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鎮魂歌。さらに高くなったハードル。



東郷外相が作成した乙案とは、日米の時間の針を元に戻しましょうということでした。
甲案ではアメリカはこの条件をのむはずはありませんが、ひょっとしたら乙案ではアメリカと和平交渉が進んでしまうかもしれません。


軍部は乙案は絶対反対の立場でした。
しかしこの乙案が通らなければ東郷外相は辞職する覚悟でした。
そしてもしこの時期外務大臣が辞職してしまえば、後任人事は難航することは必至でした。
政局でこたごたすることになれば、11月末の戦争開始は遅れてしまうことになります。


ここで軍部は乙案に対して一つだけ条件を付けることにしました。
それは中国国民党の蒋介石にアメリカが軍事援助を行うことを中止すること。というものでした。


実は日中戦争とは日本と中国(主に国民党政府)との戦争でありましたが、日本と米英の代理戦争でもありました。
ルーズベルトとチャーチルが蒋介石に軍事援助を行っていたからでした。
もし蒋介石のバックのこの2大国がついていなければ、日本は蒋介石との戦争は終わらせていたことでしょう。


日本は中国との戦争はさっさと蹴りをつけたいというのが本音でした。
ただし戦争を終わらせるにはただでは済ませられません。
いくつかの権益や賠償金などを手に入れることは当然と考えていたことでしょう。
日清戦争でも日露戦争でも満州事変でも日本は必ず勝ち、そして権益を得てきたからでした。
ですからまず米英が蒋介石の援助を打ち切って(そして国民党政府と有利な和平条約を結びたい)と考えていました。


しかしこの条件は当然当時のアメリカが呑めるものではありませんでした。
なぜならこれは時計の針を戻したわけではありません。
7月の状態よりも更に日本が有利な状態にしろといっています。
もし米英が蒋介石の軍事援助を打ち切れば、日本は中国と有利な和平条約を早晩に結ぶこととなるでしょう。
日本がこれ以上中国で権益や軍事支配力を維持することは米英(ユダヤ国際資本)が最も警戒するところでありました。


軍部はこの条件追加で乙案を骨抜きにすることに成功しました。
東郷外相はこの条件をもってアメリカに交渉を再開します。
しかし案の定アメリカからは甲案も乙案も呑めないという返事が来ました。


甲案についてアメリカは当然受け入れることはありえませんでしたが、乙案についてもやはり「蒋介石の軍事援助を断つ」という条件は呑めないという反応でした。
アメリカ側からすると日本軍が中国大陸から撤退する保証がない状態で、蒋介石の援助だけ断つということはありえない条件でした。


そもそも日本が南部インドシナの駐留を撤回するだけでは不十分と考えていました。もしアメリカやオランダ領インドシナから石油輸入を再開してもらいたいのなら、そもそも東南アジア全体から軍隊を引くべきだと考えていたようです。


こう考えると数ヶ月前の岩畔案は、両国の立場のバランスを絶妙にとった芸術作品であったといえるかもしれません。
しかしもはや両国の首脳部の心中は「戦争始めたい」という気持ちが大半を占めつつありましたからお互いの歩み寄る妥協点のハードルは更にぐんと高くなっておりました。



つづく




おひさま、ありがとうございます。


下記は静止衛星軌道上で観測される太陽からの電子密度グラフです。急な変動がある場合は地震や事故に備えて防災意識を心掛けましょう。特に注意が必要な期間は、メールやTwitterで防災意識リマインダーを受け取ることができます。詳しくはこちら

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鎮魂歌。同じ穴の盲目ムジナ。



東郷外相が用意した乙案を骨抜きにしたのは軍部でした。
これによって日本は「海軍第一委員会の筋書きどおり」アメリカに宣戦布告をしていくこととなります。


ここまで読むと多くの日本人は、やはり軍部の暴走が私達日本人を戦争に導いていったのだな。と思うことでしょう。なるほどなるほど。
しかし本当にアメリカとの戦争を欲していたのは、私達一般国民であったと言えるかもしれません?
もし乙案が成立することがあれば、私達一般国民は日比谷焼討事件のような暴動を起こしたかもしれません。日露戦争の後のように。





東條英機は開戦派でありましたが、首相になった時に昭和天皇の心からの声を聞き、日米の戦争を回避することに心血を注ぎます。
しかしこの時の東條の外交を世論は弱腰外交と叩きます。
11月上旬の東京朝日新聞は「見よ米反日の数々/帝国に確信あり/今ぞ一億国民団結せよ」と戦争を煽っております。


それを信じた人たちはなぜ勝てる戦争を行わないのか、と東條の自宅に押し寄せ家中の窓ガラスを投石にて割ったと伝えられます。
「開戦しろ」「アメリカと戦争をしろ」
家内では東條が怯える妻を抱きしめて「耐えるのだ」と諭したと伝えられます。
(http://d.hatena.ne.jp/electrosphia/20060130/p1)


今私達が信じる事実とは180°正反対の事実です。
私達は軍部が戦争を嫌がる一般国民を巻き込んで日本をアメリカとの戦争導いたと信じています。
東條英機はヒトラーと並ぶファシズムの極悪人とされています。


しかし実際は首相になってからは昭和天皇のご意向に忠実に日米開戦を避けるべく最大限の努力を行っていたことがわかっています。(東京裁判史観では正反対ですが)
戦争を煽っていたのはマスコミであり我々国民であったわけです。


当時はマスコミも一般国民も総ウヨクでありました。
周辺国と揉めたらまず軍事侵攻あたりまえという世論でした。
なにせ日本は開国以来一度も負けたことのない神の国でありましたから。



この世は陰と陽が同時に出現するように思います。
ただ私達には時間差があるのでその陰の事象と陽の事象が一つのペアであることがわかりにくいだけです。


ウヨクという極端な行動は、サヨクという極端な行動とペアになって同時にこの世の因子となって生じたことでしょう。
しかし時間差があるため私達はそれが同じ事象の裏表であったことはわかりにくいだけなのかもしれません。


当時のウヨク国民とウヨクマスコミは、日本の国益とプライドを守るためには、軍事力行使やむなし。という考えでした。
しかし軍事力を行使するということは、敵の兵士が(何名かわかりませんが)死ぬということです。それまでそこに住んでいた人の領土を(どのくらいの面積かわかりませんが)奪うということです。


本当の軍隊の侵攻とは葬式に出る覚悟で行うべきであると二千数百年前の老子が書き残しておりますが、当時の日本のウヨクはイケイケドンドンで他国に侵攻すべきと考えていました。


このウヨクの思想や行動と同時に発生したのがサヨクの思想や行動でした。
しかし実際我々の目に見えるにはタイムラグ(時間差)があります。
現代の日本で嬉々として日本を貶めている日本人がおります。
なぜこの人達は自分を生んで育ててくれた故郷を貶めることができるのか不思議でありましたが、この陰と陽の現象を考えれば理解できるかもしれません。


他国の人たちの命や領土を奪っても日本の国益とプライドを守れと報じていたウヨク新聞は、振り子の反動で日本と名前がつくものは全て否定し蔑むサヨク新聞になりました。
一見180°逆に見えますが、本質は同じ穴のムジナです。
タイムラグがあったので私達には変節に見えるだけでありましょう。


なぜ戦争をしないのか。東條は国益を損ねる売国奴。と石を投げていた国民は、集団的自衛権反対、秘密保護法反対、安倍は日本を戦争に導くファシスト。とデモを行う国民になりました。いずれも同じ穴のムジナです。



朝日新聞と国民が戦争をすべきだ運動を起こして、東條首相は暴徒に家のガラスを全て割られながらも、妻の肩を抱いて「耐えるのだ」と言っていたというのが真実であるのなら、何という皮肉でしょうか。


