21万祭壇 超宗教世界聖殿 完成期天福宮 奪還勝利は UPMC(心身統一)から

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栄光のチャンピオンで引退した長谷川穂積 (ボクシングの神様は最後にもう一度彼に微笑んだ)

2019年02月08日 08時49分38秒 | 人物探訪

長谷川穂積3階級制覇 ラストファイト (歴史に残る9ラウンドの気迫の打ち合い)

3階級制覇したこの試合(ウーゴ・ルイス戦)は長谷川穂積ファンであれば最も感動し嬉しかった試合(最終試合となる)と言えるのではないだろうか…

何故この9ラウンドの気迫の打ち合いの勝利(試合の勝利)を長谷川ファンのみならず、見る人の誰をも感動させたのかは以下の経緯を読まれれば、その常人離れの不屈の精神と血と汗と涙の努力故であったことを知るからであり、ボクシングの神様が親孝行な彼に最後に微笑んだと感じたからだと思います。誰もが羨む理想的なプロボクシング人生であったと感じる裏には、壮絶な日々のトレーニングとそれを支える愛情で一つになった家族があった。

長谷川は2005年4月に20戦目でウィラポンとの世界初挑戦で王座獲得後、バンタム級で10連続防衛を果たした後、闘病中の母親が客席で見守る中、2010年4月11度目の防衛(フェルナンド・モンティエル戦)で敗れた。その後はリベンジして母親に勇気を与え病気の回復を信じて臨むタイトルマッチ (フアン・カルロス・ブルゴス戦) のはずだったがその試合の1ヶ月前に母はガンで亡くなってしまった。

母の死から1ヶ月後、亡き母に勝利を捧げるべく2階級上げたフェザー級タイトル戦 (フアン・カルロス・ブルゴス戦では12Rを戦い抜き見事にチャンピオンに帰り咲いた。この試合では気持ちだけで戦い抜き判定で勝ったが、試合後の長谷川は母の死と共に心情的には燃え尽きてしまった。(燃え尽き症候群)

このブルゴス戦は「あそこで僕のボクシング人生は終わっていたんですよ」と語る重要な試合だった。

「ちょうど母(裕美子さん、享年55)が亡くなって1ヵ月でした。これで負けたら、母が死んだのは僕のせいや、試合で負けたら母の死は無駄になってしまう。全然関係ないけど、僕の中ではそうだったんです。負けたら、ほんまに自殺しようかな、というくらいの気持ちやったんです」

母親の他界後でのリベンジ戦では気が張り詰めた中での勝利であったが、その後は試合をする理由もなくモチベーションがないまま、その5ヶ月後のジョニー・ゴンサレスとの防衛戦では戦う前からやる気はなく勝っても負けてもどうでもいい、早く家に帰りたいと思いながらリングに上がった。結果は負けた。負けても悔しくともなんともなかったとのことだった。(本人後日談)

その後の2年間は悶々としながら練習に励みながら、このまま引退すれば一生悔いが残ると思い再度リベンジに賭けた。ヘロナカマルゴ戦ではやっと納得のいく試合が出来、心と体が一致出来、次のタイトル戦に繋がる段階までコンディションが復帰した。それで万全を期して迎えた3階級制覇を掛けた2014年4月のタイトルマッチでは、15年のプロボクサーの集大成として全力で臨んだキコ・マルチネス戦だったが7回TKOで負けてしまった。

長谷川穂積、渾身の打撃戦で散る。世界15戦目で見せ付けた“集大成”。(記事リンク)

この日は亡き母の誕生日でもあり勝利を無き母に贈ろうとしたが実らなかった。この試合で引退かと思ったファンは多かったであろうが、不屈のボクサー長谷川はこれで終わらなかった。

その後、勇気を振り絞り引退覚悟で臨んだ2016年9月最後のタイトルマッチがこの動画ルイスとのタイトルマッチだった。

8回までの採点で2-1での長谷川有利の試合運びだった。9回の中盤残り1分30秒にルイスのアッパーが長谷川選手のアゴに入った後、一瞬よろめきロープに詰められ相手の猛ダッシュを受けますが、長谷川選手も応戦して凄まじい連打の殴り合いとなります。この殴り合いは長谷川選手が押し返して優勢になって9ラウンドが終わります。そして10ラウンドの鐘が鳴ったが、ルイスは気持ちが途切れて戦意喪失しそのまま試合終了となり長谷川が見事にチャンピオンに返り咲きます。

その後の長谷川はチャンピオンのまま引退をします。過去チャンピオンのまま引退した選手は徳山と長谷川しかいないそうで、チャンピオンの場合次の防衛戦は勝っても負けても数千万のファイトマネーが入るので、そのまま引退するチャンピオンはいないそうです。

お金よりはチャンピオンとしての栄光と誇りを選択して引退を選んだということでしょうか…

引退会見の際のコメントでは、

「気持ちをすぐには作れないと思いました。ベルトを獲る理由はあったけど、ベルトを守る理由が見つからなかった。次にやる意味が見いだせなかった。これじゃあ気持ちは入らない。気持ちが入らないまま試合をして負けた経験があるので、同じことをするのは嫌でしたから」

