無題のドキュメント
まるぞう備忘録
二郎氏と三郎氏。
永遠のゼロの感想です。
大刀洗平和記念館がどうしてたくさん人が来ていたのかよくわかりました。永遠のゼロを観たら行きたくなるのは良くわかります。
そしてそれはとても良いことであると思います。
大刀洗平和記念館は本当に重みのある平和記念館です。
薄っぺらいサヨク脳の平和主義ではありません。
もし戦争が起きたら自分は特攻に行くだろうか。
もし戦争が起きたら自分の子供が特攻に行くだろうか。
誰しも必ず答えのでないその問いを自分に問いかける場所であります。
特攻に言った若者たちの写真と手紙が展示されています。
アメリカに対する恨みつらみは一言もありません。他国の人から見ると、これは驚くべきことでしょう。
両親への感謝の気持ちと、祖国が平和であることだけが書かれています。
この記念館には本物の海軍の零式戦闘機と陸軍の九七式戦闘機が展示してあります。戦闘機マニアなら垂涎の本物の機体です。目の前で見られます。かっけ~。
しかし反対側には特攻の若者たちの手紙と写真が展示しています。
永遠のゼロの映画の影響でこの記念館に足を運ぶ人が増えているということは、日本にとって幸運なことであると思います。
彼等に気持ちを寄り添える人が増えれば増えるほど、日本が戦争に巻き込まれる危険性が減るからです。
逆に左翼脳のように思考停止して戦争反対だけを唱えていると、反対側から戦争の可能性が忍び寄って来ているので非常に危険であるかもしれません。

しかしながら、このシーンは日の丸がキレイでした。
さて永遠の0ですが、私が感銘したのは主人公の臆病さでした。
常に最悪を予想して、自分が無駄死にしないように最善の注意を払っているところでした。
毎日人知れず体力を鍛えているのも、逆さまになったまま飛行を続ける練習をするのも、無駄死にしないためでした。
主人公は自分だけでなく一緒に飛んでいる部下の飛行機も無駄死させませんでした。通常ゼロ戦は3機が一つのチームとして戦闘に出ます。部下の2機を列機と呼びます。
この主人公のモデルと思われる人物がいます。それは坂井三郎氏です。彼は撃墜王と呼ばれた伝説的なゼロ戦乗りでありますが、最も優れているのは列機を1機も失わなかったということです。
自分だけでなく、部下も無駄にさせなかった名パイロットです。
しかし同僚の彼に対する評価は賛否両論です。その点もこの映画の主人公と共通点がありますね。
さて奇しくもほぼ同時期に公開されたゼロ戦の映画2本。「風立ちぬ」と「永遠のゼロ」。主人公のモデルが、堀越二郎と坂井三郎でした。

まさかお二人のモデルの映画がそれぞれ別々にほぼ同時公開されるとは夢にも思われなかったことでしょう。
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7: ファイヤーバードスプラッシュ(三重県) 2013/07/26(金) 21:37:27.80 ID:JCHx8DUf0
堀越と坂井三郎が戦後に会談した記事を読んだんだけど、堀越さんめちゃくちゃ愛国者やったぞw
風立ちぬ観たけど、大分違うなと思ったわ
9: グロリア(茨城県) 2013/07/26(金) 21:39:16.64 ID:uYrx2Huu0
>>7
詳細を
何に載ってた?
24: ファイヤーバードスプラッシュ(三重県) 2013/07/26(金) 21:44:36.08 ID:JCHx8DUf0
>>9
たしかゼロ戦特集の雑誌だよ
今も本屋に並んでるんじゃないかな?
坂井さんと堀越さん二人で、「今の若者は~(団塊の世代)」とか「アメリカの奴隷になって~」とか「そもそも国家は~」とか色々言ってたよ
56: ファイヤーバードスプラッシュ(三重県) 2013/07/26(金) 21:58:06.12 ID:JCHx8DUf0
お、見つけた
多分これやな
堀越二郎 ゼロ戦への道 2013年8月号

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坂井三郎氏語録
http://yamushokey.com/modules/picoarchive/content0096.html
■歴史問題について
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学校で本当のことを教えればいいんです。たとえば、「従軍慰安婦」なんて、言葉は、当時はなかった。第一、戦地に女なんかいませんよ。一人も見たことがない。
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「南京大虐殺」だってそうです。南京が陥落したら陸軍のほとんどはすぐに出て行ってしまった。残ったのは干五百人くらいですよ。干五百人でどうやって二十万人、三十万人を殺すんですか。穴を掘るだけだって大変ですよ。そうかといって川へ流そうものなら、たくさんの遺体が上海までプカリプカリ浮いていく。世界中の報道班が来ているんですよ。大虐殺があったら気づかないはずがない。東京裁判まで、そんな話はまったく出ていませんでした。
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■特攻について
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息子を戦地にやって、死んで帰れと励ます親がどこにいるかということですよ。右腕をやられたら左腕で戦え、両腕をやられたら足で蹴って戦え、両手両足がなくなっても生き残れ、必ず勝って生きて帰れ。それが親心じゃないですか。なのに、「死」という言葉に日本人は酔ってしまうんです。
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私はラバウルで搭乗員を集めて、「絶対に自爆や体当たりはするな」と言いました。俺たちは死にに来たんじゃないぞ、勝ちにきたんだ、と。
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最後まで目をつぶるな、目をつぶったら命中しない、目的を果たせず、無駄死にだ。最後まで目を見開いて、目標を失わず犯ったところへ行け。……そう言われたって、当たる寸前にはどうしたって目をつぶってしまうんです。だから外れる。言われたとおり突っ込んでいってもなお当たらない。むごい話しですよ。こんなひどい話がありますか、ここれが狩攻の真相です。
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■戦争責任について
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先日、森(喜朗)総理大臣が「日本は天皇を中心とした神の国である」なんて失言をしたらしいですね。「神の国」なんて、バカを言っちゃいけない。だいたい、ぼくらは「皇軍」という天皇の軍隊で戦って、負けて武装解除されて、尾羽打ち枯らして帰ってきました。そのとき、「軍隊が勝手に戦争始めて負けて帰ってきやがった」なんて、ずいぶんののしられた。それは大きな間違いです。
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勲章をくれとは言いません、負けたんだから。しかし、我々は天皇の命令で南半球まで行って帰ってきたんです。いまは漫才師や落語家ですら勲何等とかって叙勲を受けます。それなのに我々に一言もないのはどういうわけでしょう。開戦の詔勅を下した天皇から「ご苦労」の一言があってしかるべきではないか。それが日本の道ではありませんか。
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その点、アメリカは違います。「どうやってあなたは戦闘を勝ち抜いてきたのか。なぜアメリカの戦闘機をあれだけ撃ち落としておいて、自分は致命傷を受けず、いまなお元気なのか」と真剣に聞いてくる。米軍の戦法はどうだったか、それに対してあなたはどういう戦法をとったのか。日米の飛行機の性能の違いはどうだったのか、どう考えてどう行動したのか、ミスを犯したことはなかったか、それをどうやって克服したか・・・・・。アメリカの軍人は熱心に、それこそありとあらゆる質問をしてきます。そして、かつて敵として戦った私に対しても、功績があれば素直に認め、敬意を払ってくれる。日本とはそこが違いますね。
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坂井三郎氏は2000年に亡くなりましたが、当時とことなり日本は日本を取り戻しつつあるように思います。あるいはそうであって欲しいと思います。あるいはそうであるべきと思います。私達が平和を受け取った責任として。
おひさま、ありがとうございます。
下記は静止衛星軌道上で観測される太陽からの電子密度グラフです。急な変動がある場合は地震や事故に備えて防災意識を心掛けましょう。特に注意が必要な期間は、メールやTwitterで防災意識リマインダーを受け取ることができます。詳しくはこちら