最後まで戦争を回避しようとしていた東條首相と東郷外相は戦後A級戦犯に指定されています。しかし少なくとも私は彼等が戦争を回避しようと最後まで努力していたことを私は知っております。
このブログは何人の方の目に触れるかはわかりませんが、その事実は少なくともデジタルデータとしてこのインターネットという「クラウドの海」に書き置きたいと思います。





弱腰軍部。アメリカと戦争せよ~。(同じ穴のムジナ)


つづく




おひさま、ありがとうございます。


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鎮魂歌。ウヨクとサヨク。



右翼と左翼という言葉があります。
フランス革命後の国民議会の座席位置で、保守勢力が右側に座り、革新勢力が左側に座ったことが語源となっています。


この右翼と左翼という言葉が語源となって日本でも「ウヨク」と「サヨク」という言葉であります。
正反対の人々を指しているようですが、本質はどちらも同じです。



【サヨク】:自分の人生の不満を社会体制のせいにする人のこと。
子供の頃愛されなかったことや、友人に裏切られたこととか、社会で受け入れられないこと、自分が他人と比べてみじめである不満の仮想敵を、社会体制にすり替えて攻撃する人のこと。
どんなに「社会体制」という仮想敵を攻撃しても自分の心の傷は癒えることはないのだが本人はそれに気がつくことがない。



類義語1 【団塊サヨク】:
青年が社会人に脱皮する時代が日本のサヨク全盛時代と被った世代。
自分が家族や友人や社会から受け入れられなかった体験(これは大なり小なり誰にでもあるのだが)の原因は社会体制のせいであり、自分の心の傷を癒やすには革命が必要だと自分自身に刷り込んだ世代。
若い時に刷り込まれた根深い感情。年をとると更に自分の考えを変化させることは困難になるため、条件反射的(盲目的)に社会体制を批判攻撃する衝動に縛られている世代。



類義語2 【リベラル】:
権力大好き権力に執着している人のこと。自称高学歴に多く見られる。
自分が権力を持ち権力をふるうことが大好きであるがゆえに、他人が権力をもち権力をふるうことが大~っ嫌い。
リベラルとは語源は「自由」であるが、「他人が権力を持つことが嫌い」という意味にすり替わっている。
一番恐れることは自分の権力が奪われること。執着が半端なく強いですから。



【ウヨク】:自分の人生の不満を周辺国のせいにする人のこと。
子供の頃愛されなかったことや、友人に裏切られたこととか、社会で受け入れられないこと、自分が他人と比べてみじめである不満の仮想敵を、周辺国にすり替えて攻撃する人のこと。
どんなに「周辺国」という仮想敵を攻撃しても自分の心の傷は癒えることはないのだが本人はそれに気がつくことがない。



類義語 【ネトウヨ】:
2ちゃんねるなどのインターネット掲示板でウヨク活動をしているとされる層。ただし現実的には「ウヨク」活動というより、本来マスコミが担うべきであった民衆の総意のバランサーの役割が強い。インターネットで「ウヨク」活動が強く見えるのは、テレビや新聞などの既存マスコミが「サヨク」偏向あるため、それを打ち消す民衆のバランサーが「ウヨク」的になっていると言える。

インターネット掲示板はそもそも ①各自匿名であること、②直接の利害関係が基本的にないこと、③(特に日本では)情報ソースの有無が重視されることなどから、社会民衆の意思のバランサーとしての位置づけの性格が強くでやすい。


もし社会が振り子の反動で中点を通り越して、社会全体が「ウヨク」化した場合(朝日新聞やTBSなどの既得権マスコミでさえ偏向ウヨク報道を始めるようになったら)、インターネットでは逆にバランスがとられネトサヨが主流になる可能性があるかもしれない。



つづく




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鎮魂歌。負けるとわかってて戦うのが大和魂か。戦わないのが大和魂か。



日本政府として公式にアメリカとの交渉で提案する甲案とはとてもアメリカが承諾する内容ではありませんでした。
岩畔案に比べて大幅に日本有利になっていた上に、日米関係は日本が更に不利になっていた状態だからでした。
10中8、9負ける戦争であっても日本はアメリカと戦争をしなければならない。それが大和魂であるという考えに海軍首脳部は凝り固まっており、陸軍もそれに追従しておりました。
始めからアメリカと平和交渉を妥結するつもりはなく、一刻も早くアメリカに宣戦布告するための単なる手続き(いちおう交渉はしてみましたよ。でもアメさんはやっぱりダメだってさ~。というため)の甲案でした。



これに対して東郷外相は自らの切り札として乙案を持っていました。
これは非戦派である元外相の幣原喜重郎や元駐英大使の吉田茂とともに作成したものでした。
とにかくアメリカとの関係悪化を食い止めるための案です。
元々の関係悪化が日本が南インドシナに侵攻したことにあります。これでアメリカは激怒して石油禁輸を発したわけです。ですからここまで時計の針を戻したい。というのが東郷の乙案でした。


1,日米はインドシナ以外の南アジアや南太平洋には武力を進出させないことを約束する。

(解説)日米となっていますが、当時の時勢をみると基本的に日本が南アジアや南太平洋に進出しないことを約束しています。インドシナについては補足1項参照。



2,日米はオランダ領インドシナが日本に石油などの物資を輸出できるように保証する。

(解説)オランダ領インドシナには石油がありますが、米英の圧力によって日本への輸出が禁止されていました。これを解いてください。ということです。



3,日米はアメリカの資産凍結決定前に状況を戻すこととする。アメリカは日本への航空機用ガソリンの輸出を確約する。

(解説)アメリカの石油禁輸がいかに日本にとって問題かがわかりますね。



補足1,上記1~3が締結されれば南部インドシナの日本軍は北部に戻す。

(解説)時計の針を南部インドシナ進駐以前に戻したいということです。



補足2,必要があればアメリカが中国大陸でビジネスの障壁の撤廃や、三国同盟の遂行の解釈も規程可

(解説)とにかくアメリカユダヤが欲していた中国大陸のビジネスの権利と、アメリカがドイツと戦争をしても日本が後ろから撃たないことも検討して良いですよ。という譲歩もにじませています。



この乙案がベースであれば、ひょっとしたらアメリカとの和平交渉も再び現実味をおびてくる可能性があったかもしれません。
東郷外相はこの乙案が潰されれば辞職する腹積もりでした。
もうこの時期外務大臣を引き受ける人材はほとんどいないでしょう。


しかし戦争が回避されては軍部としては元も子もありません。軍部はこの東郷外相の乙案を潰しにかかりました。



つづく




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侵略戦争鎮魂歌。高飛車。



岩畔大佐が日米交渉の役を解かれインドシナに左遷されたあとも日米諒解案に端を発した交渉は続けられていました。
日本側は反アメリカの旗手であった松岡に代わり、親アメリカ派の東郷が外務大臣になりました。
また東郷首相も昭和天皇からじきじきに日米和平を言い渡されております。
この点では日本側の外交体制は柔軟になってはおりますが、アメリカ側はもうすでに日本との交渉するよりも日本に開戦させた方がいいのではないか。という空気が主流派となっていました。


ドイツがソ連と宣戦布告をし、かつ難儀している時点で、アメリカ側が日本に譲歩してまで交渉を続ける意味が格段になくなってしまっていたのでした。
逆に日本に先制攻撃をさせることで、日本の同盟国であるドイツに戦争を仕掛ける大義名分を得られる意味の方が強まっていました。(ドイツはアメリカの挑発にのらなかったからです)
特にイギリスのチャーチルは、アメリカに参戦して欲しかったわけですから、日本がアメリカに先制攻撃を仕掛けることを喉から手が出るほど欲していたと考えられます。


特に11月下旬まで交渉がまとまらなければ日本はアメリカと開戦するという情報はアメリカに筒抜けだったようです。(海軍と外務省の暗号はアメリカに漏れていたため)
あとは交渉を先延ばしし、日本にいる非戦派が台頭しないことを望むだけであったことでしょう。