長谷川は2011年4月8日、ジョニー・ゴンサレス(メキシコ)に敗れてWBC世界フェザー級王座から陥落した日に、「いつか現役生活には終わりが来る」と悟ったという。

「それまでは、ほんまに永遠にボクシングをやるんやろうなって思ってました。頭では、いつかは引退する日が来ることを理解していても、心では、『いうてもやり続けるやろ』と。ただ、負けるはずがないと思っていたジョニー・ゴンサレスに負け、『いつか現役生活に終わりは来るんだ』と皮膚感覚で実感できた。だから、必死に考えたんです。どういう終わり方を、俺は望んでいるのか?」

日本人ボクサー 泣ける敗北 ~序章・全ての闘う者へ捧ぐ~


 以下記事引用

長谷川穂積インタビュー@前編


 戦績41戦36勝5敗――。ほとんど勝った。稀に負けた。ただ、その星が白くても、黒くても、長谷川穂積の試合は魅惑的だった。

 2016年12月9日、神戸市内のホテルでの引退会見。「引退」の二文字を発することにためらいはなかった。引退会見の壇上、予想以上に詰め掛けた報道陣を前に、長谷川はこんなことを思う。

「過去のどの試合よりも、記者や報道陣の数が多かった。『ボクシングを17年間してきたことが、この景色につながったんだ』と。本当に大勢の人が集まってくれたこの光景が、現役最後のご褒美じゃないですけど、ボクシングに出会い、一生懸命やってきてよかったなと心から思えました」

 引退を決断したのは、3階級制覇を成し遂げた2016年9月16日の試合から2ヵ月後、11月下旬のことだった。「ベルトを獲る理由はあったが、守る理由が見つからなかった」と長谷川は語る。

「自分が思い描いた以上の道を歩んできた。もちろん、『現役』という選ばなかった道に後ろ髪は引かれます。それでも客観的、総合的に見て、辞め方も含め、これ以上ないボクシング人生だったと思います」

長谷川は2011年4月8日、ジョニー・ゴンサレス(メキシコ)に敗れてWBC世界フェザー級王座から陥落した日に、「いつか現役生活には終わりが来る」と悟ったという。

「それまでは、ほんまに永遠にボクシングをやるんやろうなって思ってました。頭では、いつかは引退する日が来ることを理解していても、心では、『いうてもやり続けるやろ』と。ただ、負けるはずがないと思っていたジョニー・ゴンサレスに負け、『いつか現役生活に終わりは来るんだ』と皮膚感覚で実感できた。だから、必死に考えたんです。どういう終わり方を、俺は望んでいるのか?」

 時計の針を、もう少しだけ戻したい。

 2010年4月、長谷川はフェルナンド・モンティエル(メキシコ)に敗れ、10度防衛したWBC世界バンタム級のベルトを失っている。同年11月26日にWBC世界フェザー級王座決定戦、ファン・カルロス・ブルゴス(メキシコ)との一戦が決まるも、試合のわずか1ヵ月前に長年闘病生活を送っていた母が、この世を去った。

「ブルゴス戦は、この試合だけは母のために闘いました。だから、絶対に負けられなかった。もし負けたら、俺は死のうと覚悟してました」

 結果、長谷川はブルゴスを破り、飛び級での2階級制覇を達成する。しかし、前述した4ヵ月後のゴンサレスとの初防衛戦で、あっさりと敗れる――。

現役時代、どの敗戦についても、何度聞いても、敗因を尋ねると、長谷川は決まってこう答えた。

「結果がすべて。俺のほうが弱かったから負けた。それだけです」

 言い訳も、泣き言も、一度も聞いたことがない。

 引退した今だからこそ、その裏側にあった想いを長谷川は語り始める。

「ブルゴス戦の勝利は、達成感、充実感という面でキャリア最高の瞬間でした。あれ以上の瞬間は、後にも先にもない」

 そしてそこに、ボクシングという競技の深淵をのぞく。

「ボクサーは試合までに体重を規定内に落とし、身体を作らなければいけない。でも、それだけじゃない。同時に、闘う心も作らなければいけない。イメージは、試合に向けて大きな荷物をゆっくりと持ち上げ、試合が終われば、それをゆっくり降ろすような感覚」

 亡き母のためにリングに上がったブルゴス戦――。そのとき、長谷川が抱え上げた荷物は、大きさも、重さも、過去最大だった。それを降ろすのにも、さらには新たな荷物を持ち上げるのにも、ブルゴス戦の勝利からゴンサレス戦までが4ヵ月というのは、あまりにも時間が短すぎた。さらにその間、東日本大震災も起こり、阪神淡路大震災の被災者でもある長谷川は、「今、闘う理由」を見いだせないまま、ゴンサレス戦のリングに立った。

