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Ⅲ-⑤ 原理本体論 Ⅲ後編 第3章 ノア家庭を中心とした復帰摂理(p 523~537)

2020年05月08日 10時57分22秒 | 原理本体論


 原理本体論  Ⅲ. 後編

 第3章 ノア家庭を中心とした復帰摂理(p 523~537)


 ノア家庭もアダム家庭のようにメシヤを迎えるためには、メシヤのための基台を立てなければなりません。堕落した人間が創造本然の人間に復帰するためには、必ずメシヤに出会わなければならないからです。


 序 論

 復帰摂理の目的は、堕落した人間を神様の子女として復帰するためにメシヤを送るということです。

堕落した人間は自らサタンを追い出すことができず、原罪も清算することができません。メシヤが来られることで、人間の原罪を清算でき、サタンを分立することができるのです。ですから、私たち人間の願いはメシヤを迎えることです。

 メシヤを迎えるためには、メシヤを迎えるための基台を立てなければなりません。アダム家庭でカインがアベルを殺すことによって、アダム家庭を中心とした復帰摂理は成就しませんでした。しかし創造目的を完成しようとする 神様のみ旨は変わることがないので、絶対的に予定され、成されなければなりません。ですから、神様はアベルが神様に対して忠誠を尽くしたその心情の基盤の上で、アベルの代わりにセツを立てました (創4章25節)。

 神様はセツの子孫の中からノアを選んでアダム家庭の代わりに立て、新しい復帰摂理を展開されました。サタンが主管する悪主権を滅ぼし、神様が治められる善主権の新しい歴史を開くためです。その時も終末です。

 創世記6章13節で「わたしは、すべての人を絶やそうと決心した。彼らは地を暴虐で満たしたから、わたしは彼らを地とともに滅ぼそう」と言われたとおりに洪水審判をされたことを見れば、ノアの時も終末だったのです。

 

 1. メシヤのための基台


 ノア家庭もアダム家庭のようにメシヤを迎えるためには、メシヤのための基台を立てなければなりません。堕落した人間が創造本然の人間に復帰するためには、必ずメシヤに出会わなければならないからです。

 メシヤに会おうとすれば、必ずメシヤのための基台を立てなければなりません。その理由は、メシヤのための基台がなければ、堕落した人間が、来られたメシヤを殺すからです。したがって、堕落した人間がすべきことは、必ずメシヤを迎えるための基台を立てることです。


 1) 信仰基台

 アダムが本然の創造目的を完成した人間になるためには、信仰基台と実体基台を立てなければなりません。信仰基台と実体基台は、アダムとエバが堕落したために立てるようになったのではなく、本来、アダムとエバが実践しなければならない神様の公式的路程だったのです。そのうち、縦的な路程が信仰基台であり、横的に成すべき路程が実体基台です。

 縦的な信仰基台は神様と一つになることであり、横的な実体基台は天使長と万物世界を 主管する主人になることです。信仰基台のために、神様はアダムとエバに「善悪を知る木からは取って食べてはならない」(創2章17節)というみ言を下さいました。取って食べてはならないというみ言を守って、「絶対性」を完成すれば、アダムとエバは神様と一つになり、横的には天使長と万物世界を主管するようになっていたのです。

 ノア家庭における信仰基台の中心人物は、ノアです。条件物は象徴物なのですが、箱舟がその条件物になります。期間はノアが120年間箱舟をつくり、40日間の洪水審判を受けてから、鳩を7日間隔で三度放ち、40日を経て箱舟から地上に降りる期間、すなわち、120年・40日・21日・40日の期間です。このようにして、信仰基台の中心人物としての ノアを中心とした摂理が立てられました。

 ノアは信仰の第一先祖です。本来、信仰の第一先祖はアダムでしたが、堕落によってアダムは信仰の第一先祖になることができませんでした。ノアが信仰の第一先祖になった理由は、神様のみ言を信じて120年間箱舟をつくったからです。ノアの信仰こそ、誰も真似のできない信仰です。

 アダムからノアまでは10代です。10数は完全数であり、帰一数なので、10代を経たということは、再びスタートするという意味があります。言い換えれば、神様がアダムを通して 成そうとした創造目的はアダムの堕落で成せませんでしたが、10数を中心として摂理され、10代目に堕落しない立場でノアを選ばれたのです。

 ノアはその時代の義人でした。ノアはアダム家庭でカインがアベルを殺したあと、神様がアベルの代わりに摂理の中心として選ばれた、アダムの三男であるセツの子孫として生まれました。信仰基台の条件物は箱舟ですが、その箱舟は新天宙を象徴します。