さて一方の日本です。多くの日本人はアメリカのルーズベルトやイギリスのチャーチルたち(石屋)が日本の先制攻撃を喉から手がてるほど待ち望んでいたとは知らなかったことでしょう。
政府の中でも開戦派と非戦派が激しい論戦をしておりました。


そして日米諒解案で日本からアメリカへの回答案がまとまりました。
それは次の4箇条から成り立っておりました。



1,アメリカが中国大陸で商売する場合の障壁は撤廃する。ただしそれは全世界に適用されている内容に限る。

(解説)アメリカユダヤ資本は兼ねてより中国大陸でのビジネスを切望しておりました。満州鉄道の権益もその一つでありましたが。
日本はアメリカの中国大陸へのビジネスの進出は認める。しかし、それは他の地域で欧米諸国がきちんと既得権を手放すことが条件です。日本だけ一方的に既得権を手放すのは不公平であるから、それはのめない。
つまり事実上アメリカの中国ビジネス進出は認めないということです。日本側のアメリカへの譲歩にはなっておりません。
岩畔案より後退した内容です。



2,三国同盟でドイツを守るために日本が参戦するかどうかは、日本が自主的に判断する。

(解説)アメリカが望んでいたことは、アメリカがドイツと戦争を起こしても日本がそれを理由にアメリカに宣戦布告しないということでした。しかし日本の提案は、アメリカに参戦しないとは約束できないよ~。ということでした。
こちらも岩倉案より後退した内容です。



3,中国からの撤兵は25年ほど駐兵を続けたあととする。しかし日本が平和と判断した状態であれば2年以内に撤兵する。

(解説)アメリカが望んでいたことは日本が中国からただちに撤兵することでした。しかし日本は25年は駐兵を続けるという条件を盛り込んでいます。また平和となれば2年以内に撤兵と書いてありますが、平和の定義があいまいなので、これは事実上意味がないです。(日本がまだまだ平和じゃないと言い張れば最長25年は駐兵できる)
こちらも岩倉案より後退した内容です。



4,インドシナの撤兵は3と同様に中国情勢が平和になったと判断したら撤兵する。

(解説)こちらも3と同様です。まずアメリカが中国を平和にするように動くこと。そして日本がその結果を充分なものと認めたなら撤兵しても良いです。ということです。
岩畔案の時期にはまだ日本はインドシナ南部への侵攻はしておりませんでした。そもそもインドシナ南部に侵攻したことがアメリカの石油禁輸の原因でありましたが、これはアメリカに対して相当高飛車な要求です。



岩畔案の時期より日本ははるかに不利な状況であるにも関わらず、日本はさらに高飛車な条件をアメリカにつきつけました。これが甲案と呼ばれるものです。
これを読む限り戦争をしたいのは日本であると言われても仕方ありません。


東郷外相はこれではとても外交交渉にはならない。と日米の妥協点落とし所といえる乙案を用意していたのでした。



つづく




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侵略戦争鎮魂歌。撃たれる前に撃て。



日本政府は開戦派と非開戦派に分かれていました。
開戦派は海軍大臣であった永野と陸軍大臣であった杉山です。
非開戦派は外務大臣であった東郷と、大蔵大臣であった賀屋でした。


首相である東條英機は当初開戦派でありましたが、昭和天皇から何としてでも対米開戦は避けて欲しいとお言葉を頂き、自らの方針を180°変更したのでありました。
そして親米派である東郷茂徳を外務大臣に選んだのでした。


東條首相と東郷外相は日米開戦時の閣僚であり共にA級戦犯として裁かれました共通点もあり混同しやすいののですが、別人物です。戦争を避けようと奔走したにも関わらず、開戦を回避できなかったばかりか、A級戦犯とされたことは誠に気の毒なことです。



さて当時の閣僚でもぎりぎりまで日米戦争を回避しようとしていた人物がいたことを私達は知っておく必要があると思います。
そして残念ながらその努力が無に帰したことも。
そしてなぜ国全体が戦争に向けて動き出したのかの理由を私達は思いを寄せるべきであろうと思います。


杉山陸相はメモ魔でありました。彼の記録は「杉山メモ」と呼ばれています。
杉山メモには当時の閣僚連絡会議の様子はこのように書かれています。それを噛み砕いて書き起こすと、、、


永野海軍大臣:今アメリカとの戦争に踏み切らず3年後に戦争をするぐらいであるならば、今戦争をすべきと考える。なぜなら今ならアメリカと戦争ができる地盤が整っているからである。


賀屋大蔵大臣:今戦争をして3年後の勝算が確実なのであれば良いが永野大臣の話ではその点が不明瞭である。しかもアメリカが今攻めて来るという公算も少ないと自分は考える。従って今我が国がアメリカに戦争を仕掛けるのは良いとは思えない。


東郷外務大臣:私もアメリカ艦隊が攻めて来るとは思えない。今我が国が戦争を起こすべきではないと思う。


永野海軍大臣:「来らざるを恃む勿れ」と言う。来ないことを前提とすべきではない。3年たてばアメリカによる南太平洋の防衛も整い艦隊も増える」


賀屋大蔵大臣:ではいつ戦争したら勝てるというのだ。


永野海軍大臣:今!戦機はあとには来ぬ!



もし私達が当時の非開戦派の閣僚であったとして、軍部を説き伏せることができたでしょうか。と夢想します。
日清・日露戦争からそうでありました。
「敵が攻めてくるかもしれない。いや敵は攻めてくるであろう。だから叩くのは敵の準備が整う前の今しかない」
これが大日本帝国軍の成功体験の必勝法でありました。
同じ論理で日本は大国アメリカへの戦争を決断していきます。


しかし東郷外務大臣は戦争を避けるために最後の賭けに出ます。


つづく




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侵略戦争鎮魂歌。引いて取る。



私達はなかなか長い視点で人生を観ることは難しいです。ふむ~。
今抱えている問題が、未来永劫自分にのしかかる、とどうしても思ってしまいます。
しかし人生を長く生きていると、どんな境遇であっても人生とは、必ず陰と陽、裏と表、が波のように変化していくことを知っていきます。



70年前の永野海軍大臣や第一委員会の人たちの伝えたいです。
臥薪嘗胆ということで、一度引いたように見せても、それは日本を亡国にすることでは決してないということを。






もちろん日本は白頭山地域(朝鮮半島と満州)を手放すことになるでしょう。
これは得た瞬間と同時に手放す因子も発生していたからです。
一番良いのは、その地域の人たちに与えることでしょうと思います。
国際政治的にそれが難しいのであれば、他の列強と共同統治するこであろうと思います。
独り占めはすればするほど、手放す時のショックは大きいです。
最悪な手放し方は、日本列島本土が焦土となり、白頭山地域の権益どころか、築いてきた富も資産も奪われ、住んでいた日本人が蹂躙されることです。



老子の教えとは、陰と陽の因子を同時に観るということであるかもしれません。
我々人間にはタイムラグという錯覚があります。
しかし本当は陰と陽は同時に発生しているというわけです。ふむふむ。私達が感じるのは陰と陽、または陽と陰の現象に時間差があるのでわかりにくいわけです。ふむふむ。


もし白頭山地域を統治することで、何か日本が得ていたのであれば、同時に私達はそれを手放す(奪われる)因子も発生していたということであります。
逆に白頭山地域を統治することで、何か日本が与えていたのであれば、同時に私達は手放したもの以上を与えられる因子が発生していたということであります。



白頭山地域(朝鮮半島と満州)に対して日本は得ていたのか、あるいは与えてもらっていたのか。
これらの地域には日本は莫大な投資をしていました。
これによりそこに住む住民の生活レベルはあがり、経済も豊かになり、治安も文化のレベルはあがりました。
その視点では「与えた」と言えるでしょう。
しかしこれらの地域は日本は武力で統治領にしたものでした。
これらの統治領について、日本は「執着」していたわけです。


