フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

8月30日(木) 曇り時々雨

2007-08-31 02:43:41 | Weblog
  清水幾太郎の学習院時代の教え子の集まりを「七九会」という。清水の誕生日が7月9日であることに由来するもので、清水の生前は毎年、誕生日のパーティー(「夏祭り」とも呼ばれていた)を開催していた。清水没後も、毎年集まって同窓会を開いていて、今年は生誕百年ということで記念の文集を作成した。縁あって、その文集には私も寄稿したのだが、今日、「七九会」の世話人である松本晃氏と寺崎上十氏にお会いして、教え子の目から見た清水幾太郎についていろいろとお話をうかがうことができた。清水が学習院大学を辞めたのは1969年3月であったから、「七九会」の一番若いメンバーでも私より5歳は年上であるが、松本氏は1961年卒、寺崎氏は1964年卒、ちょうど加山雄三の若大将シリーズが人気を博していた頃の大学生で、当時、私は小学生であった。清水は60年安保闘争の敗北を機に平和運動の前線から退いて書斎の人になるのであるが、お二人はちょうどその転換期の清水の教え子ということになる。うかがったお話の内容についてここで紹介することはできないが、1つだけ、清水幾太郎の身長は175センチくらいであったという証言を得たことは報告しておこう。清水が痩身長躯の人であったことは知っていたが、具体的に何センチであったのかはどこにも書かれておらず、個人的に気になっていた。私は写真などから180センチくらいあったのではないかと思っていたが、そうか、175センチくらいであったのか。それでも明治40年生れの日本人としては長身といえよう。身長が何センチであったかというのが清水幾太郎研究の上でそんなに重要なのかと思う方もいるだろうが、一人の人間をできるかぎり丸ごと理解したいと思っている者には、重要なことなのである。ディテールも大切なのだ。いや、ディテールこそ大切なのだ。
  帰宅すると、名古屋の古書店「永楽屋」から、注文してあった清水幾太郎『今日の教育』(岩波書店、昭和22年)が届いていた。70頁ほどの小冊子で、「新しき歩みのために」という企画ものの一冊である。長らく探していたのだが、ようやく入手できた。

           

  夜、沖縄在住のI氏という方からメールが届く。面識のない方だが、私のフィールドノートをご覧いただいていて、琉球新報に連載中の「不屈 瀬長亀次郎日記」の今日の記事の中で、1956年9月9日に瀬長が清水幾太郎と会ったときの記述(10行ほど)が紹介されていたので、そのことを知らせて下さったのである。ありがたいことである。瀬長亀次郎は琉球新聞社長、那覇市長、衆議院議員を歴任した沖縄の名士で、県民から「カメさん」の愛称で親しまれていた人物。偶然だが、清水と同じ明治40年の生れである。
  そんなわけで、今日は清水幾太郎デーであった。
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