 (1) 箱舟の意味

 神様は天宙を創造し、天宙の中心としてアダムを立てました。アダムとエバが完成すれば、天宙も完成するのです。ところが、アダムの堕落によって天宙がすべてサタンに奪われました。神様は足場を失ったのです。それで神様は、ノアに天宙を縮小した 箱舟をつくるように命じました。箱舟は新天宙を象徴していました。ノアが箱舟の主人であるように、神様は新天宙の主人となるのです。

 ノアは箱舟を三層につくりました。箱舟の三層は、アダム家庭でアダムとエバが、蘇生・長成・完成の三段階を通して完成しなければならない 成長過程を意味します。

 ノアは箱舟の中に妻と三人の息子と息子の妻たち、8人の家族を連れてはいりました。箱舟の中に入ったノア家庭の8人は、アダム家庭で失った8家族であり、全人類を象徴します。アダム家庭もアダム・エバと三人の息子夫婦、このように8人家族でした。

 そして動物を雄と雌、一対ずつ乗せました。これは万物世界を象徴しています。このように、ノア家庭において信仰基台の条件物である箱舟は、新天宙を象徴していたのです。


 (2) 40日洪水審判

 ノア家庭での40日間の洪水審判は、善悪を分立するものでした。堕落によって、善悪の母体となったアダムの二人の息子を カインとアベルに分立したように、ノアの時にも新天宙を象徴する箱舟をつくり、全人類を神側とサタン側に分けました。箱舟の中に入った8人家族は神側であり、箱舟の外の人類はサタン側です。

 箱舟の中に入って門を閉めたあと、雨は40日40夜、地に降り注ぎました (創7章7~12節)。洪水審判が起こったのです。

 40日洪水審判のあと、40数は蕩減復帰摂理路程における 信仰基台を復帰するためのサタン分立数となり、必ず必要な数となりました。40日断食、40日間の水行、40日間の敬拝などは、すべてサタン分立数を立てるためのものです。

 洪水審判40日、ノアからアブラハムまでの400年、エジプト苦役400年、ローマ帝国迫害時代400年なども、サタンを分立するための期間です。モーセは40日断食を二度行い、シナイ山で神様から石板を授かりました。またカナンに入る前に、40日間カナンを偵察しましたが、それに失敗するとイスラエル民族が荒野で40年間流浪しました。

 サウル王・ダビデ王・ソロモン王によるそれぞれ40年ずつ、120年間の統一王国時代も同じです。エリヤは40日間断食を行い、イエス様は十字架で亡くなられたあと、復活して40日間散らばった弟子たちを集めて再教育をされました。神様は新しい摂理の出発に先立って、このようにサタンを分立するために必ず40数を立てて摂理されるのです。

 洪水審判の40日期間は、神様が天地を創造した直後と同じような混沌期間でした。神様が天地を創造された時、第一日には天と地が混沌としていたので、光と闇とを分けられた(創1章2~4節)と記録されていますが、このように、ノアが箱舟をつくったあとの 40日洪水審判期間は、天地創造後の混沌期間を意味します。第一日に、混沌とした中で光と闇に分けたように、洪水審判で天地が混沌としている中、人類を神側とサタン側に分けたのです。


 (3) 洪水審判後の行事

 箱舟を中心とした洪水審判ののちに起こった すべての出来事は、天地創造後の全歴史路程に対する神様の摂理を、象徴的に見せてくれたものです。

 神様はノアに洪水審判を行うことを告げました。創世記6章13節では「わたしは、すべての人を絶やそうと決心した。彼らは地を暴虐で満たしたから、わたしは彼らを地とともに滅ぼそう」 とノアに言われました。そして神様は、ノアに箱舟をつくりなさいと命じます。ノアはその神様のみ言を絶対的に信じ、120年ほどの間、箱舟をつくりつづけました。

 創世記7章1節から4節を見ると、ノアが箱舟をつくった時、神様はノアに「あなたと家族とはみな箱舟にはいりなさい。あなたがこの時代の人々の中で、わたしの前に正しい人であるとわたしは認めたからである。あなたはすべての清い獣の中から雄と雌とを七つずつ取り、清くない獣の中から雄と雌とを二つずつ取り、また空の鳥の中から雄と雌とを七つずつ取って、その種類が全地のおもてに生き残るようにしなさい。七日の後、わたしは四十日四十夜、地に雨を降らせて、わたしの造ったすべての生き物を、地のおもてからぬぐい去ります」 とおっしゃいます。