「それでも勝てると思っていたんですけどね」

 敗戦後、「どういう終わり方を、俺は望んでいるのか?」と自身に問うと、答えが見つかる。

「このままでは終われない。もう1回だけ世界チャンピオンになって辞めよう。もう一度、ベルトを獲って終わることが、一番幸せじゃないか」

 この日から、長谷川穂積の第2章とも呼ぶべき、第1章以上に長く険しい闘いの日々が始まる。

 簡単に世界戦は決まらなかった。トレーニングをしながら、ただ待つしかない長谷川は、「あと、どれくらいがんばれる?」と自問する日々を過ごした。当時、「今年(2014年)の春くらいに決まらなければ、それも運命。あきらめて引退するつもりだった」と語っている。まさにタイムリミットぎりぎりの2014年4月、キコ・マルチネス(スペイン)とのIBF世界スーパーバンタム級タイトルマッチが決まった。

 しかし、3年ものあいだ待ち望んだはずの世界戦にもかかわらず、リングに上がった瞬間、「試合は終わっていた」と長谷川は明かした。

「早く世界戦がしたい。そう思い続けても全然決まらなかった。それがやっと実現した。『よかった、やっと決まった』とうれしくて。リングに上がった瞬間、気持ちが切れたんです。試合が決まったことで、どこか集中の糸が切れてしまった。試合中、すごい無気力で。『しまった』と思っても、もうどうにもならない。『違うだろ、試合が決まって喜ぶんじゃない。勝って喜ばなきゃ』って、試合中に考えてました」

7ラウンド、長谷川は壮絶なTKO負けを喫する。

 ベルトに挑戦できる日は、次はいつになるかわからない。それどころか、もう二度とチャンスは来ないかもしれない。それでも、マルチネスに負けたまま辞めることはできなかった。

「これはちゃうわ。もう1回だけ、もう1回だけでいいから世界戦をさせてほしい」

 ふたたび、耐える日々は続く。

 2015年、長谷川は2試合のノンタイトル戦を行ない、どちらも判定勝ちしている。しかし、内容はお世辞にも褒められたものではなかった。特に12月11日のカルロス・ルイス(メキシコ)との試合では、3ラウンドと5ラウンドにダウンを奪われ、セコンドがタオルを投げ込もうとするシーンすらあった。そして試合内容以上に長谷川の心を傷つけたのは、観客の歓声だった。

「危ないと思ったんでしょうね。僕がクリンチをするたびに、会場から拍手と歓声が上がったんです。あれには、情けなさや、悔しさがありましたね……。

 試合後、知人に相談したんです。『潮時なのかな?』と。知人は、『まだ続けたいんだろ? クリンチだろうがなんだろうが、歓声が上がったんだろ? それを見て喜んでいるお客さんがいたってことだろ? だったら、いいじゃないか。それはプロとして成り立っているってことだろ』と。たしかにそうだな。まだ俺のボクシングを見たいと思ってくれている人がいるってことだと。それが、現役を続ける支えのひとつになりましたね」

 そうして迎えた2016年9月16日。ウーゴ・ルイス(メキシコ)とのWBC世界スーパーバンタム級タイトルマッチ。あの夜の長谷川穂積の勇姿を、多くのファンは、少なくとも会場に足を運んだファンは、生涯忘れないだろう。

 9ラウンド、ルイスの左アッパーを食らい、長谷川はぐらつく。ロープに詰め寄られ、悲鳴が会場を包んだ。絶体絶命のピンチにもかかわらず、長谷川は打ち合うことを決める。その勇気に、観客は叫んだ。声のかぎり叫んだ。

「行け、長谷川!」

 絶叫と歓声にかき消される9ラウンド終了のゴング。10ラウンド開始のゴングが鳴るも、ルイスは首を横に振り、コーナーから立ち上がることを拒んだ。長谷川の勝利が決まった瞬間、この日、偶然となり合わせになった観客は抱き合い、多くの観客がうれしいはずなのに泣いた。自分以外の誰かの勝利に、あれほど心揺さぶられることは、人生でそう何度も起こることではないはずだ。

 引退を決めた理由を、「ベルトを獲る理由はあったが、守る理由が見つからなかった」と語る長谷川。しかし、もちろん心が揺れなかったわけではない。

「5年ぶりのチャンピオンですからね。周囲もチヤホヤしてくれるわけです(笑)。次の試合はウン千万と具体的に金額を提示されたりもしました。それならって、一瞬は思いましたよ」

 だが、長谷川はリングから降りることを決断した。それは、ボクシングという競技への敬意だったのかもしれない。

「やりたければ、やればいい。ただし、チャンピオンだけは別。義務として防衛戦をしなければいけない。自分の事情だけで試合が組めないのがチャンピオンですから。もし、俺が試合をしたいタイミングまで待ってもらえるんやったら、現役を続けていたかもわからないです。でも、そうはいかないのがチャンピオンなんで。自分が納得できるタイミングで試合ができないのであれば悔いが残るということを、僕はこの5年間で学んだ。だから1回、ここで区切りをつける。もし、どうしてもやりたくなったら、そのときに考えようと」

 野暮だとわかりながら聞いた。「キャリア最高の瞬間」と振り返る、母に捧げたブルゴス戦の勝利。その試合以降、夢に母が現れたことはあるか?

