壮烈従容たる谷師団長処刑の報道。

2006-11-09 | 南京事件B
民国36年(昭和23年)4月27日付の南京中央日報は、
谷寿夫師団長の処刑の実況を左の通り報道している。

7億中国人民の憎悪と怨恨を代表して、書いたつもりの中国側司法記者も

「従容たる態度であった。」と絶賛し

「嗚呼、日本一、精鋭の6師団」の最高将帥としての谷寿夫師団長の壮烈な武人としての、あっぱれな処刑の最期ぶりを記述している。

1面トップ7段抜き、超特号活字を並べている。





谷寿夫  昨日銃殺  
   雨花台上 兇魔報いを受け 
        数十万の幽魂 仇を報ず。


南京大虐殺事件の主犯、谷寿夫は、先に国防部戦犯軍事法廷で死刑を宣告され、
25日、午後2時国民政府主席から、刑執行許可の通知あり。

26日午前11時30分、軍事法廷が、被告谷寿夫の人定を行い
雨花台刑場に押送し、法により銃殺した。

刑執行の射手は、国府部警衛第一師班長(分隊長)洪二根で、
刑場を包囲した市民の歓呼拍手の中に、一発で死亡。

弾は後部から前方に貫通し、あお向けに倒れ、鼻口から出血していた。



民国25年(昭和12年)12月、谷は部隊を率いて杭州湾に上陸、
直ちに南京を衝き、雨花台を攻略し、中華門に進み、他の日本軍部隊と共同して
捕虜及び、非戦闘員を虐殺し、また強姦、掠奪、財産の破壊を行い、
我が、無辜の民衆の被害者は数十万に達し、その各種人道無視の暴行は筆舌に尽くし難い。

昨日、この一世の殺人魔王は顔色暗然として、再び雨花台に来り、
受くべき報を受け、雨花台の黄土は彼の永眠、懺悔の場所となった。

9時30分 戦犯法廷検察官陳光呉
書記官及び日本語通訳黄文政、等法廷に臨み、
暫くして被告谷、法廷に入る。

青色の軍服、黒の布靴を着し、憔悴の様子あり、時々眼を開けて両側を見る。

検察官は生命、年齢、本籍を聞いてから、家族からの通信三通を
彼に渡して閲覧させた。
その手紙は妻子及び孫からの物であったという事である。

谷は読み終わってポケットに収めた。
検察官が返信の要否を聞くと、
 「返信を書きたい・・。」
と答えた。 法廷でこれを許可し、彼はポケットから鉛筆を出し、
椅子にかけて手紙を書いた。

10時、陳検察官は、蒋介石主席の許可書を読み上げ、
被告に

「お前の刑は既に執行を許可された!
お前もこの裁判が公平、合理的、合法的である事が、
良く解っているだろう!」  と述べた。

谷は耳を傾けて聞き入り、口を堅く閉じて、鎮静に務めていたが、
不安の状は外面に現れていた。
彼は、
「南京大虐殺は、私とは関係が無い。
法廷で全本件の真相を調査し、明らかにした後、執行して貰いたい!

今、執行したならば、将来後悔ある日があろう!」

と抗弁した。

検察官は、
「お前の要求は私の職権外である。私は只、命に拠って執行するだけである。
被告は家族に対して遺書はあるか?」と問うた。

谷は無言でいたが、再び筆を取って妻子に遺言を書いた。

この時、拘留所の張副所長は煙草を一本、谷にすすめたが、彼は頷いて謝辞し、
従容たる態度であった。

遺言の中には、

「身は異郷に死すとも、魂は祖国日本に帰り、
七生報国世界平和の大義を守る。」の意味の文字があった。

10時45分
勤務兵は、彼の拘留所にある衣服その他、物品全部を法廷に運び点検させた。
その中には、衣服、腕時計、ペン、地図等があり、谷は布靴を脱ぎ、
黒の革靴と換え、品物を二包みに分け、

一つは法廷から日本軍連絡班に渡し、
留居宅に届けて貰う様頼み、
もう一つは、拘留所に残る他の戦犯に与えた。

この時、谷はボウッとして堪えられない様子で、
涙を浮かべていた。

最後に法廷は、他に遺言の有無を尋ねた。
彼は、
「拘留所の人々に感謝する。」
と、答えたのみであった。

11時
谷はラシャ帽を被り、灰黒色の手袋をはめ、軍用自動車に乗せられ、
雨花台に赴いた。

自動車が刑場に着くと、雨がひどく谷は2人の憲兵に伴われて進んだ。

処刑の報を聞いて、見物に集まった市民は非常に多数で、
歓呼拍手の音は爆竹の様であった。

12時45分
刑執行の兵は、彼の帽子を脱し、両側から各々一名の憲兵が
彼の手をとり、銃声一発、谷は地上に倒れた。

この一発で、劫古未曾有の大虐殺の主犯

「身は異郷に死すとも、魂は祖国故郷日本に帰り七生報国、世界平和の大義を守る」
ことになった。

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・・・以上が、谷寿夫師団長の処刑の記事である。
もし、南京大虐殺というモノが『無かった』としたら
こんなに悲しい出来事はあるまい・・・。

A級戦犯だけではない、B、C級戦犯も非常に理不尽な判決に拠って
命を奪われた事になるのである。

勿論、この南京に於ける裁判も、到底裁判の体を為していない、
一方的な復習裁判であった・・。
(被告の申弁無視、被告側証言無く(待たず)、単に中国側人民の告訴、
又は調査のみにして、適確なる証拠不十分であるにも拘らず・・・)

じゃぁ、この不幸は、南京戦の元を正せば、何処に行き着くのだろう・・・・?

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