 ノアとその家族が箱舟に入った7日後から、昼夜を問わず40日間、雨が降り注いだのです(創7章10~12節)。昼夜を問わず40日の洪水審判があり、雨がやんだあと、箱舟が150日の間漂い、アララト山にたどり着きます。それから40日を経て、ノアはカラスを空に放ちます。外に出たカラスは水が乾くまで、箱舟の周りを飛びまわります(創8章6~8節)。

 カラスが箱舟の周りを飛びまわったというのは、エデンの園で天使長がエバの愛を狙い、サタンがカインとアベルの供え物を狙っていたのと同じ立場です。カラスはサタンを象徴します。洪水審判によってサタンと相対していた世の中がみな消滅したので、サタンの侵入できるところはノア家庭だけでした。それで洪水審判ののち、サタンを象徴するカラスが、ノア家庭に侵入する条件を探すために箱舟をうかがっていたのです。

 神様が創造した天使長がサタンになったからといって、天使長を追い出すことはできません。堕落した天使長を復帰することが神様のみ旨だからです。ですから、サタンを象徴したカラスが箱舟の周りを飛び回っても追い払わずに受け入れたのです。

 次にノアは7日おきに鳩を三度放ちます。ノアが箱舟の中にいる40日の間に洪水審判が起こり、その後、箱舟は150日間漂いました。また40日を経てカラスを放ち、三度鳩を放ちました。鳩を放ったのは、外的には水が乾いたかを確認するためでしたが、内的には天地創造後に展開される摂理歴史が込められていたのです。

 最初の鳩はエデンの園のアダムを象徴します。神様はアダムを通して創造理想を成そうとされましたが、アダムの堕落によってみ旨を果たすことができませんでした。ですから、最初のアダムを象徴した鳩は、箱舟の外で暮らすことができずに帰って来たのです。ノアはその鳩を追い払わずに、再び箱舟の中に入れました。

 アダムは堕落して エデンの園から追放されましたが、アダムを通して成そうとしていた神様の創造理想は絶対的なので、そのみ旨を捨てることができないというのです。ノアが一番目に放った鳩が 帰ってきた時に受け入れたのは、アダムを通して成されたみ旨を 受け入れたことを意味します。

 7日後に、二番目の鳩を放ちました。二番目の鳩は後のアダムであるイエス様を象徴します。二番目の鳩はオリーブの葉をくわえて帰ってきました。

 それにより「イエス様の十字架での死がすでに予定されていた」と考えやすいのですが、イエス様の死は予定されたものではありません。イエス様がこの地に来られるのは、み旨を果たすためだからです。ノアは鳩を放ちながら、帰ってこないようにと願いました。

 しかし帰ってきたということは、箱舟の外で鳩が暮らせる環境が整っていなかったということです。オリーブの葉をくわえて帰ってきたということは、今は暮らすことができないが、次は必ず暮らすことができるということを暗示しています。それはイエス様が十字架に架かることを暗示したのではありません。

 神様はイエス様を送るために、アブラハムから2000年の間、準備されました。2000年の間準備した基盤の上にユダヤ民族を立て、ユダヤ教をつくり、パリサイ人と律法学者を準備したあと、ザカリヤ大祭司長の家庭を中心として洗礼ヨハネを送り、ヨセフ家庭とマリヤを中心にしてイエス様を送りました。

 このように周到に準備してメシヤを送ったのですが、そのメシヤが十字架に架かって亡くなったのです。人間の不信がそのようにさせたのです。神様が環境をつくっておかれたのに、人間がイエス様を裏切ったのです。

 二番目の鳩を放ったのに再び帰ってきたということは、環境がまだ成熟していなかったという意味です。しかしオリーブの葉をくわえて帰ってきたというのは、次は必ず暮らせるということの暗示でした。二番目の鳩は、イエス様が将来十字架に架かることを暗示したものではなく、環境が問題だということを見せてくれたものです。

 7日後に、再び三番目の鳩を放ちました。三番目の鳩は三次のアダム、すなわち再臨主を象徴します。三番目に放った鳩は帰ってきませんでした。それは、再臨主が来られれば、必ずみ旨が地上と天上で成されるということを暗示しているのです。ノアはこのようにして、箱舟を中心とした信仰基台を立てることに成功したのです。


 2) 実体基台

 (1) 中心人物 : ハム

 実体基台の中心人物は、ノアの次男であるハムです。実体基台は実体献祭をいいますが、その条件は堕落性を脱ぐための蕩減条件です。条件物ではなくて条件です。

 セムは次子であるハムの兄であり、ハムに「愛仲屈通」しなければなりませんでした。カインがアベルに「愛仲屈通」することで堕落性を脱ぐための蕩減条件を立てるのと同様に、セムもハムを通して条件を立てなければなりませんでした。

