手取り24万、4年で2000万貯めた会社員の給料観 #東洋経済オンライン @Toyokeizai https://t.co/6nmXBCraDk
— まる(=・3・=)ぞう (@J5F6eZXx6YgJP2x) December 6, 2022
この記事にあるように、具体的に生活のやりくりをしたかというのは、人それぞれ向き不向きがあることと思います。全員に推奨されるかどうかは別問題かもしれません。
ただ
「給料は下がるものとして考えるほうがいい」など、最悪を想定して生活することのメリットを語ります
という点は同意いたします。
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「そもそも、公衆衛生や教育などが整った環境、時代に生まれ育ったこと自体が幸せなことだと思いますし、健康的に生きられていることの幸せや、ありがたみを意識するほうが、自分には合っているからです。
料理をしたり、散歩をしたり、YouTubeを見たり、友達と宅飲みをしたり……お金がかからない遊びを、私は楽しんでいて、これが節約・貯蓄につながっています。」
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私は若い世代にこのような人生の感じ方をする人が増えているのではないかと思っています。やはり人間って強いなあと思います。
おまけ(読者の方によって教えて頂いたこと)
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正神に奇異無しという言葉を聞いたことあるけれど、それは全世界共通なんじゃないかなと思います。
→ はい。そして言挙げせず。ということも。奇跡はあるかもしれません。しかしたとえあったとしても言挙げされるべきではない。ということ。知る人だけが知っているだけで充分だということだと思います。
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私が思うにキリスト教の経典をきっちり信じている人は一部だと思うのです。
→ 私がリンクした「聖イッサ伝」と「マルコの福音書」を比べて読んでみて、それぞれの感想を教えてください。同じ人物のほぼ同じ時代のことが書かれている話なのですが。どうしてここまで違いがあるのか。
このコメントの方に限らず、このブログの読者の方で縁ある方は、それほど長い物語ではないので、この2つのお話を読み比べて、そして読者の方の心の情緒(日本人の情緒)がどのように物語の風景を受信したか。その感想をお聞かせていただければと思います。よろしくお願いいたします。
聖イッサ伝
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/jesukyo/fukuinnsyoco/gesatu_itussaden.htm
マルコの福音書
https://ja.wikisource.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%B3%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E7%A6%8F%E9%9F%B3%E6%9B%B8_(%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3)#1:1
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何年か前のクリスマスに、イッサ伝の話をブログに上げていましたね。最初に読んだよ時、そもそも2人のキリストがいる、という説自体を知らなかったので、なんだこれ?と思って読みましたが、どうやら2人説があると分かり、なるほどねと腑に落ちたのを覚えています。その時、どうせ都合の悪いこと、思い通りでないことは揉み消されるだろうから真実を知ることはできないなと思ったのと同時に、同じ人が奇異的なことで人を驚かせるのと、心に響くことを言うのと、自分の考えていた違和感にも気づいのです。神様って人が驚くようなことしないんですよね。人があって当たり前と思っているところにこそ真の神様がいるように思います。人が分かるような奇異を起こしたりはしないような気がしています。
→ ありがとうございます。心に届いていて良かったです。ありがとうございます。
キリストの死後、数世紀にわたった聖書が今の形に改竄され、そして疑うことが許されなくなったことと、今回の薬液キャンペーンに共通点を感じております。
「神性」を「自己免疫」に置き換えると同じです。
自分の中の「神性」を信じる。というイッサのお話。
あなたは、自分の「神性」ではなく、神の子を信じなさい。あなたは生まれ持ってから罪深い存在なのです。という元来の「神性」を否定したところから、新約聖書に書かれた神の子を盲目的に信じなさいという教えのお話。
「新約聖書」を疑うな。「新薬注射」を疑うな。人間が生まれた時からもっている本来の「神性」を否定するところからスタートです。
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・みき・ミキ・神酒のはなし
https://ameblo.jp/mikimikimiki-2020/entry-12773893364.html
ブログ主の師匠が「小雪と発酵おばあちゃん」の番組に出ました!
