そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

天皇のフィリッピン訪問を歓迎する

2016-01-25 | 平和
天皇が明日から、国交正常化60周年を記念して4日間フィリッピンを公式訪問する。天皇はフィリッピン国民に甚大な被害をもたらした先の大戦の反省を、暮れに表明している。天皇の何度もの戦地への慰霊訪問は、安倍晋三が日本を右傾化させることへに抵抗のようにも見える。このところ、ことあるごとに戦争の風化を嘆いている言葉からうかがえる。

私の父はフィリッピンで戦死した。正確には行軍についていけなくなって自害したのであるが、母の存命中の35年程前と昨年厚労省の慰霊団の一員として、フリッピンのセブ島に二度訪れた。この間にフィリッピンは大きく変わった。車と人が増えて、戦跡が極端に少なくなっていた。戦争は遠くなったと実感する。35年前には、父の戦友たちが地図を描いてくれたが、何一つ変わっていなかった。
昨年訪れて知ったことがある。江戸時代末期から、沖縄の人たちが麻の栽培技術を導入して現地の人たちに貢献したことである。国家権力が介入する前であり、琉球人への感謝の碑などが残されていた。日本名の地名などがたくさん確認できた。
フィリッピンでは、日本関係者は50万人以上亡くなっている。戦地としては最大の犠牲者数である。フィリッピンの人たちは100万人以上が亡くなっている。特にマニラの市街戦は凄惨を極めたが、あまり多く日本で語られることはない。
日本はフィリッピンを大東亜共栄圏のモデル地にしようとした。アメリカからの解放を強調していた。実際には軍政をひいて支配した。その間に幾多のフィリッピン人を虐殺したり虐待したり強姦を重ねていた。フィリッピンによる対日戦犯裁判では151人の被告のうち、137人が有罪となりそのうち79名に視界が下されている。極めて厳しい判決内容が、日本軍の藩財政を物語っている。
フィリッピンは中国や韓国ほどのナショナリズムは強くなく、冷戦構造の中で西側についたこともあり、政治的判断で日本を責めるような行動はとっていない。そのことをいいことに日本は、フィリッピンでの蛮行などに蓋をしてきた。
天皇の二度目の訪問は、こうしたことへの一定の配慮のもとに行わることになる。こうしたけじめこそ政府が、国家がやらねばならないことである。臭いものに蓋をしたり、都合のよいところだけをつまんだ歴史感を披歴する、安倍晋三のナショナリズムなど陳腐な思想など何の意味もない。
フリッピンは歓迎ムードではないが、それとてこうした地道な戦没者への慰霊などの積み重ねが、新たな二国間の関係を開くであろう。

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