Okanagan's Twilight Days

人生の黄昏を迎え、日々の出来事を徒然のままに綴っています(*^_^*)

Anne Murray☆我が永遠のアイドル☆ 2009年7月1日

2009-07-01 10:28:14 | 日記・エッセイ・コラム

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この処ヒョンなことからカナダづいている、正確に言えば6月16日投稿の小生のブログ“我が第二の故郷・バンクーバーで活躍する日本人ギター職人”のなかでも述べたが、10ch地球便請負人・ぐっさんの『グッと!地球便、海の向こうの大切な人へ~職人親子の感動の届け物!』と言う番組に偶然出遭ってから始まった、その時SNS“エディター”にカナダのカルガリー在住のsowakaさんと言う仲間がいたこともグッドタイミングで拍車をかけた、突然画面に映ったあの懐かしいバンクーバーの街並み、さらにカメラが移動してズームで捕らえて行く見慣れたGreat Vancouver の山並みが連なる光景!☆小生のカナダ移民5年間(1968年4月~1973年12月)の思い出が走馬灯のように蘇ってきた!!・・・

横浜移民センターにてカナダ移民三期生として研修を終え日本をあとにしてカナダに渡った、1968年4月26歳の小生はVancouverに定住し、Stanley Park の近くに、月家賃50ドルのHousekeeping Room (家具と台所セット完備の下宿部屋)を借りて一人暮らしを始めた、当時カナダ政府から月150ドルのAllowance (定額無償交付生活手当て、詰めれば30~40ドル貯金できたっけ)を受けながら無料でカナダ移民者のためにある英語学校6ヶ月コースに通っていた、間もなくして、あるTV 歌番組“Singlong Jubilee”に魅(ひ)かれ楽しみにして観るようになったのはそんなに長く経ってない頃だった(^^ゞ・・・

そしてその番組のアルトの一員であるアン・マレー(Anne Murray)の“聴くものの心を魅惑し癒してくれる深く穏やかな歌声”にぐいぐい魅(み)せらて行った、彼女は1945年6月20日生まれで小生より4歳下の当時22歳のうぶな女の子だった、今は63歳のいいおばちゃんになってる、どうしているだろうかな~?Nova ScotiaのSpringhillという炭鉱の街で育った、医者の父と看護婦の母を持ち高校時代はポップとフォーク好きの女の子であった、1966年University of New Brunswic(体育課程)を卒業し、2年間体育の先生を務めた後、1968年Toronto に出てきて、その番組のオーディションを受け採用されたばかりであった・・・

その人気番組“Singalong Jubilee(1961年から始まっている)”は確か毎週日曜日のゴールデンタイムにトロントにあるCBC(Canadian Broadcasting Corporation )TV局から発信され全国ネットで中継放映されていたように記憶している、構成は強いて言えば8ch日曜日23時スタートの“堂本兄弟!”に似たようなものだが、あんなに喋りはなく、出演者も歌い手と演奏家を合わせて30人ぐらいと規模が大きい、次々と3~4曲まとめて全12曲ぐらいフォーク/カントリー/スピリチャル/バラード/ポピュラー・ソングが幅広くリレーされコーラスとソロを織り交ぜて唄われていく、もっとより純粋な1時間歌番組であった・・・

ソロシンガーでもある二人のメインキャラクターが軽快なトークをまじえながら番組を進めて行った、一人は、フォークシンガーPete Seeger(1919年生まれの90歳、マネージャーをしていたToshi Seeger は彼の奥さんだった)を尊敬しゲストにも招いたbanjoの達人Bill Langstroth であった、彼はいつもバンジョーを賑やかに奏でながらフォークソングを唄っていた、もう一人は素朴で感傷的なラブソング、balladsを得意とするJim Bennet であった・・・

やがてアン・マレーの才能は花咲きソロを歌うことが多くなって行った、そしてこの番組で彼女が唄った歌をまとめた最初のアルバム“What About Me ” がCanadian Arc Labelから出された、日本ではこのアルバムを持っているものは小生以外にはいないだろうな、エッヘん!・・・そんな時その番組のゲストにも招かれた、物静かでいかにも人柄のよい、カナダ版独眼流・Gene MacLellenが作曲した“Snowbird (腹が白く背中と羽根が黒く、大きさはスズメくらいの雪ホウジロ、また暖かくなると南の地に移っていく人のことをいう)”に出遭った、1970年アン・マレーの歌声に命を吹き込まれたSnowbirdは瞬く間にCBCラジオの電波に乗って全米に羽ばたいて行った☆

そしてアン・マレーの初Million Seller となって実を結んだ“Snowbird” はニューアルバム“This Way is My Way”に収められCapitol Record(本社:ロス・アンジェルス 、イギリスのEMIと東芝レコードと提携)から発売された☆☆以降アン・マレーはカナダのSinging Star から舞台を世界に移し、次々とヒット曲を生み、発売されるアルバムのほとんどがミリオン・セラーとなった☆☆

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今晩つい先ほどまで小生一人寝室にしけ篭って、ほこりを被(かぶ)ったAnnieのアルバム・コレクション(1968~1973年までにカナダで買ったのが8枚と帰国後買ったのが6枚)を拭い落とし年代順に積んで行った・・・

1)What About Me (1968年)   2)This Way is My Way (1969年)   3)Honey Wheat & Laughter (1970年) 4)Straight Clean and Simple (1971年)  5)Talk It Over In The Morning (1971年)   6)Anne Murray/Glen Campbell (1971年) 7)Annie (1972年) 8)Danny's Song (1973年)・・・