風立ちぬ。感想。補足。
「風立ちぬ」考察の補足です。
DVDを返却するというので昨晩家族が再度この映画を観ておりました。私も居間で仕事がてら改めてこの映画を観ました。
1,
やはり宮崎氏の中で矛盾したテーマが未消化であることを感じました。
従来のように年代や国が架空の物語であれば、未消化のテーマであっても観客が思い思いの投映を映画に映せましたが、今回のように近代の歴史上の人物や事件をモデルとすると、多くの人がその未消化の部分を感じてしまうと思います。
ゼロ戦や特攻に思い入れのある人は、この作品は物足らない話に思えるでしょう。なぜか純愛のシーンはとってつけたように感じられるでしょう。
戦争反対の左翼の人たちは、この作品は戦争賛美のように思えるでしょう。韓国では宮崎氏に対して抗議があがりました。
しかし宮崎氏は本当は「飛行機かっけ~。戦闘機かっけ~。だけど戦争大反対。」というように誘導したかったのかもしれません。しかしそれはとてもとても難しいですね。
それは清濁併せのむ人間力の強さが必要ですから。その清濁を描く人間力が必要ですから。
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零戦、零戦と騒ぐマニアの大半は、コンプレックスで凝り固まり、何かに誇りを持たないとやっていけない人間です。思考力や技術力を超えた堀越二郎の天才的なひらめきの成果を、愛国心やコンプレックスのはけ口にして欲しくはない。僕は今度の映画で、そういう人々から堀越二郎を取り戻したつもりです。
(宮崎駿談)
http://d.hatena.ne.jp/kawasimanobuo+3/20130721/1374366255
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宮崎氏は、このように述べていますが、本当の堀越二郎とはもっと骨太の人物のようです。団塊世代の親の世代です。頭でっかちの平和主義ではありません。
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「『零戦』を通じて我が国の過去を顧みるとき、自らの有する武器が優秀なればなるほど、それを統御するより高い道義心と科学精神を必要とすることを教えているように思われる」
(堀越二郎 語録)
http://meigennooukoku.net/blog-entry-2209.html
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本当の堀越二郎は戦争に突入した日本については嘆いてはおりましたが、日本のことを人一倍愛していました。団塊の親の生き残った世代は「戦争反対」であっても「愛国心」であるのです。しかし団塊世代は「戦争反対」は声高にいいますが、「愛国心」は口が裂けても言えません。
宮崎氏がなぜ今回のテーマが未消化であったかという最大の理由です。「戦争反対」であってもいいのです。当然です。しかし「国を愛する」を言うことができなかった。この心のブロックが宮崎氏の限界であったと私は妄想しております。
2,
改めて風立ちぬを観ると本当に手間と工数がかかっているなあと感心します。もうどのシーンも手抜きなどない芸術作品です。しかし、しかし、ハングリーさが感じられません。
飛行機のメカやら部品が動いているシーンや紙飛行機が飛んでいるシーンは宮崎氏の熱い情熱を感じます。それ以外は、ただ膨大に手間暇のかかった美しいシーンだけの映画でした。
ジブリができた頃、あるいはジブリができる前の徳間書店や日本アニメーションや東京ムービーの頃はお金がなくて、苦労したシーンばかりであったでしょう。しかしそんな中でもほとばしる情熱がありました。俺はこれが描きたいんだ。という情熱がありました。



ジブリはもう制作費にいくらでもお金も人員もさける社会的立場になりました。しかしそのころには、もうかつてのような熱い熱い情熱を描く人はいなくなってしまいました。
世の中とはこのように変化していくものなのですね。その点で「風立ちぬ」の絵が綺麗であればあるほど、寂しさを感じました。
3,
もう一つ補足したいのは、私がやはりここ数年とくに思うのですが、創造の情熱とは制約が多ければ多いほど発露するということです。しかし世の中のほとんどの人は逆の罠に陥っているように思われます。
「お金さえあれば解決する」
「時間さえあればちゃんとできる」
「人手さえあれば行き届ける」
しかし実際はそんなことはありません。
私達の平凡な庶民の生活でも、本当に幸せな時期というのをあとから改めて見なおしてみると「お金がない時期」「時間がない、人手がない忙しい時期」であることがほとんどでありましょう。
天才画家と呼ばれる人で、生きている間は無名であった人が多いですね。
生きているころは落書きのように扱われて、死後一枚の絵が数億円になることがあります。
この人は幸せだったのでしょうか。
私は貧乏なまま、死ぬまでハングリーで絵を描けたことはとても彼等にとって幸せなことだったと思います。
もしお金や名声を途中で得てしまうと、もう彼は絵が描けなくなってしまうから。です。
4,
ご質問を頂いた件についていくつかはこちらで回答いたします。いつもコメントありがとうございます。
>零戦についてももっと書いて下さい~。
ゼロ戦についてはいろいろな方が書いていらっしゃるので、私は現代のゼロ戦について少し書いてみたいと思います。ものづくり遺伝子シリーズで一番書きたかった内容です。一般受けしないオタクなお話ですが。
>放射能無能化はできるはず…と思っていましすが…。
いずれは可能であると思います。広域での無能化は難しいと思います。めどがたつのはまだ実験室レベルと思います。ただ健康面では想定されていたより被害が少ないという結果が数年後に発表されるかもしれません。
>ドアの前で振り向いたのび太のあの目を細めて遠くを見て微笑んだ表情があんなに切なく感じたのは、サヨナラの予感だったのでしょうか?
不思議なお話ですね~。私は零感なのでそれ以上はわかりません。すみません。m(__)m
>私の頭の中の変換ではまるぞうさんの考察がこんな感じになります。すみません(笑)
素晴らしい解釈です。私の筆が足りないところを読んでくださって、ありがとうございました。
>まるぞうさん!!!!自力で解決できました
開通して良かったです。
>読者の方に監督について何度か質問されてますが、いつもスルーだったような?
よそのサイトのスルーでありますので私も想像がつきかねますね。意見を述べる立場ではありませんです。ただ今回思いましたが、「国を愛する」と言えない方は寂しいことであろうと思います。そういう世代なのかもしれませんが。
>いつかぜひ、未来少年コナンの考察もして頂きたいなあと思ってお願いにきました、
ご指摘のように、それ以降の宮崎氏のありとあらゆるエッセンスがここにありますね。宮崎氏がハングリーで情熱で燃えていたころ真っ最中の作品です。お金もない時間もないなかで生み出した、宮崎監督の代表作であると思います。TVシリーズですので、レンタルで借りてみるのも大変ですし、ご覧になったかたは少ないかもしれません。私はリアルタイムでNHKで放送しているのを観て、子供心にショックを受けました。
>それと、機会がありましたらエヴァンゲリオンに関する考察も是非!期待しております。
すみません。実は観たことがないのです~。
桃さんへ、
スイスのジャーナリストさまのご回答ありがとうございます。非常に参考になります。
返信は少しお時間を頂くかもしれませんが、必ず書きますので、もう少しだけお時間をください。
よろしくお願いいたします。
おひさま、ありがとうございます。
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お金と時間の制約があればこそ。
「マトリクス」という映画がかつて大ヒットとなりました。私も当時は好きな作品でありました。(思考の現実化など今から見ればツッコミどころがたくさんある作品でしたが、当時は新鮮でありました)
さてこのマトリクスは世界的な大ヒットとなり、続編の2と3が同時に作成されました。
とにかく初編の大成功により資金は超潤沢にあります。監督はもう湯水のごとくお金を使いました。
とくに予算を投入したのはラストシーンでした。主人公と適役が最後の決戦を行うコンピューター・グラフィックでした。どのくらいの予算がかけられたかというと、このラストシーンだけで、マトリクスの一作目全体が製作できるほどの予算でした。う~む。すごいです。
さて出来はどうかというと、実はシリーズを通して一番つまらないシーンがこのラストシーンでした。全部CGで作られているため画面に奥行きがなく平板なのです。そして雨の中の戦闘シーンだけがひたすら続くのでした。
その大音量の映画館で私は眠くなってしまいました。
これは予算を創造性は比例しない。といういい例であります。
これはものづくり遺伝子のシリーズのお話にも関係あります。
製作者はいつもお金と時間の戦いです。
ああ、もう少し予算があれば、ああ、もう少し時間があれば。
しかしその制約が多ければ多いほど、実は創造性がフルに発揮されるのです。
あのマトリクスの監督をしてもそうでした。
予算が潤沢にあると本来の創造性が消えてしまうのです。
もしここで予算が全く足りない状態であのシーンを撮るのならどうでしょう。
主人公と敵役の戦いを低予算で撮らなければならない。となると思いっきり知恵が出ることでしょう。そうなればそのシーンは命を持つことになります。
実際のラストシーンはCGのシーンに巨費を投じました。
なぜお金がかかったか、というとそれは物量作戦であったからです。
たとえば1シーンに一人をCGにするには1万円かかるとします。1000人描くのであれば1000万円ですね。100シーンあるから10億円ですね。そういうお金のかけ方をします。
予算をどうやったらクリアできるかという制限がありませんから、知恵が出てくるプレッシャーが少ないです。
どうして日本はロケットにしても飛行機にしても、アメリカの国防予算の数百分の1で開発できたりしてしまうのか。ということと関係が深いです。つまり予算は潤沢になるだけ、創造のパフォーマンスが落ちる傾向があるのです。
低予算でロケットを飛ばさないといけない、低予算でエンジンを完成させなければならない。その制約が知恵を磨く絶好のプレッシャーになると思います。
「風立ちぬ」では大震災のシーンがそうでありました。
テレビの特番では、このシーンにいかに工数がかかったか、ということを随分押していたようです。大勢の群衆の一人一人の動きを全部別々の動きとして動画を作成していました。
さて実際にそのシーンを観ると「ふ~む。それで」という感じでありました。
確かに一人一人の動きが細かく異なっており、このシーンを製作するのは本当に莫大な費用と工数がかかるであろうと思いました。それは強く思いました。
しかしこの映画のそのシーンにそこまで費用をかける必要性があるのか?と問うと答えはそうではありません。
もし予算が限られた状態で、映画を創ることになったとしたら、大震災の群衆シーンはもっと違うものになっていたはずです。逆に誰一人動かすことなく群集を表現したかもしれませんね。その知恵を出さざるを得ない環境が人の創造性に不可欠な条件です。
この群衆シーンを観て私が思いましたことは、ジブリは本当に製作にお金をかけられる企業になったのだなあ。という感慨でした。しかしそれは「作品の創造性」という観点ではあまりプラスにならない環境であります。特にジブリのように外部人材を締め出す閉じた「村社会」になってしまうと、ただでさえハングリーにかける社風に加え、潤沢な予算は更に更にハングリーさを消してしまう集団になってしまうおそれがあります。
本来は目玉となるべき震災のシーンでありますし、凝ったシーンであるのは間違いありませんが、少し心配になりました。
4秒のシーンに1年3ヶ月かけられるお金のかけ方に、ジブリという会社が創造性というハングリーさから距離を起き始めているというにおいを感じて少し心配になりました。
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鈴木敏夫「制作費を減らしたら、その作品、つまらなくなるでしょ。やっぱり、僕は凄い作品を観てみたいんです。僕自身が。だから、『風立ちぬ』で宮さんが思いの丈をぶつけて凄い作品を作ってくれたし、高畑勲も、付き合ってて大変ですよ。頭にもくるんですけど、凄い作品を観てみたいんです」
中山秀征「はい」
鈴木敏夫「映画を作るときに、『お金を使う』っていうのは、1つの能力だと思うんです。要するに、能力がなければ、お金を使うことは出来ないんです」
中山秀征「あぁ、なるほど」
鈴木敏夫「高畑監督にせよ、宮崎駿監督にせよ、お金をいくらでも使える能力を持ってるんです。放っておいたら、いくらでも使うんですよ」
http://numbers2007.blog123.fc2.com/blog-entry-2827.html
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私は鈴木プロデューサーの意見とは少し異なります。
お金を投資するということと、創造性のアウトプットとは比例しません。
1000万円の投資の創造アウトプットと、10億円投資の創造アウトプットが同レベルであることもあるのです。
制約があるから創造性が高まるというのが私の持論です。
さて私達の日常でも、お金と時間がないことだらけです。
もう少し予算があったら、もう少し時間があったら。そればかりを願います。
しかし「お金」と「時間」が足りないこそ、創りだすという知恵が働くのは間違いないようです。ですから制約が多ければ多いほどそれはありがたい状況であります。「人生」を「創造」と観るならば。
世の中に「名作」が生まれる条件は、生み出すには「お金」と「時間」が足りないということが世界共通の条件であることのようです。(私達の個人の人生生活を含めて。)
おひさま、ありがとうございます。
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ポニョ考察。
昨日の記事に対してたくさんコメントを頂きありがとうございました。(いつもありがとうございます。m(__)m )
本日は「風立ちぬ」の感想の後篇の予定でありましたが、「ポニョ」に対する考察を述べさせていただきたいと思います。ジブリやアニメに興味のない方には退屈な話題となりますが、もう少しだけお付き合いください。
今後みなさまの人生において「崖の上のポニョ」をご覧になる機会がおありになるかもしれません。その時に今日のお話を思い出して頂ければ幸いです。おそらく従来より一味違った「ポニョ」味わえるかもしれません。
まず一つに「ポニョ」に出てくる主要女性キャストは皆、宮崎氏の母親像の投映です。
(これはポニョに限らず全ての作品がそうなのですが、特にポニョがわかりやすいです。たくさんバリエーションがありますから。)