アメリカやロシアやイギリスが欲しがったこの地域の権益を、「やだよ~。あげないよ~。だって苦労して武力で勝ち取ったんだもの~。誰にもあげないよ~。」と執着していました。
ということは日本は、「奪われる因子」を着々と育てていたことになります。ふむ~。


昭和天皇も明治天皇も、直感的にこのことを感じていたために、日清戦争も日露戦争も反対であられたし、日中戦争も太平洋戦争も反対でいらっしゃったわけであろうと思います。


老子の教えにならうならば、表向きは負けた状態であればあるほど、その国を活かす守る因子は強くなるということです。
白頭山地域の統治は表面上はロシアやアメリカに与えておけば良かったといえるでしょう。(彼等は喜んで貧乏くじをひいたことだと思います)


話は少しそれますが、今の日本はそういう意味では良いポジションであると思います。
表向きは負けていますから。
日本が常任理事国ではないことを悔しがるむきもありましょうが、このポジションが日本を守っているといえます。しかし日本は世界最大の債権国であります。
私達日本人はあまりにもアタリマエすぎて忘れていますが、円はハードカレンシーであります。
世界中の人が共通して使える通貨の一つです。これは「ドル」と「ポンド」と「ユーロ」と「円」だけです。ルーブルも人民元も世界では使うことのできない通貨なのです。


たとえば韓国のウォンがあります。彼等はいくらウォンを刷っても、世界中の国々ではそれらの通貨は使わないわけですから意味がないです。地方の商店街の商品券と同じです。その商店街でしか通用しない商品券です。


しかし日本の円は違うのです。日銀が刷れば刷るだけそれは世界中の富と交換できるという意味を持ちます。なぜ日本が経済が強いのかという理由は、日本の円が選ばれたハードカレンシーの一つであるからなのです。


ドルとポンドとユーロがハードカレンシーなのはわかります。
それぞれロスチャイルドとロックフェラーというユダヤ国際資本(石屋)の本拠地ですから、それぞれの本家が牛耳っている国の紙幣です。
唯一つの例外が、何と日本の円なのです。ふむ~。
なぜユダヤ国際資本(石屋)が円にそれほどの地位を与えているのか。
単に日本が石屋に牛耳られているなら、それは他の国も同様です。
いろいろな解釈があるでしょうが、一番の大きい理由は経済活動とは、その根本は「生み出す力」であるのです。日本については、その「生み出す力」が非常に強いため、おのずとハードカレンシーの地位を与えられているといって良いと思います。
小さな村の中でダントツの働き者であったということです。


表の権力(常任理事国など)は持たず、陰では他に与える一方(世界一の債権国)とう今の状態は、陰と陽の因子の視点では、日本を存続させるという貯金が積み上がっていると言えると思います。
私達日本人はこの陰徳貯金の意味を認識していないと、また何かの拍子で失うことになってしまうかもしれません。



話は脱線いたしましたが、国が平和に長く存続するためには「強さで目立ちすぎない」ことが一番重要であるということなのです。
世界とは小さな閉じた村です。約150人(国)ほどの村でありますから、一人で勝ちすぎると当然村八分になるルールがあるのです。
村社会での生き方は本来日本人の得意分野であったと思いますが、惜しむらくはこの国際社会も小さな閉じた村であるとは見抜けなかったことです。
もしこの国際社会が小さな村であると認識していれば、松岡外相のような愚挙は行わなかったことでしょう。
小さな村であるなら武力で一人勝ちするナチスの尻馬に乗ることはできなかったはずです。





さてもう一つ、当時の日本人たちに伝えたいことがあります。
それはどんな逆境でも長くは続かないということです。
10年100年のスパンで、必ず逆転するチャンスがありますから、短腹(たんぱら)な決断をすることなく、表向きは引くように見せかけてもしたたかに生き延びることが最大重要だということです。


たとえばもしこのとき、日本がアメリカの言い分を聞いたらどうなるでしょう。
アジアの権益の大部分は失うことになるでしょう。
しかしこのあとソ連とアメリカの冷戦の戦いが必ず起こっていました。
両者とも日本という仮想的が消滅した瞬間に、今度はこの2大国が戦いを始めていたでしょう。


だからこの時、アメリカから「アジアから引け」「軍艦の数を減らせ」と言われて、見かけ上はその条約にしたがったとしても、それは短い間のことだったはずです。
日本が引くことで、米ソの対立は早めることができますし、白頭山地域を力づくで手に入れるならばそれは究極の貧乏くじであったかもしれません。何より日本のもつ「生み出す力」は、自然と日本を国際社会のトップに押し上げることでしょうから、何も無理をする必要はなかったのです。


永野海軍大臣を始めとして、当時の日本人に言いたいです。
ここでアメリカに引いて臥薪嘗胆の決断をしても、決してそれは亡国にはなりません。
正反対に日本を活かす道であったことでしょう。



つづく




おひさま、ありがとうございます。


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侵略戦争鎮魂歌。日本の民族は本当に学んだのか。



1941年9月6日の御前会議です。
日本は事実上ここでアメリカと開戦することを決定しました。真珠湾攻撃の3ヶ月前です。
アメリカからハル・ノートを突きつけられる前でしたが、もうアメリカとは戦争を避けることはできないという道を選んだのでした。



海軍第一委員会が書いた筋書きのとおり、「日本軍はインドシナに侵攻→アメリカは経済制裁として石油禁輸を実行→日本が宣戦布告する」というレールを順調に進んでいました。


昭和天皇はこの場所で明治天皇が詠まれた歌を披露し、抗議の意志を表しました。
「よものうみみな はらからとおもふよに などなみかぜの たちさわぐらむ」


これは明治天皇が日露戦争の宣戦布告において、本当は不本意であったという御心を表したものです。日清戦争も日露戦争も明治天皇にとって不本意な戦争でありました。
そしてまたこの太平省戦争も昭和天皇にとって何としても避けるべきと尽力された戦争でありましたが、私達日本人の総意としては、日米開戦やむなしという坂道を転げ落ちていた真っ最中でありました。


日清日露という信義のない戦争に勝ったために日本が背負っていた、破滅の因子に引っ張られているかのように思えます。



この時海軍大臣であった永野修身が昭和天皇に奏上した言葉が、当時の私達日本人の多くの心をそのまま代弁していると言って良いと思います。


「戦わざるも亡国、戦うも亡国。しかし戦わざるの亡国は精神の亡国である。
 最後まで戦う精神を見せての亡国なれば、いずれ子子孫孫が再起三起するであろう」


アメリカとの戦争はもう避けられないでしょう。
その時もし戦わずアメリカの言いなりになるという政策をとれば、それは日本人の最も大切な大和魂が死んでしまうという選択になります。
しかし負けるとわかっても強大なアメリカに立ち向かえば、たとえ日本が負けて国が滅びることになっても、大和魂は生き続けることでしょう。


永野海軍大将はそのように奏上したわけです。


そしてそれは当時の大勢の日本人の気持ちでもあったことでしょう。
日本は明治維新後、一度も戦争に負けたことがありませんでした。
その成功体験が日本を滅亡の危機に追いやっていこうとしています。
ほとんどの私達日本人は戦争に負ける本当の悲惨さを知りませんでした。
だからこのような大和魂浪花節に酔いしれることができたのかもしれません。無知の罪です。



現代の私達日本人は敗戦の悲惨さを民族として体験していますから、この永野の奏上は詭弁であったことを知っています。


もしアメリカの言いなりになったとしても、臥薪嘗胆を忘れなければ必ず再起することはできるのです。
一番の理想は、四方の国(よものくに)と兄弟(はらから)として付き合えることであります。
強い相手には引く時は引き、10年100年のスパンで国力を維持する視点が必要です。
長い視点があってこそ、本当の大和魂(日本人の美徳)を子孫に引き継ぐことができるのです。


