いろはにほへと

ぼちぼち、休みながらも続けていければいいな。

結婚式参列準備で、久々のお針仕事

2018-11-11 07:21:14 | 日記
いよいよ、末娘の結婚式が来週に迫った。
就職と同時に家を出てたし、去年からの顔合わせやら終わった後に、入籍もし、一緒に暮らし始めてるのに、いざ、結婚式が迫ってくると、なんだか感慨深いものがある。なんだろね。これは。


今週中ずっと、先週母が「色留袖を着たかった」といった言葉が頭から離れなかった。

式が決まった時に、私が「しんどいから服でいいよ」と2人の母たちに言ったのだ。

84になり、伯母のお葬式の時も気分が悪くなり、バタバタした記憶が抜けなかったから。

2人とも納得してたと思ったのだけどね。

でもねー。いつまでたっても女だものね。着物着たいんだ。

母に「着る?」と電話を入れると、「お義母さんは服でしょ」とごちゃごちゃ言う。義母には、私から話しておくと言い、ようやく、色留袖に決まった。

母が色留袖だと、義母も着物って言い出すかな?と電話を入れる。

義母は、とても明るく、「お母さんは着物着たらいいよ。私は、服を買っちゃった!」と嬉しそう。手持ちの服で行くと着る予定の服を見せてもらってて、服は決定済みだと思っていたが、やはり、いくつになっても、みんな女だねー(笑)

まあ、2人のおばあちゃんたち。
機嫌よく、孫の結婚式を楽しんでね。

さあさあ、そうなると私の予定が狂うんだ。母の留袖一式を貰う予定だったから。

予定通り、留袖は貰えても、それ以外が問題だ。

帯、帯揚げと帯締め、長襦袢は、母が使うことになる。私は、昔、弟たちの結婚式の時に買った安物だけど、あるからあれでいいか。

母が良いのを持っているから、どうせもらえるからと思ってたのだけどね(笑)
何にせよ、今からでは時間がないさ。

とにかく、実家に行き、母の着る着物の準備だ。しまい方が悪く、皺になってたところはアイロンもかけて、小物も揃えて全て完了。

それから、私の留袖だ。やっぱり、母の留袖が着たい。

母は気づいてないけど、長襦袢が1番の問題だ。長襦袢は見えないけれど、流石に白が必要。袖が合うかな。袖さえ合えばとの願いも虚しく、少しはみ出る。

摘んで見えなくするか。どうしよう。

ちょうど、まだ、綺麗な洗える長襦袢があった。それこそ襟元しか見えないんだから、正絹でなくてもいいや。

これも、一回り、大きい。
母の留袖が、少し小さいんだ。

そこで、よし!と思い立ち、袖を一回り小さくするのに取り掛かった。

久々のお針仕事開始。
ポリの長襦袢なら、多少失敗しても惜しくない。

袖を解いて、直す。解いてみると、流石、雑な作り方。でも、ミシン縫いだから、解くのは難儀。

キセをかけるとどうにかなるから、適当でいいや。少しでも、和裁を習っててよかった。ちと、雑な部分があるけど、まあ、中に入って見えないさ。

否、いっそのこと全部貸衣装にした方がいいかも。

でも、母が私の結婚式の時に新調した留袖。着たいな。

想いが揺らぐ。

結婚式の日取りが決まってから、1年近くあったんだから、こんなことなら、長襦袢新調すれば良かった。

それより、着物を洗い張りに出そうかとか、一度は考えたんだけど、お金をケチってたからねー。

と後悔もしきり。

と言った訳で、昨日は、夜遅くまで、後は半襟をつけるだけまでにお針仕事を頑張った。

今回、私が新調した唯一のもの。礼装用に使える刺繍半襟。1つは良いの欲しくって、思い切って買ってて良かった。これで、見えてる襟元だけは豪華だからね(笑)

あーあ。全くねー。花嫁の母の私より、祖母が豪華で綺麗だよ。どうにも、母と私はそういう組み合わせらしい。

母の留袖。鶴の絵柄なんだけど、父曰く、「お前には派手ちゃうか?」そうなの。母が着ると派手だったから、そういうイメージがあるんだよね。でもね、多分、私が着ると地味に見えるんだよ(笑)

二羽の鶴がすくっと立ってる珍しいあっさりとした柄ゆきの留袖。母が着ると確かに華やかな雰囲気だったけれど、私が着ると少し寂しい感じにすらなるよ。多分。
でも、これ、着たかったんだ(笑)

娘たちを着飾らせ、母を着飾らせ、私は、花嫁に頼まれた参列者の方々へのご挨拶その他に専念しましょうか。苦手だけどね。

小心者で、よく気がつく娘は、職場の方々や、参列する友人たちににも気を使い、お式と披露宴の間は自分は動けないので、私に頼んできたのです。

そりゃね、そういうお役目は母である私と父親しかいないよね。頼まれなきゃ、挨拶もそこそこに終わらせかねない親たちだからね(笑)

娘のためだ。来週は、ビール瓶持って、あちこち回りましょうか。

それよりも何よりも、娘たちが、幸せになりますように。

もしも、人の思いに何かの力があるのなら、こうした何でもない準備をする中で、小さな頃のことを思い出したり、幸せを願うことが、何か、見えない力になるのだろうか。



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