「それが、ないんですよね。全然出てこない。出てきてほしいんですけどね。もし声をかけられるなら? 『ボクシング、辞めたよ』ですかね。きっと、笑いながら『お疲れさん』って、褒めてくれるんじゃないですか」

 そう話すときの長谷川の目は、現役時代は一度も見せることがなかった優しさを帯びていた。

 長谷川は引退発表から3ヵ月経った今も、時間が許せば朝には走り、練習も続けている。やはり、聞かずにはいられなかった。

「もう一度、リングに立つ可能性はあるんですか?」

 ためらう様子もなく、長谷川は「ありますよ」と即答した。

「世界タイトルマッチ、もしくは、それに匹敵するビッグマッチなら。ビッグマッチがそう簡単に決まらないの、僕が一番知ってますけどね。もしも決まるなら、それも運命だと、やりますよ」

 では、ビッグマッチとは、具体的にはどんな試合を指すのか?

「たとえば、もしも、ノニト・ドネア(フィリピン)に『キャリアの最後にお前とやりたい』って言われたら、やるに決まってるんですよ。来月って言われたら無理ですけど、きっちり時間を取ってくれるなら。僕はドネアとずっとやりたかったんで。絶対にやります」

 彼がもう一度リングに立つ日が来るのか、今は誰にもわからない。しかし、長谷川穂積は言った。

「僕は今、現役じゃない。でも、一生ボクサーなんで」

 その目は、現役のボクサーのそれ、そのものだった。

 

長谷川穂積インタビュー@後編

―― 世界チャンピオンになれると思ったのはいつですか?

長谷川穂積(以下:長谷川) 明確に覚えてます。ウィラポンに挑戦(2005年4月16日)する直前です。それまでは、「なりたい」とは思っても、「なれる」とはまったく思わなかったんで。それでも、判定で勝ったデビュー戦の後に、「目標は世界チャンピオンです」って堂々と言ってるんですよね(笑)。

―― 自分に才能があるとは思いましたか?

長谷川 自分が特別だとはまったく思ってないです。アマチュア経験もなく18歳でプロになり、キャリア5戦の時点で3勝2敗。日本ランカーにすらなれないんじゃないかと思ってました。

―― 少しずつ、実力と自信をつけていった感じですか?

長谷川 徐々にですね。実際1個、1個、勝っていくしかないですから。それが積み重なっていく。これ勝った、これ勝った。気づいたら、「あ、本当に世界戦が決まった」くらいの感覚です。「これで勝ったら、本当に世界チャンピオンや」みたいな。

―― しかし、当時のチャンピオンのウィラポン・ナコンルアンプロモーション(タイ)は、辰吉丈一郎選手や西岡利晃選手など、名だたる日本人ボクサーを退け続けた絶対王者でした。

長谷川 ですね。相手が世界チャンピオンだと思うと緊張するじゃないですか。だから、「タイの噛ませ」や思って試合をしたんです(笑)。めっちゃ覚えてるんですけど、そう思うと全然怖さもなくて、4ラウンドくらいまで「弱いな」と。でも、5ラウンドからウィラポンが前に出てきて、そっから、ちょっとしんどかったですね。

―― 3-0の判定勝ちは、想定内でしたか?

長谷川 正直、採点はまったくわからんかったんで、この試合に関しては運がよかったなと思いました。判定負けだったとしても、不服なく受け入れていたし。今日は運がよかったなと。

―― なるほど。

長谷川 ただ思い返せば、ちょうど僕がジムに入ったころに、ウィラポンが世界チャンピオンになったんです。「いつか挑戦したい」って言ってたんですよね。みんな笑ってましたけど。ウィラポンはそのまま6年間チャンピオンを守って、本当に挑戦できた。言霊なんですよ。思ったこと、なりたいこと、全部叶ってきてるんで。デビューしたとき、友だちに「チャンピオンのまま引退する」とも言ってたんですよね。

―― チャンピオンになってから1年後、ウィラポンと再戦(2006年3月25日)しています。

長谷川 うわっ、絶対負けるって思いましたね、1回戦って強さを知ってるんで、もう「噛ませ」だとは思えない。しかも、あんな強かったのに、(前回の)1回目は計量を失敗してる。俺を舐めてた部分もあったと思うんです。きっと今度は万全でくる。ヤバッ、思って。

 まあでも、負けたら負けたでしゃあないなと、ずーっと思ってました。試合中も、「負けてもしょうがない」って。最後の最後、9ラウンドに倒す瞬間まで、勝てると思えなかったです。ものすごい追い上げられてたんで。この日も運がよかったんですよ。勝てたのは運です。

―― しかし、あのウィラポンに2度勝った。「俺、すごい!」とはなりませんでしたか?

