心の嗅覚。
人とすれ違う時に、その瞬間にその人となりの集大成を感じること。
そしてそのあとに「ありがとうございます」とその方に結ぶこと。
その人の匂いというのは、すれ違ったあとに伝わってくるものです。
実際の匂いとはことなりますが、その人が放っている空気(その人となりの集大成)が匂いのように感じることが出来る。そんな感じがいたします。
人にはそれぞれの得意な感じ方がお有りでしょう。
私の場合は特に「嗅覚」という形で伝わりやすいイメージです。
それは本当の「匂い」ではなく、心の中で感じる「匂い」です。
その「匂い」として伝わる「風景」です。過去現在未来が同時に存在する「風景」です。
どの方も善い方だった。
この心の嗅覚アンテナの感度を少し開いて、すれ違った時に「その方の風景を心の嗅覚でそこはかとなく感じるを実験」してみると、面白いことに気づきます。
それは対面ですれ違おうとする時のその時の見た目の印象に比べて
すれ違ったあと心の嗅覚で伝わってくるその方の風景は、好転していることが大半です。
ああこの人もあの人も。
本当はやっぱり良い人だったのね。
そういう印象に変わることが多いのです。
名も知らぬ方であります。
それぞれの人生でお互い出会うことはないかもしれません。
そんな袖振り合う縁ではありますが、
その方の心の風景を感じさせて頂くと、やはり本当は良い方だな。というのが心の風景として伝わってきます。
これは本当に発見でありました。
どの方でも本当に一生懸命生きている。
そして心の中は善い方でありました。
周囲の空気が柔らかくなる。
そして最もの大発見は、そのあと相手の方に「ありがとうございます」とお礼を結ぶのは、本当に自分の想像以上に良い感じであります。
自分の「心の嗅覚アンテナ」を使って、その方を覗かせて頂くというのは、本当は興味本位ではお勧めできないことでありましょう。だからこそ、そのあと、その方に対して心の中で「ありがとうございます」と送らせて頂くことが大切だなと思ったのですが。
そのあと、自分の周囲の世界が柔らかくなることに驚きでありました。
この世界っていいな。と思います。
メモ。
これは私個人の感じ方なので、他の方にお勧め出来る内容ではないかもしれません。
興味本位に人の空気を覗くことは特に。ただ
・その方の印象が私の心の中で好転すること。
・その方に「ありがとうございます」と結ぶことで私の周囲の世界の空気が柔らかくなる(印象)のこと。
の覚書です。
おまけ(読者の方によって教えて頂いたこと)
==========
子供の頃は肯定が多かったかなあ、今は否定が多いかな。言葉としては少ないかもしれないけど思いは一杯かもです(笑)意識して肯定的にしていけたら・・・良いなあ。人相にも影響しそうだし。
→ また肯定が多い時代に戻っていくと思います。(^^)
==========
まるぞうさんは会社を経営されていて、奥様は保育士さんとのことですが、
うちも自営で私も事務を手伝ってきました。
でも最近経営がうまくいかず、主人は他の社長さん方と派手に付き合い、朝方まで飲んで、昼まで寝て、
従業員もどう思っているのか。。
その社長さん方は仲間と思っているのは主人だけで、鴨られて赤字を重ねています。仕事はもらっているそうですが。。
→ ご主人様のこと。やはり責任感の重圧のプレッシャーだと思います。
私も会社の経営が苦しい時期はずっと社員や家族から「パワハラ社長」「パワハラ旦那」とレッテルを貼られていたと、最近教えてもらいました。
厳しい時の体験こそ、グルリんとひっくり返る種蒔きである。だから大丈夫(^o^)!
