を発揮する。
さらに駒場では一年生から取れるゼミがある。
専門課程のゼミとは違って、必修ではなく、採りたい人だけがとる。
勿論単位に加算される。
僕はワーグナーで著名な高辻和義先生のゼミをとった。
何を考えたのか、先生は、日本の小説をドイツ語で読む、なるゼミを開かれた。
つまり、日本語が、どうドイツ語に訳されるか見てみようという主旨のゼミだが、履修者は二人しかいなかった。
高辻先生の講義を二人で、独占する!
今思えば、凄いことだ。
英語の授業では、小田島さん、シェイクスピアを全訳された小田島さんにも習った。
欲望という名の電車、をよんだ。
小田島さんは、一度当たれば、つまり、一度本文を読んで訳す作業をすれば、二度目は、パスしてもよいという面白いルールを披露されたが、授業は芝居とだじゃれの話ばかりだった。
しかし、僕らが、実に恵まれた環境にいると自覚していたとは言い難い。
受験競争から解放された解放感に浸り、授業はそっちのけ、アルバイトとサークルに精を出すというのが現実だった。
だから、図書館なんかも私語の場と化して、職員がアナウンスで、私語は喫茶店でやってくれ、等という始末。
また、東京及び地方の有名な高校で、なんとか委員とかで活躍した学生も多いため、そこに若さというパワーが加わってつい反体制的になる。
大学側のやることなすこと気に入らないわけだ。
そこで、ストをやる。当時は国鉄のストなんかも盛んだったからそれを真似たのか。
で、ストの日にちに授業をやると公言した、佐藤誠三郎教授ーご存じのように、中曽根内閣のブレーンだったーが授業をしに来ると、授業をさせじと、揉み合い、もう少しで警察沙汰になるところだったと、居合わせた仲間から聞いた。
当たり前だが、ストをするのは、学生の勝手で、授業をするのを止めることは出来ないはずだが、スト破りは許さない、等という立て看板が立つほど、血気盛んだったということだ。
今の駒場キャンバスは警備員も在中して、みなおとなしいようだが、そんな時代もあった。
それが本郷に進学すると、ガラッと変わってみな勉強に集中するようになるのも面白いことだった。