長谷川 当時は本当に運がよかったくらいしか思ってなかったですね。逆に今なら、「俺、すげーじゃん」ってなってたと思います(笑)。あのときって、自分が何者かまったくわかってないんですよ。まったくわかってないから、ウィラポンに勝っても、ただウィラポンに勝っただけちゃうかなって感覚。ヘナロ・ガルシア(メキシコ/2006年11月13日)、シンピウィ・ベトイェカ(南アフリカ共和国/2007年5月3日)、シモーネ・マルドロット(イタリア/2008年1月10日)にも勝った。でも、防衛を重ねても、ただそいつらに勝っただけやろうなという感覚。自分が強いどころか、世界チャンピオンになった自覚もまったくなかったですね。

―― 「ボクシング界の救世主」「日本のエース」と呼ばれ始めました。ボクシング界を背負っている感覚はありましたか?

長谷川 全然ないです(笑)。日本のエースとか、やめてほしかったくらいですね。

―― ただ、当時の勢いは、まさにエース。負ける気がしなかったんじゃないですか?

長谷川 そうですね。負ける気がしませんでしたね。特にKO勝ちが続いた8、9、10度目あたりの防衛戦は。

―― 負ける気がしなかった自信の根拠は?

長谷川 天狗だったってことじゃないんです。当時、勝てば勝つほど練習を増やしていたので。しかも、「ボクシングの神様が俺にはついてる」って気持ちでやってましたから。それは負けないですよね。間違いなく誰よりも練習をしている、というのが自信の根拠でした。

―― 今では当たり前のように耳にしますが、日本人ボクサーが「ラスベガスでやりたい」「他団体王者と統一戦をしたい」と発言したのは、長谷川選手が初めてだったと記憶しています。

長谷川 3度目の防衛をしたくらいですね。ロスで試合を観戦したことがあったんです。さすが本場やなって盛り上がりで。こんなとこで試合ができたらいいなと。どうせやるなら、最高と呼ばれるリングに立ちたかったし、そこでやるならばビッグマッチ、統一戦だろうなと。

―― しかしその後、あまり海外進出の夢を語らなくなりました。ちょうど、母親のガンが発覚した時期と重なります……。

長谷川 それは全然関係ないです。海外は「行きたい」と言って行けるもんじゃない。ずっと言ってたからって、決まるものでもない。だから言葉にはしませんでしたが、1回、1回、勝っていったら大きい試合が決まり、そこで勝てばラスベガスに行けるだろうと思っていました。

―― なるほど。

長谷川 まさに、その大きな試合がフェルナンド・モンティエル戦(メキシコ/2010年4月30日)です。ここで勝っていれば、次は絶対にラスベガスだったでしょう。負けたから叶いませんでしたけど、チャンスをいただけました。本田(明彦/帝拳ジム)会長に助けていただいたなと感謝の気持ちが大きいです。

―― 今、モンティエル戦でこうしていればよかったと思うことはありますか?

長谷川 一切ないですね。もちろん、試合前にモンティエルの映像を見て、ちゃんとコンディションさえ作れたら負けないと思ったんですけど。やっぱり人生、どこに落とし穴があるかわからなかったですね。

―― キャリアでもっとも印象に残っている試合はどれですか?

長谷川 2階級制覇のタイミング、ファン・カルロス・ブルゴス(メキシコ/2010年11月26日)との試合です。負けたら自殺するくらいの気持ちでやってましたから。あそこが、キャリアの頂点というか。あれ以上の瞬間はないですね。

―― では、ご自身が思う、長谷川穂積のベストバウトは?

長谷川 モンティエル戦が、そのひとつであることは間違いないです。あれはいい試合でした。僕が負けた瞬間、日本武道館が水を打ったようにシーンとなった。あんなこと、これから先もないんじゃないですか。

 ベストは、ウィラポンとの2試合目です。最後に倒せたということもあるんですけど、僕が持つすべての技術を使った戦い方ができたんで。あの試合で放ったコンビネーションを打てるのは僕しかいないと、今でも思っています。

―― そのころの長谷川穂積と、3階級制覇したころの長谷川穂積、どちらが強いですか?

長谷川 ウィラポンに勝ったころです。余裕で。勢いもあったかなと。ただ、試合をすればどちらが勝つかといえば、話は別というか。加齢とともに身体能力や反射神経が落ちていくのは当たり前で。ただ、ボクシングという競技は年齢とともに変わるというか。近代ボクシングは、フロイド・メイウェザーの出現で少しずつ競技自体が変わっていった気がします。

―― 具体的には、どういうことですか?

