ホルモン屋徒然草~珍しホルブロだ

新米ホルモン屋の親爺の日々。ホルモンのこと、店の出来事、周辺の自然や話題。

爆睡 そして夢

2010-08-05 12:23:32 | 第1紀 生きる
(くだらぬ日記ですので、良い子は飛ばして読みましょう)

久しぶりに爆睡した。

「盛岡さんさ踊り」催事の片づけの後、店で生を4杯。

冷たいシャワーをたっぷり浴び、聴きたくないだろうけど、スッポンポンのポン、いわゆるフリチンでとどめのキリンクラシックラガーを瓶からジョッキに注ぎ、そのままバタン。

途中、膀胱が破裂しそうになり(どうもハナシが落ちすぎている)二度ほど起きたが、その間は記憶がほとんどない。

目が覚めたかと思いきや、それもまた夢という、現実に近い夢の重なりという嫌な場面もあり、どういうことかというと目覚めたら空気清浄機が90度左へ曲がっていたとか、時計が止まったままだったとか、たわいもないことだが現実に近いだけたちが悪い夢だ。

起きて仕事をしなきゃという強迫観念が、こういう夢を見させているとはわかっていても、なかなかこれが夢だとは気がつきにくい。

しかし、最後の夢はこれまでのパターンと違った少しセピア色のものだった。

大都会の中に、そこだけ取り残されたような低層階の呑み屋がポツンポツンとある一画に、一軒家のバーがある。

確かに知り合いがやっているのだが、古家の何部屋かをぶち抜いた何卓かの安テーブルは深夜だというのに満卓で、なぜか朝方近くになるほどワタシの知人たちもやってきた。

トリハイや安ワイン、つまみは紫煙と俗世のげびた話。

しかし、酔い人たちは脱力しながらも昔話には熱気がこもり、適度に酒と煙と会話が酌み交わされる。

そんな、無頼には好ましい空間で、ああこれが呑み屋なんだと夢の中で感心する有り様。

辺りに薄明かりがさすころに、ケーキ屋とおにぎり屋がのこりものを差し入れに来る。

馴染みの客たちは、ああ程よい酸味がするなと、アルコールの入った胃にはそれぐらいがちょうどいいのか、食べ尽くして店を去る。

バーのマダムはとうに馴染み客と抜け、店を任されたのかしらんワタシは最後の五人客に清算は一人三千円だというと、おじさん、高いとのたまう。

ばっきゃ、夜通し呑んで三千円は安かろうと、自分の懐に入るわけでも無いが諭すと、まあしゃあないと札を放る。

古びた一軒家のバーの前にはなぜか5坪ほどの畑があり、化け物キューリと色の悪いトマトがなっていて、裏庭にはポチが朝日を浴びて・・、寝ていた。

そんな光景に、本当に夢の中で感心して、どんな感心かというと、これがワタシの求める呑み屋とその客とその風景だという、なんて干からびた夢のようだが、何度も感心していたのだよ、実は。

夢から覚めたのは8時過ぎ。

こいつは忘れぬうちに書き残そうと、人さまの目に触れるのは恥ずかしいが書いてみた。

そんな夢で、そんな夢の中のワタシで、そんな感心のしかただったわけ。

・・じゃ。

七夕

2010-08-05 10:11:39 | 第1紀 をかしら屋
「盛岡さんさ踊り」は、雨の予報時間がかんかん照りで、見事に雨のない四日間を終わった。

少し最後に問題が発生したが、まあ天下のまわりもの、いつかいい日もあるさと、概ね商売的には順調だった我が「をかしら屋 催事部隊」。

昼下がりの濃密な時間に、応援に来た相方と、例年通り肴町の七夕見学。

幼少の頃は毎年、父母に連れられてくるのが楽しみだった。

もっとも楽しみの中心は当時、今の中三にあった川徳デパートの食堂でフルーツサンデーとラーメンを食べることだったのだが。

あの頃はサンビルも駅からの真ん中付近で、休憩場所としても楽しいところだったし、駅前の科学や物理の教科材料を販売している店を覗くのはとても嬉しく、顕微鏡を買ってもらった時は本当に喜んで、将来は自然科学者になろうと固く決心したのだったが・・・・。

まあ、豚の内臓を毎日解体しているわけだから、自然科学者と言えなくもない・・・・・わきゃないか。


で、七夕飾り。



肴町アーケード街の入口。



今回のワタシたち夫婦の一等賞は「北限の海女」。



中に入るとこんな具合に、海の中から見上げた海面となる。

肴町の七夕は、確か昨日、4日から8日までかな?

以外におもしろい町です。

盛岡の巣鴨みたいな街で、ワタシも老舗の洋服店で525円のアロハシャツを買ってもらい、喜んでいます。

じゃ、そんなこんなの毎日。

今日は暑いよ。

うちの母もそうだが、無理せず寝てすごしなさい。

あと10日もたてば、涼しくなるから。

ね!!