(滋賀)医事雑感 予期悲嘆 ご近所のお医者さん
その他 2016年1月26日 (火)配信毎日新聞社
◇看取る前悲しみに苦悩 堀泰祐さん(県立成人病センター緩和ケアセンター長)
がんの罹患(りかん)率が増え高齢化が進むと、親が子を看取(みと)るという逆縁が増えています。
Tさんは70歳少し前の女性で、若い時に夫と死別し、一人娘を育てました。スーパーのレジ係や清掃員など、いろいろな仕事をしながら、娘が短大を出て自立するまで働きました。ヘルパーの資格を取り、今でも高齢者施設でパートとして勤めていました。
娘が乳がんを発症したのは、1年前のことで、まだ40歳前でした。乳がんの悪性度が高く、手術後半年でリンパ節から肺、肝臓などに転移しました。抗がん剤治療が効いたのは一時的でした。
娘は結婚していましたが子供はなく、夫も忙しいため、いつもTさんが付き添っていました。
病状が悪化して、緩和ケア病棟に入院しました。Tさんは、娘に付ききりで看病し、入浴介助、排せつのケアなど、ほとんどのケアを自分でしました。看護師がしようとすると、「私がしますから」とさえぎりました。
Tさんも腰痛持ちで、ケアを続けるのは辛(つら)そうでしたが、看護師が手伝おうとすると「私にさせて」と拒みました。娘は遠慮がちな性格で、母親のするままにさせていました。
カテーテルや点滴の管理など、専門的な処置は看護師に任せていましたが、身の回りの世話は全てTさんが担いたいようでした。傷の処置の時、外に出るように言われたTさんは「のけ者にしないで」と怒りました。
担当看護師は、Tさんと話し合う時間を持ちました。「私には娘しかいない。年を取って一人残されるなんて。どうやって生きていけばよいの」と涙を流しながら、思いを一気にはき出しました。
この後、Tさんは徐々に看護師の援助を受け入れるようになりました。家族は愛する人が亡くなる前から、強い悲しみにさいなまれます。これを予期悲嘆といいます。
Tさんは、献身的に介護することで、悲しみを紛らわせようとしていました。気持ちを率直に表出することによって、状況を受け入れたのです。
Tさんは、担当看護師に肩を抱かれながら、静かに娘を看取りました。
あ―――――――悲しいね~
その他 2016年1月26日 (火)配信毎日新聞社
◇看取る前悲しみに苦悩 堀泰祐さん(県立成人病センター緩和ケアセンター長)
がんの罹患(りかん)率が増え高齢化が進むと、親が子を看取(みと)るという逆縁が増えています。
Tさんは70歳少し前の女性で、若い時に夫と死別し、一人娘を育てました。スーパーのレジ係や清掃員など、いろいろな仕事をしながら、娘が短大を出て自立するまで働きました。ヘルパーの資格を取り、今でも高齢者施設でパートとして勤めていました。
娘が乳がんを発症したのは、1年前のことで、まだ40歳前でした。乳がんの悪性度が高く、手術後半年でリンパ節から肺、肝臓などに転移しました。抗がん剤治療が効いたのは一時的でした。
娘は結婚していましたが子供はなく、夫も忙しいため、いつもTさんが付き添っていました。
病状が悪化して、緩和ケア病棟に入院しました。Tさんは、娘に付ききりで看病し、入浴介助、排せつのケアなど、ほとんどのケアを自分でしました。看護師がしようとすると、「私がしますから」とさえぎりました。
Tさんも腰痛持ちで、ケアを続けるのは辛(つら)そうでしたが、看護師が手伝おうとすると「私にさせて」と拒みました。娘は遠慮がちな性格で、母親のするままにさせていました。
カテーテルや点滴の管理など、専門的な処置は看護師に任せていましたが、身の回りの世話は全てTさんが担いたいようでした。傷の処置の時、外に出るように言われたTさんは「のけ者にしないで」と怒りました。
担当看護師は、Tさんと話し合う時間を持ちました。「私には娘しかいない。年を取って一人残されるなんて。どうやって生きていけばよいの」と涙を流しながら、思いを一気にはき出しました。
この後、Tさんは徐々に看護師の援助を受け入れるようになりました。家族は愛する人が亡くなる前から、強い悲しみにさいなまれます。これを予期悲嘆といいます。
Tさんは、献身的に介護することで、悲しみを紛らわせようとしていました。気持ちを率直に表出することによって、状況を受け入れたのです。
Tさんは、担当看護師に肩を抱かれながら、静かに娘を看取りました。
あ―――――――悲しいね~
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