トキさん
いつも憎まれ口をたたくちょっと意地悪なおばあさん。これは宮崎氏の実際の母親をモデルにしていると言われます。「悲しいけど、これ現実なのよね」(再びスレッガー中尉風に)
「マザコン」とは幼少期与えられなかった母性への憧れであります。
この母親像は「千と千尋」では湯婆婆と銭婆婆の双子の二人に分かれて表現されています。

グランマンマーレ
いわずもがな、もう人類の母性の象徴そのものでありますね。日本語の「アマ」とは「女性」であり「海(生み)」であり「太陽」であります。



リサ
グランマンマーレがイメージとしての母性の象徴であるとするならば、リサは現実世界の中に生きる生命力に溢れた「宮崎氏の理想の母性」であります。
実際の宮崎氏の母親は病弱であったようです。(サツキとメイのお母さんもまた)。
そんな宮崎少年にとって現実界の理想のお母さんとはこのように仕事ができる段取り力に溢れた母性であるのでしょう。料理洗濯や周囲への気遣いはもちろんのこと、運転が上手いとか、モールス符号が打てるとか、メーヴェが上手に乗れる風使いであるとかとか。

ポニョ
ポニョは一見幼女ですが、グランマンマーレの分身であります。はるか彼方から「宗介、だ~い好き」と万難を排して会いに来て抱きしめてくれる存在です。
かわいいヒロインが実は母性の分身であることは宮崎作品の共通のバックグラウンドであろうと思います。たとえば「ラピュタ」。

かわいいシータと

飛行海賊の女船長であるドーラ

しかしドーラの若かれし姿はシータと瓜二つ。
さてポニョの鑑賞の際、もう一つ知っておいても良いのは、津波のあとの世界が「あちらの世界
であるということです。街全体が津波に呑み込まれたとしたら、彼等は自分たちが今まで生きていた世界とは違う世界に移行したことを気づくだろうか。
もともと宮崎ファンタジーとは現実世界に並行する夢世界とのリンケージのお話です。トトロにしても千と千尋にしてもそうですね。主人公はその境目を越えるのですが、もし街全体が津波によって異世界に移行したらみんな気づくでしょうか。


津波で沈んだ街の上でピクニックする大正時代の若夫婦と赤ん坊。彼等は現実の世界で生きている住人ではありません。ということは、この世界は???
おひさま、ありがとうございます。
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向き合われなかった堀越二郎の思い。
子どもたちはまだ夏休みです。友達が泊まりに来るということでレンタルビデオ屋さん(もうこの言葉の死語なのですね。きっと)から大量のDVDを借りてきました。
私もそのおこぼれにあずかって、ようやく「風立ちぬ」と「永遠の0」を観ることができました。前々々々からず~っと観たかったのですがようやく念願かないました。
両作の共通点は言わずもがな「零戦」であります。
やはりどちらの作品もラスト近く、ゼロ戦に載ったパイロットがこちらの主人公(?)に向かって手を振り飛び去るシーンがあります。どちらも感動的なシーンであります。ネタバレになるのでここまでにしておきましょう。
さてまずは「風立ちぬ」です。私はおそらくパヤオ・オタクでありましょうから、語りたいことはたくさんあるのではありますが、このブログでは二つだけ述べさせて頂きたいと思います。
一つ目はこの映画の肝心な主題が煮詰まららないまま、うまいこと話をそらしてまとめようとした残念な点です。
宮崎氏は自他共認める「兵器オタク」です。特にプロペラの戦闘機が大好きです。「ジブリ」の語源もイタリア軍の戦闘機の名前でもあります。
しかし宮崎氏は戦争は反対です。戦闘機はもう本能的な崇敬をもって惹かれるのに、戦闘機の作られた目的背景は大嫌いです。この矛盾をどう解決するかが、本当のこの作品の解決昇華されるべきテーマであったろうと思います。
たとえば安っぽいドラマの脚本家なら、ラストに主人公にこんなセリフを言わせてお茶を濁すことでしょう。
「俺達の作っていたのは人殺しの道具なんかじゃない。俺たちが本当に目指したのは大空への夢なんだ」
「二郎、悲しいけど、これ戦争なのよね」(スレッガー中尉風に)
「ちっくしょ~。」(床をたたいて泣き崩れる二郎)
さすがに宮崎氏はそのような三文ドラマは描きませんでした。良かったです。
しかし向き合うことも途中でやめてしまったようです。
考えれば考えるほど彼の中でこういう結論になったのでしょう。「これじゃドラマのお話にならない」
ならそのまま、もがいたまま作品にして欲しかったと思います。
宮崎氏のお話はどれも「解決されなかったマザコン」の心理が大きな創造の原動力となっています。宮崎氏の充たされない母親への思いが、七転八倒してどのように昇華させるか、が宮崎氏の映画の根幹でした。
今回の「戦争は嫌いだけど兵器好き」というのも昇華が必要な大切な矛盾課題でありました。しかし宮崎氏は結核婚約者の話をクライマックスにもってきてお茶を濁してしまった感があります。
もし本当に宮崎氏が結核婚約者の悲恋を描きたかったのなら良いです。しかしどうしても画面からは「俺が描きたかったのは天才航空設計技術者の話だったのよ~。大空に憧れた天才技術者の話だったのだよ~」というメッセージがヒシヒシと聴こえてくるのです。
そうかそうか。では聴かせておくれ。天才技術者のお話を。
というと宮崎氏が語るのは結核の婚約者の話でした。おいおい。
ストーリーの合間にみせる主人公の飛行機設計の話は実に面白いです。みんな生き生きしています。でも彼等の仕事は人殺しの道具なんだよね。という領域になるととたんに「いやいや、実はね、病気持ちの婚約者がおりましてね」という純愛悲恋の物語に目をそらされてしまう。
もしこれが最初から最後まで架空のお話ならそれでも良いのです。
天才設計技師が空に憧れながら結核の婚約者がいるというお話で良いと思います。架空なら。
しかし「堀越二郎」という三菱重工業でゼロ戦を設計したという、つい最近の事実のお話ならば、きちんと七転八倒してその人生の矛盾を描ききって欲しかったです。
たとえばこういうように感じます。
実在の人物を題材にした「大河ドラマ」を作りましょう。とします。
主人公は「豊臣秀吉」がいいですね。あのお百姓から成り上がる成功物語は多くの人の共感を得ることでしょう。しかし関白後は成り上がったものの悲哀です。人生に未練たっぷりの句を残して次の代で滅ぼされてしまいます。豊臣秀吉を描くということは最後は悲しい物語なのです。
だからといって徳川家康の実在の話と混在させてしまったらどうでしょう。
秀吉は関白就任後、征夷大将軍となり江戸に幕府を開き、15代まで栄えました。江戸時代とは豊臣幕府であったというお話を書いたらどうでしょう。
この大河ドラマのサブタイトルに「豊臣秀吉と徳川家康に敬意をこめて」と書いたらどうでしょうか。
このように実在の人物を実名のまま二つくっつけてしまう物語は禁じ手であると思います。
たとえ未消化の部分が残ったとしても、私は合体させられていない「堀越二郎」のお話を観たかったです。
本当はこういう時節でありますから、70年前に起きた戦争についての考察を七転八倒して描いて欲しかったと思います。
大空の夢のために、日本を守るために性能の良い飛行機を設計することはわかります。
しかし性能が良いということは、相手をいかに効率良く殺せるかということです。
そして自分の設計した飛行機で数千名の若者が特攻していったということです。
「戦争を否定」すれば「大好きな戦闘機を否定」することにも繋がります。
「大好きな戦闘機を肯定」すれば「戦争を肯定」することにも繋がります。
少年期に戦闘機に憧れた夢をつぶすことはできなかった。
青年期にすりこまれたサヨク脳と向き合うこともできなかった。
だから堀辰雄の悲恋の純愛物語にテーマをすり替えてしまったように思います。
でもこのご時世だから戦闘機を設計する側の戦争視点を描いて欲しかったです。戦争を美化することなく、しかしながら美辞麗句のサヨク脳で戦争を反対することでもなく。
映画では早逝した奥さんと常に心の中では一緒であった堀越二郎が描かれていました。
しかし実際は二郎の奥さんは早逝していません。当然ですが。
しかし堀越二郎は特攻で亡くなった数千名の若者とともに晩年を生きたのではないかと思います。特攻を禁忌することもなく、特攻を賛美することもなく、堀越二郎は事実を受け入れて彼等に寄り添って晩年を生きたのではないかと思います。
年老いた飛行機少年にはそれを描くのは難しかったのかもしれません。
また団塊世代クリエイターにもそれを描くのは難しかったのかもしれません。戦争を非難することなくそれを事実として寄り添って生きることは自らの団塊正義感が許さなかったのかもしれません。
一般の方々にはすみませんが、オタクのつぶやきは明日の後篇に続きます。二つ目の感想です。
あ~あ、ジブリも大企業病になっちゃったか。という内容です。天才パヤオをもってしても。
つづく
おひさま、ありがとうございます。
下記は静止衛星軌道上で観測される太陽からの電子密度グラフです。急な変動がある場合は地震や事故に備えて防災意識を心掛けましょう。特に注意が必要な期間は、メールやTwitterで防災意識リマインダーを受け取ることができます。詳しくはこちら