→ 偶然私も観ました。あれは(腸にも)美味しいだろうな。と思いました。
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野中しんすけさんが、東北大学の葛根湯の研究結果(プレスリリース)を分かりやすく解説!
・https://www.youtube.com/watch?v=sdXGTESP3f4
→ 情報ありがとうございます。
人の考えには「脳内理屈」と「心の風景」の2つの陰陽だと思います。
どちらも大切。片方だけでは駄目です。
このうちの「心の風景」を私は「情緒」と呼びました。
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正神に奇異無しという言葉を聞いたことあるけれど、それは全世界共通なんじゃないかなと思います。
→ はい。そして言挙げせず。ということも。奇跡はあるかもしれません。しかしたとえあったとしても言挙げされるべきではない。ということ。知る人だけが知っているだけで充分だということだと思います。
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私が思うにキリスト教の経典をきっちり信じている人は一部だと思うのです。
→ 私がリンクした「聖イッサ伝」と「マルコの福音書」を比べて読んでみて、それぞれの感想を教えてください。同じ人物のほぼ同じ時代のことが書かれている話なのですが。どうしてここまで違いがあるのか。
このコメントの方に限らず、このブログの読者の方で縁ある方は、それほど長い物語ではないので、この2つのお話を読み比べて、そして読者の方の心の情緒(日本人の情緒)がどのように物語の風景を受信したか。その感想をお聞かせていただければと思います。よろしくお願いいたします。
聖イッサ伝
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/jesukyo/fukuinnsyoco/gesatu_itussaden.htm
マルコの福音書
https://ja.wikisource.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%B3%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E7%A6%8F%E9%9F%B3%E6%9B%B8_(%E5%8F%A3%E8%AA%9E%E8%A8%B3)#1:1
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何年か前のクリスマスに、イッサ伝の話をブログに上げていましたね。最初に読んだよ時、そもそも2人のキリストがいる、という説自体を知らなかったので、なんだこれ?と思って読みましたが、どうやら2人説があると分かり、なるほどねと腑に落ちたのを覚えています。その時、どうせ都合の悪いこと、思い通りでないことは揉み消されるだろうから真実を知ることはできないなと思ったのと同時に、同じ人が奇異的なことで人を驚かせるのと、心に響くことを言うのと、自分の考えていた違和感にも気づいのです。神様って人が驚くようなことしないんですよね。人があって当たり前と思っているところにこそ真の神様がいるように思います。人が分かるような奇異を起こしたりはしないような気がしています。
→ ありがとうございます。心に届いていて良かったです。ありがとうございます。
キリストの死後、数世紀にわたった聖書が今の形に改竄され、そして疑うことが許されなくなったことと、今回の薬液キャンペーンに共通点を感じております。
「神性」を「自己免疫」に置き換えると同じです。
自分の中の「神性」を信じる。というイッサのお話。
あなたは、自分の「神性」ではなく、神の子を信じなさい。あなたは生まれ持ってから罪深い存在なのです。という元来の「神性」を否定したところから、新約聖書に書かれた神の子を盲目的に信じなさいという教えのお話。
「新約聖書」を疑うな。「新薬注射」を疑うな。人間が生まれた時からもっている本来の「神性」を否定するところからスタートです。
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・みき・ミキ・神酒のはなし
https://ameblo.jp/mikimikimiki-2020/entry-12773893364.html
ブログ主の師匠が「小雪と発酵おばあちゃん」の番組に出ました!
→ 偶然私も観ました。あれは(腸にも)美味しいだろうな。と思いました。
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野中しんすけさんが、東北大学の葛根湯の研究結果(プレスリリース)を分かりやすく解説!
