あれは,あれで良いのかなPART2

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邪馬台国発見?いやいや,まだまだ・・

2009年05月30日 23時48分36秒 | 歴史の話
邪馬台国の女王卑弥呼の墓と言われている箸墓古墳周辺調査で発見された土器の年代測定を行った結果,ちょうど卑弥呼が亡くなったと言われる時代と一致したということで,邪馬台国畿内説が俄に活気づいてきました。

卑弥呼墓説に補強証拠=箸墓古墳周辺土器、時期が合致-歴史民俗博物館が測定(時事通信) - goo ニュース

古墳自体を発掘させてほしい

ご存じのとおり,邪馬台国は大きく九州説と畿内説との論争が繰り広げられており,いまだ決着が付いておりません。
そうした中で,今回の調査結果については一定の意味を持つといえます。すなわち,「少なくとも,卑弥呼が亡くなった頃に,箸墓古墳周辺に大きな権力を持つ人が存在した」と言えるからです。そして,魏志倭人伝の記述を踏まえると,かなりの確率でこの古墳が卑弥呼の墓といえる,ということになります。
しかし,あくまでも補強証拠にすぎません。卑弥呼の墓と断定できるためには,親魏倭王」の金印が出てくれば確実といえます。そうでないとしても,例えば古墳から100余名の人骨が出てくる(殉死させられた奴隷たち)などもあれば,相当有力かもしれません。
そういう意味では,この古墳自体の調査をなんとか宮内庁が許可してくれればよいのですが,宮内庁は基本的に古墳の発掘調査を許可してくれません。もったいないとしか言いようがないのですが・・(まあ,安易に調査を認めると,かなりの確率で「日本の歴史が大きくひっくり返ってしまい,日本の存在意義自体を否定しかねないものが発見される」ので許可しないのではないかなどと言われています。それは何かはもっとストレートに言いたいところですが,この辺は空気読んでくださいね(^_^;))。

ところで,今回の調査で邪馬台国は近畿にあったと断定できるでしょうか。いいえ,まだまだ!!
まず,まっとうな反論としては,「年代測定法の信憑性」です。これはものすごく正確とはいえず,環境等によっては数十年の誤差がでる場合もあります。そうすると,数十年の誤差がでると,逆に卑弥呼と不一致となってしまうので,完全にはずれ,っていう結論になります。
また,箸墓古墳は,一度円墳として作られた後,前方部分が作られたという調査結果があります。ということは,周辺から発見された土器自体が果たして本当に卑弥呼時代に埋められたものと断言できるのか,いわゆる「検体が正確にその時代のものといえるか」という問題もあります。
そして,何よりも,やはり「古墳の中から何が出るか」でまだまだ結果はひっくり返るということで,引き続き慎重な調査研究が続けられることになります。

でもって,次は主観的理由です。
実は,私は「九州派」なのです。中学時代にちょいと興味があって,自由研究で調べましたが,その時の素人判断としては,「九州北部のとある古墳だろう。」と結論づけました。もちろん,素人的論拠ですが。
私が九州北部と考えたのは,実に安直です(っていうか,歴史書をほとんど無視した単なる推理です。)。

1 魏志倭人伝は中国目線で書かれているため(そもそも「卑弥呼」っていう名前自体,偉い人の名前ではない。おそらく,タイムマシンで邪馬台国に行って「卑弥呼さんいますか?」って聞いたとしても,「はあ?」って言われるのでは,と思います。),すべて信用してはいけないという前提で考える必要がある。
2 すると,行程のくだりについては,「いやあ,倭の国に行くのは本当に大変だった」ということを強調するため,かなり誇大表現をした(日本だって,日本書紀で「聖徳太子」を見事なまでに作り上げてしまいました。たいしたもんだ。)。したがって,行程の記載を真に受けてはいけない。
3 卑弥呼の響きが「日向」に似てないか?
 当時は,日本と朝鮮・中国の文化や技術を比較すると,圧倒的に朝鮮・中国の方が上だった。っていうことは,そうした最先端技術を入手できれば,国内統一は容易である。そして,それが入手しやすいのは,必然的に「近い場所」,すなわち九州である。
 時代が異なることと,発見自体の信憑性に争いがあるものの,いわゆる「漢奴倭国王
」の金印は,やはり九州で発見されており,中国と九州は古くから関係があると推測されること。

6 近畿地方で大和朝廷が歴史上登場してくるのが邪馬台国の100年以上も後のこと。邪馬台国や周辺諸国が争うくらいドンパチしていたのであれば,逆にもっと早く「大型権力の国」が誕生するのではないか。

んなところです。今,改めて考えてみると,「うわー,雑な根拠!」と思わざるを得ませんが,まあ,そこはご愛敬ということで(^_^;)
でも,できれば九州説の方,学術的なフォローをお願いしますm(__)m

とにかく,まだまだ九州か畿内か,まだまだ熱い論争が続きそうですね。そして,専門家によるより精密な研究結果を待ちたいと思います。
歴史って,真実は一つのはずなのに,常に新発見でひっくり返る生き物ですよね。だから,歴史は面白い。

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