ものづくり遺伝子。技術者の幸せとは?。
世界中で使われているWindowsやAndroidやiOSなどはアメリカ製です。
これは世界中の人々のインターネット情報をコントロールしたいというアメリカ政府やそのまた奥の院の意向ではないかと私は妄想しております。
ここが日本のものづくりとアメリカのものづくりの一番大きな違いであると思います。
日本人の発想は純朴であるというか無垢であるというかお人好しがベースにあります。
一方アメリカ人(おそらく発想者または資本提供者の多くがユダヤ系)の発想は、いかに基本ルールを自分たちが作って、世界中を牛耳れるか。という狙いがベースにあります。うむ。
たとえばOSなどは、遥か遠大な「牛耳る」計画をもとに、巨額の資本が動かされ、アメリカ製のOSが世界に配布されました。
もちろん「ものづくり大好き遺伝子」の日本人技術者もとても優秀なOSを開発しました。それは「TRON」と名付けられています。
この「TRON」は当時のWindowsに比べて、遥かに安定していました。Windowsのようにブルー・スクリーンになることはありません。またセキュリティも高かったのです。そしてWindowsと異なり「無料」でした。
日本の家電製品や自動車などのIT製品はどれもこの「TRON」を搭載する流れでありました。
しかし時代は日米貿易摩擦のまっただなかでしたので、この国産TRONはアメリカの圧力により潰されてしまいました。しかしこれは日本を守るためには仕方なかったことであろうと思います。
当時運の悪いことも重なりました。TRONの技術者17名乗っていた日航機が御巣鷹山に墜落してしまいました。この日航機墜落事故にはいろいろ謎があると今でもいろいろな人が妄想しております。偶然でしょうが、この日航機墜落事故の翌月、日米でプラザ合意がなされました。それまで1ドル240円だった為替が一気に倍の1ドル120円となり、巨額な資産が日本からアメリカに流れました。通産省が「Windowsを駆逐する」と肝いりだった国産OSのTRONも表舞台から消えていきました。
この日航機事件は先日のマレーシア航空行方不明事件とも似ているかもしれません。あのマレーシア航空機にはアメリカの軍用半導体製造会社「フリースケール・セミコンダクタ」のアジア系技術者が20名搭乗していました。あと中国とマレーシアの半導体工場の関係者が239名も搭乗しました。これら「ある半導体」のアジア系キーマンが一日にして全員行方不明になった事件です。
日本人技術者のマインドは本当に純朴で無垢な人が多いです。より使いやすく、より作りやすく、より低価格で。この3本の柱にそって猪突猛進していくタイプばかりです。
ただ世界にはある一線を超えてはいけない業界があるようです。それを越えるとプロジェクトが潰されるだけでなく、社会生命や本当の生命が危機にさらされることがあるかもしれませんと妄想します。
この点ではCPUの生みの親である嶋正利さんは幸運でありました。表舞台にはほとんど名前を残していませんし、特許も出願していません。ただ職人技術者として世界初のCPUの回路設計を出向先の米インテル社にてほとんど一人で黙々と書きつづけたのです。
日本に戻った嶋氏ですが、すぐにインテル社から正式にヘッドハンティングされました。彼は名声も巨万のライセンス料も手に入れることはありませんでしたが、研究者や技術者としてはとても幸せな人生を送ったことでしょう。技術者にとって一番の幸せは自分の手で設計したものが現実の形になって降臨し世の中の人に役に立つことですから。それ以外の名声や富は塵芥(ごみあくた)です。
日本人が発明したCPUとOSの物語でありましたが、それぞれの人生の明暗の物語でもあります。
世界を牛耳ろうとする勢力の人たちがもし本当にいたとしても、莫大な富と莫大は権力を持つことでしょうが、所詮餓鬼道ですから個人の幸せは無いでしょう。目的のためには手段を選ばずノルマに追われるだけで短い人生が終わる体験なのかもしれませんから。羊を飼っているつもりの人が本当は一番がんじがらめの家畜なのかもしれません。
日航機123便で亡くなった方々のご冥福をお祈りいたします。

墜落JAL123便の垂直尾翼。ジャンボ機には存在しない謎のオレンジ色破片痕がある。

偶然Wikipediaから拾った米軍の高速無人標的ミサイルの画像 BQM-74 Chukar
おひさま、ありがとうございます。
下記は静止衛星軌道上で観測される太陽からの電子密度グラフです。急な変動がある場合は地震や事故に備えて防災意識を心掛けましょう。特に注意が必要な期間は、メールやTwitterで防災意識リマインダーを受け取ることができます。詳しくはこちら

ものづくり遺伝子。アメリカの情報戦略の一端。
当初インテル社はまだ小さな半導体メモリーの会社でした。
日本のビジコン社がお客であり、彼等からLSI(集積回路)の発注を受けました。
日本から来た若手の技術者は非常にユニークなアイデアを提示してきました。プログラムの差し替えでいろいろな電卓に応用できるチップセットでした。しかし当時のインテルにはそれらのチップセットを新規で開発する余力がありませんでした。そこでインテルの担当者が既存のインテルチップを流用できるように日本人のアイデアを更に一歩進めました。
これが世界中のパソコン、スマホ、電化製品などありとあらゆるところで使われているCPUの原点でした。
当初このプロジェクトは日本のビジコン社からインテル社への受託案件でしたが、途中でインテル社はこの発想のポテンシャルに気づき、契約金の一部を払い戻して彼等もこのチップを販売することができるようにしました。
電卓市場しかみていなかったビジコン社に比べて、インテル社は先見の明があったということです。またビジコン社もこの日本人技術者もこのプロジェクトに関して特許を出願していませんでしたから、このCPUはインテルが創りだしたものとして世界にリリースされました。
しかし特許をとらなかったことが結果的に彼等の命を守ったかもしれません。超億万長者にはなれませんでしたが、平和な人生を送ることができました。
さてインテルのCPUと対になるのがWindowsのOSです。
この二つでアメリカは世界の情報産業ををほぼ独占状態に保つことができました。抜こうと思えば世界中あらゆる場所の情報をパソコンとインターネットを通じて抜くことができる仕組みであります。中国が最近政府関係のパソコンにWindowsを使うことをやめたという発表がありました。理由は情報がアメリカ政府に筒抜けになるということです。
本当にアメリカがそれを行っているかはわかりませんが、CPUとOSを独占すれば技術的には可能です。
話は少しそれますが、みなさんはGoogleがなぜ無料であんなに便利なサービスを次から次へと提供できているかご存知でしょうか?検索だけでなくメールサービスや地図サービスやAndroidというスマホのOSも無料です。これもやはりアメリカの国策があると考えて間違いないでしょう。「いつでも誰からでも必要なら情報を抜くことができる」という世界を構築するためです。
ちなみにGoogleも中国政府から国外に追い出されています。
そういえばiPhoneは電源を切った状態でも盗聴されると元アメリカ国家安全保障局の職員がリークした事件も記憶に新しいですね。