長谷川 拳闘からボクシングに変わる、と言うか。若い奴は拳闘なんです。勢いだけで通用しますから。でも、僕ら年長組は、勢いだけの拳闘ではもう身体が持たない。ボクシングをより競技として捉えて、より戦術的に戦う必要はありますよね。技術、経験は高まりますから。

―― 昨年12月のWBCの総会で、フロイド・メイウェザー・ジュニア(アメリカ)とツーショットの写真を撮っていましたね。

長谷川 オーラ、すごかったですね。オーラって見る側が相手に対して作ってるもんだと思うんです。僕がそういう目で見てるからなんでしょうけど、ホント、オーラがすごかった。キラキラしてますよね。現役・引退含め、錚々たるボクサーがいたんですが、誰とも写真を撮らなかったですけど、唯一、メイウェザーだけとは写真を撮りました(笑)。

―― キャリア最終戦となった昨年9月の試合、「決まるのが1~2週間遅ければ引退していた」と言っていました。キコ・マルチネス戦(メキシコ/2014年4月23日)も、自身で設けたリミットぎりぎりで決まりました。ドラマチックですね。

長谷川 偶然ですね。ただ、偶然ではあっても、僕が誰かのボクシング人生を歩めないのと同じように、僕のボクシング人生も他の誰かでは歩めないという自負があります。僕のキャリアを、勝った負けたを書き出せば、紙1枚か2枚、そんなもんです。

 ただ、世界チャンピオンになり、母親にガンが見つかり、もう一度チャンピオンになり、また負けて、もう一度王者に返り咲き、チャンピオンのまま引退した。絶対に僕にしか歩めなかった道、僕にしか描けなかったストーリーだと思うんです。「ボクサー長谷川穂積」を好きだった人は、そういう物語を含めて好きでいてくれて、僕がチャンピオンであろうが、なかろうが、どんなときでも会場に見に来てくれたんだと思うんです。本当に感謝しかありませんね。

―― 今は現役選手に日本ボクシングを託すような感覚ですか?

長谷川 がんばってほしいですね。ただ、今言ったように、僕しか僕のボクシング人生を歩めないのと同時に、当たり前ですけど、彼らのボクシング人生は彼らにしか歩めない。彼らしか紡げない物語がある。ある意味、当然なんですけど、誰にもできない、歩けない道を歩いてほしいです。だから、もちろん応援しますけど、僕が何か言えるようなことはないですね。

―― もしも漫画なら、ウーゴ・ルイス(メキシコ)に勝って3階級制覇した瞬間が最終回だと思いますが……。

長谷川 そうですね。ただ人生は、こっからが長いんでね。今考えているのは、自分自身も身体を動かすようなボクシングジムが作れたらと思っています。あとは、困ってる選手がいたら手を差し伸べられるような、組合のようなものができたらいいなとも。もちろん、試合のコメンテーターのような仕事も続けたいです。ただ、どんなことをするにしても、現役時代を応援してくださった人たちをガッカリさせるようなことはしたくないですね。

―― 過去・現在を問わず、戦ってみたかった選手はいますか?

長谷川 前からずっと言っていますが、ノニト・ドネア(フィリピン)とはやってみたいですね。過去形ではなく、もしもドネアから声がかかるなら、現役復帰すると思います。ドネアに『キャリアの最後にお前とやりたい』って言われたら、やるに決まってるんですよ。来月って言われたら無理ですけど、きっちり時間を取ってくれるなら。絶対にやります。

―― 戦ってみたかった日本人選手はいましたか?

長谷川 日本人は正直、いなかったですね。世界戦までに、散々日本人選手とは戦ってきたんで。もういいかなって。

―― 最後に、多くのファンに改めてメッセージをください。

長谷川 現役時代は応援、ありがとうございました。これから新しいことに挑戦するので、応援していただけたらうれしいです。ただ、未来に何が起こるか、僕だってわからない。ポッといい話が湧いたら、来年の年末くらいに復帰してる……なんてことがあるかもわからない。もし復帰するなら、そのときは応援してください。

【profile】
長谷川穂積(はせがわ・ほづみ)
1980年12月16日生まれ、兵庫県西脇市出身。168.5センチ。サウスポー。真正ボクシングジム所属。1999年11月にプロデビューし、2005年4月、プロ20戦目での世界初挑戦で王者ウィラポン・ナコンルアンプロモーション(タイ)を倒してWBC世界バンタム級チャンピオンとなる。その後、世界王座に5年間君臨し、その間に10度の防衛に成功。2010年4月に王座から陥落するも、同年11月にWBC世界フェザー級王座を奪い取る。2016年9月、WBC世界スーパーバンタム級王者となって3階級制覇を達成して引退。生涯戦績41戦36勝(16KO)5敗。


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辰吉丈一郎というボクサー

2019年02月03日 08時51分00秒 | 人物探訪

youtubeにこんな動画がありました。(高画質)
1994年12月4日 WBC世界バンタム級タイトルマッチ 王者 薬師寺保栄 VS 暫定王者 辰吉丈一郎 (歴史に残る壮絶な名勝負)


試合終了のゴングの後、辰吉は薬師寺に “いろいろ言ったのごめん、ほんま強かったわ、ありがとう” と耳元で囁きました。(薬師寺保栄 VS 辰吉丈一郎 対談)

燃え尽きたい! ─密着・辰吉丈一郎─

生きる伝説 辰吉丈一郎①
生きる伝説 辰吉丈一郎②

 

やらせ企画 ガチンコファイトクラブ
https://www.excite.co.jp/news/article/E1464316086037/(ヤラセ発覚記事)

番組全編(1期生~5期生)