==========
大祓祝詞の<罪という罪はあらじ っていう所はほんとに不思議ですね。
人間が生きてゆく上で犯した様々な悪を自然が洗い流しとかしてゆくっていうんですから。
キリスト教みたいに神様が愛により罪を許すというのと概念が違う。(そういう部分もあるかもしれませんが)
自然の浄化を受けること(それは地震や台風、洪水かもしれません)で罪が消えると言われてる気がして、不思議だなあ。
→ 私達が排泄する臭いウンチも、微生物の力で数ヶ月で良い匂いの土に変わるのだから。太陽の光をエネルギーとした自然の循環サイクル。罪という罪はあらじ。ありがとうございます。(^o^)/
==========
SHO_KOさん
・・・
コーチング好きの私は、ついこんなことを感じました。
「否定」も「肯定」という選択もあるけれど、心がどうしても「肯定」できないときもありますよね。自分でもウソくさい肯定をするのはなんだかな~という時もありませんか?無理に肯定も否定もしなくてよい。
ただ目の前にある事実が存在するありのままを認める「承認」第3の選択肢があることもお忘れなく~。
ただただその人や関わるすべての人や物事に対しての最善を明るく希望する。何が最善かは分からないから目の前の事象にがっかりすることはあっても、すべては最善につながっていると信じて自分のやるべきことにいま集中する。それでいいのではないのかな。それでいいのではないのかなという信念が、私の心の中にあるのだなと書いていて気がつきました。
・コーチングの承認は肯定も否定もしない! 4つの〇〇を認める
https://working-hippie.com/coaching-acknowledgement
→ 情報ありがとうございます。
話は変わりますが、すみません。今日の記事のお話です。
心の嗅覚ですれ違った時にその方の風景は、本当にすれ違う前の印象とは異なり、どなたも「善い方」でありました。そしてその方に心の中で「ありがとうございます」ということで、私の周囲の世界が柔らかくなること。
本当に不思議です。
==========
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子供の頃は肯定が多かったかなあ、今は否定が多いかな。言葉としては少ないかもしれないけど思いは一杯かもです(笑)意識して肯定的にしていけたら・・・良いなあ。人相にも影響しそうだし。
→ また肯定が多い時代に戻っていくと思います。(^^)
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まるぞうさんは会社を経営されていて、奥様は保育士さんとのことですが、
うちも自営で私も事務を手伝ってきました。
でも最近経営がうまくいかず、主人は他の社長さん方と派手に付き合い、朝方まで飲んで、昼まで寝て、
従業員もどう思っているのか。。
その社長さん方は仲間と思っているのは主人だけで、鴨られて赤字を重ねています。仕事はもらっているそうですが。。
→ ご主人様のこと。やはり責任感の重圧のプレッシャーだと思います。
私も会社の経営が苦しい時期はずっと社員や家族から「パワハラ社長」「パワハラ旦那」とレッテルを貼られていたと、最近教えてもらいました。
厳しい時の体験こそ、グルリんとひっくり返る種蒔きである。だから大丈夫(^o^)!
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大祓祝詞の<罪という罪はあらじ っていう所はほんとに不思議ですね。
人間が生きてゆく上で犯した様々な悪を自然が洗い流しとかしてゆくっていうんですから。
キリスト教みたいに神様が愛により罪を許すというのと概念が違う。(そういう部分もあるかもしれませんが)
自然の浄化を受けること(それは地震や台風、洪水かもしれません)で罪が消えると言われてる気がして、不思議だなあ。
→ 私達が排泄する臭いウンチも、微生物の力で数ヶ月で良い匂いの土に変わるのだから。太陽の光をエネルギーとした自然の循環サイクル。罪という罪はあらじ。ありがとうございます。(^o^)/
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SHO_KOさん
・・・
コーチング好きの私は、ついこんなことを感じました。
「否定」も「肯定」という選択もあるけれど、心がどうしても「肯定」できないときもありますよね。自分でもウソくさい肯定をするのはなんだかな~という時もありませんか?無理に肯定も否定もしなくてよい。
ただ目の前にある事実が存在するありのままを認める「承認」第3の選択肢があることもお忘れなく~。
ただただその人や関わるすべての人や物事に対しての最善を明るく希望する。何が最善かは分からないから目の前の事象にがっかりすることはあっても、すべては最善につながっていると信じて自分のやるべきことにいま集中する。それでいいのではないのかな。それでいいのではないのかなという信念が、私の心の中にあるのだなと書いていて気がつきました。
・コーチングの承認は肯定も否定もしない! 4つの〇〇を認める
https://working-hippie.com/coaching-acknowledgement
→ 情報ありがとうございます。
話は変わりますが、すみません。今日の記事のお話です。
心の嗅覚ですれ違った時にその方の風景は、本当にすれ違う前の印象とは異なり、どなたも「善い方」でありました。そしてその方に心の中で「ありがとうございます」ということで、私の周囲の世界が柔らかくなること。
本当に不思議です。
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まあ、酔っ払いに変な絡まれ方をするときとか、あるわけですよ。酔っ払いってのは理屈が通じませんから、こちらが理屈で返しても屁理屈をこねくり回して、話がどんどん変わっていく、終わりが見えないんですな。
いい加減うんざりしながらも、これも修行かと思いつつ、ふっと心の中で「ありがとうございます」とつぶやいた途端、相手の態度ががらりと変わって、急にこちらを気遣うようなことを言い始めたりして、素直に帰っていったことがあります。
この方法が絶対だとは言いません。世の中そんな上手く行くもんじゃない。でもまあ、酔っ払いには酔っ払いなりの”事情”って奴があるのだろうなと、基本誰も、根っからの悪人なんていないなあと、思う次第。でも
やはり酔っ払いは嫌いだ!(笑)。
【大祓詞】でどこに1番ひかれたかというと、
【罪という罪はあらじと】の部分なんですよ。
ブログのタイトルにあった時は、!!!ってな感じになったのですが、書き込みはちょっと控えていました、苦笑
なんだか、【南無阿弥陀仏】にも通じるような感じがして、お国柄というか、なんというかそんな感じがしていいなーと。
すれ違う人のその人なりはキャッチ出来ませんが、最近に気になる事はと言えば、街中で
目つきの鋭い人がいるなということでして。
あ、ここにもおった!って発見するという。
だからといって何もないですが、、
まるぞうさんがその方とすれ違ったら何を感じるのだろうかと、ちょっと興味はあります、笑
今日もまた俺通信に付き合って頂いて、有難う御座いました!