・https://www.youtube.com/watch?v=sdXGTESP3f4
→ 情報ありがとうございます。
人の考えには「脳内理屈」と「心の風景」の2つの陰陽だと思います。
どちらも大切。片方だけでは駄目です。
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子供の頃に旧約聖書と新約聖書のセット本となっている漫画があったのですが。
旧約聖書の漫画は全部面白かったのに、新約聖書の漫画は、何だこれ、と思った記憶があります。
その時と似たような印象は確かにありますけど。
ただ、新約聖書の漫画の中でも、一部好きなシーンがありました。
悪魔がキリストさんに、ああだこおだとモノを言うのですが、キリストさんは「お前は私の中に居る欲望だ」みたいなことを言って悪魔を追い払ったのでした。
同じように、新約聖書には、良いことも書いてあると思います。
例えば
「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる。」
とかいう言葉とか
「汝の敵を愛せ」などイエスさんの良い話など。
まるぞうさんが貼った、「マルコの福音書」は特別気持ち悪い内容のように思えますが、わざわざ、まるぞうさんがそういうものを選んで貼っているのですから、ある意味当然だと思いました。
キリスト教徒の方が全員、この気持ち悪い内容を信じているわけじゃないと思いますよ?
と私は何度も言ってるんですけど。
トランプ支持にはキリスト教福音派の方が多いそうですね。
まるぞうさんの貼った福音書を信じているのか、というと、そうでもないように思えます。
https://www.njg.co.jp/post-33428/
どんな宗教も、経典とは別に、独自の教えとか考え方を打ち出してるんじゃないかな、と思うのですが。
経典が全てじゃないと思いますよ?
今の私も、ほどほどが楽しいです。
『あなたがたの身分あなたがたの運命に素直に生きなさい』これを幾度か読み返したりして。
『心は意識はもともと無秩序に支配されているものだということを忘れないように』。はいこれも心にしまって置こうとおもったです。私は頭のできがよくないので、頭でわかろうとしても忘れてしまいます。でも感じとったものは全身でおぼえます。
あとやはり自分をちゃんと見て、運命に素直に喜んで生きてこうと思えました。春に咲く梅や桜を見て日本に生まれて良かったと思ったことがありました。あんな美しいものが咲かせられるのは、神様は居られるっていうあかしですもん。動物もそうなんて綺麗な姿形だろうって感心します。神様が地上に置かれたものはみんなすっごい芸術品ね。
まるぞうさんいつも有り難う。まるぞうさんは家計のこと料理のこと色々私達に教えてくれて助けてくださって。あれからスーパーへ行く時は、決まった予算内で買い物してますよ。おかげ様です。
一方でがむしゃらさ、ハングリーを失いつつある日本人を危うく思います。
感謝は相手への祝福、柏手なんですね。
話変わりますが、まるぞうさんはサッカーご覧になった?良い試合を見せてもらいました。ワールドサッカーで頑張って下さった選手の皆様、有り難う!気力みなぎりました、元気を沢山いただきました。
なんだか情緒の使い方が間違ってるぞ。といわれたような気持ちになりました。がっくり。
私の説明に言葉が足らなかったのでしょう。
最後の1行を修正するとしたら、自分がいま何を感じているのかを知るための判断基準や手段が「直感的に感じた情緒」喜怒哀楽を生む心の動きだといいたかったのです。日本語は難しいですね。
私がお伝えしたいもう一つの情緒は、
外界からの刺激をとおして、直感的に感じたことをキャッチして、自分が何を感じているのかを知るためのセンサー。
心の喜怒哀楽の感情、肉体的な五感の刺激や痛み・発熱・疲労。その結果の快・不快。違和感と反対の心地よさ、和む感じ。
外界からの刺激をとおして、自分が何を感じているのかを知るためのセンサー。喜怒哀楽をとおして痛み・発熱・疲労、五感をとおして快・不快を感じ、その後の陰陽を選択する手がかり。良いも悪いもなく自己理解のためにある。
それで、快・不快を違和感と和む(和感)に読み替えて、
違和感の違をとると和感だけが残る。和になるし、和(なごむ)です。外界からの刺激を受けてそこにある「違和・いわ」とは何かをアキラカにしたら、違をとっちゃうと、岩戸開きになるのかな。そう思って、そこにいたるためには自分の状態に気が付く『情緒』が大切なのではないかとお伝えしたかったのです。