今から約20年も前に放映された番組で当時親たちやPTAからいろいろと物議を呼んだ不良たちの突っ張った内容がありましたが、自分とは違ったタイプの人間達が織りなす人間ドラマが面白くて機会があればよく見ていました。ノンフィクションなら感動物なのですが、台本アリのやらせですので漫画と思って見ればそれなりに面白く感動する場面も多々あります。

当時の現役ボクサーの畑山や辰吉丈一郎等が登場して練習生たちをコーチし激励しますが、頂点に立った人なので当然ですが辰吉の助言や人生観やプロ意識には説得力があり、思わず納得してしまう程に筋が通った事を言う人です。現役時代から今に至るまでその生き方に感動するファンも多く、私も好きなボクサーの一人です。

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ナスDの超人的異国間文化交流心情一体化能力に学ぶ

2018年10月28日 12時18分25秒 | 人物探訪

ナスDの超人的異国間文化交流心情一体化能力に学ぶ

ナスDと言う破天荒なサバイバル芸人的テレビ朝日のディレクターを、サバイバル的に学べる部分を以前に紹介しましたが、今回はこの人物の持つ特技ともいえる超多文化異国人種間心情一体化能力について分析してみたいと思います。

何が凄いと言ってもこの人物、何処へ行ってもその発展途上国の原住民達から直ぐに受け入れられ愛されてしまう能力を持っていることです。

その秘訣の第一は先ず信用を得るために、上から目線の先進国文明人気取りは一切見せずに、その国の民族部落の文化習慣を対等な態度と視線で自分から進んで体験し受け入れて賛美し、その住民が驚くほどに完全に同化してしまう行動力と心情一体化能力と言えます。

そして“為に生きる”姿勢があり、相手の心をつかむ技とも言うべき友好的な社交精神が凄いですし、人種間を越えて老若男女の人から愛されるこのナスDから人間的に学べる要素は多々あると感じます。

やはり、その道のスペシャリストと言える人達には凡人には真似が出来ない光る何かを持っていると感じます。

ナスDの大冒険YouTube版【番組公式】

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youtubeカリスマ的サバイバーのベア・グリルズ氏とエド・スタフォード氏のサバイバル精神が凄い

2018年10月28日 10時25分48秒 | 人物探訪

youtubeカリスマ的サバイバーのベア・グリルズ氏とエド・スタフォード氏のサバイバル精神が凄い

https://www.youtube.com/playlist?list=PLgMKK0HeoFAUHOBxkGEyN9Wl4nQm0IB-p

毒ヘビを食べてみた (意外と美味しかった) | サバイバルゲーム (ディスカバリーチャンネル)

以前にナスDと言う破天荒サバイバーを記事で取り上げましたが、そのナスDが師と仰ぐサバイバーのベア・グリルズ氏が、ディスカバリーチャンネルで究極的なサバイバル振りを実体験でレクチャーしてくれています。

常人にはとても真似のできない凄さで思わずえずきそうになる場面が多々出てきますので視聴には注意が必要です。

その他にエド・スタフォード氏のザ・秘境生活も凄いです。

https://www.youtube.com/playlist?list=PLgMKK0HeoFAUiKu48ssOoJtLKBkh4-x1v

日本人のカメ五郎さんと言うサバイバーもyoutubeで有名ですが、凡人の私達にはより実際的に参考になると思います。

https://www.youtube.com/channel/UCYekAQGJOCcLC3YNV1NZvLQ

 

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多くの日本人から愛される路上パフォーマーのオーストリア人ゴード氏の魅力とは

2018年10月28日 07時54分56秒 | 人物探訪

多くの日本人から愛される路上パフォーマーのオーストリア人ゴード氏の魅力とは

以前にブログで神業な路上パフォーマンスをする人達を取り上げた事がありますが、その中の一人にゴードさんというオーストラリア人を取り上げた事がありました。

この方は日本が大好きで日本のユーチューバーとして日本語で記事をアップし続けており、当人もこの方の性格の明るさと魅力に惹かれる人たちの中の一人です。動画を見て分かるように、とにかく話題が豊富で性格が明るく、EQと呼ばれるコミュ二ケーション能力が非常に高く(テスト結果は良くなかったですが)見ているだけでどんどんと引き込む能力のある人物の様です。

この方ほどに動画を出すたびに殆どの人が良い👍の評価を入れ、滅多に悪い👎が入らないユーチューバーも珍しいです。訓練で身に付けたというよりも持って生まれた才能の様に感じます。

屈託のない明るさと飾らない振る舞いで率直でオープン、常にポジティブに物事を考えて行動して自由に人生を楽しみ、その生き方と発想を見ているだけで視聴者が良い意味で感化されるからではないでしょうか?

西洋人でありながら日本人的な気質と気遣いをする珍しい外国人です。この様な明るい性格でチャーミングなゴードさんの動画は一種の清涼剤的効果があるようです。

 

以下記事引用

IQよりも“EQ”の時代。仕事に必要なEQは幼少期にしか育たない!?