私はアメリカ国家安全保障局に知られてはまずい活動は行っておりませんので、割りきってWindowsやAndroidスマホやiPhoneやGmailを使っています。
しかし彼等と敵対するような勢力に属しているとするとなるとこれらの使用はかなり慎重になるかもしれません。
高いiPhoneに比べて安いAndroid端末は中国国内では8割を越える圧倒的なシェアを持ちます。しかしAndroidはウィルスにかかりやすい欠点があります。世界中にばらまかれているAndroidのウィルスはほとんどが中国で作られたものであることがわかっています。それも愉快犯による犯罪ではなく、システマチックに分業された大掛かりな組織犯罪であることもわかっています。では黒幕は誰か?おそらく中国共産党政府です。何のために?それはユーザーの個人情報を抜くためです。現にGoogleは(おそらく)中国政府が、人権活動家たちの個人情報にハッキングしている可能性があったと報じています。
http://blog.livedoor.jp/amenohimoharenohimo/archives/65809312.html

中国端末に標的を絞ったウィルスも報告されています。SNSの通信情報や位置情報が抜かれたりされます。
http://m.drweb.co.jp/mod/news/show/?i=710&lng=ja
そういえばアメリカの下院委員会は中国のHuaweiやZTEの通信装置から情報が抜かれる可能性があるという指摘があったりました。
日本も他人事ではありません、Windows用の文字変換ソフト「バイドゥIME」を使うとキーボードで入力した情報が中国に筒抜けになるとか、LINEの通信内容もそのまま中国に筒抜けになるという危険性があります。
※LINEは日本製に見せかけている韓国製品で通信サーバーも韓国にあります。韓国からそのまま中国に情報が流れているようです。ちなみに私はLINEは使ったことはありません。

話は大きくずれてしまいましたが、私達世界中の通信内容をいつでも傍受できる体制を築いておくということが、アメリカの国家戦略であったということを頭の片隅においておいてください。いろいろなインターネットサービスが無料の理由です。そして現在はその個人の傍受合戦にアメリカと中国が熱い火花を裏側で散らしているということです。
つづく
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ものづくり遺伝子。日本人が発案したCPU。
今日から再び、日本人のもの作り遺伝子のお話を書きたいと思います。
WindowsとIntelってどなたも聞いたことがあることでしょう。
最近ではスマホが出てきていますが、数年前までは世界中のほとんどのパソコンがこのWIndowsのOSとIntelのCPUでした。
両方をたして「Wintel」という言葉までありました。
さて今日はこのインテルのCPUの話です。
このCPUの元々の発想は日本人でした。
当時電卓メーカーの技術者であった嶋正利さんでした。
当時の電卓は現在のコンピューターよりも高価でした。シャープが435,000円で電卓を発売していた市場に、298,000円という価格で発表した「電卓界の価格破壊」のメーカーでした。

さて電卓の価格を下げるにはLSIと呼ばれる集積回路が重要なポイントとなります。
デジコン社は自社電卓以外にも他社ブランドの電卓も製造していました。
このため生産台数は稼ぐことができるのですが、各メーカー毎に異なるLSIを設計して製造しなければなりません。
これでは量産効果が全く生かせないのでありました。
現在ではハードウェアとソフトウェアに分かれていますから、共通のハードウェアをたくさん作って、用途に応じてソフトウェアを開発する形式が当たり前です。しかし当時はソフトウェアという発想はありませんから、計算機の機能を変更するたびに、ハードウェアの回路の設計からやりなおさなければなりませんでした。
そこでデジコンの嶋氏は共通のLSIを一つ大量に生産し、命令を実行する部分だけ、顧客ごとに自由に載せ替えられる仕組みにすればいいのではないか?と思いつきました。
制約条件が多ければ多いほど創造の泉は湧き出すというのが私の経験的持論であります。デジコンの社長も、何とか競合の大企業に打ち勝つ電卓を安く生産するための手段として、LSIを共通化し、プログラムだけを入れ替えるという方法を思いつかせました。
嶋氏はこのLSIの生産を発注するべくアメリカのインテル社を訪れました。まだインテルはできたばかりの会社でしたが、ビジコンの社長がこの会社の技術を気に入ったのが縁でした。
しかしこのインテル社もまだ小さく、嶋氏が発案するLSIを供給できる体制がありませんでした。しかし何としてもこの商売を逃したくない。これは大きなビジネスになるはずだ。
日本のデジコン社も切羽詰まっていましたが、創業まもないインテル社も同様でした。
制約条件は創造の泉の元です。
当時インテル側の担当のテッド・ホフが素晴らしいアイデアを嶋氏に提案してきました。それはインテルが当時もっていた非力なプロセッサを流用するアイデアでした。嶋氏のアイデアを元に、更にもう一歩ソフトウェアの比重を大きくすることにより、インテル社が当時もっていた非力なプロセッサを流用できるようにしました。
さてホフのアイデアによりインテル社にLSIを作ってもらえると安心した嶋氏でありますが、インテル社は創業間もない企業です。結局回路設計や演算設計など主要な部分の設計は嶋氏が行うことになりました。
しかしこうして世界で初めてのCPU(ソフトウェア内蔵LSI)がインテル社から世に出ることになりました。
今や「インテルはいってる」という世界を牛耳る情報産業部品のアイデアは、日本のいち電卓メーカーの若き平技術者のアイデアから始まったのでした。
そして嶋氏はこのCPUの設計において特許を出願しませんでした。当時その重要性を本人がわかっていなかったこともあります。(このレベルのアイデアなら誰でも思いつくだろう)そのように考えていたふしがあります。
もし彼が設計したいくつかを特許出願するだけで、彼は超億万長者になったかもしれません。世界中のパソコンの命部分で使われている基本技術ですから。
しかし特許を取得しなかったことで、いのちびろいしたかもしれません。
つづく
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もうひとつのものがたり。守られた日本。
8月14日昭和天皇はポツダム宣言の受託を決定されました。
昭和天皇がご自分の意志を政治決定に関与させたのは、2度のみと言われています。
一つは日本における共産革命であった二・二六事件に対抗することでした。(二・二六事件は右翼青年将校によるクーデターとされていますが、北一輝の思想はロシア直輸入の共産革命そのものでした)
もう一つは今回のポツダム宣言の受諾。無条件降伏でした。
さてもう一つの物語として今回は日本の核兵器についての「if」を考察して参りました。歴史に「if」はないと申しますが、「if」を考察することで現実に隠された真実を深く知ることに役立ちます。再び日本人が戦争に巻き込まれないためには、いろいろな角度で先の大戦を検証することは大事であると思います。

戦前の熱田神宮
http://network2010.org/article/590
終戦間近、ルーズベルト大統領が謎の急死を遂げました。日本の呪術によるものであったというトンデモなお話もありますが、ルーズベルトの死によって戦後の日本が大きく救われたことは事実でした。
ルーズベルトはコミンテルン(国際共産主義者)であったことは有名です。彼の指示を受けたOSS(現在のCIA)も、戦後日本に共産革命を起こして日本人の手によって天皇制(皇室制度)を破壊させる。というシナリオがあったと言われています。日本共産党や日教組などの組織がGHQによって戦後育てられて理由であります。
ただGHQはすぐに方針を転換しました。アメリカ自体が反共を打ち出したからでした。トルーマン大統領はルーズベルトの遺志をついで日本に原爆を落としましたが、幸運なことに共産主義者ではありませんでした。
もしルーズベルトが急死することがなければ、終戦後の日本において当初の計画どおり共産革命が引き起こされ天皇制(皇室制度)は破壊されていた可能性は高いと思います。今日の朝日新聞の報道をみても、戦後共産革命が起きていたならば、間違いなく日本にも文化大革命が起きていたのではないかと妄想してしまいます。
天皇制(皇室制度)が消えれば、もうそれは日本という国が亡くなるということであります。自然の中に神性を感じる、誰がみてなくてもお天道さまが見ている、そういう日本人の気質も消されてしまったかもしれません。
中国においても文化大革命で「道徳」という貴重な文化遺産が根絶やしにされてしまいましたから、同じことが日本でも起き得た可能性はあったことでしょう。
「赤い革命」とは人間の嫉妬心と不満心を増殖させるウィルスですから。
※なぜ昭和天皇が二・二六事件で先頭にたって討伐にたったことにはそれなりの不快理由があるのかもしれませんね。赤いウィルスは善良な人間の道徳を駆逐します。
さて話は戻ります。
ウランの手配を行っていた岩田幸雄氏の晩年です。
新天皇になられた明仁陛下と美智子皇后陛下に、日本の原爆開発に関わる隠された経緯をお話されたそうです。
==========
「日本軍は戦争中必死で原爆を開発していたが、それを完成寸前で中止させたお方が昭和天皇だった」
「天皇と原爆」西尾幹二著 新潮社刊より
==========
約70年前、日本は国自体が絶滅する可能性があった危機がありました。
日本に危機を呼び込んだ原因の本質はなんだったのか、そして滅亡が免れた日本を守ってくださったものの本質はなんだったのか。
難しい問題でありますが、生きている私達日本人がその問題を素直に向き合うことが、日本を再び滅亡の危機に巻き込まれることがら避ける道でありましょう。

