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賠償対象・・被ばく者とは・・

2011年10月04日 00時55分58秒 | 地域
<福島第1原発>自主避難者賠償 「早い者勝ちだったの?」
毎日新聞 10月4日(火)0時39分配信

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文部科学省原子力損害賠償対策室の担当者を前に、賠償対象の拡大を求める要望を読み上げる自主避難者の女性=東京都千代田区の参院議員会館で2011年10月3日午後3時過ぎ、袴田貴行撮影
 東京電力福島第1原発事故のため自主避難した人たちの間で、賠償への「線引き」に困惑が広がっている。文部科学省の原子力損害賠償紛争審査会が先月、事故後1カ月程度の間に避難したケースには賠償を認める方針を固め、その後避難した人は「検討課題」と先送りにしたためだ。「避難は早い者勝ちだったの?」「汚染の実態が分かったのは最近なのに」。3日東京都内で開かれた集会には避難者ら約120人が集まり、線引きをなくすよう訴えた。

 ◇対象は事故後1カ月程度 「国信じ残ったのに…」

 「事故直後から不安で仕方がなかった。でも国や東電が『大丈夫』と言い続けてきたのを信じて残ったのに……」。福島市の主婦、菅野千景さん(46)は悔やむ。中1(13)と小2(7)の娘2人を連れて京都市の公務員住宅に自主避難したのは、8月末になってからだ。

 自宅は原発から約60キロ。すぐに避難することも考えたが、マイホームのローンを抱え、夫と離れ離れの生活になることはためらわれた。中学入学を控える長女の心情も考えた。故郷・福島への愛着もあった。

 住んでいる地区の放射線量が比較的高いと知ったのは6月。講演会や市民団体の集会に参加した。線量の数値や評価がこれまで聞いていた話とは違っていた。自宅の線量を測ると、2階の子供部屋が毎時0・95マイクロシーベルトで、平常時の屋外の20倍で、水ぶきしても数値は下がらない。娘たちには長袖にマスク姿で通学させる日々。「この状態が続くなら」と2学期の始まりに合わせた避難を決めた。

 審査会は先月21日、自主避難者への賠償に関し、避難時期を「事故当初」と「一定期間後」の二つに区切って議論することを決めた。「事故当初」は「恐怖心から避難するのは合理的」として賠償対象とすることで一致。区切りについては、政府が計画的避難区域などの指定を発表した4月11日か、指定日の同22日が検討されている。

 菅野さんはやるせない。「冷静に行動しようと思い、事故直後は踏みとどまってしまった。影響が出るかもしれない子供たちに申し訳ない上に、補償も出ないなんて」。引っ越し代や二重生活の費用がかさむ。

 ◇方針に異論も

 審査会の方針に関しては異論も出ている。

 日本弁護士連合会の宇都宮健児会長は9月30日、「事故収束のめどは立たず、汚染は拡大している。避難区域外からの避難は決して不合理とは言えない」などと指摘。自主避難者についても、一定の放射線量を超える地域からであれば賠償の対象とするよう求める声明を発表した。3日に参院議員会館であった集会で発言した福島県郡山市の長谷川克己さん(44)。悩んだ末8月中旬に静岡県に避難した。

 妻(35)は懐妊中で5歳の長男もいる。会社勤めの傍ら、幼稚園のPTA会長も務めていた。「自分たちだけ逃げることが許されるのか」。苦悶(くもん)する中、局地的に線量が高いホットスポットを取り上げたテレビ番組で紹介された数値が、長男の寝室と変わらないことを知り、避難を決意した。

 避難先で新たな仕事を見つけたが1カ月で失業した。「賠償されれば生活は助かる。しかし何より、自主避難が、愛する家族を守る正当な手段であったと認めてほしい」【安高晋、袴田貴行】
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