9)Love Song (1974年) 10)Highly Prized Possession (1974年) 11)There's a hippo in my tub (1977年、第21回グラミー賞最優秀女性歌手賞受賞) 12)Let's Keep It That Way (1978年)   13)A Little Good News (1983年)  14)Best 20 (???)などなど、あるはずのアルバムがないので捜せばもっと出てくるはずである、あとCDアルバムが4枚あった、えっ!たった4枚か?1988年発売の“Harmony”、1990年の“Greatest Hits・Volume Ⅱ”、1991年の“Best NOW ”と2002年オランダのHallmark ラベルで発売された“Both Sides Now ”である・・・

もう一度寝室に戻り、更に丁寧に捜すと帰国後買っていたレーコード・アルバムがもう11枚も出てきたではないか☆☆発売年代を調べていくうちに中味が違っているものが1枚出てきた!!実は小生もう一人ヘレン・レディ(Helen Reddy)という好きな女性歌手がいて20枚ほどのコレクションを持っている、10年ほど前まではよくアンとヘレンのレコードを交互に何度も何度も聴いていた、今度はヘレンのも全部引っ張り出しほこりを払い落としながら中味を調べたら入れ替わったのを見つけた!☆ついでにフェチ並のコレクションを持つベラフォンテとジョーン・バエズなどの家内のかなりの枚数になるコレクションを全部全部引き出しレコードラックを掃除し小生と家内の置き場所をハッキリ区別さすのにかなりの時間がかかった(~_~;)・・・

後から見つかった11枚のレコード・アルバムは次の通りである・・・

15)Country (1974年) 16)Together (1975年)  17)Keeping In Touch (1976年)  18)New Kind of Feeling (1979年)  19)I'll Always Love You (1979年)  20)Somebody's Waiting (1980年)  21)Where do you go when you gream (1981年)  22)Christmas Wishes (1981年)  23)The Hottest Night Of The Year (1982年)  24と25)同じものを2枚も買っていた、Heart Over Mind (1984年)・・・           

掃除と整理整頓を終えると、アルバム・ジャケット表紙の“若くてみずみず” Annie の顔を眺めながら、バンクーバーのQueen Elizabeth Theatreでの2回のライブ、Vancouverの繁華街、Georgia Avenue と Seymour Street の角にあるナイトクラブでのライブ(直ぐ間近で生Annieを観た!☆)、PNE(Pacific National Exhibition )Forum でのライブ、またPrince George の市民会館でのライブの思い出を懐かしんだ・・・

1971年にはアンはあのGlen Campbell のショー“Goodtime Hour (ニューヨークにあるCBS: Columbia Broadcasting System TV)”にセミ・レギュラーとして出演している、小生もほとんど欠かさず観ていた番組であった、その時二人の記念アルバムを1枚出している、Annieはカナダ人初の米国ゴールド・レコード受賞者として優れたカナダ人アーティストに贈られる栄えある“Juno Awards~Female Vocalist of the Year” に1971年から1973年3年連続で輝いた☆☆1973年にはカナダのテレビとラジオに出演した優秀なアーティストに贈られるA.C.T.R.A (Association of Canadian Television and Radio Awards)をも受賞している☆☆

1973年12月カナダを離れ日本に帰国して以来、先日初めて恐る恐るAnne Murray のオフィシャル・ウェブサイトにアクセスしクリックした!彼女は健在であった☆それどころか現役バリバリの歌手として活躍していた、容姿も昔のまま・・・とはいかないが、少しはおばちゃん顔になっていたが、化粧の下に昔の面影は充分残っていた☆あのSingalong Jubilee の番組自体は1974年に終わっていた・・・

その翌年1975年Anneはななな~~~んとその当時の副プロジューサーでもあったあのBanjo男ことBill Langstroth と結婚しておった!!トロント郊外に家庭を築き、二人の間に設けた愛息と愛娘も立派に成人していた、若い頃のAnnieの面影はというと、少しだけ漂ってたものの二人とも父親似だった、娘のDawnは母と同じ道を歩んでsinger songwriter となっていた、1999年発売のAnneのアルバム“What a Wonderful World” にはDawn Langstroth のデビュー曲“Let There Be Love ” が収められていた☆来る10月にはAnnie の自叙伝“All of Me” が発売される☆Dawnも応援しなっくっちゃ!☆

今日までAnne Murray が築き上げて来た栄光溢れる業績は兎に角凄すぎる☆アルバム世界売り上げ2400万枚以上☆4度のGrammy Awards 受賞☆2度のAmerican Music Awards 受賞☆15度のJuno Awards 受賞☆5度のCountry Music Association Awards 受賞☆他にも数数の名誉賞を受賞している☆1989年には故郷Springhill に“The Anne Murray Centre ” が開設された☆1993年には“Juno Hall of Fame by The Academy of Recording Arts and Science ” に殿堂入りされている☆☆

読者の皆さ~~ん、一度騙されたと思って世界の永遠の歌姫 “ Anne Murray アン・マレー”のOfficial Website を覗いてやっておくんなせい~~、角から角までズズズい~~~とお願いたてまつりま~~~すm(__)m

http://www.annemurray.com/

小生が帰国後何年か目にAnnie は一度来日したが、確かNHKテレビでの放映は録画しながら観たが、残念ながら福岡でのリサイタルには行けなかった、アニーちゃんもう一度日本に来て頂戴、その時は万難を排して日本の何処へでも行ったるぜぇ!☆今なら自由時間たっぷりあるし~~!☆待っているよぉ~~~、先ほどNHKラジオの二ユースが建国記念日に当たる7月1日の“Canada Day ”142周年を告げていた(@^^)/~~~

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