豊葦原で瑞穂がゆたかにみのる国
http://blogs.c.yimg.jp/res/blog-c1-61/ueda9162/folder/1479963/76/66642676/img_3?1380546502
おわり
おひさま、ありがとうございます。
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もうひとつのものがたり。3発目の原子爆弾。
これは私の夢想でありますが、2000年前のキリストと、太平洋戦争時の昭和天皇のお立場が重なるように思います。
人類の進化の段階では、似たようなパターンが時間と場所を変えて踏襲されながら螺旋のように進んでいくのかもしれません。
日本を包囲して戦争せざるを得ないようにして、悪魔の火を数十万の市民の上空に炸裂させる原型は、キリストを十字架にかけたローマ上層部とだぶるかもしれません。
2発目の原爆は、いくつかの偶然が重なり、聖母被昇天のための「ゆるしの秘跡」が行われていた浦上天主堂(日本最大のカトリック教会)の上空で炸裂しました。偶然とはいえ象徴的であります。
小倉であれば30万人であった犠牲者が、長崎であったために15万人になったこともまた意味が深いかもしれません。
聖母マリア像上空で落とされたプルトニウム爆弾でありますが、教会の廃墟はアメリカの圧力によって取り壊されてしまいました。彼等の良心のうずきを誤魔化すためであったかもしれません。この点もまたイエスを磔にしたあとのローマ上層部の対応と似ているものを感じさせます。
さて日本の二つの都市に新型爆弾が落とされた今、昭和天皇はご自分の身体を傷めつけられたより辛くお感じになったと思います。そういう御方であったことでしょう。
翌日10日、昭和天皇は宮内庁に命じてスイスを通じて降伏の意志を伝えさせました。外務省や軍部ではまだまだ降伏を決定するのは時間がかかります。
アメリカ政府はこの昭和天皇の降伏の意志を受け取ると早速会議に入りました。そして二つのことを決定します。
一つはポツダム宣言の内容に対して「天皇と日本政府の権限は連合軍最高司令官が決定する」を追加しました。つまり天皇制を存続するとは確約しない。ということです。GHQ司令官が決定するということです。
そしてもう一つは3発目の原爆投下でした。
彼等はこれを東京に投下することを決定しました。
もう大空襲後で焼け野原であった東京でありましたが、この焼け野原の首都皇居に3発目を投下することにより、日本人に更なる心理的打撃を与えようとしたのでした。
3発目の原爆本体はすでにサイパンのテニアンにありました。12日か13日には、ニューメキシコの基地からプルトニウムの芯をのテニアンに運ぶことができます。そうなれば17日以降であればいつでも皇居に3発目の原爆を落とすことがてはずが整っていたと記録が残っています。もしそうなれば山手線内側はすべて廃墟となり犠牲者は100万人とも推定されます。
参考サイト
http://www.benedict.co.jp/Smalltalk/talk-221.htm
http://www.tv-asahi.co.jp/scoop/toppage/030723.html
8月12日。アメリカ政府からの回答が日本に届きました。
ポツダム宣言の内容に加えて、天皇制存続の保証はいっさいしないという内容でした。
この内容を受託するべきかどうか、政府内でも紛糾がつづきまとまりません。
しかしその裏側では3発目の皇居への原爆の可能性も動いていました。
そしてこの日、朝鮮半島東岸の興南で日本海軍の原爆実験が成功しました。
そうです。陸軍の原爆開発の二号作戦(理化学研究所)の設備は5月に米軍の空襲によって壊滅しました。荒川の川底にまである秘密基地までピンポイントで爆撃されました。あたかも陸軍の情報が米軍に筒抜けであったかと関係者が首をひねるほどです。
しかし海軍の原爆開発のエフ計画(京都帝国大学)は秘密裏に続行していました。陸軍はドイツから潜水艦Uボートでウランを調達しましたが、海軍は上海闇市場で130kgの酸化ウランを入手した記録があります。海軍は日本本土ではなく大陸で秘密裏に原爆開発をすすめていたようです。
6日、9日と日本に二つの原爆が落とされ、また3発目の原爆が皇居に落とされる可能性があったこの時期、海軍は日本で初めての原爆実験に成功していたのでした。
しかしこの実験結果は本国に伝えられる間もなく、同日12日、興南は南侵してきたソ連軍に占領されてしまいました。
ただこの原爆が間に合ったとしても、やはり昭和天皇はそれを使用することは決して許可されなかったことでありましょうが。
参考サイト
http://www.asyura.com/sora/bd19992/msg/984.html
つづく
おひさま、ありがとうございます。
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もうひとつのものがたり。引き寄せられたファットマン。
昭和天皇が陸軍の原子爆弾を認めなかったのは、この大量殺人兵器がハーグ条約違反であるというご認識があったようです。
この戦争は不本意に開戦に至りましたが、多くの日本人の命が犠牲になりましたが、それでも国際条約をおかしてまで大量虐殺の兵器に手をだすべきではない。それが昭和天皇のお考えでありました。
しかしアメリカはそのその大量虐殺兵器を日本に対して使用しました。赤黒い閃光とともに一つの街が蒸発しました。死者数は約10万人と推定されます。
この知らせを聞いた昭和天皇のお気持ちはどのようなものであったでしょうか。
その年の3月にも東京が焼け野原になりやはり約10万人(3ヶ月間死者数)の市民が犠牲になりました。
アメリカは無条件降伏をつきつけておりました。
陛下のお気持ちはそのポツダム宣言を受け入れることであったことでしょう。
しかし政府はまだ決断ができておりませんでした。
8月6日に広島に新型爆弾が落とされたという知らせを受けても、なんとか中立のソ連に間に講話の仲介をしてもらおうとあがいていました。
8月7日。ソ連からの連絡が思うようにつかないまま貴重な1日が過ぎます。
8月9日。中立条約を破棄してソ連が満州に攻めてきました。
同日。2発目の原爆がB29に積み込まれ、九州の小倉に向かいました。
しかし小倉についたB29ですが、小倉への原爆投下を断念します。
一説には天候が悪かったと言われます。
原爆投下は攻撃でありながら実験でありました。有視界飛行で正確に目標地点上空で投下しなくてはいけません。従って雲があっては投下できないのです。
一説には八幡製鉄所の煙幕のせいであったとも言われています。
八幡製鉄所には煙幕をはるためのコールタールがドラム缶に保存され、空襲の時はこれに着火して煙幕をはる計画がありました。
8月6日に広島に新型爆弾で蒸発したことは7日には八幡にも伝わっていました。
北九州には八幡製鉄所の他に兵器工場もあり、次はここだと想定していた人たちがおりました。
案の定9日の朝、ラジオから「少数編隊が北九州に向けて北上中」という知らせをきき、防空演習のとおり八幡製鉄所の工員たちはドラム缶のコールタールに火をつけました。
コールタールからはたくさんの煙がモクモクと湧き始めるなか、彼等は地下壕に避難しました。
しばらくするとB29は去りました。八幡は攻撃されませんでした。
ほっとするのもつかの間、ラジオからは「長崎が新型爆弾で壊滅した」と伝えてきました。
このコールタールを燃やした方は、それから約70年間良心の呵責に悩んでおられました。もし自分たちが煙幕をはらなければ長崎には原爆は落とされなかったのでは。自分たちが助かった代わりに長崎の人たちが犠牲になったのでは。

原爆:投下の日「煙幕」…八幡製鉄所の元従業員が証言
http://mainichi.jp/graph/2014/07/26/20140726k0000m040114000c/001.html
専門家の意見ではこの煙幕がどれほど当時のB29の攻撃に効果があったかは不明です。一説には小倉造兵廠の守備隊の高射砲に妨害されたともあります。
しかしいずれにせよこの八幡の煙幕担当の方は約70年間ずっと良心の呵責に苦しんでおられました。
しかし私がこの担当の方であっても、やはり小倉を守るために煙幕に火をつけたことでしょう。
長崎の原爆では15万人(5年間死者数)の犠牲者がありましたが、もし小倉にこの原爆が落ちていたら、開けた平野ゆえ犠牲者は倍の30万人であったと計算されています。(広島は20万人)
さて有視界による小倉原爆投下を諦めたB29は第二目標の長崎に向かいます。
長崎もまた曇り空でした。しかし雲の切れ目が見えた瞬間にB29はプルトニウム型原爆「ファットマン」を投下しました。
本来の目的地より3キロ北よりの地点であり、偶然にもキリスト教会である浦上天主堂の至近距離でした。
ここ長崎はキリスト教伝来よりカトリック教徒が日本で最も多い地域でした。この浦上天主堂(現在のカトリック浦上教会)は、現在でも日本最大規模のカトリック教会です。
当初小倉であった原爆投下目標が当日長崎に移され、長崎でも天候のため当初の目標であった長崎市街中島川曙橋から北へずれ、最大のカトリック教会のすぐそばに投下されることになったのは、偶然でありましょう。
この時間は8月15日の聖母被昇天の祝日を間近に控えて、ゆるしの秘跡(ミサ)が行われていました。そのミサのほぼ真上高度503m上でプルトニウム型原子爆弾「ファットマン」が爆発しました。