しかし永野のいうように負ける戦争でもプライドのために突っ込んでいけば、それは日本の文化そのものを破壊してしまう危機となるのです。勝てば官軍負ければ賊軍です。


もし永野が戦後生きていれば、戦後の日本の教育をどうみたでしょう。
自虐史観を幼い内から刷り込まれ、教師によっては日の丸も君が代も悪の象徴と教えます。
テレビや新聞も日本人は朝鮮と中国に謝りつづけなければならないと洗脳を繰り返します。
それはアメリカ人によるものではなく、もう私達日本人が、自分たちの美徳を喜々として破壊しているのです。


当時の日本人の選択としては、やはり「臥薪嘗胆」が最善であったのです。
日清日露で得た国外の権益は、できるだけ他国との共同管理とすることが最善であったのです。
これらの日清日露の権益こそが日本を破滅に向かわせる因子そのものであったと私は妄想しておりますから。
陰の因子と陽の因子は同時に発生しています。ただ歴史にあらわれる時間差があるだけですから。



当時の日本人の大半はこの点において無知でありました。
それは仕方ない面もあります。
成功体験は人を愚者にします。失敗体験は人を賢者にします。
一度も負けたことのない神の民と自ら信じる大和民族に、戦わず引く判断は高度すぎる難問であったのは間違いないです。



ただ現代の日本人の多くが70年前の無知から一歩でも進んでいるならばいいなと思います。
しかしネット上では70年前と同じような短期的視点で日本の選択を述べる多くの若者がおります。
10年100年のスパンの視点はまだ日本人には難しすぎるのでしょうか。
そしてそれよりさらに、自虐史観に洗脳されたまま、日本が戦争に巻き込まれるという事態すら目を閉じたままの日本人もまだ多くいる残っているかもしれません。



つづく




おひさま、ありがとうございます。


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侵略戦争鎮魂歌。二人のルーズベルト。



当時日本との開戦を本格的に進めていたのが当時の大統領のルーズベルトです。
国務長官はコーデル・ハルでした。


岩畔大佐とのやりとりの記録を見ると、ハル自身は特に日本民族そのものを敵視しているようには感じられません。
彼は非常にクールにアメリカにとって(国際資本アメリカユダヤにとって)何がベストなのか、ということを考えていたように思います。


しかし一方のルーズベルトは国の駆け引き以外に、日本民族に対する感情的な敵意というものが感じられます。
なぜ彼がそこまで日本を憎んでいたのか、その理由もまた興味深いです。
もしルーズベルトが単純にビジネスライクに日本との開戦を一つの交渉として考えているのであれば、太平洋戦争はあそこまで悲惨な戦争にならなかったと思います。




さて第32代フランクリン・ルーズベルトの従兄弟が第26代大統領のセオドア・ルーズベルトです。ルーズベルト家はアメリカの名家ですね。


ルーズベルト家はオランダからのユダヤ系の移民です。アメリカ建国時にはアメリカ合衆国憲法制定会議のメンバーのひとりアルベルト・ルーズベルトも輩出しており、ルーズベルト家は建国時より政界大物の一族であったのであろうと思います。



さて26代大統領のセオドアは元々は親日家であったと言われます。ふむ。
セオドアは日露戦争の時のアメリカ大統領でありました。
明治政府は負ける前提でロシアと戦いを決意しました。
元々ロシアには勝てないのだから、戦争が始まったらアメリカを仲介として講話するしかない。という前提で戦争を行ったのです。


伊藤博文はセオドア大統領への金子堅太郎を密使としてたてます。
金子は当初否定的でした。アメリカはロシアと仲が良いから日本の仲介はしないだろう。
しかし伊藤は我々はアメリカに依頼するしかない。と金子をアメリカに送りました。


しかし金子がアメリカに着くと、
==========
約束の時間に到着すると、ルーズベルトが走ってきて玄関に佇立している金子の手を握り、「君はなぜ早く来なかったのか。僕は君を待っていた」と言ったというのだ。
(略)
僕は参謀本部に言いつけて、日露の軍隊の実況、また海軍兵学校長に言いつけて、日露の軍艦のトン数およびその実況如何ということを、詳細に調べさせて、ロシアの有様、日本の有様を能く承知しているが、今度の戦は日本が勝つ。
http://shibayan1954.blog101.fc2.com/blog-entry-326.html
==========


このようにセオドア・ルーズベルトは対ロシア戦争に関しては日本を援護する立場でした。
そしてセオドアたちアメリカユダヤ資本の筋書きどおり、日本はロシアと善戦し、頃合いを見計らって講和条約を仲介しました。


しかし日本はロシアから得た満州鉄道の権益を独り占めしました。
桂首相と交渉した鉄道王ハリマンはセオドアの密使でありました。
しかし一度仮契約した満州鉄道の共同経営の契約をひっくり返したので、ハリマンだけでなくセオドア・ルーズベルトも激怒しました。
「私は従来日本びいきであったが、ポーツマス会議開催以来、日本びいきでなくなった。」


実はセオドア・ルーズベルトは満州にユダヤ人国家建設を計画していたといいます。
迫害されていたユダヤを満州に集めるのです。
このため日本とロシアの戦争で日本に肩入れして、下準備をしていたのかもしれません。


歴史に「もし」はありませんが、もし日本が満州鉄道の経営をアメリカユダヤ資本と共同で行ない、もし満州国が日本と国際ユダヤ資本による建国であったなら、世界の歴史は大きく変わったことでしょう。


しかしながら実際の歴史では、日露戦争後、アメリカは日本を敵視し日本人への排斥政策を進めます。


最終的に太平洋戦争が起き、日本が壊滅的に潰されてしまった遠因は日清・日露戦争で勝ってしまったことにある。というのは私の考察でありますが、この二人のルーズベルト大統領との日本との関わりも興味深い縁であると思います。




おひさま、ありがとうございます。


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お掃除の結果。


以前にもブログの記事に書いたことがあるので、記憶にある方もいらっしゃるかもしれません。
自宅の近所に氏神神社があります。
我が家の神棚にはこちらの御神札を頂いておりますので、時折通勤時、少し遠回りしてこちらの神社をお参りしております。


こちらの神社にお参りさせて頂いたのが6年ほど前でしょうか。
当時はこの神社の神殿の前の賽銭箱の正面の棚に、さまざまなものが放置されていました。
何か願掛けに使ったものなのか、もう不要なので処分して欲しいということなのか、とにかく神前にはふさわしいとは思えない私物を置いておく参拝者があとを絶たない神社でございました。ふむ。


とにかく参拝しようとしても、自分とご神殿の間の正中に、儀式品だか処分品だかの垢的なものが置かれておりますので、やはり気持ちの良いものではありません。
空気のきれいな山頂に登山してご来光を拝もうと息を吸い込んだら、前にいる登山者が「ブッ」とオナラをしてその臭いニオイを思いっきり吸い込んでしまった。ゴヘゴへッ。という気分です。


さて一ヶ月たって再び参拝すると、先月と同じ紙袋に包まれた「垢品」がやはりそのまま御神殿前の棚の正中に放置されております。ゴヘゴへッ。
その神社は宮司さん一家が敷地内に常駐されている神社でありますから、社務所にいってその旨を伝えました。
「一ヶ月前からお賽銭箱の前の棚にへんなものが置かれているのですが、あれは処分しないのですか?」
すると社務所の奥さんはこう言いました。
「勝手に処分するとあとからクレームをつけられることがあるので、こちらとしては対応のしようがないのですよ」


つまり無人の神社ならともかく同じ敷地に宮司さんがいるにも関わらず、神殿前に放置されたものはそのままにしておくしかない。という見解であったのでした。ふむ~。


この神社は周囲の参拝者も多く、平日の朝でも必ず誰かがお参りしているお宮でした。
ということはこの一ヶ月以上、たくさんの人がみなこの誰かの「垢(ゴヘゴへッ)」を前にしてお参りしていたということです。ふむ~。



