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★壬生寺は京都の裏鬼門、開運厄除けの寺として古くから信仰を集めて来た、また狂言の草分けとも言える「壬生狂言」が「節分会」で披露される。
壬生寺の大念仏堂で[ガンデンデン]の囃しに合わせて演じられる軽妙な無言劇。
壬生狂言は、鎌倉時代に壬生寺を興隆させた円覚が、民衆に仏の教えを身振りで伝えたのが始まりとされている。
国の重要無形民俗文化財の指定を受けて、三十曲を受け継いで毎年春の「大念仏会」で厄よけ鬼はらい狂言「節分」(変装した鬼が女主人に酔いつぶされて正体がばれ、豆で追い払われる筋書き)が上演される。
二月二日~三日(二日間) 午後一時から一時間おきに八回上演。
境内や参道の露店で素焼きの炮烙を買い、「無病息災」などの願い事を書き込んで寺に奉納し、一年の無事を祈る。納められた炮烙は四月の壬生狂言「炮烙割り」で割られる。
壬生寺の大念仏堂で[ガンデンデン]の囃しに合わせて演じられる軽妙な無言劇。
壬生狂言は、鎌倉時代に壬生寺を興隆させた円覚が、民衆に仏の教えを身振りで伝えたのが始まりとされている。
国の重要無形民俗文化財の指定を受けて、三十曲を受け継いで毎年春の「大念仏会」で厄よけ鬼はらい狂言「節分」(変装した鬼が女主人に酔いつぶされて正体がばれ、豆で追い払われる筋書き)が上演される。
二月二日~三日(二日間) 午後一時から一時間おきに八回上演。
境内や参道の露店で素焼きの炮烙を買い、「無病息災」などの願い事を書き込んで寺に奉納し、一年の無事を祈る。納められた炮烙は四月の壬生狂言「炮烙割り」で割られる。
★平安時代の歌人、小野篁が開いたとされる上京区・千本ゑんま堂(引接寺)で二月二日~三日「強運節分会・こんにゃく炊き」の行事が行われ、四日の立春から始まる新しい一年を無病息災で過ごせるようにと、訪れる参拝者に裏表のない食べ物としてえんま法王が好むこんにゃくをふるまう習慣が古くからあり、えんま法王の恵みをより身近に感じてもらおうと、えんま様の舌の形に丸く切ったこんにゃく炊きを販売している。
一年間の強運を願ってだるまを供養する行事もあり、参拝に訪れた人たちが名前を書いては本堂で祈りをささげていた。夜からは「ゑんま堂大念仏狂言」が行われる。
一年間の強運を願ってだるまを供養する行事もあり、参拝に訪れた人たちが名前を書いては本堂で祈りをささげていた。夜からは「ゑんま堂大念仏狂言」が行われる。
★左京区・吉田神社は都の鬼門。都に入ろうとする鬼を退散させる鎮守社で、古式ゆかしい節分儀式で有名です。二日の夜、災いを象徴する鬼を追い払う神事、節分伝統行事「追儺式」が営まれる。
追儺式は「鬼やらい」とも呼ばれ、平安時代初期に始まったとされる宮中で旧暦の大みそかに行われていた行事で、一九二八(昭和三)年に、節分祭の一環として神社が復興した儀式。
冬と春を分ける節分の前夜に、陰と陽が対立して生まれた怒りや苦悩、悲しみを表す悪鬼を正義の使者、黄金の目をした役人の「方相氏」が登場し、手にした盾と矛で鬼を追い詰めた。続いて今年の年男が務める上卿(しょうけい)たちが桃の木の弓で葦矢(あしや)を放ち、三匹の鬼を追い払った。
境内の舞殿に登場した赤色、青色、黄色の三体の鬼は、周囲の参拝客に向かって、雄たけびを上げて金棒を振り回すと、四つ目の面を着けた方相氏は、たいまつを掲げた童子を従えて鬼と対峙し、矛と盾で追い詰め、最後は上卿が魔力を封じるといわれる桃の木で作った弓でヨシの矢を放って鬼を山へと退散させた。
三日は午後十一時からの火炉祭で直径5メートルの大火炉で古札を焼く神事が行われ、参道には露店が建ち並び、深夜まで吉田山一帯は賑わう。
追儺式は「鬼やらい」とも呼ばれ、平安時代初期に始まったとされる宮中で旧暦の大みそかに行われていた行事で、一九二八(昭和三)年に、節分祭の一環として神社が復興した儀式。
冬と春を分ける節分の前夜に、陰と陽が対立して生まれた怒りや苦悩、悲しみを表す悪鬼を正義の使者、黄金の目をした役人の「方相氏」が登場し、手にした盾と矛で鬼を追い詰めた。続いて今年の年男が務める上卿(しょうけい)たちが桃の木の弓で葦矢(あしや)を放ち、三匹の鬼を追い払った。
境内の舞殿に登場した赤色、青色、黄色の三体の鬼は、周囲の参拝客に向かって、雄たけびを上げて金棒を振り回すと、四つ目の面を着けた方相氏は、たいまつを掲げた童子を従えて鬼と対峙し、矛と盾で追い詰め、最後は上卿が魔力を封じるといわれる桃の木で作った弓でヨシの矢を放って鬼を山へと退散させた。
三日は午後十一時からの火炉祭で直径5メートルの大火炉で古札を焼く神事が行われ、参道には露店が建ち並び、深夜まで吉田山一帯は賑わう。