広島の原爆ドームのように、この長崎の浦上天主堂も残されるはずでした。
保存派であった当時の田川長崎市長が、訪米し帰国したとたん取壊し派になっていました。訪米中に田川市長に何があったかは不明です。
ただ同行した長崎市役所庶務課の池松課長は友人に「墓場まで持って行かなければならない言葉がある」ともらしています。その後原因不明の火事が長崎市役所で発生し、当時の記録はもう何一つ残っていません。
ただ推測できることは、長崎が日本で最もカトリック教徒が多い街であり、原爆が当初の目標より大きくそれて、よりによって最大の教会の真上でミサを行っている最中に投下され、二人の神父と8500名のキリスト教徒の命を奪ったということは、アメリカ政府としては何としてでも本国には隠すべきことであったということです。

https://lh3.googleusercontent.com/-68I9fsD7lBM/UVScoAneEZI/AAAAAAAAEdM/ZM0oFwfcVj4/s1600/uragami-01.jpg
原爆が悲劇であるのは、当然おとされて犠牲になった側の人間だけでなく、小倉の街を守ったはずの日本人や、あるいは原爆を落とす仕事についた人間、浦上天主堂のことを圧力をかけてもみ消した人間、圧力をかけられた人間など、膨大な数の人の良心も傷つけたということであろうと思います。
70年の沈黙であっても、生きているうちに自分の呵責を公開できた方は幸せであったと思います。自分の良心を誤魔化しながら人生を終える人よりも。たとえ戦勝国であっても、たとえ周囲から賞賛されたとしても。なぜなら勲章はあの世にはもっていけませんから。
長崎で犠牲になった数多くの方がのご冥福をお祈りいたします。
つづく
おひさま、ありがとうございます。
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もうひとつのものがたり。第二のパールハーバー。
日本陸軍による原爆開発は昭和天皇によって押しとどめられました。東條英機首相は昭和天皇の御心をくみ「成功の目処がたていた原爆」を捨てました。しかし杉山陸軍大臣は違いました。彼は表面では諦めたふりをしていましたが、水面下では陸軍の原爆開発をすすめさせていました。
その後東條英機は首相を総辞職することになりましたが、杉山は再び陸軍大臣に任命されます。そして杉山は中止命令を受けていた原爆開発を再開させます。このとき杉山はこの原爆を小型のロケットに詰んでアメリカを攻撃しようと考えていたようです。しかしこのロケット開発の途中で事故が起き、幸運なことに水面下に隠れていた原爆開発が昭和天皇のお知りになることとなりました。
当然昭和天皇は強く杉山をお叱りになりました。この経緯は、杉山がウラン調達の責任者であった岩田幸雄氏に述べている記録が残っています。
昭和天皇が杉山元をお叱りになったのはこれが初めてではありません。
有名なのは日米開戦の御前会議の時です。
「日米開戦となればどのくらいで作戦を完遂する見込みか」
この昭和天皇のご質問に対し、
「太平洋方面は3ヶ月で作戦を終了する見込みでございます」
と杉山が答えました。
「汝は支那事変勃発当時の陸相である。あのとき事変は2ヶ月程度で片付くと私にむかって申したのに、支那事変は4年たった今になっても終わっていないではないか」
「支那は奥地が広うございまして、予定通り作戦がいかなかったのであります」
「支那の奥地が広いというなら太平洋はなお広いではないか。いったいいかなる成算があって3ヵ月と言うのか?」
こうして杉山は押し黙ってしまったとあります。
日米開戦のこのエピソードもそうですが、一度ならず二度までも原爆開発について昭和天皇にお叱りを頂くとは、杉山には一貫した思想があるように思われます。
それは「昭和天皇のご意向を無視しても日米戦争を拡大させる」ということです。
杉山は「便所の扉」というアダ名があったように、ポリシーがなくどちらでも押された方になびくと思われておりました。しかしそれは彼の非常に巧妙な処世術であったかもしれません。彼は表立ったは人と争わなかったようです。一見優柔不断のように人に思わせて、信念は決してゆずることはありませんでした。
あの戦前戦中の時代に大日本帝国陸軍のトップを歴任したエリートである能力は伊達ではなかったことでしょう。
杉山は昭和天皇に2度お叱りを受けたため、この戦争が終わったら自決するしかあるまい。と岩田氏に述べたとあります。しかし杉山の自決の経緯を知るにそのように潔いようには感じられません。
岩田氏と話している時は本当に自決するつもりであったけど、実際終戦を迎えてGHQに歓待されたので自決する気持ちが萎えたのでしょうか。
あるいははなから自決することなど考えてなく、彼の処世術の一つとして周囲を欺き本心を隠すために、岩田氏に「自決してお詫びしなければ」と言ったのでしょうか。
杉山の本心がいかにあったかは知るすべはありません。
ただ一つはっきりしているのは、杉山の計画どおり陸軍が世界で初めての原爆をハワイに打ち込んだならば、おそらく報復で日本は壊滅していたことでしょう。
当初はナチス・ドイツに対抗するために開発されたアメリカの原爆でしたが、ナチスが降伏し使用する相手がいなくなっていました。ルーズベルトはこの原爆を日本に向けて打ち込むことを計画しなおしたようです。
しかし日本の敗戦も時間の問題、秒読みになってきました。日本政府は講和条件を模索するためソ連に接近しているという情報もあります。早くしなければ原爆を使用する機会を失ったまま日本が降伏することになってしまいます。
私がルーズベルトであるならば、日本にはまだ簡単には降伏してほしくはなかったと思うでしょう。後世に「無理に原爆を日本に打つ必要がなかったのではないか」そのように思われるリスクは、できれば避けたいと思ったと思います。私がルーズベルトなら。
であれば、日本が先に小さい原爆をアメリカに打ってくれないかなと思ったことでしょう。とあ~あ、どっかの陸軍大臣が第二のパールハーバー起こしてくれないかな~。|ω・`)チラ
さてこのルーズベルトは終戦間近の1945年4月に謎の急死を迎えます。原爆投下のマンハッタン計画はトルーマンに引き継がれました。
秘密裏に莫大な予算をかけられた核兵器はすでにアメリカの中で巨大な利権構造になり始めていました。1945年7月31日にトルーマンは原爆投下に伴う「大統領声明」に署名します。
つづく
おひさま、ありがとうございます。
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もうひとつのものがたり。新型兵器の開発は中止せよ。
日米の開戦は体力的に日本が不利であるのは当初から予想されていたことでした。国力に10倍の差があるわけですから。
このため真珠湾の奇襲以降、有利な展開のうちに講和条約を結ぶという作戦であったはずでした。
しかし戦争は終わらせるのは難しい。パチンコでも勝ったまま止めるのが難しいのと同じです。
勝った状態ではイケイケで途中でやめることはありませんし、負けが始めると「せめて元がとれるまで」とずるずる財布が空になるまで続けてしまいます。
太平洋戦争もまたかくのごとくでありました。
長引けば長引くほど不利な相手に対し、もう完全にこちらから停戦を申し出るタイミングを失い、毎日毎日国民の命と領土と工業力産業力を消耗していく蟻地獄にハマったようでした。
こんな状況での陸軍の原子爆弾は一気挽回の決め球になるはずでした。
ハワイへの原爆攻撃によって日本を有利に運べるはずでした。
昭和天皇もお喜びになるはずでした。
しかし結果は180°逆でありました。
間違ってもそのような新型兵器をこの戦争で日本が使うことは断じて許可できない。
昭和天皇は東上首相と杉山陸軍大臣にお伝えになりました。

東條英機は「西のヒトラー東の東條」の如く第二次大戦の極悪人のように描かれることも多いですが、彼は心底昭和天皇を尊敬していたようです。
陸軍の責任者であり開戦論者であった東條ですが、首相になり昭和天皇から「なんとしても日米開戦は避けるように」という御言葉により、何とか開戦を避けるように動いたといいます。
しかし時はすでに遅し、日本は国際的に孤立化され包囲網を敷かれ偽のハル・ノートをつきつけられ、開戦せざるを得ない状況にありました。この状態でもう実は日本政府は「詰んだ」状況であったのです。
ではどのようにして、当時のルーズベルト大統領が、反戦だったアメリカ世論を操作して日本政府をはめていったかということは下記の本に真実の一旦が著されております。ご興味の在る方はインターネットや図書館などで検索してみてください。
「日本人に謝りたい」モルデカイ・モーゼ著:GHQ対日政策ブレインの一人。
「操られたルーズベルト」カーチス・ドール著:ルーズベルトの娘婿
「フーバーの回想録」ハーバート・フーヴァー:第31代アメリカ大統領
しかも日本からアメリカの開戦の通知は「なぜか」遅れてアメリカ政府に届き、日本が開戦宣言もなく真珠湾を奇襲攻撃だまし討ちしたというように私達を含む世界は習ってきました。
杉山メモによると東條は最後まで開戦に抵抗していたようです。しかしどうしても開戦せざるを得ないという閣議決定を昭和天皇に奏上するときには申し訳なく「涙ながらに開戦不可避と上奏」記述されています。
以下前日の閣議内容。東條が最後まで開戦に抵抗していたことが伺えます。
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東條: 外交に期日を必要とす 外相として出来さうな見込が無ければ外交はやれぬ 期日も条件もそれで外交が成功の見込がなければ外交はやれぬ 而して戦争は当然やめねばならぬ(此くして東郷は時々非戦現状維持を言ふ)
東條: 通商を改め又第四項に支那解決を妨害せずを加へ而も南仏撤兵を省く条件なれば外交は出来ぬ、之では駄目だ、外交はやれぬ、戦争はやらぬ方が宜し
鈴木:賀屋は物の観点から不安をもって居り戦争やれば十六、十七年は物的に不利の様に考へてる様だが心配はない 十八年には物の関係は戦争した方がよくなる、一方統帥部の戦略関係は時日を経過せばだんだん悪くなると言ふのだから此際戦争した方がよいこととなる(と再度賀屋東條の説得に努めた)
「杉山メモ」1941年11月1日 より
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このように昭和天皇の御言葉で東條首相は、原爆によるハワイ投下計画は中止することとしました。しかし陸軍大臣であった杉山元は心の底では諦めていませんでした。