宮司奥さんの話から推測いたしましたのは次の3つです。


ケース①
以前本当に処分してしまいクレームが来たのでしょう。
参拝者本人は何かの儀式であったのかもしれません。
お守りだか御札だか何かを神殿の前に数日おいておいて、浄化するだか御霊入れるだかわかりませんが、それを持ち帰って自宅でお祭りしようとしたのでしょうか。
神社側がそれを処分したことでクレームをつけたのかもしれません。
そんな行為をする人間はさぞ我の強い人間でありましょうから、クレームの付け方も尋常でない人もいたのかもしれません。
土地の神様をお祭りする神聖な場所を単なる自分の垢落としとしか考えていないのかもしれません。


ケース②
本当に危険なものが放置されていて、宮司一家が危ない目にあい、もう二度と放置品には触らない。ということが起きたのかもしれません。
私はオカルト現象に遭遇したことがないのでわかりませんが、世の中には本当に呪いがかかったものがあるのかもしれません。呪いを受けた人は、厄落としの処分として、その「もの」を神社に置いていったということはあったと思います。


ケース③
この神社には古札入れがありません。お焚き上げして欲しい古札は、寸志を包んで社務所に渡します。つまりお焚き上げは有償でありますから、放置してあったものは対応しません。ということなのかもしれません。ふむ。
よくゴミ集積所で「このゴミはルール違反です」というシールが貼られ放置されていることがあります。
御神前に放置された「垢」も、きちんとお金払ってもらわないと、処分しませんよ。ということなのかもしれません。あくまで推測ですが。



上記3つを推定し、では私が処分するしかないと考えました。
この氏神様にお参りする時は、白いレジ袋を持参します。
参拝する前に、正面棚に放置してある「垢」に一礼してからレジ袋に入れて、袋の口を固く締めます。
参拝後、近くのゴミ集積所に捨てます。
ですから私が参拝するのはその神社周辺のゴミ日収集の朝です。
でも私の時間が遅れてゴミ集荷が終わってしまった場合は、申し訳ないのですが駅前のコンビニのゴミ箱に捨てさせてもらっています。家庭内のゴミの廃棄は禁止でありますが。



さて垢を勝手に処分することは正しいこととは言い切れません。
第一に本当に参拝者の大事なものであるかもしれません。何かの儀式で御神前に放置したものであっても、第三者の私が処分する権利はないのです。法的には私は違法であります。


第二に本当に危険な垢もありえます。自宅に持ち帰るのは厳禁であるのは当然ですが、触れたり廃棄することが危険な場合もあるかもしれません。勝手に触る私はあくまで自己責任です。


第三にコンビニのゴミ箱にお店に関係のない外部のゴミを廃棄するのはルール違反であります。スリーエフさんごめんなさい。


ですから私の安っぽい正義感を人に自慢することは不本意ですし、他人に勧めるわけでもありません。それでも書きおく意味があると思うのです。



さて、だいたい一月に一回はお参りさせて頂きましたが、ほぼ毎回といっていいほど垢が置かれておりました。
その垢は様々なものがありました。
一番多いのは使い古されたお守りや御神札でした。
この神社には古札入れがないので仕方ないですが、それらは私が回収してゴミとして捨てていました。
「天照大神宮」「豊受大神宮」「伊雑宮」の三枚一セット御札もありました。
東京からはるばる伊勢まで行かれたのですね~。
ただ処分するのなら一言社務所にいって「寸志」として出せばいいのに。
ここに放置しておいても何週間でも何ヶ月もここにあるよ。そう思い残念な気持ちで御札をレジ袋に入れて、ゴミ集積所に廃棄しました。


あと、ものみの塔だか何だかどこかの新興宗教の会報がどそっと放置されていたこともありました。
こういう垢品は、躊躇なく即刻レジ袋行きです。
びっしり書かれた手帳みたいなものも放置されていたこともありました。本人のものなのか故人のものなのか。
こちらも処分させて頂きました。
御塩と榊が置かれていたこともありました。こちらも何かの神式の儀式であったのでしょう。
こちらもレジ袋に入れて処分いたしました。


この地域に住んでいるスピ系住民の人たちは、この神社にだまって垢を放置しておけば、あとは神職だか神様だかが霊的に浄化してくれると思っていたかもしれませんが、実際は素人の私が問答無用でレジ袋に入れて、ゴミ集積所やらコンビニのゴミ箱にバカバカ捨てていたんですよ~。



ということをほぼ毎月していた私ですが、なんとここ1~2年私が垢を処分することはほとんどなくなってしまいました。
私の似非正義感おせっかいの干渉がなくても、この御神域の清浄さが保たれるようにいつの間にかなっていたということです。
この最後の2行が今日の記事で書きたかったことです。チャンチャン。




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鎮魂歌。赤子をあやす。


日本では東條秀樹が首相となり、昭和天皇の強いお気持ちを受けて日米開戦の調整に臨みます。
しかし2ヶ月以内に日米交渉が成功しなければならないというタイムリミットつきでありましたから、これは大変困難な条件でありました。
そしてアメリカはそのことを暗号傍受で知っていたようです。
海軍と外務省の暗号はアメリカで筒抜けでありましたから。


ルーズベルトは元々日本人に対して差別意識を持っておりました。
特定の民族への差別意識を持っているという点でヒトラーと似ているように思います。
もう日本とここまでこじれているのであれば、妥協して、コーデル・ハルの日米諒解案の交渉を続けるよりは、このままジリジリと時間を稼いで、日本から戦争を仕掛けさせる方がメリットがあるとルーズベルトは考え始めていたと思われます。


このころルーズベルトはチャーチルとニューファンドランド島で会談をしています。
チャーチルはとにかくアメリカに参戦して欲しいと強く促します。
今はドイツはソ連と戦っておりますが、またいつイギリスにも攻撃を再開するかもしれません。
しかしルーズベルトはもう少し待って欲しいとチャーチルに言います。
まだアメリカを戦争に引っ張りだすには世論が許さない状態でした。
今から数ヶ月は日本という赤子をあやさなければならないが、ドイツとの開戦はそのあとだ。
ルーズベルトはチャーチルにそのように言ったといいます。


第一次大戦のあともう二度とアメリカの青年を戦場には送らない。そう公約して大統領に選ばれたルーズベルトです。そう簡単には開戦できません。うむ。どうするか。
どのようにしてアメリカを戦争に引っ張りだすか。これが当時のルーズベルトの最大の悩みであったことでしょう。


彼等がアメリカを戦争に引き釣りこむプランはいくつかあったことでしょう。
そのうちの一つがナチスをアメリカに宣戦布告させることでありましたが、ヒトラーはなかなか挑発にのってきませんでした。まだこの当時はヒトラーの悪魔の神通力も残っていたのかもしれません。


そこでルーズベルトが着目したのが日本であったかもしれません。
10月末まで交渉を引き伸ばしておけば、あとは勝手に日本がアメリカに宣戦布告をしてくれるといいます。
ヒトラーはソ連戦に相当苦労しているようだから、当面正反対側のイギリスに攻めて来ることはないとだろう。


もし日本が宣戦布告をしてきたら、堂々とアメリカ国民を戦争に引き出すことができる。
一度戦争を始めてしまえばこちらのものである。
ドイツは日本との同盟国であるから、いくらでもドイツへの参戦の理由は作ることができるだろう。


ルーズベルトはそう算段しておりましたので、チャーチルに日本という赤子をしばらくあやす。と言ったのでしょう。



つづく




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鎮魂歌。東條英機の思い。



優柔不断であった近衛首相が松岡外相を辞めさせるために総辞職しました。
近衛は総理大臣として松岡一人を更迭することができなかったのでした。閣僚一人辞めさせるために内閣総辞職とは情けない話です。