別段何かあった訳では無いですが、なんだか気分がいい感じになりました。
知らない人もみんな善い方だ〜知ってた〜
ありがとうございます。
理由なく肯定でもいけるかも?
これでいいのだ〜
お返事本当にありがとうございました。
重圧かぁ。。
種まき、と自分に言い聞かせて何事も無駄になる事はないと少し前向きになることができました。
これからもブログの更新楽しみにしています。
心の中で勝手にやる分にはいいけど。
まるぞうさんは覚えてないだろうけど、勝手に実験されて「私(まるぞうさん)は誰か」を問うためにやったとかわざわざ言われ、その実験において、なんか、私について、ものすごーくトンチンカンな勘違いをされたことがあるから。
ただ、今日の記事は少しだけ、まるぞうさんと重なる風景を見ました。
昨日からずっと「誰でも一生懸命生きてる。みんな良い人」って思ってたから。
私は、最初にまるぞうさんが、集大成の記事を書いた時に、「気をぬいたら無意識に勝手にキャッチしてしまう」のだろう、と思っていたのですが
「実験」と言うくらい、まるぞうさんは意識してやっていたのですね。
それで、「好奇心で覗いたら失礼だから感謝する」的なフレーズが必要だったのか、とわかりました。
でも、その実験は、ある意味「霊視」的なものだと思います。まるぞうさんはご自分で「霊感はない」と仰っているとおり、まるぞうさんの霊視は、当たるも八卦当たらぬも八卦くらいだと思います。でも、当たる当たらないは重要ではなくて。霊視の印象の方が相手を肯定することができて、相手に感謝すれば尚、自分の周囲が柔らかくなるから有意義だ、ということをお書きになられたかったのだな、と思いました。
勝手に私の言葉で書きなおすと、単純に、「相手の雰囲気を包み込むように感じた方が、言葉でのコミュニケーションよりも相手に対して愛情深くなれる、肌で感じさせていただいたことを感謝すれば猶更暖かくなる」 って話だったのかな、とも思いました。
やっぱり生身の人間に対して まるぞうさんの「実験」は失礼だとも思う。
心の中で勝手にやる分にはいいけど。(まるぞうさんの心に対して良い効果があるみたいだから)
てか、もっと素直に
相手の中の神様を観ようとして、観させてもらったことに感謝すると柔らかくなります
っていう表現じゃダメだったのかな?、とも思いました。
それだったら、誰にも失礼にならないのに。
コメントした後、まるぞうさんの記事を「鏡」として自分が大切にしている信念に気が付けてうれしかったです。わざわざコメンを書くというのはそれほど自分には大切なモノなのだと思いました。鏡に映ったから自分に気が付けた。自分を知れたと。まるぞうさんにコメントしたくなるのは何故なのだろうと思うときがあります。記事の内容を「鏡」として見たときに私の心にはこう映ったと、その時に見えた気づきを伝えたいから。そうすることで何かを返したい、感謝を伝えたいからなのかもしれません。
風景が変わるお話、似た世界を私も感じていますよ。なんとなく分かるような気がします。
毎朝、見晴らしの良いベランダで祈るとき、鳥や虫の声、ごみ捨ての音、車の音を聴きながら、今日も皆が一生懸命に生きてこの世界を支えてくれる事を思うと本当に今日もここにいてくださってありがとうございます。この世界を支えてくださってありがとうございますと思います。虫も動植物も物も人も地球も宇宙も私を生かしてくれるこの世界の仲間、家族なんだ。そう思って朝にベランダから拡がる町の風景を見れば心に温かいものを感じます。
まるぞうさんのお話は、こんなことが言いたいのかなと想像します。
街の中を歩くとき、スーパーや電車の中、たくさんの人々とすれ違います。見た目や服装、醸し出す雰囲気からやっぱりね、安全でいたいから、すれ違った時につい、あっこの人大丈夫かな?安全か、危険か。もしくは敵か味方かになってしまう。そんなわけで人はちょっと異質を感じるもの、差を自然と探してしまうものだそうです。それは自然な心の働き。大切な防衛本能。でも防衛本能も働き過ぎるとフレンドリーではなくなって“ガルガル”と人を獣のようにしてしまう。
それでも「ありがとうございます」と感謝した瞬間に世界が変わるのは、表面的にいろいろと思い感じることがあっても、相手に対して「感謝」だと自分の心が決めたからだと思いました。それが現実や変えていくことなのだと思います。
「心が先で現実は後」ですね。