フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

2月9日(土) 曇り

2019-02-10 13:31:20 | Weblog

7時、起床。

椿の葉に少量の雪が積もっている。夜のうちに降ったようだ。テレビのニュースでは今日は大雪の可能性があると盛んに言っているが、それほどのこともないように思う。

トースト、目玉焼き、ウィンナー、サラダ、牛乳、紅茶の朝食。 

昨日、モエさんからいただいたお菓子を食べる。 

昼食はどこで食べようかと考えながら玄関のドアを上げたら、ナツが入ってきて、とっとこ階段を上がって私の書斎に入って行った。家には他に誰もいないので、あまり長い時間は留守にできなくなった。 徒歩1分の「マーボ屋」に行く。

「今月のおすすめ」のボードにソース焼きそば(1000円)と書かれていたのだ、それを注文する。

美味い!ソース焼きそばは本来の中華のメニューにはないB級グルメ的なものだが、これは海老入りの高級 ソース焼きそばである。ソースは甘目。おたふくソースの甘さではなく、もっと上品な甘さで、通常のウースターソースとオイスターソースが融合した甘さではなかろうか。

ナツのこともあり、食後の散歩は省略して、帰宅。昨日購入した本をずっと書斎にこもって読む。読書は「孤独の時間」(とくに寒い冬の午後の)の過ごし方として最上のものだと思うが、「著者との対話」という意味では「社交」的な面もある。リアルな世界での社交はその相手は限定されるが、読書なら普段は会うことのないさまざまな人の話が聴ける。

堀井憲一郎『1971年の悪霊』を読んでいて、本線とは外れたところで「そうだよな」と相槌を打ったのは、彼が『小さな恋のメロディー』(1971年)という映画を論じているところで、「告白って、昔はしなかった気がする」と述べている箇所だった。「1971年の恋愛は告白からは始まらなかった。中学生レベルだと、つきあうといってもべつだん何をするわけでもないので、正式な申し込みはあまりしない。告白を基本においた恋愛文化は、少女の欲望に応えたきわめて平成時代的なものだ、と私には思える。」(125頁)

うん、私もそう思う(私は堀井より4つ年上だが、ほぼ同世代だ。おまけに彼は私と同じ一文の出身だ)。 卒業生と話をしていると、「彼と付き合い始めてちょうど1年」みたいな発言をしばしば聞く。恋愛の始まりは「告白」からなのだ。あまりにみんながそういう発言をするので、そういう明確な道標を意識したことのない私はちゃんとした恋愛をしたことがないのかと悩んだこともあるが(嘘です)、昔はそうじゃなかったことがわかってホッとした。なぜ「告白」という制度が確立されたのか。それを堀井は「少女の欲望に応えたきわめて平成時代的なもの」だと解釈する。気合でそう言っているところもあるので、「その通り」とはすぐに同意はできないが、ありそうな話である。「少女の欲望」とは平たく言えば「愛されているという確証を求める気持ち」ということだろう。不安の時代の承認欲求の一種といってもいい。平成とは不安の時代ということにある。

もちろん本書を読んでいて「そうかな」と疑問に思う個所もある。「まだ、みんな、自分たちはどこか貧しいと思っていたから、左翼思想は人気があった。1970年代は、戦後史において、左翼陣営の動きが活発だった最後の時期となる」(200頁)。そうだろうか。当時、左翼思想が人気があったことは確かだが、その理由は貧困だろうか? 1970年代は自分たちの生活水準を「中流」と考える人が8割、9割を占めていた時代である。それが「中流の幻想」だったとしても、幻想には人を動かす(あるいは動くのを止める)働きがある。私が思うに、1970年代の左翼思想の人気は、窮屈な社会(安定した管理社会)からの解放を求める(夢みる)気分にあったのではないかしら。

夕食はポークソテー、サラダ、味噌汁、ご飯。

付け合せは蓮根とキノコのソテー。 

ナツが外に出ようかどうしようか考えている。出たいときは階段の上の私を呼ぶ。でも、今夜は私を呼ばなかった。 

 2時半、就寝。

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