近衛の次に総理大臣になったのは東條英機でした。
東條は現役の軍人であり陸軍大臣でもありました。
しかし昭和天皇への忠誠心は人一倍強い人間でもありました。
昭和天皇は東條に対して、何としても日米開戦だけは避けるようにと自らの思いを強くお伝えになりました。


東條は開戦時の総理大臣でありかつ軍人でもあったため、東京裁判では太平洋戦争の首謀者として扱われ、現在でも欧米を始め近隣諸国や現代日本人でもそのような認識の人が多いです。
しかし少なくとも太平洋戦争に関しては東條は最後まで開戦を避けようと動いておりました。


首相の開戦責任を問うのであれば、一番責任重大であったのは前任者の近衛かもしれません。
暴走する松岡を止めることができず、何回かあった日米交渉のチャンスを放置して枯らせてしまいました。


近衛は育ち良く人が良く決して悪い人間ではありませんでした。
しかしブレインは左翼インテリを取り巻きにした、脳内お花畑の人間の典型であったかもしれません。
左翼というか自称リベラルと呼ばれる人たちの罠でもあります。
自分の人の良さが人生の判断基準であるために、本当の困難な危機に立ち向かった時にリーダーシップがとれないことが多いように見受けられます。
キレイ事ばかり言って、しかし自分では手を汚すことのない、人の良い人。


物事をこじれるだけこじらせておいて、ニッチもサッチも行かなくなって総辞職をして後任に全てを放り投げたという印象に思えます。
近衛は誰からも悪い人と思われたくなかったため、毅然とした意志で国を導くことができず、結局最悪の方向に突き進ませてしまいました。
ハンドルをとらないわけですから、車は低い方の崖に向かって堕ちて行くのは当然であります。


戦前の政治家や軍人はみな昭和天皇に忠誠を誓っていたかのように私達現代日本人は思います。
しかし実際はそうではないようでした。


たとえば杉山陸相のように、言葉は慇懃(いんぎん)だけど、内心はまったく昭和天皇を敬っていない人間も要職におりました。天皇は実権がないことをよ~っく知っていたので、御前会議では黙っているか、はいはい、と言っておけばいいのが俺の仕事だと割りきっていたのかもしれません。


たとえば松岡のように、真っ向から昭和天皇の意見に逆らっていた要人もおりました。
しかし日本国民はマスコミを含めて彼を強く支持しておりました。松岡の言動は当時の日本人大多数の意思であったとも言えるでしょう。残念ながら。


たとえば二・二六事件の陸軍青年将校らのように、天皇に忠誠を誓うとクーデターを起こしても、彼等の天皇とは実在の昭和天皇ではなく、架空の絶対権力者としての代名詞でした。
二・二六事件の背景にあった北一輝の思想は隠れ共産主義でありました。(二・二六事件とはその実態は日本で最初の共産革命でありました)
過激な共産主義者は個人崇拝をピラミッドとした全体主義を目指します。スターリンしかり毛沢東sかり金日成しかり。いずれもホルマリン漬けの独裁者の死体を崇拝する全体主義となります。
二・二六事件青年将校の崇拝した天皇とは強共産主義のピラミッドである絶対権力者のことでした。
それは昭和天皇が目指された天皇像とは全く真逆の象徴でした。


しかし東條英機は心の底から昭和天皇を尊敬し慕っておりました。
陛下から直々に命ぜられて東條は戦争を回避しようと決心します。
真珠湾攻撃まで2ヶ月をきった時期でありました。



つづく




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鎮魂歌。サソリの戦い。












昨晩ようやく「NHKスペシャル 狂気の戦場 ペリリュー ~"忘れられた島"の記録~」を観ることができました。
これは今年の8月13日に初回放映されたものです。
放送後、ネットでの評判を見聞し、是非見たいものだと再放送を録画設定したものでした。


今年の終戦記念日近辺のNHKスペシャルは見応えのあるものが多かったです。
「少女たちの戦争 ~197枚の学級絵日誌~」
→日本の庶民は当初絶賛していたこの戦争のどの時点から、戦争を後悔し始めたのかとても参考になりました。

「知られざる衝撃波 ~長崎原爆・マッハステムの脅威~」
→これがルーズベルトが指示して作らせて、大量の人間を瞬時に抹殺する悪魔の科学でした。


そしてこの
「NHKスペシャル 狂気の戦場 ペリリュー ~"忘れられた島"の記録~」です。
しかし何ということでしょう、私は録画に失敗してしまったのでした。
がっかり。でありましたが、なんと11月にまた再放送を行ない、3度目の正直で私はこの放送を観ることができました。


太平洋戦争で最も過酷であったといわれるペリリュー島の戦い。
現存しているカラーフィルムと今も生き残っている日本とアメリカの当時の兵隊たちの証言。
日本とアメリカの先鋭部隊数万人がこの狭い島に投入され、70日間の戦いで、日本兵1万人、米兵5000人が戦死しました。
逃げ場のない狭い島で、どちらかが全滅するまで行われたエリート先鋭部隊のデスマッチでした。


そこにいる兵士たちはあまりにも過酷なデスバトルにより感覚が麻痺して殺し合いを続けます。
まれに正気に戻った兵士は、良心の呵責で狂ってしまいます。
二匹の生きのいいさそりをガラス瓶に入れて閉じ込めたようだった。生き残った日本兵の老人がそうつぶやきます。


なぜこのような戦争が人類に起きたのでしょうか。
私はそれを知りたかったのだた思います。
以前はこのような戦争悲惨ものは苦手でした。
私の人生で目をつぶって避けてきた出来事でした。
特攻ものも苦手でした。
原爆ものも苦手でした。


しかしなぜかどういう心境の変化なのか、今はそれを良く知りたいと思います。
彼等の無念さ、彼等の恐怖、彼等の覚悟に寄り添いたいと思うのです。
「どうしてこんな戦争が起きたのか」そう彼等の心の中でのべ何億回以上も繰り返された自問の答えを探すために、私達日本人が戦争に堕ちていった過程を拙い文で追いかけております。


それは一日一本のお線香のようなものかもしれません。
真珠湾攻撃までのエピソードはもうそろそろ数少なくなってきました。あれほど大量にあったと思ったお線香も今回はもうだいぶ残り少なくなってきました。
このシリーズを終えるころは、また自分の中でも一つ大きな疑問が溶けていることであるかと思います。
私の妄想ブログにお付き合い頂く読者の方々には厚く御礼申し上げたいと思います。



つづく




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鎮魂歌。スターリンに惹かれていくルーズベルト。



日本は9月6日の御前会議で、10月下旬までに日米交渉がまとまらない場合は、アメリカと戦争を行うことを決定しました。
日本が自らの手で太平洋戦争を仕掛けたと認めづらい日本人も多いことでしょう。
それほど太平洋戦争の代償は大きかったわけですから。
ハル・ノートというアメリカからの最後通牒で日本は戦争せざるを得なかったと信じている人も多いことでしょう。
しかし実際は真珠湾攻撃の3ヶ月前、日本は日米開戦を事実上決定したのでした。昭和天皇の精一杯の反対を押し切って。



さて当時のアメリカはコーデル・ハルのルートで日米諒解案を画策していたグループと、ルーズベルトのルートでソ連との密約同盟を画策していたグループに分かれます。
ちょうど岩畔大佐がアメリカに上陸した5月の頃、逆にルーズベルトは自分の密使をスターリンの元に送ります。
==========
「そこでです。あの厚かましいチャーチル氏をクレムリンでこき下ろし、そして、……」からがあなたの腕の見せ所ですが、スターリン元帥に戦後体勢をささやいてもらいたい。つまり戦後はイギリスが支配していた植民地を独立させて、かの国の力を削ぎ、新しい枠組みの許でアメリカとソ連を中心に世界を指導して行こう。これが大統領の胸の内だと耳打ちし、アラスカ会議の目的が何であるかをあなた自身の口でそれとなく伝えて来てもらいたいのです」