 ハムは父であるノアの心情と一体となることで、実体基台の中心人物になることができます。信仰基台の中心人物は父であるノアでした。父が中心となって信仰を立て、その信仰を次子に引き継がなければなりません。そうしてこそ、ノアが責任を果たしたことになるのです。ハムはノアが120年間築いてきた信仰を引き継いでこそ、実体基台の中心人物として、神様と相対することができるのです。

 アダム家庭で次男であるアベルが父の代わりとなったように、アダム家庭でも次子であるハムが実体基台の中心人物になります。アダム家庭ではアダムが信仰基台を立てることができなかったので、アベルが父から引き継ぐ必要がありませんでした。

 ところがノア家庭では、ノアが信仰基台を立てたので、父であるノアの信仰を引き継がなければなりません。ノアの信仰を引き継ぐ方法は、ノアと心情的に一体となることでした。


 ある日、ノアが葡萄酒に酔い、天幕の中で裸になって横になっていました。カナンの父ハムがこの光景を見て、兄のセムと弟のヤペテに知らせ、ハムとヤペテが服を肩にかけて後ろ向きに歩み寄って、酒に酔って裸になっている父の下部を覆いました (創9章21~23節)。

 人間的に見ると、それはすごく誉められることに値します。ところがノアは酔いから覚め、服で覆われたことを見て、次男のハムを呪います。創世記9章25節には「カナンはのろわれよ。彼はしもべのしもべとなって、その兄弟たちに仕える」 というノアの呪いが記録されています。服を脱いでいるのを見るのが心苦しく、覆ったことは人間的に見ればすごくよいことであるのに、そのように呪ったということは、何か意味があると考えなければなりません。ノアが裸になって横になっていたのは、酒に酔ってではなく、神様の摂理的な意味があったのです。

 ノア家庭は、アダム家庭を蕩減復帰するための家庭です。アダムはエデンの園で、裸で暮らしていました。堕落する前は裸であっても恥ずかしさを全く感じなかったと創世記2章25節には記録されています。ところが善悪を知る木の果を取って食べて堕落したあと、恥ずかしく思い、無花果の葉で下部を覆い、木の間に隠れました。

 堕落する以前は裸であっても恥ずかしさを感じなかったのに、堕落したあとは、裸であることに恥ずかしさを感じて下部を覆ったのです。恥ずかしさを感じて隠したということは、堕落したことを自ら証明する行為です。恥ずかしさを感じて隠したことが罪となりました。それが堕落の結果だからです。

 ノアが裸になっている場で、ハムが神側に立つのか、サタン側に立つのか決定します。ノアが裸でいるとき、ハムはノアと心情的に一体化しなければなりませんでした。ノアが裸でいる時、ハムも裸になっているという 気持ちをもたなければならないというのです。ところが堕落したアダムが恥ずかしさを感じ、下部を覆って木の間に隠れたように、ハムも恥ずかしさを感じて、結局、父の裸を覆いました。それがまさに「私は堕落した子孫です」と自証することになったのです。

 すでに洪水審判によって人類は滅び、ノア家庭だけが残りました。サタンはノア家庭に侵入しようと機会をうかがっていましたが、ハムが父の裸を見て恥ずかしさを感じると、サタンがそこに侵入しました。それでノアはハムの行動を呪うしかなかったのです。ハムがサタンに侵犯される道を開いたからです。

 ノアはサタンとの関係を整理するために、約120年の間 箱舟をつくりましたが、ハムの過ちで、あっという間にその精誠の基盤がすべて崩れてしまったのです。ハムがノアと心情的に一体化することができなかったので、結局、実体基台が失敗したのです。


 (2) 恥ずかしがることが罪になった理由

 罪とは、サタンと相対基準を造成して、サタンが活動することのできる条件を与えることによって、サタンと授受作用をして、天法に違反することです。アダムは堕落する前は、裸であることに恥ずかしさを感じませんでした。しかし堕落したあとは、裸であることを恥ずかしがりました。ハムが恥ずかしさを感じたことが、サタンに「お前は私の子孫だ」 と言い得る 条件を与えたのです。

 ハムの立場においては、「私は堕落したアダムの子孫だ」 と告白したのと同じ立場です。ですから、ハムは実体基台の中心人物になることができず、ノア家庭におけるメシヤのための基台も失敗しました。