学力や記憶力などのIQ(知能指数)に対して、
IQでは測れないコミュニケーション力や忍耐強さやセルフコントロールなどの性格や潜在能力のことを
「EQ(心の知能指数、英: Emotional Intelligence Quotient)」と呼びます。
頭の良さを示すIQよりも、EQの方が社会的な成功に結びつきやすいという研究結果も出ており、文部科学省の学習指導要領では「生きる力」という表現がされています。

仕事で活かされる5つのEQとは?

EQの種類は様々ですが、なかでも注目されているのは仕事や社会で必要とされるEQです。
論文では難しい言葉で書かれていますので、分かりやすく書くと以下の5つが最も大切であるとされています。

■好奇心(新しい知識や経験を追い求める)
■勤勉性(真面目に物事に取り組み、努力する)
■コミュニケーション力(積極性に富み、交渉なが円滑に進む)
■協調性(仲間と協力し、共感できる)
■セルフコントロール(精神を安定させ、緊張や逆境に強い)

確かに、「頭の良さだけでは仕事ができるとは言えない」というのは上記を見れば納得しますよね。

(参考)「非認知能力が労働市場の成果に与える影響について」

明治学院大学専任講師・李嬋娟による論文

幼少期の家庭環境やEQが、子どもの将来を決める

また、幼少期(特に小学校入学前)の家庭環境やEQが子どもの学歴、生涯年収、雇用形態、持ち家比率、犯罪率にも好影響があるという研究結果も多く存在します。

では、いったい幼少期でどのようにしてEQを高めればいいのでしょうか?
今回は「勤勉性」に特化して、これまでの研究結果を元に、今日からできる3つの方法をお教えします。

今日からできる「EQ」を育てる3つの方法

<その1>「勉強しなさい」は時間の無駄。勉強への関わり方を変える。

「学力の経済学」の著者で有名な中室牧子教授らによる研究結果によると、

①勉強するように言っている
②勉強する時間を決めて守らせている
③勉強を横について見ている
④勉強したか確認している

の方法のうち、「①勉強するように言っている」というお手軽なものに効果はない、という結果が出ました。
逆に、「③勉強を横について見ている」「②勉強する時間を決めて守らせている」という親が子どもへの勉強に深く関与する方法は効果が高いことも明らかになりました。

「忙しくて勉強を見る時間はなかなかとれない…」という方でも、最近は「リビング学習」という方法も注目されています。
一緒に勉強する時間を決めたり、同じ時間にお母さんも別の勉強をする、など関わり方は家族それぞれ考えてみてみてもよいでしょう。

<その2>「ご褒美」の制度を取り入れる。

アメリカの小学生を対象にした「ご褒美をあげるべきか」に関する研究結果です。
これはIQにも効果的と言えるでしょう。

①最初にお金を与えて、結果が出なかったら没収
②結果が出たらすぐにお金を与える
③結果が出た場合、お金をあげるのは1ヶ月後
④結果が出たらトロフィーをあげる
⑤何も与えない、励ますのみ

上記5つのうち、その後の学力に効果がなかったものは⑤と③。
ご褒美が先延ばしになると、何も与えない⑤と同じように効果がない結果となりました。

一方で効果が出たのは、①と②と④です。
やはり大人と同じく、子どももご褒美があったほうが頑張るようですね。

また、小学校低学年では、お金よりもトロフィーの方が効果が大きい結果となりました。
同じく5~7歳を対象にしたIQ検査では、1問正解するごとにチョコレートを1粒上げたほうがスコアが高かったという結果もありました。

「ご褒美をあげなくなると勉強しなくなるのでは?」という心配もあると思いますが、
その後の調査によると、学力が下がることはなかったそうです。

これらを参考に、ご家庭にあったご褒美の制度を取り入れてみてはいかがでしょうか?

<その3>家族のルールを一緒に決める。

勉強以外にも、寝る時間やテレビを見る時間など、子育てのしつけ方法にはみなさん悩まれていると思います。
上記の研究結果でもあったように、「親の関わり方の深さ」がとても大切なことは明確です。
また、「◯◯しなさい」と毎回言うのは大変ですし、エネルギーを使いますよね。

そんなときには、「家族みんなでルールを決める」という方法が効果的です。

最近でもTwitterで仲良し家族の家族会議の議事録が大反響となっていました。

Twitterで話題のとある家族会議の議事録

もひかんさんことパパ、ママ、なごみちゃん(9)、かずとよ君(4)の4人家族は、月末に家族会議を開き、Twitterに議事録を投稿している。

この議事録は、9歳の長女が書いているそうです。

「子どもらが月ひとつだけでも何か目標が達成できたらと思い、始めました」
「4歳の長男も目標を達成しほめてもらえることに喜びがあるようで、結果的によかったです」

とお父さんが語っているように、家族みんなで目標を決める場をつくれば、子どもたちも自分でルールを決めることになり守る意識が芽生えます。
一方的に何かを制限したり押し付けるよりも、よほど効果的なことが分かります。


いかがでしょうか?
子どもの将来に必要なEQを育てるために、ちょっとした工夫を取り入れてみてください。

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