「それからね、エド」と、今度は大統領が口を開き、「ソ連がすぐにも対日戦争に踏み切り、満州方面へ攻勢をかけてくれるなら、戦後、日本の……何だったかなハリー、そうそう南樺太と千島列島、それから北海道、東北六県を提供しようと囁いてくれ。それと、満州は蒋介石に与える。しかし、日本本土の大きな港がソ連のものになるなら、満州なぞくだらない獲物ではないかとも囁いて来てくれ。アラスカはそのための会談なのだよ」と言った。

『原爆投下への道程』より テヘラン会談
http://blog.goo.ne.jp/tgalmoh/e/af1fe84fda33ad2b5080635fac096e0f
==========


ルーズベルトはこの時期、イギリスのチャーチルにも同じように「うまいことドイツがソ連と戦争を仕掛けたので様子見しましょう」という話をしています。(第三回ワシントン会議)
この内容は極秘であったのですが、ルーズベルト政権には多数のコミンテルンがいたため、その内容にスターリンは激怒したといいます。


今でもそうかもしれませんが、外交とは狐と狸の化かし合いですね。


しかし日本が対米戦争を決意したことから、アメリカがソ連の方に近づいていくこととなります。
これにはルーズベルトの「強さに憧れる性格」が隠れた原因だったこともあるのではないでしょうか。
車椅子の障害を国民に隠したまま「強いアメリカ」を指導しつづけた人間の裏は、常に自分の弱さとの戦いであったかもしれません。
老子いわく、柔らかいものほど強く、強固なものほどもろいものです。
スターリンの悪魔的強さに、強さに人一倍執着していたであった人間ルーズベルトが惹かれていったことは想像にかたくありません。



つづく




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鎮魂歌。引っ越した悪魔。


ヒトラーが何かに憑かれていたようだというのは、いろいろな記録に残っています。
最初は第一次大戦の戦場で、彼が奇跡的に敵の攻撃から助かったところから始まっていると伝えられます。
その後彼はとんとん拍子に出世して、ナチスの総統となり、またこのナチスが強くて強くてあっと言う間にヨーロッパ全体を征服してしまいました。
憑き物のヒトラーは別人のような状態となり、その時に下した軍事作戦は毎回毎回見事に敵の裏をついて、ナチスを勝利に導いたといいます。


しかしその連戦連勝であったヒトラーのドイツ軍もソ連を戦うようになって、神通力を失っていきます。うう。
ヒトラーに憑いていた存在もヒトラーを何としても勝たせようというわけではなく、「もしソ連がアメリカと組んだらナチスは負けるだろう」と冷静な判断をしています。


さてヒトラーには本当にオカルトの何かが憑いていたのでしょうか。
それは古来から人間が悪魔と呼んだ存在なのでしょうか。
しかしもし悪魔というものがいるのなら、それは私達一人一人の心の中に住んでいるものではないかと思います。
悪魔が自分の心の外の誰かに取り憑いていると思う限り、悪魔はこの世に存在できるのではないでしょうか。
悪魔は自分の心の中にいると認める時に、悪魔はこの世に存在できなくなるのではないでしょうか。
一見矛盾したことこそがこの宇宙の真理かもしれません。


しかしいずれにせよ、ヒトラーの神通力はある期間を境に消えていったように思えます。
それはソ連とアメリカが手を組んだ時期であろうと思います。
ヒトラーに憑いていた存在は、あたかもスターリンとルーズベルトに引っ越したのかもしれません。
日本の民話では座敷わらしが出て行くとその家が没落すると言われています。
ヒトラーに憑いてユダヤを迫害していた存在は、今度はスターリンとルーズベルトというユダヤの側に引っ越ししたようにも思えます。


スターリンは共産党の大親分だけあって文字通り悪魔のような存在でした。
さて第二次大戦で日本人の犠牲者はどのくらいだったかご存知でしょうか?
それは300万人前後であったと言われています。
さてではソ連の犠牲者はどのくらいだと思いますか?
2600万人と言われています。日本人の犠牲者より一桁多いです。
なぜこれほどソ連の犠牲者が多いのか?


スターリンは自分が共産党の中で権力を握るために敵対する勢力をどんどん粛清していきました。
これが共産主義の真実です。
規則と体制で平等を実現しようとすると、少数の人間に権力が集中するのです。
本当の平等とは、一人一人の良心から与えることができるように人類が進化しないと難しいかもしれません。
人間の嫉妬心を解決しないと、平等とは持てるものから嫉妬心で奪い取るという負の連鎖で実現しようとしてしまいます。これが共産主義のトリックです。
こうして平等という建前で嫉妬心の総意である人民委員会に権力が集中し、その中でも特に権力への執着が強い人間が他人を蹴落とし書記長となります。
その書記長はその国の権力ピラミッドの頂点となります。
平等を実現しようとして、嫉妬心で社会の体制を運用しようと革命を起こした結果、良心を捨てた度合いの高い人ほどピラミッドの上部に上り詰めるという悪魔のような社会が世の中に出現します。



さてドイツがソ連に侵攻した時、スターリンの周囲にはまともな将校はほとんどいなかったと言われています。まともな将校はあの世かシベリアのどちらかに送られていました。
ちなみにこの時期日本の松岡がシッポをふって手を組んだのが、ナチスのヒトラーとソ連のスターリンでした。


さてまともな将校がいないためスターリンは人海戦術でナチスに挑みました。
スターリンは「兵は畑でとれる」といい、農村の男子を片っ端から徴兵して戦地に送りました。
もしナチスが1万発の弾丸で打ってきたら、こちらは2万の(農村)兵で立ち向かえば勝てる。これがスターリンの戦術でした。
徴兵を断った村は全滅させられたと言います。




とにかく戦車の上に農村兵を大量に乗せてドイツ軍に立ち向かいます。
銃は二人に1丁しかありませんから、足りない分は死んだ味方兵の銃を使えという戦いかたでした。
とにかく日本の特攻隊なんか目じゃない桁が違う人命軽視の鬼畜の戦略でした。
有能な人材を全部あの世やシベリア送りにしたスターリンがそもそも悪魔ですが、自国民を盾にできる悪魔っぷりは私達と同じ人間とは思えません。


もしヒトラーに何か本当に憑き物がいたとしても、スターリンの鬼畜っぷりにソ連に引っ越したとしても頷けます。
ヒトラーは第二次大戦後、自殺したとも言われていますし、南米に逃げ延び長く生き延びたとも言われます。いずれにせよ憑きものが離れた素のヒトラーは気の弱い男性だったとも言われています。


それに比べてスターリンの鬼畜は当時の人類でも屈指のものだったことでしょう。
彼が育てた真っ赤な独裁体制は、毛沢東や金正日やポルポトなど赤い弟子を育て、良心が残っている人間から抹殺していくという社会の種を人類史上に残していきます。


人類を虐殺した独裁者たちランク。
一位はダントツで毛沢東。二位はスターリン。三位はヒトラーです。
(毛沢東、スターリン、金日成、ポルポトなど赤い屋号の独裁者達の虐殺の特長は自国民を殺戮しています。日本でも赤い屋号に惹かれる人は革マル派や赤軍派など同じ傾向を持つ点が興味深いです。)



日本がアメリカとの和平交渉を事実上諦めて、戦争するしかない。とタイムセールの罠にハマったころの世界の情勢とはそういう状態でした。ナチスからスターリンに悪魔が移動したように見えます。
そしてその悪魔の本性とは私達人類一人一人の心にいる嫉妬心や攻撃心の総意が人々の行為という形になったものであろうと思うのですが。




スターリンと嬉しそうに腕を組む松岡。



つづく



おひさま、ありがとうございます。


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