 ノア以降から、異なる言語が生じました。ノアの子孫たちは石の代わりに煉瓦を使い、漆喰の代わりにアスファルトを使い、城郭と塔を建設しました。彼らは「町と塔とを建てて、その頂を天に届かせよう。そしてわれわれは 名を上げて、全地のおもてに散るのを免れよう」と言いました。神様を証しし、神様を高めるのではなく、人間の名を主張し、人間を現そうとしたので、神様が言語を混乱させ、人々を散らばらせたのです。彼らは言葉が通じず、意思疎通ができないので、さまざまな混乱を起こし、それぞれ分裂してしまいました (創11章1~9節)。

 エデンの園でアダムとエバが完成していたなら、アダムが使う言葉が人類の言語になり、アダムの立てた伝統が人類の伝統となり、アダムの文化が人類の文化になったはずです。ノア家庭も同様でした。

 神様は五色人種を創造されたわけではありません。神様はアダムとエバしか創造していないのです。白人・黒人・黄色人種などの五色人種が現れたのは、神様によってではありません。神様がそのようにされたのではなく、人間が言語の不通によって断絶された生活をしながら、各自が散らばって、ある一か所にとどまって生活することで、そのようになったのです。生活する環境における日照量、太陽の光を受ける角度などによって、人間の肌の色が変わっていったのです。

 黒人と白人の肌の違いで判断してはいけません。黒人の血と白人の血は全く同じであり、赤ん坊の泣き声も、黒人と白人では全く同じです。悲しいときに涙を流すのも全く同じであり、うれしいとき踊るのも全く同じです。このようにすべて同じなのですが、ただ肌の色が違うだけなのです。

 肌の色が違うのは、肌をその環境下から保護しようとするからです。昆虫などが保護色をもっているのと同じです。人間は環境によって外的には変化しますが、根本的には全く同じなのです。

 黒人の鼻は平たくて鼻の穴が大きいのです。一方、白人は鼻が高くて鼻筋が細く、鼻の穴が小さいのです。鼻は外部の空気を受け入れて肺に伝える機関なので、その構造や仕組みが、外気の気温に対応するようになっています。

 黒人が多く暮らしているアフリカは、外気の気温が人体の温度に近いのです。外気をそのまま取り入れても何の問題もありません。そのような環境で長い間定着して暮らしてきた黒人は、鼻が平たくて鼻の穴が大きくなったのです。

 一方、相対的に寒い地方で暮らしてきた白人は、鼻が高く、鼻筋が細くて鼻の穴が小さいのです。寒い地方の人々は鼻が長くて、トンネルのような役目を果たしてくれます。寒い空気が直接肺に入れば、体に悪い影響を与えるので、長いトンネルを通っている間に、自分の体温に近くなるように空気を暖めるのです。すべて自分が暮らしている環境に適応するようになっています。

 五色人種が一つになるというのは、色が一つになるということではなく、堕落によって過った血統が、本来の血統になって一つになるということです。ですから、人類は神様のもとに一つの兄弟姉妹となるのです。


 3)結果

 ノア家庭は信仰基台を立てるのには成功しましたが、実体基台はハムの過ちで失敗しました。したがって、ノア家庭におけるメシヤのための基台は、失敗に終わりました。そのため、神様の摂理は再びアブラハムを立てるまで、400年間延長されたのです。


 2. ノア家庭が見せてくれた教訓


 ノア家庭が私たちに見せてくれた原理的教訓は、神様のみ旨に対する予定は絶対的であり、それを成すためには、人間の責任分担が必須だということです。

 人間の責任分担は相対的な予定なので、人間が責任を果たさなければ、再び他の中心人物を立てなければなりません。これが私たちに見せてくれる原理的教訓です。ですから、責任を負った人間は責任を果たすように努力しなければなりません。自分が責任を果たさなければ、それで終わるのではなく、再び摂理が延長されるのです。

 ノア家庭で見せてくれた教訓は「絶対に自分の思いで行動するな」ということです。ハムは父の考えに従って行動せずに、自分の思いで行動しました。分からなければ、悩んだり、不平を言ったりせずに、尋ねなければなりません。そして時でなければ、時になるまで待たなければならないのです。

 ですから、復帰摂理の道を歩む人の態度は、温柔謙遜で忍耐が必要です。時を待たなければならないので、忍耐し、常に感謝し、喜んでいなければならないのです。

 すべては瞬間に決定されるので、その瞬間を貴重に思わなければなりません。その瞬間は、自分の一生と繋がり、神様のみ旨と繋がっているので、自分がその瞬間に過ちを犯せば、自分の一生の望みも、神様のみ旨も成就しません。

 ですから、自分自身の生活がとても重要なのです。自分がその瞬間を勝利すれば、自分の一生も勝利し、神様のみ旨も勝利します。これが、ノア家庭が私たちに見せてくれた教訓です。

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