なかなか新刊がでないでやきもきしている。
エッセイなどはときどき発刊されるし、短編ものをときおり文学誌にのせてはいるのだが、単行本はなかなかでない。
その大好きな作家の伊集院静の新刊「少年譜」が2月に発刊になった。
やはり短編集である。
帯には、
誰と出会い
何を学ぶか。
少年時代は
黄金期である。
大人になるまでに通らねばならぬ
厳しい道程に優しく光をあてる
傑作少年小説集
17年前に発表された幻の短編2作収録
とある。
まあ、この帯がおよそ内容を語っているのだろう。
彼らしく人の有り様(ありよう)について優しく柔らかいスポットをあてて書かれている。
今日は題名の短編「少年譜」からの一文をあげたい。
主人公の少年は昭和三十三年四月一日未明、売春防止法施工の日に遊廓で棄てられたのを、山に住む老夫婦に引き取られ少年時代をすごす。
住職に学業を学ぶが、調査にやってきた高名な博士の道案内をきっかけに、育ての親の老夫婦の元を離れ、博士の養子となることとなる。
その旅立ちの時に、出生について知らされ、住職に「励め」と諭される。
「これからは一人で生きよ。一人で耐えて励め。それがおまえの父と母、わしの願いじゃ。おまえにはそれができる。それができることをこれまで教えてきた。」
研究で不在がちな養父:博士の母と年下の実子にいじめられながら、彼は住職の言葉を噛みしめ生きていく。
年月がたち、少年は国際的な権威のある賞を受けるほど高名な植物学の博士となる。
生まれ育った里に寄り、98歳の高齢で床に伏した住職を訪れた時、住職はその床から喉の奥から絞り出すような声で、彼に「なお・・・励め」と。
博士は涙しながらうなずき、わかりました、と返答した。
伊集院のこの短編集のこの一句がワタシの心に残った。
そして、この言葉だけが、たぶん一人、胸に刻まれ、少しの間、ワタシを叱ってくれるだろう。
エッセイなどはときどき発刊されるし、短編ものをときおり文学誌にのせてはいるのだが、単行本はなかなかでない。
その大好きな作家の伊集院静の新刊「少年譜」が2月に発刊になった。
やはり短編集である。
帯には、
誰と出会い
何を学ぶか。
少年時代は
黄金期である。
大人になるまでに通らねばならぬ
厳しい道程に優しく光をあてる
傑作少年小説集
17年前に発表された幻の短編2作収録
とある。
まあ、この帯がおよそ内容を語っているのだろう。
彼らしく人の有り様(ありよう)について優しく柔らかいスポットをあてて書かれている。
今日は題名の短編「少年譜」からの一文をあげたい。
主人公の少年は昭和三十三年四月一日未明、売春防止法施工の日に遊廓で棄てられたのを、山に住む老夫婦に引き取られ少年時代をすごす。
住職に学業を学ぶが、調査にやってきた高名な博士の道案内をきっかけに、育ての親の老夫婦の元を離れ、博士の養子となることとなる。
その旅立ちの時に、出生について知らされ、住職に「励め」と諭される。
「これからは一人で生きよ。一人で耐えて励め。それがおまえの父と母、わしの願いじゃ。おまえにはそれができる。それができることをこれまで教えてきた。」
研究で不在がちな養父:博士の母と年下の実子にいじめられながら、彼は住職の言葉を噛みしめ生きていく。
年月がたち、少年は国際的な権威のある賞を受けるほど高名な植物学の博士となる。
生まれ育った里に寄り、98歳の高齢で床に伏した住職を訪れた時、住職はその床から喉の奥から絞り出すような声で、彼に「なお・・・励め」と。
博士は涙しながらうなずき、わかりました、と返答した。
伊集院のこの短編集のこの一句がワタシの心に残った。
そして、この言葉だけが、たぶん一人、胸に刻まれ、少しの間、ワタシを叱ってくれるだろう。