東條英機の御写真をもつお孫さんの由布子さん。
http://archives.starbulletin.com/1999/03/27/news/artb.gif
つづく
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もうひとつのものがたり。二号作戦。
本日は原爆の日ですね。
二度と人類が悪魔の火で自らを滅ぼすことがないように、それを後世の人間たちが忘れないでいつづけることが本当に大切であると思います。
人類に原子力のエネルギーを初めて発案したのは日本の片田舎の天才物理学者でした。歴史に埋もれしまい知る人も少ないですが。彼は兵器としてではなくエネルギー利用としての核開発の理論を最初から提唱していたことが素晴らしい点でした。
日本人の創造性は核のエネルギーを発見しましたが、しかしそれは人類と自然を活かす穏やかなエネルギー利用が前提でした。ここが日本人の創造性の特徴であります。
しかし若き天才物理学者の核理論は兵器開発へと転用され、ドイツ~アメリカを経由して日本にも逆輸入されます。陸軍が理化学研究所に命じて調査させた結果「国内での原子爆弾の製造は可能」と結論を得ました。
すぐに陸軍は原子爆弾の製造を理化学研究所に命じました。二号作戦と名付けられました。
理論的には日本は国内技術で原子爆弾を製造することろまでは辿り着きました。しかし肝心の原料となるウランが手に入りません。
国内の人形峠でウランが算出されるという情報もありましたが、原爆を作るには不十分です。
そこで陸軍はドイツにウランを譲ってもらうように交渉しました。
ナチス・ドイツは日本陸軍の要請に応じ、潜水艦Uボートで日本にウランを運ぶこととなりました。
ところがUボートはアメリカの攻撃に会いマレーシア沖で一隻は撃沈。もう一隻は行方不明となってしまいました。
いくら製造理論が完成しても肝心のウランが手に入らなければ原子爆弾は製造できません。
日本陸軍の原爆製造「二号作戦」は暗礁に乗り上げてしまいました。
しかし行方不明になっていたUボートは秘密裏に呉軍港に到着していたのでした。
「これで原子爆弾が作れる」陸軍は喜び早速このウランで原爆を製造し、潜水艦でハワイ沖まで運びハワイに投下する」という作戦を立てました。

この一発逆転をかけた日本陸軍の原爆投下作戦ですが、それを厳しく諌めたのが誰あろう昭和天皇でした。
昭和天皇は東條英機首相と杉山元陸軍大臣を呼び、静かにしかし毅然とこう諭(さと)されました。
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数カ国が新兵器開発を競っているとのことだが、日本が最初に完成し使用すれば、他国も全力を傾注して完成させ使用するだろうから、全人類を滅亡させることになる。
それでは、人類滅亡の悪の宗家に日本がなるではないか。
またハワイに投下する計画とのことだが、ハワイには日本の同胞が多数移住し、現地アメリカ人民と共に苦労し、今日を築きあげたところだ。
そのような場所に新兵器を使用することには賛成できない。
「昭和天皇」(出雲井晶著 日本教文社刊より)
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1947年12月7日昭和天皇が行幸された広島。
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/90/a5c072ba3165513a939ccdda7766e20c.jpg

http://www.saga-s.co.jp/news/national/10201/91078
2014年8月6日の広島。
本日は原爆の日であります。
人類有史上、核爆弾の犠牲を受けたのは私達日本民族だけです。
しかし私達日本民族が悪魔の核兵器の宗家となる可能性が充分あったことは知られておりません。
それを静かにさとし引きとどめたのは、昭和天皇でありました。
この件もまた、本当の意味で日本人が昭和天皇によって救われた瞬間の一つでありましょう。
広島原爆の犠牲になられた方のご冥福をお祈りいたします。
つづく
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もうひとつのものがたり。悪魔の火入れ。
日本の片田舎の大学助手であった彦坂助手の物理理論は日本だけでなく世界でも陽の目を見ませんでした。当時の量子物理学の常識を覆したのです。
彦坂理論では、原子核には膨大なエネルギーが蓄積されている。
したがってこれを分裂することによってその膨大なエネルギーを取り出すことができる。
しかし取り出し方によってはとても危険である。エネルギーが膨大だから。
下手をすると都市の一つや二つが消えてしまうほどの威力を持つかもしれない。
だから大切なのはこの原子核の核エネルギーを安全に緩やかに取り出すことである。
この彦坂理論による穏やかな原子炉の研究は今も続けられています。
しかし今だ実用化にはなっていません。なぜか?
それは彦坂理論の原子炉ではウラン濃縮が不要だからです。
ウラン濃縮技術はそのまま核爆弾に転用できます。
だから核爆弾に転用できない彦坂理論の原子炉はどの国も予算が降りにくいのでしょう。
天然のウランの99%以上は核分裂しづらいウラン238です。そして核分裂をしやすいウラン235は自然界に1%もありません。この235を抽出する過程が「悪魔の火入れ」作業です。
もともと自然界のウランでは核爆発が起きないような成分で存在しています。99%以上は安全な鉱物です。これを核分裂できる235だけを取り出し濃縮します。これで核爆発しやすくします。
一つの都市を瞬時に蒸発させるエネルギーを取り出すためです。
私達現代人が使っている原発もこの「悪魔の火入れ」による発電システムです。天然のウランをわざわざ核爆発しやすい濃縮ウランにして、それを今度わざわざ暴走しないように努力を払っています。ですから福島原発のような事故が起きるのです。
現代の原発は暴走(核分裂)しやすいように濃縮ウランにしてから、それを暴走しないように制御する思想です。ですから地震や津波などでどこかに予期せぬ故障が発生すると「暴走」する方向に壊れてしまします。「メルトダウン」して冷やせない方向に壊れてしまいます。
彦坂助手はその点を見抜いていました。
だから人類が核エネルギーを使わせてもらうのであれば、核暴走するような方法じゃ絶対だめです。暴走しない理論じゃなきゃ原子力に触れてはいけないのです。
彦坂理論では、天然のウランの配合をそのまま使用します。
自然がせっかく99%以上の暴走しづらいウランの中に、1%以下の暴走しやすいウランを混ぜてくれています。この配合のまま人類は使わせて頂ければいいのです。
もしこの彦坂理論の原発であれば、たとえ津波で冷却装置が壊れてもメルトダウンすることはありえませんでした。だってもともと燃えにくいウランをゆっくりとしか燃やせない仕組みでありますから。
現在ではキャンドル原子炉として研究が地道に進められています。
人類が自然からお預かりした天然ウランはゆっくりとしか燃えない暴走しない燃料です。
これを自然の安全な配合そのまま使わせて頂こうという彦坂理論はいかにも日本人らしい発想です。
しかし人類は天然ウランに「悪魔の火入れ」を行ない都市瞬時に蒸発させる武器を作り出しました。
そして平和利用であるはずの原子力発電もその「悪魔の火入れ」の暴走を人間の浅智慧でコントロールするという技術発展をしています。
これはどの国も「悪魔の火入れ」技術を保有したかったからです。
これが現時点の人類の段階と言えましょう。
原子核にかくされた莫大なエネルギーを理論づけた彦坂文献は誰からも相手にされませんでした。
ただナチス・ドイツを除いて。
彼等は彦坂理論の悪魔の火に着目しました。
そして安全な天然ウランから暴走しやすい235のみを抽出して核分裂(核暴走)させることに成功しました。
原子力爆弾製造の第一歩でした。
ナチス・ドイツがウラン235を使って原子爆弾の実験に成功した事実はアメリカに伝えられました。
恐怖したのがアメリカに亡命していたユダヤ科学者たちでした。
彼等はナチス・ドイツが原子爆弾を製造し始める前にアメリカが実用化しなければならない。アインシュタインを始めとしたユダヤ系科学者がルーズベルト大統領に進言しました。
ルーズベルト大統領の指示により、お金はいくらかかっても構わないからドイツよりも早く原子爆弾を実現せよ。こうしてマンハッタン計画は開始されました。
原子爆弾が製造可能ということは、やはりボーア理論は間違っていたのでした。
ノーベル物理学賞を得たボーアの理論ではなく、日本の一地方の物理助手の理論が正しく原子核の様相を説明していました。
しかしこのことは学会では伏せられました。原子爆弾の製造は極秘とされ、原子核に関する論文も軒並み掲載中止となりました。
さて日本陸軍もアメリカが核爆弾の開発を開始したことを知ることとなります。もう当時は日本はアメリカと戦争状態でした。陸軍は理化学研究所に命じて国産の原子爆弾の開発を着手させました。
こうして仙台の一助手の原子核エネルギーの理論がドイツからアメリカをぐるりと経由して日本に戻ってきました。
しかし彦坂助手が考えたような天然のウランを平和的にゆっくり燃やす実用化ではなく、濃縮ウランを一挙に暴走させ大地を一瞬に蒸発させるという「悪魔の火」の実用化として。でした。
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