Okanagan's Twilight Days

人生の黄昏を迎え、日々の出来事を徒然のままに綴っています(*^_^*)

ヤタカ゛ラスと中村俊輔 2007年7月7日

2007-07-08 02:16:29 | 日記・エッセイ・コラム

今夜のオーラの泉のゲストはスコットランド・プレミアリーグ“セルティック”今シーズン優勝の立役者“中村俊輔(29)”だった、2002年~2005年の3年間イタリアのセリアA“レッジーナ”で活躍した後、2006年よりセルティックに移籍しチームの2年連続41回目の優勝を決めるフリーキックを決めて、年間MVPに輝いた映像は記憶に新しい(*^。^*)

兄の影響で4歳からサッカーを始めた俊輔には次々と挫折が襲った、しかしその都度彼は不思議な力でそれらを乗り越えてきた、中学校時代天狗になって横浜マリノス・ジュニアユースのレギュラーを外されベンチからも外される屈辱に曝(さら)された、また記憶に新しいところでは、2001年“トルシエ・ジャパン”との確執から日本代表に選ばれるも人見知りし我が道を行く彼の性格から誤解が生じ「サッカーは仕事だ、きちっと指示に従ってもらわないと中村は使うつもりはない!!」、代表メンバーに選ばれるも“キリンカップ2001”のスタメンで出ることはなかった(~_~;)

トルシエから「中村はフジカルが弱い!!彼をスタメンにつかうつもりはさらさらない!!」の一言で“FIFAワールドカップ2002日韓大会”の14人のスタメン候補から外され『まさかまさか』の日本代表落選であった!!トリシエからえらい嫌われたものだ!!

こんな逆境にも関わらず日々サッカーノートにその日の戦略思索をつづって実行して行き腐ることなく、前向きにサッカーに取り組んで行った、自分の力を試すため中村の目は活躍の場を世界に求めて行った☆☆

美輪明宏は云う『神は己を愛する者を愛し、神から愛される者は神の加護がある☆☆』江原啓之は続ける『あなたには“ヤタカ゛ラス”と行者の守護霊がついている☆☆これからもあなたは予期せぬ力が与えられいかなる苦難も乗り越えていくでしょう☆☆』

ヤタカ゛ラスと云えばサッカー日本代表のシンボルマークとしてユニホームに縫い付けられている、明治36年東京師範高等学校(現筑波大学)の学生・中村覚之助が彼の著書にサッカーを紹介している、覚之助は那智勝浦の出身で故郷の深か緑のヤタガラスを日本サッカー協会のシンボルマークに選定したらしい・・・

古事記/日本書紀によれば日向の国・高千穂の宮に住むカムヤマト・イワレヒコのみこと(後の神武初代日本天皇、紀元前660年即位)が東の国に住む豪族を統征するため瀬戸内を行軍して行った、筑紫の国・宇佐→安芸の国→吉備の国→播磨の国→浪速の国→河内の国→紀伊の国・・・

そして熊野の地に上陸した、その時天から遣わされた巨大ヤタカラスが現れ彼の軍隊を険しい熊野・吉野の山中を案内して無事神が約束された大和の地に辿り着くことが出来た、その地を治めて倭(やまと)の都とした☆☆今でも“熊野古道”として多くの人から敬われて平成16年世界遺産にも登録されてその名残を留ている☆☆

このヤタカラスは熊野本宮大社には道中安全の守り神・神鳥として祀られている、また熊野那智大社境内にあるデッカ~~イ日本サッカー協会のシンボルマーク“ヤタガラス像”と“カラス石”は観光の目玉として有名である(^^♪

中村俊輔にはこの天から遣わされたヤタガラスが彼の人生の道を先導して、どんな逆境の時でも神の御手が差し伸べられていたのであるヽ(^。^)ノいい話だ~~~

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする